前編 推しが思ってたのと違う
テンプレ転生、と思いきや……
モモカ・マカリネリは転生者である。
十七歳の時、自分が男爵家の庶子であることが判明し、下町で暮らしていたところを引き取られた。
母親はその少し前に病で亡くなっている。
これからひとりぼっちでどうやって生きていこうと悩んでいたので、渡りに船だった。
一年間、付け焼き刃ながら貴族としてのマナーを叩きこまれ、なんとか及第点を得ることができた。
そして、父親によって王立学園に放り込まれた。
卒業まで残り一年の三年次に、特例として編入することになったのだ。
貴族の子女が十五歳から三年間通うことを義務付けられている学園で、周りは当然、貴族だらけ。
モモカ自身も無茶だと思ったが、この学園を卒業できなければ、貴族として認められないという。
他の貴族との縁を期待する父親の思惑もあり、仕方なくやってきた。
……というところで、前世の記憶を突然思い出したのである。
彼女は前世、乙女ゲームにハマっていた。
イケメン王子や貴族たちとのラブロマンス。恋敵たちとの丁々発止。
ゲームをプレイしている間だけは、退屈な現実を忘れることができた。
だが、モモカは死んでしまった。原因は分からない。
覚えていないのなら、きっと大した理由ではないのだろう。
それよりも重要なのは、今、この状況だ。
モモカは今、学園の門の前に立っている。
間違いない。何度も繰り返し見た、乙女ゲームのオープニング場面だ。
(まさか、これって異世界転生? しかもヒロインに転生した!?)
頬を紅潮させ、興奮に震えながら拳を握りしめた。
ヒロインとなったなら、やることは一つ。
攻略対象たちとの恋の駆け引き、そして……一番の推し、ジョナス王子と結ばれるエンドだ。
この国の第一王子であるジョナスは、ゲームでも最も人気のあるキャラクターだった。
文武両道、甘いマスクに爽やかな声。
優しく、時に厳しくヒロインに接し、心を通わせていく過程で王族としての辛さと寂しさを垣間見せる。
モモカはこのジョナス王子が大好きだった。何度も繰り返し攻略したほどだ。
当然、他にも攻略対象はいるが、ハーレムエンドは狙わない。二兎追うものは一兎も得ず。
最推し一人と結ばれること。それを目標に学園生活を送るのだ。
そのためには、最大の障害であるジョナスの婚約者、キャスリンを排除しなければならない。
(悪役令嬢……キャスリン・パートリッジ。あんたには負けないんだから!!)
優秀だけど高慢ちきで、いじわるで鼻につく女。
ジョナスに縋りつき、彼を縛りつけている、みっともない女。
絶対にあんな女には負けない!
ゲーム知識は全て頭に入っている。多少の問題が起こっても、修正は可能だ。
モモカはほくそ笑みながら、学園の門を潜った。
それが、苦難の日々の始まりであるとも知らないで。
無事に編入手続きを終え、これから一年間所属するクラスへと案内された。
モモカはBクラスで、ジョナスとキャスリンはAクラスらしい。
欲を言えば同じクラスの方が良かったが、Aクラスは高位貴族だけを集めたクラスだという。
男爵家のモモカは素直に諦めた。
それに、彼と接する機会なんて、ゲーム知識を生かせばいくらだって作れるのだから。
その日の授業を終えたモモカは、鼻歌を歌いながら中庭を目指した。
ゲーム開始時、貴族に囲まれた学園生活で緊張しっぱなしのヒロインが、休息を求めて中庭に向かう。
そこで、彼と出会うのだ。
(いた!!)
中庭の花壇の前に膝をつき、小さなスケッチブックにペンを走らせている人がいる。
蒼い瞳に、長い銀髪を後ろで一つに結んだ、端正な顔立ちの青年だ。
彼こそが、この国の第一王子、ジョナス・ハイラント。
ゲームキャラ人気投票で堂々一位を獲得した、モモカ最推しの攻略対象である。
(イベントで、ヒロインはジョナスのことを王子と知らないで、気楽に声をかけちゃうのよね。ジョナスもそれに気付いてるけど、あえて何も言わずに普通の男子生徒として振る舞うの。あとで正体を知ったヒロインは大慌て。でもジョナスには強く印象に残ったっていう場面!!)
モモカは高鳴る胸を押さえて深呼吸した。
ここで変にがっついた態度をとると、怪しまれてしまう。
髪と制服を整え、気合いを入れてからジョナスに近づいた。
「あの、何をされているんですか?」
「ん? 君は?」
「あ、私、Bクラスのモモカ・マカリネリといいます」
「ああ。最近男爵家に引き取られたっていう。噂は聞いているよ。僕はジョナス。よろしくね」
「はい! よろしくお願いします」
立ち上がりこそしなかったが、にっこり笑って名乗るジョナス。
ここでフルネームを名乗らないのは、イベント通りだ。
そのためヒロインは、彼が王族であることに気付かない。
手応えを感じたモモカは、ジョナスの隣に同じように座った。
彼は小さなスケッチブックに、青い不思議な形の花を描いていた。
前世では見たことがない。恐らくこの世界特有の花だろう。
「この花、なんですか?」
特に興味はなく、話のきっかけとして何気なく尋ねただけだった。
しかしジョナスは、よくぞ聞いてくれた! とばかりに目を輝かせて振り向いた。
「これかい? これはカトミエル科の植物だよ。見てくれ、この美しい青を! これほど魅力的なのに、葉も、茎も、花も、すべてが心臓を狂わせる猛毒に満ちているんだ! 量を誤れば、脈拍が異常に跳ね上がり、視界が黄色く染まる黄視症を引き起こし、最後には心臓が強烈に収縮したまま二度と動かなくなる!」
「あ、ハイ……」
怒涛の勢いで説明された。
話の半分も理解できなかったモモカだが、流れでなんとか相槌を打つ。
が、すぐに我に返ると慌てて指摘した。
「え、ちょ、ちょっと待ってください! これ、毒草なんですか!?」
「そうだよ」
それがどうしたと言わんばかりに、平然と答えるジョナス。
一瞬、自分がおかしいのかなと思ったモモカだが、慌ててその考えを打ち消した。
「あの、ここ学園の中庭ですよね!? なんで毒草が生えてるんです!?」
「僕が植えたから」
「僕が植えたから!?」
オウム返ししてしまったモモカに構わず、ジョナスはスケッチを続ける。
その横顔は、今にも鼻歌を歌い出しそうなほど上機嫌だった。
「確かに毒草だけど、一応園芸植物として認められているよ。必要以上に恐れることはない。それにこの草の面白いところは、適切な濃度に調整して正しく用いれば、弱り切った心臓を力強く動かす『強心薬』へと変貌する点だ。医療の歴史を支えてきた奇跡の劇薬……この美しい花を前にして、スケッチする手が止まるはずがないだろう!?」
「は、はぁ……」
物凄い速さでペンを走らせるジョナス。
手元のスケッチブックに描かれているのは、非常に写実的な花の絵だった。
ペンだけで濃淡が巧みに表現された、図鑑の挿絵にできそうなほどの一枚である。
その横で、モモカの頭は混乱していた。
ここは誰もが利用できる中庭で、何も知らない人がこの花に触る危険もあって。
普通はこんな所に危ない草なんて植えないはずだけど、ジョナス自身が手ずから植えたと言うし。
禁止されていたらきっと植えないだろうし、植えたとしても処分されるだろうし。
でも青い花はすくすく育っているし。
この世界では、こういうことが普通なのだろうか。それとも、私がおかしいのか。
モモカは頭を抱えてうんうん唸った。
その間に一通りスケッチを終えたジョナスは、満足げに息をつくと、スケッチブックを閉じて立ち上がった。
「じゃ、僕はこれで失礼するよ。モモカ嬢、大変だろうけど、頑張ってくれ」
「あ、ありがとう、ございます……」
ゲームと全く同じ、美しい笑顔で別れを告げて去っていくジョナス。
そのまっすぐな後ろ姿を見送り、モモカは座り込んだままぽつりと呟いた。
「……あれ、おかしいな。こんなイベントだったっけ?」
ゲームでは彼と二人で他愛ない会話に興じる、はずだったのだが。
他愛ない会話? 終始毒草の話だったような気がするが。
しばらく座り込んでいたモモカだったが、やがて勢いをつけて立ち上がった。
「大丈夫! まだ出会いの場面だから! 好感度はゼロ! これから上げていくのよ! 些細な……些細? うん、これくらいなら挽回できる!」
両手で頬を軽く叩いて気合いを入れる。
そして次のイベントに向けての段取りを、頭の中で組み立てていった。
後日、花壇を訪れると、あの青い花は全て引き抜かれ、新しい土が盛られていた。
さらに、緊急で『学園の花壇に、許可なく毒草を植えてはいけません』という校則が追加された。
ジョナスは学園長に呼び出され、しこたま叱られたという。
やっぱり、自分の常識は間違っていなかったのか、とモモカは胸をなでおろした。
次にジョナスと会うまで、数日の間を空けた。
『勉強が難しくてわかんない! そうだ殿下に聞いちゃお!』イベントを発生させるためだ。
何とも頭の悪いイベント名だが、ゲームでそうなっているので仕方がない。
このイベントをこなすためには、質問内容をある程度まとめておく必要がある。
正直、勉強は苦手だが、ジョナスは『努力しない子』に対しては容赦なく好感度を下げてくる。
彼とのエンドを目指すには、ある程度の成績維持が必須条件なのだ。
一通り授業を受け、ジョナスへの質問をまとめたノートを抱えて、モモカは中庭に向かった。
ゲームでの彼との交流場所は、主に中庭である。
そこが彼にとって唯一気を抜くことのできる場所、という設定だ。
中庭に出ると、思った通りジョナスはベンチに座って一息ついている様子だった。
モモカは一度深呼吸してから、緊張の面持ちで彼に歩み寄った。
「あの、ジョナス、殿下」
「ん? ああ、君は確か、モモカ嬢だね」
「覚えていてくださったんですね! 嬉しいです! あ、あの、この前は王子様と知らずに失礼な態度で、申し訳ございませんでした」
「別に構わないよ。僕も指摘しなかったしね」
柔らかく微笑むジョナスに、モモカの胸が高鳴る。
推しキャラが目の前に実在し、自分に微笑みかけてくれているのだ。興奮しない方がおかしい。
しかしモモカは悶絶したくなる気持ちをぐっと堪え、抱きしめていたノートを広げた。
「あの、ジョナス様は大変優秀だとお聞きしました。そこで、分からないところを教えてもらいたいんですけど」
「へぇ、どこ?」
軽く身を乗り出してノートを覗き込むジョナス。
その動きに合わせて、彼が纏う香水の香りがふわりと漂った。
ゲームでは絶対に感じることのできないものだ。
舞い上がりそうになるのを必死に抑え、モモカは平静を装ってノートを指さした。
「数学の問題なんですけど、ここがどうしても分からなくて……」
「ああ、これか。なるほど、平面上の三角形の内角の和を求める問題だね。通常のユークリッド幾何学なら百八十度だけど、実はこれは空間が平坦であることを前提とした答えなんだ。非ユークリッド幾何学ではそうとは限らない。例えば球面上に描いた三角形なら内角の和は百八十度を超えるし、双曲平面なら逆に小さくなる。つまり、曲率と測地線の概念を理解する必要があるんだけど、ここまでは分かるかな?」
「あ、ダメだ。全部呪文に聞こえる」
凄く難しい話をしているけど、そこまで壮大な問題を質問した覚えはないのだが。
ちなみに前世のモモカは、文系だった。数字を見ると眠くなるタイプだ。
ジョナスはきょとんとした顔でモモカを見ている。
わざと難しい答え方をしたわけではないようだ。
その態度から、モモカはそこはかとなく嫌な予感を覚えた。
気を取り直し、別の質問をしてみることにする。
「えっと、生物の質問ですけど……」
「この生物のことだね? いいかい、まずはこの国の北西部に広がるカルスト台地と、そこに刻まれた無数の断層帯から話を始めよう。あの地域は水はけが良すぎる上に、年間を通して強い乾燥風が吹き抜ける。つまり、背の高い樹木が育ちにくく、極端に背の低い、根張りの強い草本類ばかりが絨毯のように広がる不毛の地だ。遮蔽物のない平原で、天敵である猛禽類や肉食獣から身を隠すために、彼らがどう進化したか。答えは『潜る』こと、そして『集団の感覚を共有する』ことだ。前足の爪は硬い石灰岩の隙間を掘り進み、地下に巨大な迷宮都市を築き上げるための天然のシャベルなんだよ。さらに注目すべきは……」
「スミマセン、ヨクワカリマセン」
あまりにも情報量が増えすぎて、某音声アシスタントのような答えを返してしまった。
単体の生物の話をしているはずなのに、どうして地形や気候の話から始まるのだろう。
ジョナスは相変わらず不思議そうな顔をしているが、こちらは全然ついていけない。
先ほど感じた嫌な予感が、じわじわと膨れ上がってきた。
モモカは意を決し、ジョナスの顔をおずおずと覗き込んだ。
「あの、できれば、もう少し分かりやすく説明してほしいんですけど……」
「そうか。ちょっと難しかったか」
ふむ、と顎に手を当てるジョナス。
これでようやくまともにイベントが進む、と思いきや。
「では、この国の数学の成り立ちから説明しよう。まず……」
「そこまで基礎に立ち返っていただかなくても結構です」
話がもっと壮大になりそうな気配を感じ、モモカは慌ててノートを閉じて立ち上がった。
「貴重なお時間、ありがとうございました! 図書室などに行って、もう少し自分で頑張ってみます!!」
「そうかい? 残念だな……分からないところがあったら、遠慮なく聞いてくれていいからね」
どこまでも爽やかな笑顔に送られ、モモカはノートを抱きしめてそそくさと中庭を去った。
校舎に入り、ジョナスから見えなくなったところで、大きく息を吐いてうなだれる。
「駄目だ。あの人、ほんとの天才だ……」
ジョナスが優秀なのは間違いない。
ただし、自分の理解力が人並み外れているという自覚がないのか、モモカの水準に合わせて説明することができない。
根気よく伝えれば、きっと理解はしてもらえる。
けれど、その前に凡人であるモモカの頭が破裂するだろう。
「お勉強イベントは、諦めた方がいいわね……」
一気に大量の情報を叩きこまれて、知恵熱が出そうだ。
ふらつく頭を抱えながら、モモカは寮の自室に戻ることにした。
逃げるのではない。戦略的撤退である。
ジョナスとの会話イベントは、一応成功した、ということにしておく。
好感度アップイベントも、勉強に関することを除いて少しずつ積み上げていけばいい。
問題は、最大の障害となるはずのジョナスの婚約者、キャスリン・パートリッジである。
攻略対象の好感度を上げるのは、さほど難しくはない。
ただ、それにつれて攻略対象の婚約者、つまり悪役令嬢の中に、ヒロインへの嫌悪感がどんどん溜まっていく。
そして一定の水準を超えると、ヒロインを排除するために動き出すのだ。
「えっと、内容は確か……廊下で突き飛ばされたり、教科書を破られたり……あ、噴水に突き落とされたりもあったっけ。あとは、お茶会ハブ? まぁ、お茶会はいろいろルールが難しいから、ハブってくれてもいいんだけど。んで、クライマックスが階段落ち、かぁ」
いくらいじめても怯まないヒロインに業を煮やしたキャスリンが、とうとう明確な殺意を持って階段から突き落とす。
この場面でジョナスの好感度が最高値かそれに近ければ、助けてもらえる。
規定値に達していなければ、大怪我を負って入院し、そのまま物語から退場となる。
かなり厳しいイベントだ。
「やばいよね。それまでにジョナスの好感度を一定以上に上げておかなきゃ」
モモカはまず、キャスリンの情報を集めることにした。
悪役令嬢も転生者で、破滅回避のために一切関わってこないという、転生ものでよくあるパターンがある。
もしキャスリンが転生者だと、今後のプランに大きく影響が出るだろう。
「ま、もし転生者なら、いろいろ手はあるからね」
例えば、冤罪とか。
モモカは不敵に笑い、情報集めに乗り出した。
クラスメイトたちに直接聞いたり、食堂で聞き耳を立てたりして、キャスリンに関する噂を集めた。
それによると、彼女は例に漏れず『第一王子の婚約者に相応しい淑女』という評判らしい。
学園の成績は常に二位をキープ。一位は当然、ジョナスである。
この世界には魔法があるのだが、炎の魔法においては右に出る者がいないという。
金髪緑眼の美女で、少し表情は硬いが、決してとっつきにくいわけではない。
身分で差別することはなく、下位貴族の話にもきちんと耳を傾ける。
誰かが失敗しても、頭ごなしに叱ることなく、静かに諭してくれる寛容さも持ち合わせているらしい。
今のところ、彼女に関する悪い噂は一切聞かない。
それが逆に、モモカには鼻持ちならなかった。
ゲームでのキャスリンは、成績も魔法もトップクラスではあったが、そこまで慈悲深い性格ではなかった。
他人にも自分にも厳しく、もし目の前で誰かが失敗すれば、友人でも容赦なく叱責する。
そのせいで、敬われつつも恐れられる『非情の淑女』と影で呼ばれていた。
この違いが一体何を意味するのか。
「断罪エンドを恐れて、必要以上に品行方正に過ごしてんじゃないの?」
まだ転生者だと確定したわけではないが、その可能性も考えて動くべきだろう。
その布石として、モモカはキャスリンの評判を少しだけ落とすことにした。
大々的に『キャスリンさまったら酷いのよ!』なんて今の状態で言っても、白い目で見られるだけである。
ほんの少しずつ悪い噂を流し、生徒たちに僅かな疑念を植え付ける。
肝心なのは、『まさかあの方が?』ではなく『やっぱりあの方が!』と思わせることだ。
そうして、いずれ『事件』が起こった時、生徒たちはモモカの味方となってくれるはず。
「よっし! いっちょやりますか!」
そうして張り切って、しかしこっそりとキャスリンの悪評を広めようとしたのだが。
「えー? キャスリン様が? それはない。ないない」
「うん。ないね」
「……なんでそんな言い切れるの?」
まず手近なところでクラスメイトたちに、『なんだかキャスリン様に睨まれてる気がする』と言ってみたところ、全員が揃って『ありえない』と口にした。
尊敬のあまり盲目的に彼女を信じているというなら、まだ付け入る隙はある。
偶像崇拝なんて、ちょっと崩してやればあとは一気に反転するものなのだから。
しかし、彼らの反応はそれとはまったく違った。
「だって……なぁ?」
「あの方、他に意識を向けてる暇がないもんな。本当に」
「……それって、王子妃教育とかで忙しいってこと?」
「いや、今はもう教育は終わってて、たまに王宮にお茶会とかで呼ばれるくらいだけど」
「そういう、公務とは、違うんだよなぁ……いや、あれも公務と言えば公務、か?」
「そうかな……そうかも……」
どうだろう……と、ちょっと頭を悩ませる様子のクラスメイトたち。
予想とはあまりに違う反応に、モモカは困惑するしかなかった。
その後も諦めずにいろいろやってみたが、生徒たちの反応はどれもほぼ同じ。
モモカが流そうとする噂は、全て立ち消えになってしまった。
どれだけ優秀な人物でも、百人中百人に好かれるなんてことはまずありえない。
誰か一人くらいは、彼女に対して反感を持っていてもおかしくないのだ。
それなのに、あちこち歩き回って聞いてみても、返ってくるのは否定の言葉ばかり。
しかも、なんだか軽く同情されている雰囲気さえある。
「王子の婚約者という重責を背負ってお可哀想、って感じでもないのよね」
モモカは外堀から埋めるのを諦めた。
というより、どれだけ埋めようとしても、堀そのものがないのである。
なら、自分で堀を作るしかない。
「そういえば、私、まだ直接キャスリンを見たことがなかったわ」
敵情視察とジャブも兼ねて、モモカは実行に移すことにした。
とある日の昼休み。
モモカは食堂と校舎を繋ぐ渡り廊下で、キャスリンが通りかかるのを待っていた。
ゲームでは、課題に夢中で少し遅れてしまったヒロインと、昼食を食べ終えて教室に戻る途中のキャスリンが、この廊下で鉢合わせてしまう。
キャスリンはいじわる心から、急ぎ足のヒロインに足を引っかけて転ばせるのだ。
モモカは、このイベントを再現しようと思った。
このイベントにはジョナスの好感度はあまり関係ない。
規定回数、ジョナスに接触すると確定で発生する。
無遠慮に婚約者へ近づいたヒロインに対する、悪役令嬢からの牽制なのだ。
本格的に乙女ゲームが開始する合図と言ってもいいだろう。
この時間、この廊下は一番人通りが多くなる。
目撃者は多ければ多いほどいい。
待ち合わせのふりをしてさりげなく廊下の様子を窺っていると、ようやくキャスリンが現れた。
ゆっくりとした歩調でやってくる彼女に、闘志を燃やそうとしたモモカだが。
「あれが、キャスリン?」
金髪緑眼の美女。侯爵家の令嬢としての威厳を保ち、その存在感で周囲を圧倒する。
ゲームの彼女は、プライドの高さと高慢さが表情にも現れている、まさに悪役令嬢だった。
だが。
同じ派閥の令嬢たちを従えて歩くその姿は、確かに背筋が伸びていて美しい。
それなのに、どこか疲労感というか、達観というか、妙にくたびれた雰囲気が漂っていたのである。
「……人生に疲れた中間管理職?」
十八歳の若い娘が纏っていい空気ではない。
モモカは何度か目を擦った。ゲームとあまりに違いすぎるので、もしや人違いかと思ったのだ。
しかし、何度確かめても、ゲーム画面で見たキャスリン・パートリッジその人である。
モモカのやる気が、ちょっと萎れた。
「……出直そうかな」
そう考えかけて、いやいやと頭を振る。
ゲームと違うからって、ここでひるんでいては始まらない。
ジョナスだって多少……多少? 違っていたのだし、これがこの世界の仕様なのだろう。うん。
モモカは気合いを入れ直し、小走りで渡り廊下に駆け込んだ。
静々と歩いているキャスリンにさりげなく近寄り、距離とタイミングを慎重に測る。
そして。
いかにも『足を引っかけられた』ふうを装って、キャスリンの真横で転んだ。
「きゃあ! キャスリンさま、なにをす」
「いやっほーーーー!」
あらかじめ考えていた台詞を口にしようとした、その瞬間である。
キャスリンと倒れたモモカの間、わずかな隙間を縫うように、ジョナスが滑り込んできたのだ。
ドップラー効果で奇声を残しつつ、とても美しいスライディングを決めた王子。
渡り廊下を行き交っていた生徒たちは、全員その足を止めた。
凍り付いたような沈黙の中、平然と声を上げたのはジョナスである。
「やぁ、キャスリン! こんな所で会うなんて奇遇だね!」
「食堂を利用するなら、この廊下を使うのは当たり前では?」
スライディング姿勢のまま、爽やかな笑顔で軽く手を上げて挨拶するジョナス。
キャスリンも驚いた様子はなく、当然のように返事をした。
二人だけが普段どおりに会話を続ける中、倒れたままのモモカは理解が追い付かず、思考が止まっている。
ジョナスは軽い身のこなしで立ち上がり、ぱぱっと制服を払うとキャスリンの前に立った。
その立ち姿は王族としての気品に溢れている。直前にスライディングを決めた人と同一人物には見えない。
キャスリンは、輝く笑顔のジョナスに僅かに眉を寄せた。
「殿下。廊下でスライディングはおやめください。また侍従長に叱られますよ」
王宮でもやってんのかい。
その瞬間、間違いなく生徒たちの心は一つになった。
「西廊下は距離もあってほどよく滑るから良い練習所だったのに、先日全面絨毯張りにされてしまった。しかも費用は全部僕の小遣いからだ。解せぬ」
「解してください」
「だから、今度は絨毯でも滑る靴や服を開発しようと思っているんだけど、予算下りると思う?」
「殿下にしか需要がないので無理だと思います」
良い笑顔に騙されそうになるが、確実におかしなことを言っているジョナスに、至極真っ当に反論するキャスリン。
二人は和やか、と言っていいのか分からないが、親しげに会話を交わしながら、ジョナスのエスコートで渡り廊下を去っていった。
少しして、渡り廊下に時間が戻ってきた。
べったりと倒れたままのモモカは、まだ動けない。
いったい今、私は何を見たのだろうか。そんな思考で頭がいっぱいだったのである。
そんなモモカを見かねたのか、クラスメイトの女子が手を差し伸べてくれた。
「大丈夫?」
「え、あ、うん。……えーっと、今の……」
「気にしない方がいいよ。気にしたら負けだから」
優しく、いたわるように諭す女子。
モモカは彼女の手を借りながら立ち上がり、制服を払った。
「……あのさ。さっき滑り込んできた人、あれって……」
「うん。ジョナス殿下だね。この国の第一王子」
否定してほしかったのに、あっさり肯定された。
モモカは思わず頭を抱えた。
「いやいやいや。おかしいでしょ。第一王子だよ? 王太子候補だよ? そんな人がなんでスライディングとかしちゃうの? 『蒼銀の貴公子』だよ!?」
人気ナンバーワンの攻略対象で、私の最推しなのに! という叫びはクラスメイトの手前、心の中に留めた。
『蒼銀の貴公子』とは、ゲーム内でのジョナスの愛称である。
蒼い瞳に銀の髪にちなんだ、彼にふさわしい呼び名として、ゲームファンの間で定着していた。
認められない現実に苦しむモモカに、女子は生温い笑みを浮かべる。
「あー……その呼び方、王族とあんまり接しない辺境の貴族とか、一般市民とかの間で浸透してるやつね」
「……実際は違うの?」
顔を上げて訝しむモモカに、女子は遠い目をしながら虚ろな笑みを深めた。
そしてモモカの手を取り、その手のひらに指で文字を書きながら告げる。
「殿下と同年代の子どもと、その家族の間では、畏怖と諦観を込めてこう呼ばれてるんだよね。……『蒼銀の奇行氏』って」
「……」
読みは同じなのに、字面がひどい。
少し前のモモカなら笑い飛ばしていただろう。
あるいは、推しに失礼なあだ名をつけるな! と怒っていたかもしれない。
しかし、たった今その奇行を目の当たりにしてしまったモモカは、何も言えなかった。
ジョナスを恋い慕う心の柔らかな部分に、僅かにヒビが入ったのを感じていた。
続く




