第40話 おにぎりとお味噌汁
翌朝、農場のログハウスの食卓には、かつてこの異世界の地下深くでは決して存在し得なかった、質素ながらも力強い「食の革命」が起きていた。
テーブルの中央、神々しい存在感を放って鎮座するのは、テオが手仕事で仕上げた大きな土鍋。その蓋を開けた瞬間、純白の蒸気と共に立ち上ったのは、一粒一粒が真珠のように輝き、凛と立ち上がったピカピカの炊きたて白米だ。
その隣には、視覚だけで体温を上げそうなほどに熱々の湯気を立てるお椀。中身は、テオが執念で自作した大豆味噌をベースに、地底湖産の肉厚なワカメ、シャキシャキとした採れたてのネギ、そして昨夜ロボと協力して大豆から手作りした、シルクのような舌触りの豆腐を浮かべたお味噌汁だ。
さらに脇を固めるのは、炭火で皮をパリッと、身をふっくらと焼き上げたダンジョントラウトの塩焼き。出汁をたっぷり含んだ黄金色の卵焼き。そしてテオの畑で今朝収穫されたばかりの瑞々しいキュウリの浅漬けと、トロリと味が染み込んだナスの煮浸し。
それはまさに、地上の一流の温泉旅館ですら容易には提供できない、究極の完成度を誇る「日本の和定食」であった。
「……テオ。我は一度聞きたかったのだが、これ、本当に我々が口にできるものなのか? その、この茶色い泥水……いや、濁ったスープのようなものから、あまりにも未知の香りがするのだが……」
「お味噌汁だよ、ティア。匂いは発酵食品特有の独特なものだけど、味と栄養価は僕が命を賭けて保証する。騙されたと思って、まずはこのスープを一口だけ飲んでみて。世界が変わるから」
ティアは、未知の怪物に挑むような緊張した面持ちでお椀を両手でしっかりと持ち上げ、恐る恐るその縁に薄い唇をつけた。
ズズッ。
「…………ッ!?」
ティアの動きが、彫像のようにピタリと止まった。全身の鱗が微かに逆立ち、金色の瞳が大きく見開かれる。
「どう? 口に合わなかったかな」
「……染みる、んじゃ」
ティアが、どこか遠い異郷を想うような慈愛に満ちた目をして、深くため息をついた。
「なんだこれは……。熱い液体が喉を通った瞬間、身体の芯、魔力回路の隅々にまで温かくて優しい何かが染み渡っていく……。初めて食べるはずなのに、なぜか、もう帰ることのできない故郷を思い出すような、心がふんわりと解けて、すべてを許せるような心地になる……」
「それが『お袋の味』の持つ癒やし効果だよ。味噌に含まれるアミノ酸と塩分、そして出汁の旨みが、魂に直接安らぎを与えるんだ」
「おふくろ? 我に母はおらん(ダンジョンの魔力溜まりから生じた)が、もし我に母がいたのなら、きっとこういう味がしたのだろうな……!」
ティア、感動のあまり目尻に僅かな涙を浮かべる。
続いて、テオが握ったシンプルな塩むすびを一気に頬張った。
「むぐっ……むっふぅ! うまい、うますぎるぞ! なんだこのコメという穀物は! 噛めば噛むほど湧き出す、野性味溢れる甘み! そしてこの茶色いスープ、おにぎり、お魚を順序良く口に運ぶ『三角食べ』とやらをすると、無限に食べられる気がするぞ! 止まらん、箸が止まらん!」
完全に『口内調味』の深遠なる極意を悟ったようだ。
「この『お醤油』という調味料をかけた焼き魚も絶品です! ただの塩焼きとは比較にならないくらい香ばしくて、魚の旨みが何倍にも膨らみ……テオさん、これがあれば私、一生このダンジョンから出なくていいです!」
エリナも普段の聖女としての慎みを半分ほど忘れ、頬をパンパンに膨らませて食べ続けている。
ガントンに至っては、「クァーッ!! この漬物の絶妙な塩気がたまらんわい! これがビール……いや、冷や酒に合わんはずがない! 朝から一杯やらせろ!」と猛抗議を始めたが、テオの冷ややかな目によって即座に却下された。
水路からはタコちゃんが触手を一本出し、自分も仲間に入れろと言わんばかりにおにぎりをねだっている。
「分析結果公開。発酵食品ニヨル腸内環境ノ劇的改善。メンバー全員ノ魔力回復速度、通常時ノ一二%向上。結論:和食ハ、農場維持ニ不可欠ナ燃料ト定義シマス」
ロボが冷静に(しかし、自分も食べたそうに油をチカチカさせながら)総括した。
和食の力は、やはり偉大だった。
種族や生い立ちを超えて、生きとし生けるものすべての胃袋と魂を、温かく、かつ強烈に鷲掴みにした。
こうして、それまでパン派だったはずのダンジョン農場の食卓は、この日を境に、完全に「白米と味噌汁」を至高とする和食派へと、劇的な転換を遂げたのであった。




