第41話 酒造りへの挑戦
お米という、この世界における「希望の種」を安定して収穫できるようになったなら。次に挑むべき道は、必然的に一つに絞られる。
米と麹、そして清らかな水。この三つが揃えば、完成する究極の結晶がある。
そう。日本人の、そして酒好きの種族にとっての至宝――『お酒』だ。
ドワーフのガントンが仲間になったことは、農場の「娯楽レベル」を飛躍的に向上させたが、同時に猛烈なアルコール需要をもたらした。彼は口を開けば「酒はまだか」「喉が焼けるように渇いた」「酒があればもっとハンマーの振りが鋭くなる」と宣い、作業のモチベーション維持(という名の依存)のためには、もはや自家醸造は避けては通れない、文字通りの『死活問題』となっていた。
「さあ、腰を据えて仕込むぞ! 中途半端なものは作らない。大地の恵みを凝縮させた、至高の雫だ!」
テオは、まずは初心者でもそれなりに形になる『どぶろく』から着手した。蒸したての熱いお米に、秘密裏に培養を続けていた麹菌を混ぜ込み、ダンジョンのミネラル豊富な天然水を加えて、じっくりと発酵させる。
さらに、ガントンが「酒造りのためなら、どんな難易度の依頼も受けるぞ!」と豪語して一晩で打ち上げた、内部に極薄の銀を蒸着させた特製醸造樽。これに、ティアが微細な魔力操作で行う「二十四時間完璧な温度管理魔法」が融合し、農場の一角、以前は倉庫だった場所は、今や完全に神聖なる『酒蔵』と化していた。
「テオ様、ここじゃ。このプツプツと泡立っておる表面の揺らぎ……こいつが、微生物たちが生きている証拠じゃな。この匂い……芳醇にして複雑。少しでも気を抜けば酢になってしまう、ギリギリの均衡じゃな」
「はい、ガントンさん。ティアが、醪の温度を一秒たりとも誤差なくキープしてくれていますから心配ありません。彼女、寝ながらでも魔法を維持できるようになったんですよ。おやつの追加権と引き換えに」
「うむ、さすがじゃ。その食欲こそが、良い酒を育てる土壌となるのじゃな」
数週間の熟成期間を経て、厳かな試飲会が深夜の食卓で開かれた。
テオがまず差し出したのは、絞りたての生原酒。一切の火入れをせず、新鮮な香りをそのままに封じ込めた特製の吟醸酒、『深淵の雫・プロトタイプ』だ。
「さあ、毒味役(笑)を。感想を聞かせてください」
「おお……透明じゃ……。魔界や地上で飲める、あの濁ったドロドロの蒸留酒とは訳が違う。まるで、澄み渡った月の光のように美しい……」
ガントンは、小さな猪口を渡そうとしたテオの手を制し、大きな湯呑みで並々と酒を受けた。手の震えが止まらない。彼は意を決して、一気にその雫を煽った。
「カァァァァァァッ!! …………効くぅぅぅ!! なんだこれは、脳天を突き抜けるような鮮烈な辛口! だが、その直後に喉を優しく撫でるように、お米特有のふくよかな甘みが追いかけてくる! そして何より、この香りだ! 雪解けの山に咲く、一輪の可憐な花を思わせる高潔な香り……。これぞ神が人間に唯一許した奢侈の極致じゃ!」
「合格点をもらえてよかったです」
「合格どころか、満点じゃ! いや、これなら天界の神々に献上しても、引き換えに国の一つや二つはもらえるレベルじゃぞ!」
「あら、それでは私はこちらの、テオさんが作った『完熟桃のハニーリキュール』をいただきますね。私、お酒はあまり得意ではないので、ほんの少しだけで……」
そう言って、頬を少し赤らめて可憐に微笑んだエリナ。だが、悲劇(?)はそこから始まった。
彼女は、桃の甘い香りが漂う濃厚なリキュールを、ロックでグイッと一口で飲み干すと、「んふふ、とっても甘くてジュースみたいでおいしいですぅ」と、女神の如き慈悲深い笑顔を全く崩さずに宣言した。
そして。
二杯、三杯、四杯。
テオやガントンが「そろそろ止めたほうが……」と心配するのを尻目に、彼女の顔色、仕草、声量に一切の変化はない。
聖女の持つパッシブスキル【毒無効・完全浄化】が、アルコールを体内で瞬時に中和しているのか。それとも彼女の肝臓そのものが、オリハルコン以上の耐久性を誇る『神の臓器』なのか。
背後に、音もなく巨大な空き瓶がピラミッドのように積み上がっていく光景は、喜びと活気に満ちた宴の席に、一石を投じるシュールなホラー体験でもあった。
こうして、農場の生活に「深淵の美酒」という新たな潤い(と、聖女の底知れぬ恐怖)が加わったのであった。




