第21話 届かない声
地下49階層。
深層への入り口を守る最後の関門であり、数多の冒険者を葬ってきた絶望の場所。
その門番である、ミノタウロス・ゾンビの前で、聖女エリナは今まさに力尽きようとしていた。
もう、指一本動かすことができない。
頼みの綱だった魔導杖は中ほどから無残にへし折られ、かつて純白を誇っていた聖衣は泥と自身の血でどす黒く汚れ、見る影もない。
呼吸をするたびに、鉄錆のような味が口の中に広がる。
「ここまで……なの……?」
「テオ、さん……」
魔力は完全に空っぽだ。
最後のポーションも使い果たした。
身体強化の魔法も切れ、鉛のような重力が全身にのしかかる。
目の前で、腐乱した巨大な牛頭の巨人が、嗤うように口元を歪め、身の丈ほどもある巨大な戦斧をゆっくりと振り上げている。
その一撃を受ければ、彼女の命は確実に終わる。
(テオさん……会いたかった……)
死の淵で、走馬灯のようにテオとの思い出が蘇る。
初めて出会った日、緊張していた私に優しく声をかけてくれたこと。
下手くそな裁縫で、私の破れたローブを一生懸命直してくれた背中。
風邪をひいた時に、徹夜で作ってくれた特製の消化にいいお粥の味。
そして、あの温かい笑顔。
後悔ばかりが溢れてくる。
もっと素直になっていればよかった。
もっと彼に感謝を伝えていればよかった。
そして何より、もっと彼を守ってあげればよかった。
彼が追放される時、なぜ私はもっと強く反対しなかったのか。なぜ一緒に付いていかなかったのか。
ごめんなさい。ごめんなさい。
死を覚悟して、ギュッと目を閉じた、その時だった。
エリナの胸ポケットが、ドクンと熱く脈動した。
中に入れていたのは、テオが勇者パーティを追放される直前に、「これ、あげる。お守り代わりに」と言って渡された、小さな包み。
『珍しいカボチャの種なんだ。魔除けになるかも』と彼は照れくさそうに言っていた。
それは、彼が最後に私に残してくれた、たった一つの贈り物。
「……テオ、さん?」
――カッ!!
エリナがその鼓動に触れようとした瞬間、種から強烈な黄金の光が奔流となって溢れ出し、エリナの全身を包み込んだ。
それはただの光ではなかった。
テオの規格外の【豊穣魔力】が凝縮された、超高密度の生命エネルギーの塊だったのだ。
アンデッドであるミノタウロス・ゾンビにとって、それは太陽フレアを生身で浴びるに等しい、絶対的な浄化の光。
「グオォォォォッ!!?(浄化されるぅぅ!?)」
巨人が断末魔の悲鳴を上げる。
光に触れた部分から、ドロドロに腐った肉が瞬時に浄化され、灰色の塵となってサラサラと崩れ落ち、消滅していく。
圧倒的な「生」の力が、「死」を駆逐していく。
エリナはその強烈な光の中で、不思議と懐かしい温かさを感じていた。
まるでテオに抱きしめられているような、絶対的な安心感。傷ついた身体から痛みが引いていき、凍えた心に熱が戻ってくる。
(あたたかい……これが、テオさんの力……?)
光は彼女を優しく包んだまま、周囲の空間を歪ませた。
実はその種、ただのカボチャではない。【帰還】の効果を持つ「転移カボチャ(品種改良中・未発表)」の特別な種だったのだ。
テオ自身も知らなかったが、そのカボチャは「育ての親(あるいはその魔力の持ち主)のもとへ帰巣する」という、とんでもない習性を持っていた。
シュンッ……!
エリナの体は光の粒子となって溶け、次の瞬間には、49階層の冷たい石畳の上からは完全に消失していた。
後に残されたのは、浄化されてただの綺麗な骨になったミノタウロスの残骸と、静寂だけだった。
聖女の愛と、農家の愛(無自覚)が起こした奇跡。
物語はここから、新たな展開へと加速していく。




