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第2話 暗闇の夜と土の温もり

 勇者パーティが去り、彼らの焚き火の明かりも見えなくなった後、僕の周りには完全な闇が訪れた。

 視界ゼロ。自分の手のひらすら見えない漆黒の世界だ。

 この地下50階層は、地上とはことわりが違う。ただ暗いだけではない。闇そのものが質量を持って、肌にまとわりついてくるような重苦しさがある。

 湿度は高く、どこか金属のような冷たい匂いがした。遠くからは「グオォォ……」という地鳴りのような魔物の唸り声や、何か巨大なものがズルズルと這い回る音が聞こえてくる。

 ここが死地であることを、五感のすべてが告げていた。


「……さて、まずは寝床を確保しないとな」


 僕は震える唇を噛み締め、努めて明るい独り言を呟いた。声に出さないと、この圧倒的な闇の重圧に押し潰され、飲み込まれてしまいそうだったからだ。

 地上に戻ろうなんて考えは毛頭ない。

 装備も水も食料もなしで、凶悪な魔物が跋扈する50階層分のダンジョンを遡るなんて自殺行為だ。そんな体力も魔力もありはしない。

 なにより、あの勇者たちに泣きついて土下座してまで戻りたくはなかった。彼らの侮蔑の目が脳裏に焼き付いている。「役立たず」と言い放った冷たい声が、耳の奥で反響している。

 戻れば、またあの惨めな日々に逆戻りだ。それなら、この闇の中で野垂れ死んだほうがマシだ。


「僕には、こいつがいるしね」


 僕は愛用のクワを強く握りしめた。

 祖父から譲り受けた、何の変哲もない鉄のクワ。柄の部分は手汗と泥で黒ずみ、刃先も少し欠けている。ボロボロに見えるが、僕の手には吸い付くように馴染む。これだけが、今の僕に残された唯一の味方だった。


 この階層の壁は、ダイヤモンドよりも硬いと言われる古代岩盤でできている。普通のツルハシを使ったところで傷一つつけられないだろう。

 でも、僕の【至高の農具】スキルは、対象を「耕作地」と認識できれば、あらゆる物理法則と抵抗を無視できる。

 岩だろうが、鉄だろうが、それが「開墾すべき大地」である限り、僕にとってはただの「土」でしかない。


「よし、あそこの壁の窪みを使おう」


 暗闇の中、手探りで壁の感触を確かめる。

 少し凹んだ場所を見つけた。ここなら背後を取られる心配はないし、通りがかりの魔物に見つかるリスクも減らせる。

 問題は、地面がゴツゴツとした鋭利な岩盤剥き出しで、このまま寝れば体温を奪われて凍死するか、背中が切り刻まれるということだ。


「頼むぞ、相棒。……スキル発動、【耕す】!」


 僕はクワを大きく振り上げ、硬い岩盤に向かって全力で振り下ろした。

 本来なら「ガキンッ!」と激しい音を立てて弾かれ、手首の骨が砕けるはずの硬度だ。


 ザクッ。


 しかし、クワの切っ先はまるで豆腐に包丁を入れるように、音もなく岩盤に吸い込まれた。

 魔力を通したクワが触れた瞬間、岩の分子構造そのものが分解され、再構築されていく。

 硬質な結晶の結合が解かれ、適度な空気を含んだ、柔らかく温かい粒子へと変わる。


「ふんっ! せいっ! よいしょっ!」


 僕は無心でクワを振るった。

 湧き上がる恐怖心を紛らわせるように。

 誰かに、何かに必要とされたいと願うように。

 真っ暗闇の中で、ただひたすらに土と向き合う。この単純作業だけが、僕の精神を正気に繋ぎ止めていた。


 10分もしないうちに、岩壁には大人が一人、足を伸ばして横になれるくらいの快適な横穴が開いていた。

 しかも、掘り出されたのは尖った砕石ではなく、園芸用の培養土のようにふわふわの、きめ細やかなパウダー状の土だ。


「うん、これなら……」


 僕は出来上がった横穴に、逃げ込むように潜り込んだ。

 ひんやりとした外気とは違う、じんわりとした温かさがそこにはあった。

 土の匂いがする。

 雨上がりのアスファルトのような無機質な匂いじゃない。懐かしい、故郷の田舎の畑の、生命を育む豊かな腐葉土の香りだ。

 背中から伝わる感触も、岩肌の冷たさではなく、天日干しした布団のような柔らかさで優しく包み込んでくれる。


「……意外と、快適かも」


 入り口には、掘り出した余分な土を固めて簡単な防壁を作った。

 完全な密室ではないが、冷たい風は防げるし、外からの視線も遮れる。少なくとも、寝ている間に魔物に喉笛を噛み切られる心配は減ったはずだ。


 勇者パーティにいた頃の野営を思い出す。

 いつも彼らのテントを設営し、食事を作り、後片付けをして、ようやく休めると思ったら見張りの当番を押し付けられた。

 雨の日も風の日も、外で焚き火番をしながら震えていた。

 自分のためだけに時間と労力を使い、自分のためだけに寝床を作ったのは、いつ以来だろう。


「お腹は……空いたけど、今日はもう寝よう」


 グゥと腹の虫が鳴いた。強烈な空腹感はあるが、それ以上に精神的な疲れが大きかった。

 土の中に埋まるように丸くなると、不思議と心臓の早鐘のような鼓動が落ち着いていくのがわかった。

 まるで、大地そのものに抱かれているような安心感。

 母なる大地という言葉があるけれど、農家の僕にとって土はまさに母親のような存在なのかもしれない。


「おやすみ、僕だけの城」


 誰にも邪魔されない、誰にも文句を言われない、僕だけの空間。

 闇の中で目を閉じると、先程までの絶望感は嘘のように薄れて消えていた。

 明日は何をしよう。まずは水を探して、生き延びるための基盤を作ろう。そして、ポケットにあるトマトの種を植えてみようか。

 そんな小さな希望の光が、胸の奥でポッと灯るのを感じながら、僕は泥のように深い眠りに落ちていった。


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