第28話 水辺の守護者(クラーケン)
「【害虫駆除・威圧】ッ!」
テオの声と共に、不可視の衝撃波が全方位へ放たれた。
本来は畑を荒らす小動物や昆虫を「ちょっと驚かせて」追い払うためのスキルだが、レベルが上がり、魔力が強化されたテオが放つそれは、物理的な質量を持った重力波となってクラーケンを襲った。
ドォン!
水面が大きくへこみ、クラーケンの巨体がぐらりと揺らぐ。
「キシャッ!?」
クラーケンは驚いたように身を捩ったが、すぐに真っ赤になって怒り狂い、巨大な触手を振り上げた。
水中で浮力を得て生きる彼にとって、空気中の衝撃波はある程度緩和できてしまうらしい。
8本の触手が鞭のようにしなり、テオたちを目掛けて豪快に振り下ろされる。
「くっ、厄介な! 『アイス・ジャベリン』!」
ティアが無数の鋭利な氷の槍を生成し、迎撃する。
ザシュッ、ザシュッ!
氷の槍が触手に突き刺さり、青い血が飛ぶ。
だが、分厚い皮膚と筋肉に阻まれ、致命傷にはならない。むしろ傷口から瞬時に肉が盛り上がり、再生していく。
ダメージを与えたことで、逆に相手の怒りを増幅させてしまったようだ。
「水の中にいる限り、あやつの再生能力は無限だぞ! 一度陸に引きずり上げるか、湖ごと凍らせて動きを止めるしかない!」
「凍らせたらダメだティア! この湖の水は貴重な資源なんだ! 稲作に使うんだから!」
「ええい、農業と私たちの命と、どっちが大事なのだ!」
「どっちも!」
テオは即答した。1秒の迷いもなかった。
そうこうしている間にも、触手の一本がテオの死角から、音もなく忍び寄っていた。
「テオさん、危ない!」
エリナが叫びながら前に飛び出し、【聖なる盾】を展開する。
ガガガガッ!
光の盾と触手が激突し、火花が散る。エリナの足が地面を削るが、彼女は歯を食いしばって耐えた。
だが、さすがにAランクモンスターの怪力、盾ごと吹き飛ばされるのは時間の問題だ。
絶体絶命のピンチ。
何か、打開策はないか。
テオが慌てて腰のマジックバッグを探る。武器になりそうなもの、あるいは気を引けるもの……。
その時、バッグの口が開き、振動で中身がポロリと転がり落ちた。
緑色の、細長い野菜。
キュウリだ。
今朝の収穫作業中に、形が良すぎて「後で食べよう」と思ってポケットに入れておいた、トゲトゲが痛いくらい新鮮な一品。
ポチャン。
キュウリが湖に落ちた。
ピタッ。
その瞬間、クラーケンの動きが凍りついたように止まった。
振り上げられた触手が空中で静止し、巨大な一つ目が、水面にぷかぷかと浮かぶ一本のキュウリに釘付けになっている。
殺気が、嘘のように霧散した。
代わりに漂うのは、強烈な「食欲」の気配。
しゅるる……。
恐る恐る触手の一本が伸び、キュウリを優しく、まるで宝物を扱うように包み込むように掴んだ。
そして、視聴覚過敏なテオには聞こえた。
「ん? なんだこれ? いい匂いがする」という心の声が。
クラーケンはキュウリを口へ運んだ。
バリボリ、バリボリ、シャクシャク。
静まり返った洞窟に、やけに良い音が響き渡った。
次の瞬間。
ポッ。
クラーケンの全身が、茹でダコのように真っ赤(というか幸せそうな桜色)に染まった。
そして、触手をくねらせ、湖面をバシバシと叩きながら、歓喜の舞を踊り始めたのだ。
「……え? なに? 何が起きたの?」
「こ、混乱の魔法でもかかったのか?」
呆気にとられるティアとエリナ。
だが、テオにはわかった。
あれは「美味い!」という、魂からの感動の表現だ。
「キュ……キュキュッ!(うまい! これうまい! なんだこのみずみずしさは! シャキシャキしてる!)」
クラーケンは水面から顔を出し、テオの方をキラキラした目で見て、もっとないかと催促するように触手をブンブン振った。
どうやら、この地底湖には魚などのタンパク源は豊富だが、新鮮な野菜(特にビタミンと水分と食感)が圧倒的に不足していたらしい。偏食による野菜不足は、魔物にとっても深刻な問題だったのだ。
あるいは、テオの作った野菜に含まれる高濃度の純粋魔力が、水棲モンスターにとっても極上のドーピングアイテム(エサ)だったのかもしれない。
「……もしかして、もっと食べる?」
テオがおずおずと、マジックバッグから追加のキュウリを差し出す。
クラーケンは犬のようにお座り(水中だけど)をして、8本の足を揃えて行儀よく待った。
「食べる! 食べるキュ!」(※テオの脳内翻訳)
完全に餌付けが成功した瞬間だった。
Aランクモンスターが、キュウリ一本で陥落した。
テオは安堵すると同時に、自分の野菜の威力に少し引いた。
こうして、湖の主との和平交渉(という名の買収)は成立したのだった。




