第13話 使用禁止
残り二十四時間。
その時間で何ができるか、誠は考えた。
警察へ行く。
玲奈を逃がす。
澪を連れて逃げる。
権藤会の要求を拒む。
昨日までと同じ選択肢だった。
昨日までと違うのは、それぞれが失敗したあとの光景まで想像できることだった。
警察へ行けば、猛も巻き込まれる。
玲奈を逃がせば、澪が狙われる。
澪を連れ出せば、理由を話さなければならない。
拒めば、動画が公開される。
正しい答えを探す時間は終わっていた。
残っているのは、どの間違いを選ぶかだけだった。
*
午後六時を過ぎた生徒会室には、誠しかいなかった。
窓の外はまだ明るい。
運動部の声も聞こえる。
それでも校舎の最上階は静かだった。
誠は窓を開けた。
新しい垂れ幕の端が、風を受けてわずかに揺れている。
身を乗り出さず、窓枠から上を見る。
布は屋上から下り、生徒会室の窓の脇を通っていた。
交換前より張りが強い。
業者が結び直した支持索は、風が吹いても大きくぶれなかった。
誠は手を伸ばしかけた。
届かない。
窓から腕を出しただけでは、垂れ幕にも索にも触れられない。
窓を閉める。
次に、棚の横へ置かれた古い垂れ幕を見た。
折り畳まれ、透明な袋へ入っている。
処分の承認が下りるまで、一時保管することになっていた。
誠は袋を持ち上げた。
見た目より重い。
屋外用の厚い布と、縁に縫い込まれた補強材。取り外された短い索も一緒に入っている。
袋を開ける。
古い布の匂いがした。
雨と埃と、日差しに焼かれた繊維の匂い。
誠は補強された端を両手で持ち、力を入れた。
破れない。
すぐに手を離した。
何を確認したのか、自分でも言葉にしたくなかった。
廊下から足音が聞こえる。
誠は垂れ幕を袋へ戻した。
扉が開く。
「まだいたんですか」
東だった。
片手に、職員室から持ってきた書類を抱えている。
「少し片づけを」
「それは片づけではないでしょう?」
東は、半端に開いた垂れ幕の袋を見た。
「処分申請は来週です」
「分かってる。状態を見てただけ」
「新しいものへ交換したあとに?」
「記録へ残すから」
東は書類を机へ置いた。
「明日でなくてもできます」
「明日は別の作業がある」
口から出た言葉に、誠自身が反応した。
「何の作業ですか」
東が尋ねる。
「保管資料の確認」
「聞いていません」
「さっき、先生から言われた」
「どの先生ですか」
「真壁先生」
担任の名前が出た。
生徒会顧問ではない。
明らかに不自然だった。
東の視線が、誠の顔に止まる。
「担任の真壁先生が、生徒会の保管資料を確認するんですか」
「進路関係の資料が混ざってるかもしれないらしい」
「そうですか」
東は否定しなかった。
それがかえって怖かった。
「明日の放課後は、生徒会室を使えないことにしてほしい」
「使用禁止に?」
「うん。念のため」
「会長も入れないんですか」
「僕は確認に立ち会う」
また嘘が増えた。
東は一拍置いて、頷いた。
「分かりました。ほかの三人には私から伝えます」
「助かる」
「確認作業が終わったら、連絡してください。施錠の確認が必要です」
東は垂れ幕の袋を閉じた。
「分かった」
東は書類を棚へ収め、生徒会室を出ていく。
扉が閉まる直前に振り返った。
「明日、遅刻しないでください」
「しないよ」
「会長がいないと、朝礼の進行が止まります」
いつもの事務的な言い方だった。
扉が閉まる。
誠は、自分の返事を頭の中で繰り返した。
遅刻しない。
明日も学校へ来る。
明日の夜、自分が何者になっているかは分からない。
*
生徒会室を出る前に、誠は翌日の予定表を確認した。
朝礼。
通常授業。
昼休み。
六時間目。
放課後。
午後六時、期限。
予定表には最後の一行だけ書かれていない。
誠は屋上の鍵の貸出簿を開いた。
鍵は職員室で管理されている。
使用目的と返却時刻を書けば、生徒会長でも借りられる。
垂れ幕の交換後確認。
理由は作れる。
ただし、名前が残る。
誠は貸出簿を閉じた。
次に、恭介の時間割を思い出す。
同じクラスだから、授業は同じ。
昼休みは教室で弁当を食べることが多い。
放課後は玲奈の後を追う。
恭介がいる限り、玲奈は一人にならない。
誠は鞄から、小さな容器を出した。
半透明で、中身は外から見えない。
机の上へ置く。
その横に、黒い手袋。
屋上の鍵に関する申請用紙。
玲奈と撮った写真。
四つを並べる。
何と何がつながるのか、誠にもまだ分からなかった。
一つの計画ではない。
失敗したときのための、別々の可能性だった。
正解を一つに絞れないなら、選択肢を増やす。
それが生徒会長として、何度も問題を解決してきた方法だった。
今、その能力を玲奈へ向けている。
スマートフォンが鳴った。
メッセージではなく、通話だった。
非通知。
誠は数秒迷ってから応答した。
「もしもし」
『よお、優等生』
勝の声だった。
「何ですか」
『兄貴から連絡すんなって言われてんだけどよ。気になってな』
「何が」
『今、どんな顔してんのか』
誠は机に並べたものを見た。
「見に来ればいい」
勝が笑った。
『言うようになったな』
「用件はそれだけですか」
『兄貴は結果しか見ねえ』
勝の声から、笑いが消えた。
『死んだか、生きてるか。やったか、逃げたか。そういうのだけだ』
「あなたは違うんですか」
『俺は終わったあとの顔を見る』
誠は何も言わなかった。
『人を一人殺すと、顔が変わるって言うだろ。あれ、半分嘘だ』
「半分?」
『変わらねえやつがいる』
電話の向こうで、缶を置く音がした。
『そっちの方が面白え』
通話が切れた。
誠は暗くなった画面へ、自分の顔が映っているのを見た。
まだ変わっていない。
少なくとも、自分にはそう見えた。
*
家では、前日に食べなかった焼き魚が夕食に出た。
「昨日、お兄が突然カレー作ったから延期された魚です」
澪が箸で身をほぐしながら言う。
「魚に説明してるの?」
「遺恨が残らないように」
「もう焼かれてるけど」
「死後の和解だよ」
「食事中にやめなさい」
久美子が二人を止める。
猛は味噌汁を飲みながら、誠を見た。
「学校はどうだ」
「普通」
「最近、普通しか言わないな」
「普通だから」
「ならいい」
猛はそれ以上聞かなかった。
食卓では、澪が翌週の収録について話した。
久美子は近所の犬が脱走した話をした。
猛は交番へ届けられた財布から、持ち主が見つかった話をした。
どれも明日へ続く話だった。
誠だけが、明日より先を考えられなかった。
この食卓へ、明後日も座る。
同じ顔で。
同じ声で。
玲奈を殺したあとに。
想像しても、景色は変わらなかった。
澪が魚の骨を皿の端へ並べている。
久美子が味噌汁を温め直す。
猛がニュースへ目を向ける。
自分だけが変わるのか。
それとも、勝の言ったように変わらないのか。
「お兄、醤油取って」
澪が手を出した。
誠は醤油差しを渡す。
指が触れた。
澪は何も知らず、礼を言った。
*
自室へ戻ると、玲奈からメッセージが届いていた。
> 明日、本当に話してくれる?
入力欄を開く。
誠は何度も文章を書き直した。
すべて話す。
消す。
放課後、待っていて。
消す。
逃げて。
消す。
最後に送ったのは、短い一文だった。
> 明日、必ず話す。
玲奈からの返事は、すぐに届いた。
> 分かった。私も逃げない。
誠は画面を伏せた。
玲奈は約束を守る。
だから明日、学校へ来る。
それを分かっていて、誠は約束した。
机の引き出しを開ける。
小さな容器。
黒い手袋。
屋上の鍵を借りるための申請用紙。
どれもまだ、犯罪に使われてはいない。
誠は手袋を取り出し、鞄へ入れた。
次に容器を入れる。
最後に申請用紙を折り畳んだ。
一つずつ入れるたび、選択肢が減っていった。
午前零時。
残り二十四時間を切っていた。




