中編 攻略イベント、絶賛崩壊中
その日、モモカは寮に帰るなり、ショックで寝込んでしまった。
翌日はなんとか気分を切り替え、改めてジョナス攻略に挑むことにした。
「大丈夫。大丈夫。まだ修正はできる。うん」
ちょっとくらい王子が変でも、悪役令嬢が疲れていても、きっと多分問題はない。
モモカは次のイベントに向けて準備を始めた。
「渡り廊下での転倒事件の後は、教科書破損事件ね」
ヒロインの机に入れてあった教科書が、何者かによってずたずたに引き裂かれるというイベントである。
黒幕はもちろんキャスリンだが、彼女自身が手を下すわけではない。
同じ派閥に属する、Bクラスの子爵令嬢が実行犯だ。
ただ、ゲームでは名前も顔も表示されないため、クラスメイトの誰が犯人なのか、モモカには分からない。
けれど問題はなかった。
「だって、自分でやるんだからね!」
モモカは普段よりも早く寮を出て、早朝の教室にやってきた。
誰もいないのを確認し、自分の机の中に置きっぱなしにしていた教科書を取り出す。
そして、ページを開いて力を込めて引っぱった。
「ふんぐ~! やだ、結構頑丈……ゲームのあの子爵令嬢、どんな怪力よ……」
何度も引っぱっていると、少しずつページが裂けてきた。
そこで勢いをつけて思いっきり引っぱると、ようやく真っ二つに裂くことができた。
荒い息をつきながら、裂けた教科書を満足げに見下ろす。
「よしよし。これを机に戻してっと」
あとはどこかに身を隠し、クラスメイトたちが登校した頃合いを見計らって教室に戻る。
そして裂けた教科書を取り出して悲鳴を上げれば、完璧だ。
大切なのは、『モモカが何者かからいじめを受けている』と周囲に思わせること。
今後のための重要な布石になるだろう。
そのためにも、物的証拠となる破れた教科書は必要不可欠だ。
幸い、この世界には指紋鑑定のような捜査技術は存在しない。自作自演だと見破られる心配もないはず。
モモカは鼻歌を歌いながら図書室に向かい、適当に時間を潰してから教室に戻った。
登校時間を迎えた教室は、多くのクラスメイトたちで賑わっている。
彼らと挨拶を交わし、自分の席に座って机の中に手を入れる。
そして、自分で引き裂いた教科書を取り出し、悲鳴を上げた。
「きゃあ! 誰が一体こんなこ」
「やあ! 突然だけど君たち、僕の余興の練習につきあってくれないか!!」
スターン! と扉を開けて入ってきたのは、ジョナスだった。
教室内が一瞬で静まりかえり、僅かな緊張に包まれる。
ジョナスは室内の微妙な空気にひるむ様子もなく、一直線にモモカの席までやってきた。
そして、モモカの手を優しく取って立ち上がらせる。
「え、え、えぇっ?」
またしても考えていた台詞を中断されたモモカは、されるがままだ。
彼はモモカの手に握られている教科書をするりと抜き取ると、頭上高く掲げた。
「さぁ、みなさん! ご覧ください! どこからどう見ても何の変哲もない、破れた教科書です! これをこうして~」
ジョナスはポケットから大判のスカーフを取り出すと、ふわりと教科書に被せた。
教室中の視線が、スカーフに集まる。
「スリー、ツー、ワン!」
ジョナスはパチンと指を鳴らし、勢いよくスカーフを取り払った。
すると、あら不思議。
真っ二つに裂かれていた教科書が、新品同然になっているではありませんか。
一拍置いて、うぉぉぉ! と生徒たちの拍手と歓声が一斉に沸き起こった。
ジョナスはそれを『ありがとう、ありがとう』と、笑顔で手を振りながら受け止めている。
当事者であるはずのモモカは、完全に置いてけぼりである。
ぽかんと口を開けて立ち尽くすモモカの手に、ジョナスは教科書を置いた。
「付き合ってくれてありがとう! 君は良い助手になれるかもね!」
「は、はぁ……」
ジョナスはスカーフを翻し、鳴りやまない拍手に手を振り返しながら教室を出ていった。
少しして廊下から、『うぉぉぉ!』という声と拍手が聞こえてきた。
外でもマジックを披露しているらしい。
辻斬りならぬ、辻マジシャンである。
手渡された教科書を見たが、傷一つなかった。
あんなに苦労して裂いた教科書は、一体どこへいったのか。
「……あ、証拠品」
無感情な呟きが、モモカの口から零れ落ちた。
その後、緊急で『学園で外交の余興の練習をしてはいけません』という校則が追加された。
おそらく、この校則が適用されるのは学園内で約一名だけだろう。
「なんなのかしら、あの人……」
人けのない廊下の隅で、モモカは困惑していた。
言うまでもなく、ジョナスのことである。
突然スライディングしてきたり、突然マジックを披露したり。
生徒たちの反応を見る限り、あれが通常運転のようだが、なんともタイミングよく……いや、悪く? モモカの行動を遮っているのが少し気になった。
「いや、まだたった二回じゃん。偶然、偶然。うん」
あの行動も、天才ゆえの奇行だと思えば、まぁ許容できなくもない。
自分が好きになった、優しく頼もしいジョナス王子であることに違いはない。
……はず。きっと。
気分を切り替え、次のイベントだ。
教科書破損事件の次は、噴水突き落とし事件。
ヒロインはキャスリンに目を付けられてしまったことに気付き、人目を避けて行動するようになる。
しかしそれが裏目に出てしまい、キャスリンによって裏庭の噴水に突き落とされる。
びしょ濡れで泣きながら校舎に戻る途中、ジョナスに見つかってしまうのだ。
『どうしたんだ、その姿は!』
『ジョナス様……いえ、なんでもありません』
『なんでもないわけがないだろう? 僕に話してくれ。君は大切な……人だから』
『ジョナス様……!』
なんて会話が発生するのだが、その雰囲気の甘酸っぱいこと。
婚約者がいるために本心を語ることができないジョナスが、初めてヒロインに気持ちを垣間見せる。
モモカのお気に入りのイベントの一つだった。
何度見返したか分からない。
あれを実際に体験できるとなれば、やらないわけにはいかないだろう。
「でも、実際に噴水に入るのはちょっとねぇ」
イベントでのヒロインは、噴水の汚れた水をかぶったせいでドロドロになってしまっていた。
まぁ、その状態のヒロインにもジョナスはためらわずに上着を貸し、抱き寄せてくれる。
屈指の萌えポイントでもあるのだが。
それでもモモカがためらってしまうのには理由がある。
少し潔癖なところがあるためだ。
「汚れた水をかぶるのは、やっぱ……ヤだな」
モモカは少し考えると、散水用の水道に歩み寄った。
蛇口をひねり、出てきた水を頭から勢いよくかぶる。
制服のほとんどがびしょ濡れになったところで、水道を止めた。
少し寒いが、我慢できなくはない。
「よし。濡れてりゃ一緒でしょ。はりきっていこー」
誰もいない廊下では少し小走りで。
人の気配がし始めた辺りから、ふらふらとした足取りを装い、目元を拭う。
すんすんと鼻をすすって泣き真似をしながら歩いていると、気付いた生徒たちがざわめいた。
廊下に人が集まり始めるのを感じて、しめしめとほくそ笑む。
クラスメイトの女子が、慌てた様子で声をかけてきた。
「ちょ、ちょっとどうしたの、モモカ! そんなびしょ濡れで!」
「そ、それが……っ」
鼻をすすり、目元を拭う。
実際に泣いているかどうかは、濡れているので分からないだろう。
モモカは女子に話しかけるふりをして、周囲の人にも聞こえるように答えた。
「だ、誰かに……突き落とされたの」
「誰かって、誰に?」
「分からない……後ろからだったから」
ここでも、あえて『キャスリンに突き落とされた』とは言わない。
下手に特定してしまうと、後で調べられたときに証言と食い違いが生じる恐れがあるからだ。
こらえきれない嗚咽を漏らすふりをして、顔を覆うモモカの肩に女子が触れた。
その優しさはありがたいけど、できればジョナスに抱き寄せてもらいたいのである。
「突き落とされたって、どこに?」
「う、裏庭の、噴水に……冷たくて、怖かったぁ」
ジョナス、早く来ないかな。そんなことを考えながら答えると、しん、とその場が静まり返った。
不思議に思って顔を上げると、それまで心配そうに見守っていた生徒たちが揃って微妙な顔をしている。
何か失敗したか、と内心焦っていると、生徒たちの間を通ってキャスリンが現れた。
(うわ、キャスリンが来ちゃった! なんで!?)
慌てるモモカだが、同時に先ほど彼女の名前を出さなくて正解だったと、こっそり息を吐いた。
静まり返る廊下で、キャスリンと対峙するモモカ。
とりあえず泣き真似を続けつつ、怯えた仕草をすると、キャスリンは静かに口を開いた。
「モモカ様、といったかしら?」
「は、はい……あの、私……」
「先ほどあなた、『裏庭の噴水に落とされた』と言いましたか?」
「え、あ、は、はい……」
モモカが答えると、キャスリンの表情は無になった。
怒りも焦りも呆れもない。
びっくりするほど無である。
モモカが思わず泣き真似を忘れて顔を上げると、キャスリンは小さく息を吐いた。
「モモカ様。裏庭の噴水は今、殿下の御戯れでボールプールになってますわ」
「……なんて?」
「ボールプールです。拳ほどの大きさの、色とりどりのボールがみっしり詰まってます」
「みっしり」
「みっしりです」
耳が痛くなるほどの沈黙が落ちた。
キャスリンの言葉をゆっくりと咀嚼したモモカは、姿勢を正して頭を下げた。
「裏庭の噴水というのは、私の間違いです。散水用の水道を誤って開けてしまって、水を浴びてしまいました。お騒がせして申し訳ございません」
「そうですか。では、早く寮に戻って着替えた方がいいですよ。風邪を引いては大変ですから」
「はい。お気遣いありがとうございます」
モモカとキャスリンは互いに背を向けて歩き出した。
それを合図に、集まっていた生徒たちは散っていった。
「……へくしっ」
寮へ続く道に、モモカの小さなくしゃみが空しく響いた。
その頃、ジョナスは勝手に裏庭の噴水をボールプールにした件で、学園長にしこたま叱られていた。
「なんか、上手くいかない……」
まぁ、詰めが甘いのは認めよう。
まさか裏庭の噴水がボールプールになってるなんて、まともな人間なら想像できるはずがない。
あの後、『学園内の全ての水場をボールプールにしてはいけません』という校則が追加された。
明らかに特定の人物を狙い撃ちにした校則である。彼が卒業した後、この校則が使われることはあるのだろうか。
それはともかく。
方針そのものは悪くないはずなのに、全てが失敗に終わっているのはどうにも納得できなかった。
「忠実にイベントを起こそうとするのが、間違いなのかしら?」
口にしてみて、モモカはなるほどと思った。
そもそも、ジョナスもキャスリンもゲームとは違っているのだ。
ゲームどおりに事を運ぼうとしても、失敗するのは当然である。
「ここは基本を踏まえつつも、やり方を変えてみましょう」
次のイベントは、『お茶会事件』である。
下位貴族たちも含めたお茶会をキャスリンが開くのだが、ヒロインにだけ招待状を送らず、陰で嘲笑う。
寂しさと悔しさに一人耐えるヒロインが寮の自室に戻ると、机の上に見覚えのない箱が置かれていた。
寮監に尋ねると、差出人不明で届けられたという。
箱を開けると、中には綺麗な茶器。
メッセージカードは無記名だが、見覚えのある筆跡で『これでお茶を楽しんでくれ』と書かれていた。
ヒロインは、『誰かさん』の気遣いに涙ぐみながら、茶器をそっと抱きしめるのだった。
という、ジョナスとヒロインの心のつながりを示す、これも素晴らしいイベントである。
このイベントの攻略ポイントは、キャスリンの意地悪をジョナスに訴えないことなのだが。
「ここは、あえて言ってみましょうか」
お茶会の作法を覚えきれていないモモカには、省かれた方がありがたくはある。
しかし、ジョナスに訴えれば、彼はきっとキャスリンに注意するだろう。
そうなれば、キャスリンも渋々ながらモモカをお茶会に招待するようになるはずだ。
ゲームを踏襲しつつ、少しだけやり方を変えるなら、これが最適のような気がした。
「……となると、お茶会の作法を覚えなきゃいけないのよね。面倒だけど、仕方ないか」
入学の際、お茶会での作法をまとめた資料を渡されていたのを思い出す。
これを頭に叩き込むことで、最低限のマナーを身につけることが可能だ。
今までは適当に流し読みしていたが、お茶会に参加するならきちんと覚えなければならない。
「乙女ゲームってこんな大変だったっけ?」
机に向かい、ぶつぶつと呟きながら、モモカは必死に作法の資料を読み込んだ。
そして、数日後。
モモカは満を持して、ジョナスがいる中庭にやってきたのである。
中庭のベンチに座って休むジョナスは、僅かに憂いを帯びた表情で空を見上げている。
モモカはその横顔を見つめて頬を染め、ほぅと溜息をついた。
(やっぱカッコいいな~、ジョナス……)
彼に愛され、大切にしてもらえたら、どれほど幸せだろうか。
目の前にそんな未来が待っているかもしれないと思うと、なんとしてでも攻略したかった。
「あの、ジョナス様」
「ん? ああ、モモカ嬢。元気かい?」
「はい。お隣、いいですか?」
「どうぞ」
許可を得られたので、少し離れた位置に腰を下ろす。
少しだけ間を置いた後、意を決したふりをしてジョナスに向き直った。
「ジョナス様に、相談したいことがあるんです」
「僕に? なにかな」
「……キャスリン様が……」
キャスリンの名前を出した瞬間、ぴくりとジョナスの眉が動いた。
しかしすぐに整った笑みを浮かべて、視線で先を促す。
モモカは一度喉を鳴らし、改めて訴えた。
「キャスリン様、時々、お茶会を開いておられます、よね?」
「そうだね。女子生徒たちとの交流目的で」
「私、一度もそのお茶会に呼ばれたことがないんです。同じクラスの男爵令嬢の友達は、呼ばれたこと、あるのに……っ」
きゅっと唇を噛みしめ、前世で飼っていたハムスターのことを思い出して瞳を潤ませる。
友達の男爵令嬢が茶会に呼ばれた理由は、彼女の家がパートリッジ家の寄子だからである。
理由は分かっているけど、モモカは知らないふりを通した。
ジョナスは意外そうに目を見開き、そして軽く首を傾げた。
「ふーん。なるほど……」
「あの、キャスリン様に、もしかして嫌われてるんでしょうか……もしそうなら、私、どうしたら!」
考え込むジョナスに縋るような目を向けて、唇を噛みしめる。
小刻みに震えて、小動物のようなか弱さを表現するのも忘れない。
男性が守ってあげたくなるような女の子を装って必死に訴えると、ジョナスはぽんと手を打った。
「そっか。うんうん。よくわかった。君はお茶会に呼ばれたいんだね!」
「あ、いえ、あの、私だけ、呼ばない理由を知りたいんです。何かご不興を買うようなことがあったのか。それなら謝罪したいと思いまして、ジョナス様からお口添えを……」
「大丈夫! 心配しなくてもいいよ!」
にっこりと輝くような笑顔で自身の胸を叩くジョナス。
ゲームで何度も見た、傷つき震えるヒロインを励ます時の笑顔そのものなのだが。
……なんだか、背筋に妙な悪寒が走ったのは、気のせいだろうか。
「でも、確かにキャスリンのお茶会は、少し敷居が高いかもしれないね」
「そう、ですか……」
「だから、僕がお茶会を開いて、君を特別に招待してあげよう!」
「えっ!!」
思いもかけない提案に、思わず声を上げるモモカ。
まさか、推しが自ら開くお茶会に招待されるなんて。
ジョナス推しにとって、これ以上ないくらいの幸福だ。
(やった……やったぁ! ゲームと違うことするのが、正解だったんだ!!)
舞い上がらんばかりのモモカだが、一度こっそり深呼吸して気持ちを落ち着け、ジョナスに淑やかな笑みを向けた。
「い、いいんですか?」
「もちろんだよ! 学園内のサロンを予約するから、スケジュールを教えてほしいな」
「私はいつでも空いてます!」
「あはは、分かった。予定を組んでおくよ。決まったら知らせるからね」
どこまでも爽やかな笑顔のジョナスに、モモカはすっかり有頂天になった。
キャスリンを差し置いて、彼との時間を独り占めできる喜びを、心から噛みしめていた。
学園内には、生徒たちが自由に使えるサロンがある。
事前予約制だが、お茶会の練習や刺繍、読書の会など、用途は幅広い。
人気があるので、いつも予約で埋まっていた。
中庭でジョナスと会話してから一週間後。
寮に、彼からのお茶会の招待状が届いた。
上質な紙に美しい文字で『モモカ・マカリネリ様』と書かれている。
開催日は三日後の午後。服装は制服でいいとのことだった。
「うわー、うわー! ほんとに来ちゃった! 招待状!!」
自室で招待状を掲げながら、くるくる回るモモカ。
お気に入りのドレスで行こうと思っていたのだが、制服指定というのは少し残念だ。
それでも精一杯のおしゃれをしようと心に決めて、鏡台の前に座る。
「美しさでは確かにキャスリンに負けてるけどね! 女は愛嬌!」
絶対にジョナスをときめかせて、このお茶会で好感度を最高値まで上げてみせる!
そんな決意を胸に、モモカは肌の手入れに力を入れた。
そして待ちに待った三日後。
その日は午前で授業が終わる日だ。
先生の話を右から左へ聞き流し、話しかけるクラスメイトたちにも上の空で答える。
そして終了のチャイムが鳴った途端、モモカは荷物をまとめて飛ぶような勢いで教室を出た。
指定されていたサロンまで来ると、扉の前でジョナスが待ってくれていた。
「ジョナス様!」
「やあ、モモカ嬢。思ったより早かったね」
「そりゃ、ジョナス様とのお茶会ですもの! 待ちきれなくて今日は朝からそわそわしちゃいました!」
えへ、と可愛らしさと健気さを意識して笑うと、ジョナスは面白そうに口元を押さえた。
「ふふ、モモカ嬢は元気だね。これなら大丈夫そうだ」
「はい! がんばります!」
「いい返事だ。さぁ、行こうか」
この時、ジョナスの『これなら大丈夫そうだ』という言葉の意味に気づいていればよかったのか。
いや、たとえ気づいたとしても、手遅れだった。
すでにサロンの扉は開かれていたのだから。
レースのカーテン越しに柔らかな陽光が差し込む、小ぢんまりとした室内。
磨き抜かれたマホガニーの円卓が置かれている。
その上には、彩り豊かな小菓子を乗せた三段のティースタンドが、客の訪れを静かに待っていた。
うん、そこまではいい。そこまでは。
問題なのは、その卓の前に、なぜか六人の貴婦人がずらりと並んでいるところだった。
ほかには給仕しかいないと思っていたモモカは、理解が追い付かずに硬直した。
「……あの、ジョナス様」
「なんだい?」
「こ、こちらの、方々は……?」
恐る恐る隣に立つジョナスを振り向くと、彼は麗しい笑みですたすたと歩き出し、モモカと貴婦人たちの間に立った。
「右から順に紹介しよう! ありとあらゆるお茶会マナーを極め、数え切れないほどの貴族女性を立派な淑女に育て上げたマナーの鬼! フェリス伯爵夫人!」
「本日はよろしくお願いいたします」
美しいカーテシーでモモカに挨拶するフェリス夫人。
マナーの鬼と呼ばれるだけあって、その仕草や表情には一分の隙もない。
「いかに美しく、華麗に振る舞えるかを常に研究し、絶えず自己研鑽を続ける鋼の意志! 嫌いな言葉は妥協! ナサニエル伯爵夫人!」
「神は細部に宿るもの。指先の動きや髪一筋の乱れにも気を配ってこそ、真の美が生まれるのです」
こちらも見惚れるほどに完璧な礼をするナサニエル夫人。
フェリス夫人と方向性は同じはずなのに、なんだか気迫というか、美へのこだわりが強そうだ。
「一家に一冊、『これであなたも会話のプロ! 明日から使える貴婦人の会話術』の著者! 数度の会話で相手を魅了する、言葉の魔術師! マーゴット伯爵夫人!」
「答えにくい質問のかわし方、話の膨らませ方は、社交界必須の技能です」
「え、著者!? すご……」
母性的な笑みを浮かべるマーゴット夫人。
実は会話術の本は、モモカの実家の男爵家にも一冊あるので、名前だけは知っている。
まさか本人に会えるとは思わなくて、その点でも衝撃だった。
「珍しい菓子や紅茶があると聞けば、往復で十日もかかる地方に足を運ぶことも厭わない! ありとあらゆる茶と菓子に精通する神の舌! セレマ子爵夫人!!」
「お茶とお菓子のことならお任せください。季節やその場の雰囲気、客人に合った選び方をお教えいたします」
他の五人に比べて少しふくよかな体形のセレマ夫人。
だからというわけではないが、説得力があった。
「茶会はお茶を楽しむ場であって、毒を飲む場ではない!! 暗殺のプロは、逆に暗殺を見抜くプロでもある!! どのような違和感も見逃さない、元暗殺者! モートン子爵夫人!!」
「お一人、おかしくありません? ていうか、バラしていいんですかそれ」
「引退したので問題ありません」
思わず突っ込んだモモカに、笑みを深めて優雅に扇を広げるモートン夫人。
暗殺者って引退できるのか……とモモカは変なところで感心した。
「社交界で流れる噂は常に集め続けている情報通! この国のことで知らないことはない! ハイラント夫人! つまり僕の母上!」
「王妃さまぁあぁぁああぁ!?」
「正直、なぜここに呼ばれたのかよく分かりませんが、息子がいろいろとオイタが過ぎるようなので、この後学園長室に伺う予定です」
「おっと、藪蛇」
一通りの紹介を終え、優雅に微笑む貴婦人たち。
ただ普通に佇んでいるだけなのに、モモカには立ちはだかる巨大な壁のように見えた。
彼女たちの後ろに用意された卓の椅子を、一脚ずつ慎重に数える。
ひとつ、ふたつ……八つ。
何度数えても椅子は八脚だった。
ごくりと喉を鳴らすモモカ。
貴婦人たちは、睨んだり扇を鳴らしたりといった、威圧的な行動を取っているわけではない。
それなのに、言葉にできない圧迫感を覚え、モモカは冷や汗が止まらなかった。
生まれたての子鹿でもそこまでぷるぷるしないというくらい、ぷるっぷるしていた。
「あの、ジョナス、様……?」
「なんだい?」
「こ、この、錚々たる方々と、お茶会、するんです……?」
「そうだよ! 存分に楽しんでくれ!」
いや、無理だろ。
モモカは心の中で静かに突っ込んだ。
ちょっとでも作法を間違えると精神的に滅多切りにされそうな緊張感の中で、呑気にお茶なんて飲めるはずがない。
「なぜ……」
「キャスリンは六歳で僕と婚約してからずっと、この方々に日替わりで指導を受けていたんだよ。おかげで今では、誰もが憧れる立派な淑女だ」
「そう、なんですね……」
「君もキャスリンのお茶会に参加したい! つまりはキャスリンと同じ水準の淑女になりたいんだろう? だから、幼い頃から彼女を知る僕に声をかけたんだよね!」
違う、そうじゃない、と言えればどれだけよかったか。
ジョナスと二人きりでのお茶会を望んでいたのに、待っていたのは地獄のマナー講習(保護者付き)とか、冗談ではない。
今すぐ回れ右して逃げたいけれど、そうするとジョナスの好感度は最低値まで落ちるだろう。
彼は、努力しない者、逃げる者を嫌う設定だから。
「モモカ嬢といったかしら? さぁ、まずはご挨拶から始めましょうか」
「……ハイ……ヨロシク、オネガイシマス……」
モモカは涙をこらえ、必死に笑みを作りながら試練に挑んだ。
……地獄のお茶会レッスンは、三時間に及んだ。
挨拶の仕方から始まり、座ったときの姿勢、手の置き方、視線の動かし方まで、細かく指摘を受けた。
それらを修正すると、今度は扇の持ち方と広げ方、茶器の持ち方と置き方、微笑みや相槌のタイミングまで指導される。
話題の広げ方、質問の仕方と答え方、今日のお茶とお菓子の蘊蓄など、普段でも使えそうな知識はありがたかったが、一度に大量に詰め込まれると到底覚えきれない。
それに加えて、お茶や菓子に毒を盛られないための注意点や、万一毒物を見つけたときの対処なども叩き込まれた。
「……キャスリン様はこれ、本当に、身につけられたんですか……?」
「十六歳のときに、ご夫人方のお墨付きをもらって修了したよ。凄いよね。彼女は本当に優秀だ」
少し自慢げに語りながら優雅にお茶を飲むジョナスは、さすがと言うべきか完璧だった。
完璧すぎてちょっと腹が立つくらいである。
悔しいのが、夫人たちは駄目なところを容赦なく指摘してくる一方で、褒めるべきときはしっかり褒めてくれることだった。
「まぁ、意外、と言っては失礼ですが、基礎はしっかりできていますね。ご実家で習われたの?」
「は、はい。一年間だけですけど。あとは学園です」
「努力されたのですね。もう少し動きにメリハリをつければ、もっと美しくなれますよ」
「は、はい!」
モモカが泣いてくじけそうになる絶妙なタイミングで、こうして褒めてくるのが憎らしい。
おかげで心が折れそうで折れない、なんとか踏ん張れるくらいの精神状態を維持できた。いや、させられた。
優雅なるスポ根である。
お茶会が三時間で終わったのは、モモカが合格をもらったからではない。
夫人たちのスケジュールの都合だった。
「もっとお時間があれば、たくさんお教えできたのですけどね。なにせ急なお話だったもので」
「いえ、貴重なお時間、ありがとうございました……」
残念そうな夫人たちをぎこちなく見送ったモモカ。
三時間も姿勢を正し続けたせいで、終わる頃には全身が強張っていた。
そして翌日、筋肉痛で一日寝込む羽目になった。
ちなみにジョナスはそのまま王妃に学園長室まで引きずられ、緊急の三者面談が実施された。
そして、日頃の行いについて双方からしこたま叱られた。
続く
王子が入学してから、学園の校則は小冊子サイズから辞書レベルになりました。




