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第17話 地上の崩壊

「不味い! こんな石みたいに硬いパンが食えるか! 喉が詰まるわ!」


 勇者パーティのリーダー、剣聖アレクが、怒りに任せて携帯保存食の黒パンを地面に叩きつけた。

 乾いた音が響き、パンが砕け散る。

 ここはダンジョン中層、30階層付近にあるセーフティゾーン。

 テオを50階層に置き去りにしてから、一週間が経過していた。

 かつて栄光を極めた彼らの表情は一様に暗く、覇気がない。目の下には濃いクマが刻まれ、鎧やローブは薄汚れている。


「文句言わないでよ! これしかないんだから!」


 氷の魔女と呼ばれる魔導師ミランダが、ヒステリックに叫び返した。彼女の美しい金髪は脂ぎり、自慢の美貌も疲労で歪んでいる。

 彼女も限界だった。

 以前ならテオが野営地の整地や見張りをしてくれていたため、魔法職である彼女は十分に睡眠を取れ、魔力を回復することができた。

 しかし今は、野営のたびに魔物避けの結界を維持しなければならず、魔力消費が激しい上に、交代での見張りがあるため睡眠不足が慢性化している。

 肌も荒れ放題で、化粧も乗らない。ストレスはピークに達していた。


「ああ……テオの野菜スープが飲みたいなぁ……あの、とろっとしたポタージュ……」


 屈強な戦士であるはずのガストンが、うわ言のように虚空を見つめて呟いた。

 焚き火の前で膝を抱え、巨体を丸めている姿は、捨てられた子犬のようだ。

 かつては、どんなに寒くて過酷な場所でも、テオが手際よく温かくて栄養満点の食事を用意してくれた。

 固い地面もフカフカの土に変えてくれたし、刃こぼれした武器や防具の手入れも完璧にしてくれた。

 それがどれほど恵まれた、当たり前ではない環境だったか。

 失って初めて、彼らは痛感していた。いや、痛感させられていた。


「おい、ガストン! その役立ずの名前を二度と出すな!」

「だってよお! アレクだってわかるだろ!? 体がだるくて力が入らねえんだ! ポーション飲んでも疲れが取れねえし、ちょっとした切り傷の治りも遅え!」


 ガストンの悲痛な叫びは、図星だった。

 彼らは知らなかったのだ。

 テオの作る食事には、彼の【至高の農具】スキルによる特殊効果が付与されていたことを。

 【疲労回復(大)】【魔力増強(中)】【自然治癒力アップ(大)】【状態異常耐性】。

 それらの強力なバフ効果が、日々の食事を通して彼らの肉体を内側から支えていたのだ。

 彼らが最強のパーティとして連戦連勝できていたのは、テオという強固な基盤があったからこそだ。

 今の彼らを襲っているのは、栄養失調と過労、そしてバフ効果切れによる急激な能力低下だ。

 ステータス画面には異常として表示されないが、確実に彼らの戦力を削ぎ落としていた。

 もはや迷宮攻略だの、最速クリアだのと言っていられる状況ではない。生きるか死ぬか、撤退することすら困難な瀬戸際に立たされていた。


「……私は、戻ります」


 焚き火の端で、祈るようにずっと無言だった聖女エリナが、静かに立ち上がった。

 その白い聖衣ローブは泥で汚れていたが、青い瞳には、これまでの弱気な色はなく、強い決意の光が宿っていた。


「あ? 何言ってんだエリナ。こんな中層で、お前一人で地上に戻れるわけ……」

「地上へは戻りません。深層へ行きます」

「……はあ!?」


 アレクが素っ頓狂な声を上げた。

「自殺志願かお前! 50階層だぞ!? 最強の魔物がウヨウヨしてる死地だぞ! それに、テオなんてとっくに死んでるに決まってるだろ! 一週間だぞ!?」

「いいえ、生きています。私の【聖女の直感】がそう告げています。彼は生きているどころか、もっと……何か大きなことを成し遂げようとしている気がします」


 根拠はない。だが、エリナには確信があった。あの優しくて強い青年が、あんなところで終わるはずがないという信頼が。

 エリナは冷ややかな目でかつての仲間たちを見下ろした。

 彼らの慢心と無知と傲慢さが、テオというかけがえのない存在を追放し、この惨状を招いたのだ。

 もう、付き合いきれない。


「あなたたちは、自分たちの愚かさを噛み締めてください。さようなら」


「おい、待て! ヒーラーなしでどうやって戦えと……!」


 アレクが手を伸ばしたが、エリナは聖杖を強く地面に突き立てた。

 【聖域結界サンクチュアリ】。

 黄金の光が彼女を包み、アレクの手を弾き飛ばす。

 彼女は振り返ることなく、暗い迷宮の奥、より深く危険な深層へと続く道へと歩き出した。

 背中でアレクたちの制止する声や、見苦しい罵声が聞こえたが、彼女の耳にはもう届かなかった。

 彼女の心はすでに、遥か地下深くにいる、たった一人の青年のもとへと飛んでいた。


「待っていてください、テオさん。今度こそ、私があなたを守りますから」


 孤独な決意を胸に、聖女は闇へと消えていった。


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