↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/17

第15話 現行犯

ニュース速報の音は、よくできた警報に似ている。


何が起きたかを知らない人間にも、何かが起きたことだけは伝わる。


権藤昭伸は、テーブルの上のリモコンを取った。


壁に埋め込まれたテレビの音量を上げる。


画面の下を、赤い帯が横切っていた。


『本日午後、私立青藍学園(せいらんがくえん)高等部で、二年生の女子生徒が校舎脇に倒れているのが見つかりました』


上空から撮影された校舎が映る。


正門にはブルーシートが張られ、その前へ報道陣が集まっている。


校名は合っていた。


時刻も、期限の二時間前だった。


『女子生徒は搬送先の病院で死亡が確認されました。警察は、現場にいた同学年の男子生徒を殺人の疑いで現行犯逮捕し、詳しい事情を――』


昭伸はテレビを消した。


部屋が静かになる。


向かいのソファでは、勝が足を組んでいた。


小宮山はテレビの脇に立ったまま、消えた画面を見ている。


「五時間も持たなかったな」


勝が言った。


「二時間です」


小宮山が訂正する。


「殺してから捕まるまでの話じゃねえ。俺らがあいつを見つけてから、全部終わるまでの話だよ」


「終わったとお考えですか」


昭伸が尋ねた。


勝は鼻で笑った。


「兄貴は違うのか」


昭伸は答えず、テーブルの上の携帯電話へ目を落とした。


連絡は来ていない。


完了したという報告も、助けを求める電話もない。


ただ、橘玲奈は死んだ。


同学年の男子生徒が、その場で捕まった。


それだけを並べれば、答えは一つしかなかった。


「お坊ちゃまには、少々難しい試験だったのかもしれません」


小宮山が言う。


「殺害までは成し遂げたのです。最低条件は満たしております」


「殺したあとに捕まる人間を、殺し屋とは呼びません」


昭伸の声に、失望はなかった。


最初から期待していなかったようにも聞こえた。


勝がソファの背へ腕を回す。


「誠はそんなタマじゃない」


昭伸が弟を見る。


「ずいぶん買っていますね」


「買っちゃいねえよ。匂いの話だ」


「匂い」


「捕まる奴は、捕まる前から逃げる顔をする。あいつは違った」


「昨日まで、殺せずに逃げるとおっしゃっていたのでは」


「逃げるなら、殺す前だ」


勝は消えたテレビへ顎を向けた。


「やったあとで屋上に突っ立ってるほど、素直なガキじゃねえ」


小宮山が口を挟む。


「報道では、逮捕された男子生徒の氏名は伏せられています」


「未成年ですからね」


「なら、まだ分かんねえだろ」


勝は立ち上がった。


テーブルの上の煙草へ手を伸ばし、小宮山に見られて戻す。


「外で吸ってまいりますか」


「そういう言い方されると、吸いたくなくなるんだよ」


「健康的で何よりです」


勝は舌打ちした。


昭伸は携帯電話を手に取る。


画面に表示された時刻は、午後六時十二分。


期限を過ぎている。


それでも、誠からの連絡はない。


「小宮山」


「はい」


「確認を」


「学校へでしょうか」


「警察へです」


小宮山は一礼した。


部屋を出る直前、勝がその背中へ声を投げる。


「賭けるか、じいさん」


小宮山が振り返る。


「何をでしょう」


「捕まったのが、誠かどうか」


「賭博はいたしません」


「つまんねえな」


「ただし」


小宮山は扉に手をかけたまま、わずかに目を細めた。


「勝様がお支払いになる方へ、千円を」


扉が閉まる。


勝はしばらく黙ったあと、笑った。


「やっぱ、あのじいさん嫌いだわ」


昭伸は笑わなかった。


携帯電話の画面を伏せる。


自分がどちらへ賭けているのかは、弟にも教えなかった。


*


姫野(ひめの)巌(いわお)は、署内で怒鳴らない。


怒鳴る必要がないからだった。


身長百八十八センチ。


柔道で潰れた耳。


眉間には、黙っていても消えない縦皺が二本ある。


廊下を歩くだけで、新人は自分の襟元を確かめた。


今も、給湯室から出てきた巡査が姫野を見るなり背筋を伸ばした。


姫野は何も言わず、その横を通り過ぎる。


「また一人、無実の人を怯えさせましたね」


隣を歩く殿崎(とのさき)ひよりが言った。


二十五歳。


肩に届かない髪と、眠そうに見える垂れ目。


初対面の相手には、刑事だと名乗ると驚かれる。


姫野は前を向いたまま答えた。


「怯える理由がある奴が悪い」


「あの人、コーヒーを淹れていただけです」


「砂糖を三本入れていた」


「有罪ですね」


殿崎は手元の紙コップを見た。


自分のコーヒーにも、砂糖が二本入っている。


二本までなら見逃されるらしい。


二人が刑事課へ戻ると、机の上の電話が鳴った。


殿崎が取る。


「はい、刑事課――あ、います。目の前に。威圧感まで含めて、います」


姫野が手を出す。


殿崎は受話器を渡さず、メモを取り始めた。


「青藍学園。女子生徒一名死亡。被疑者は同学年の男子生徒。十七歳」


姫野の手が止まる。


青藍学園。


どこかで聞いた名前だった。


殿崎が電話へ頷く。


「身柄はそちらですね。はい。保護者への連絡は……まだ。分かりました。姫野と向かいます」


電話を切る。


「誰が行くと言った」


「課長です」


「先に言え」


「先に言うと、電話を代われって顔をしていました」


「顔で会話するな」


「姫野さんが言います?」


殿崎はメモを一枚めくった。


現場の校名が、太い字で書かれている。


「青藍って、五十嵐さんの息子さんが通っている学校ですよね」


姫野はそこで思い出した。


交通課の五十嵐猛。


部署は違うが、署の道場で何度か組んだことがある。


酒の席では、息子が生徒会長になったという話を聞かされた。


頼んでもいないのに、写真まで見せられた。


癖のない黒髪。


整った制服。


父親とはあまり似ていない、穏やかな顔。


「被疑者の名前は」


「電話では伏せられました。未成年なので、無線でも最低限にしているそうです」


「現場は」


「所轄が封鎖。鑑識が屋上を見ています。身柄は学校近くの署へ移送済みです」


「なぜ俺たちが呼ばれる」


「死亡事案になったので応援です。それと、被疑者がまともに話せない状態だとか」


「黙秘か」


「話してはいるそうです。同じことを、何度も」


姫野は上着を取った。


殿崎が紙コップを持ってついてくる。


「置いていけ」


「まだ半分あります」


「車にこぼす」


「姫野さんの運転なら、取り調べ室まで持ちます」


「なら走るぞ」


殿崎は紙コップを机へ置いた。


「現場へ着く前に自白します。安全運転してください」


*


車内のラジオでも、青藍学園の事件が流れていた。


死亡した女子生徒の氏名は、橘玲奈。


市議会議員、橘晴臣の長女。


身柄を確保された男子生徒については、同じクラスの生徒とだけ報じられている。


「政治家の娘ですか」


殿崎が助手席で言った。


「仮置きします。交際のもつれ」


「根拠は」


「同級生の男女、高校の屋上、放課後。世間が最初に作る筋書きです」


「お前の筋書きか」


「世間のです。私はまだ置いただけ」


殿崎は推測するとき、必ず仮置きと言う。


外れたときに撤回しやすいからではない。


仮説を事実の隣へ置かないためだ。


見た目より慎重で、口調より疑い深い。


姫野がこの若い刑事を連れ歩く理由の一つだった。


「現行犯逮捕の根拠は」


「悲鳴と落下音の直後、屋上から下りてきたところを教員三人が確保。衣服に被害者の血はなし。目撃証言も、今のところなし」


「薄いな」


「ただ、携帯電話から被害者の写真が大量に見つかったそうです」


姫野は前方を見たまま、眉間の皺を深くした。


「交際相手か」


「本人は否定しています」


「何を」


「交際も、殺害も」


赤信号で車が止まる。


殿崎はメモへ一本、線を引いた。


「仮置きを変更します。片思いの暴走」


「簡単に置き直すな」


「だから仮置きなんですって」


信号が青になる。


姫野はアクセルを踏んだ。


頭の片隅に、猛が見せた写真が残っている。


生徒会長の腕章をつけた少年。


穏やかに笑っていた。


写真で人間は分からない。


親が子供の何を知っているかも、分からない。


それでも姫野は、猛への連絡を後回しにした。


本人を確認してからでいい。


そう判断した。


*


取調室の前には、制服姿の警察官が二人立っていた。


「中は」


姫野が尋ねる。


「補導員が一名。本人は落ち着いてきましたが、供述が一貫しません」


「黙秘ではないんだな」


「むしろ逆です。話し続けています。ただ、自分は見ただけだと」


「何を見た」


警察官が一瞬、答えに迷う。


「遺体を」


殿崎が姫野を見る。


姫野は扉の小窓から中を覗いた。


少年が、机に両肘をついて座っている。


両手で頭を抱え、何かを呟いていた。


顔は見えない。


青藍学園の制服。


二年生の校章。


背格好は、記憶にある五十嵐猛の息子と大きく違わない。


姫野が扉を開ける。


少年の声が、はっきり聞こえた。


「俺じゃない」


姫野は向かいの椅子を引いた。


殿崎はその隣へ座る。


少年が顔を上げた。


泣いた痕がある。


頬は青ざめ、唇が震えていた。


姫野は写真で見た少年の顔を思い出す。


違う。


五十嵐誠ではない。


「俺は、玲奈を見てただけなんです」


少年が言う。


「いつもみたいに、見てただけで」


殿崎のペン先が止まった。


「いつも?」


「違う。そういう意味じゃない。守ってたんです。俺が見てれば、変な奴が近づかないから」


「屋上まで守りに行ったのか」


姫野が尋ねる。


「玲奈が上がっていったから」


「一人で?」


「分からない。俺が見たときは、一人だった」


「なぜ、すぐ追わなかった」


「見つかりそうになったから、少し待って……それから」


少年は両手で顔を覆った。


「音がして、上へ行ったら誰もいなくて。下を見たら、玲奈が」


呼吸が速くなる。


補導員が背中へ手を伸ばそうとした。


姫野は目だけで止める。


「屋上には誰もいなかった」


「はい」


「お前以外は」


「俺が行ったときには!」


少年が机を叩いた。


扉の外で、人の動く気配がした。


姫野は瞬きもしない。


少年の方が先に目を逸らした。


「写真は、どう説明する」


殿崎が静かに尋ねる。


「好きだったから」


「本人の許可は」


「ない」


「帰り道を撮った写真が、百枚以上あります」


「それは認めます。でも、殺してない」


「教室で撮ったものもある」


「撮った。でも殺してない」


「自宅の近くでも」


「ついていった。でも殺してない!」


嘘をついている人間は、すべてに嘘をつくとは限らない。


本当のことを話している人間も、すべてが潔白とは限らない。


姫野が嫌うのは、善人か悪人かで供述を分けることだった。


罪は、一人の中で同居する。


この少年は、橘玲奈をつけ回していた。


それは事実だ。


橘玲奈を殺した。


それは、まだ事実ではない。


姫野は机の上の書類を閉じた。


表紙には、少年の氏名が記されている。


五十嵐ではない。


「最初から聞く」


少年が顔を上げる。


「氏名」


掠れた声が、取調室に落ちた。


「三浦」


一度、息を呑む。


「三浦恭介です」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。