閑話 青山合戦・戦後処理
姫路
青山での戦が終わってから、しばらくが経っていた。
城内では、まだ戦の後始末が続いている。
戦死した者の名を改めて確認し、その家へ知らせを出す。
傷を負った者には薬師を付け、これからの暮らしについても考えなければならない。
戦には勝った
それは間違いない
だが、戦が終われば、すべてが元に戻るわけではない。
職隆は、届いた書状を一枚ずつ確認していた。
戦死者の名。
負傷者の名。
そして、その中に見慣れた名を見つける。
「……井上之正か」
長く黒田家に仕えてきた男だった。
今回の戦では、大将首を上げるほどの戦功を立てている。
だが、その首を守るために負傷した。
命は助かった。
しかし、
これまでのように、戦場へ出ることは難しいという。
職隆はしばらく、その名を見つめていた。
やがて書状を置く。
「……井上を呼べ」
「はっ」
家臣が頭を下げ、部屋を出ていく。
職隆は静かに息を吐いた。
戦に勝つ。
それだけなら、旗を掲げて終わりだ。
だが、その陰で傷ついた者もいる。
帰ってこなかった者もいる。
そして、その家には残された者たちがいる。
職隆は、もう一度書状へ目を落とした。
「勝った後こそ……考えねばならんな」
戦後の始末は、まだ始まったばかりだった。
しばらくして、井上之正が職隆のもとへやってきた。
まだ戦の傷が癒えきっていない。
歩く姿にも、どこか以前とは違うところがあった。
井上は職隆の前で深く頭を下げる。
「お呼びでしょうか」
「ああ。傷の具合を聞いておきたくてな」
「もう、歩く分には問題ございませぬ」
「そうか」
職隆は頷く。
そして、少し間を置いて尋ねた。
「戦場へは?」
井上の表情がわずかに曇る。
「……以前のようには、動けぬと薬師は申しております」
「そうか」
それ以上、職隆はすぐには言わなかった。
井上も黙っている。
これまで何度も戦場へ出てきた。
刀を振るい、敵と渡り合い、黒田家のために戦ってきた。
だが、今回の傷で分かった。
もう、以前と同じようには戦えない。
やがて職隆が静かに口を開く。
「ならば、井上」
「はっ」
「そなたは、これより戦場から退け」
井上はしばらく目を伏せていた。
そして、深く頭を下げる。
「……承知いたしました」
職隆は井上を見る。
その顔に、戦場を退く男への哀れみはない。
代わりに、別の役目を与える者の顔をしていた。
「だがな」
井上が顔を上げる。
「井上の家まで退かせるつもりはない」
「……!」
職隆は続ける。
「そなたの嫡子、九郎右衛門はまだ十二だったな」
「はい」
「これからも儂の近者としていてもらう」
井上は驚いたように職隆を見る。
「九郎右衛門を……」
「ああ」
「ありがたき幸せ」
井上が頭を下げる。
職隆は頷いた。
「井上の家は、これからも黒田に必要じゃ」
そして、もう一つ。
「そなたには、今後次郎の守役に専念してもらう」
井上の顔がわずかに揺れる。
戦場へ出られなくなった。
だが、自分にはまだ役目がある。
しかも、それは黒田家の次の世代を預かる役目だった。
「……ありがたきお言葉」
「礼などいらん」
職隆は穏やかに言う。
「これからも、次郎を頼むぞ」
井上は深く頭を下げた。
「はっ」
「身命を賭して、お仕えいたします」
職隆は黙って頷いた。
戦場から退く者がいる。
だが、その者の役目まで終わるわけではない。
そして
その家まで終わらせるつもりもなかった。
井上之正との話が終わった。
職隆は、先ほどの書状を脇へ置く。
だが、机の上にはまだ、いくつもの書状が残っていた。
職隆はその中から一通を取り上げる。
そこに記されていた名を見た瞬間、表情がわずかに曇った。
「……母里家も、考えねばならんな」
官兵衛が顔を上げる。
「母里家、ですか」
「ああ」
職隆は書状を開く。
母里小兵衛。
青山で戦死した男だ。
そして、その嫡子、武兵衛もまた、戦場で命を落としている。
官兵衛は静かに書状へ目を落とした。
「……武兵衛には、妻子がありませんでしたな」
「そうじゃ」
職隆は頷く。
「つまり、このままでは母里の家が途絶える」
評定の間に、静かな空気が落ちる。
小兵衛も、
武兵衛も、
黒田家のために戦った。
その二人が死んだことで、家まで消えてしまう。
それを職隆は惜しんでいた。
「何とか、家を残さねばならんな」
官兵衛はしばらく考えていた。
そして、ふと顔を上げる。
「父上」
「何だ」
「曽我大和守の奥方は……小兵衛の妹ではありませんでしたか?」
職隆の目が止まる。
「……そうだったな」
「ならば」
官兵衛は続ける。
「曽我家には、次男がおりましたな」
「ああ」
職隆は考える。
小兵衛の妹の子。
母里家から見れば、血の繋がった甥になる。
ならば、
「その子を、母里の養子に迎えるか」
官兵衛が頷く。
「はい。それならば、母里との縁も切れません」
職隆は書状を見つめる。
まだ決まったわけではない。
曽我大和守に話を通し、承知を得なければならない。
だが、母里家を残す道は見えてきた。
職隆は静かに息を吐いた。
「まずは、曽我大和守へ話を通そう」
戦場で失われた命は戻らない。
だが、
残された家まで、失わせる必要はなかった。
職隆は、机の上に置かれた二つの書状を見比べていた。
一つは井上家。
もう一つは母里家。
どちらも、青山の戦で大きなものを失っている。
井上之正は、戦場から退く。
だが、嫡子の九郎右衛門がこれから黒田家に仕える。
そして井上之正自身は、次郎の守役となる。
母里家は、当主の小兵衛と嫡子の武兵衛を失った。
だが、曽我家から養子を迎えることで、家を残すことができる。
職隆は静かに口を開いた。
「……井上も、母里も」
官兵衛が父を見る。
「どちらも黒田には必要な家じゃ」
「はい」
職隆は二つの書状へ目を落とす。
「戦で人を失うのは、仕方がない」
その声には、勝者の喜びはなかった。
「だが、その家まで失わせる必要はない」
官兵衛は黙って聞いている。
戦場では、一瞬で人の命が消える。
小兵衛も、
武兵衛も、
もう帰ってこない。
井上之正も、以前と同じように戦うことはできない。
それでも、その者たちが残した家には、まだ生きている者がいる。
守るべき者がいる。
そして、次へ繋ぐ者もいる。
職隆は、ゆっくりと息を吐いた。
「家というものは、当主一人のものではない」
官兵衛が顔を上げる。
「その家に仕えた者がおり、支えてきた者がおる」
「そして、これからその名を継ぐ者がおる」
職隆は母里家の書状を手に取る。
「だからこそ、残せるものは残す」
官兵衛は深く頷いた。
「はい」
職隆は書状を閉じた。
「曽我大和守には、こちらから話を通す」
これで、母里家を残すための道筋が決まった。
そして井上家もまた、九郎右衛門へと繋がっていく。
戦は終わった。
だが、戦後に残された者たちの務めは、まだ続いている。
その務めの一つが
失われかけた家を、次の世代へ繋ぐことだった。
職隆は、最後に二つの書状を重ねた。
井上家。
そして、母里家。
青山の戦で、人は失われた。
小兵衛も、武兵衛も、もう帰ってこない。
井上之正も、これまでのように戦場へ立つことはできない。
それでも。
井上家は残る。
九郎右衛門が、これから黒田家に仕えていく。
母里家も残る。
曽我家から迎える養子が、その名を継いでいく。
そして井上之正は、戦場ではなく、次郎の傍らで次の世代を育てる。
職隆は静かに書状を閉じた。
「……これでよい」
官兵衛が父を見る。
職隆は、窓の外へ目を向ける。
戦が終わった城下では、まだ傷ついた者たちが行き交っている。
勝った。
だが、失ったものも多い。
それでも。
「人は失った」
職隆が静かに言う。
「だが、その者たちが残した家まで失わせるわけにはいかん」
官兵衛は深く頭を下げた。
「はい」
戦場で死んだ者たちは、もう戻ってこない。
だが、その者たちが生きた証まで消えるわけではない。
家が残る。
名が残る。
そして、その家を継ぐ者がいる。
残された者たちは、失った者たちの想いを抱えながら、また歩いていく。
職隆は、もう一度だけ書状へ目を落とした。
戦後の始末は、まだすべて終わったわけではない。
それでも、
残せるものは、残した。
姫路の城には、再び静かな日常が戻り始めていた。




