第十二話 酔いどれ、不始末
翌朝。
松は、身体に触れる手の感触で目を覚ました。
「……ん……」
まだ頭が重い。
目を開けると、女中の通がいた。
「松様。お目覚めになりましたか」
「……通?」
通は何も言わず、濡らした布で松の身体を拭いている。
松はぼんやりと通を見つめる。
「……何してるの?」
「お身体を拭いております」
「……そう」
昨夜、酒を飲んだことは覚えている。
官兵衛と話した。
かなり飲んだ。
そこまでは覚えている。
けれど、その後が、どうにも曖昧だった。
松が起き上がろうとすると、通が静かに言った。
「無理に動かれませんように」
「……頭が痛い」
「でしょうね」
通は淡々としている。
そして、少し間を置いてから。
「松様……」
「やってしまいましたね」
「…………?」
松は首を傾げた。
「……何を?」
松が聞き返す。
通は答えなかった。
ただ、松の身体を拭きながら、ちらりと部屋の中を見る。
松もつられて視線を向ける。
「…………」
そこで、ようやく気づいた。
部屋がひどい。
酒瓶がいくつも転がっている。
杯もあちこちに散らばっていた。
脱いだ衣も、きちんと畳まれることなく床に落ちている。
寝具も乱れている。
「……なに、これ」
「昨夜のことでございます」
「私が……?」
「はい」
通は淡々と答えた。
そして、散らばった衣を拾い上げていく。
「朝、若様を起こしにお部屋へ参りました」
「……官兵衛を?」
「はい」
通は拾った衣を脇へ置く。
「ところが、客質に若様がおられませんでした」
「…………」
「それで探しました」
通の手が止まる。
「まさかと思って、こちらへ参りましたら」
松は嫌な予感がした。
「……何?」
通は松を見る。
「若様が、こちらでお休みになっておりました」
「…………」
「床の上で」
「…………」
松の顔が固まった。
「……え?」
「しかも」
通はため息をつく。
「お二人とも、かなり乱れたご様子で」
「…………」
松はゆっくりと周囲を見回した。
そして
部屋の隅に目を向ける。
そこには、布をかけられた官兵衛が眠っていた。
松は、布をかけられて床で眠る官兵衛を見つめた。
「…………」
「昨夜のお二人の様子は、それはもう……」
通は言葉を濁した。
「……どんな?」
「私から申し上げるのは、控えさせていただきます」
「通」
「はい」
「それ、余計に怖いんだけど」
通は小さく息を吐く。
「とにかく、まずお身体を整えましょう」
「……そうね」
松は身体を拭かれながら、昨夜のことを思い出そうとする。
酒を飲んだ。
官兵衛に絡んだ。
武兵衛がいなくなって寂しいと泣いた。
それから。
「……」
思い出そうとすると、頭が痛くなる。
「私……何かした?」
通は答えない。
「通?」
「……松様」
「なに?」
「昨夜のことを、すべて覚えておられないので?」
「……うん」
通は少しだけ困った顔をする。
「そうですか」
「その顔やめて」
「どのような顔でしょう?」
「全部知ってる顔」
「知っておりますので」
「…………」
松は黙った。
通は乱れた寝具を整え、床に落ちていた衣を拾っていく。
その動きがあまりにも手慣れている。
「……通」
「はい」
「まさか、もう全部片付けたの?」
「まだ途中でございます」
「…………」
松はもう一度、官兵衛を見る。
「……起こしたら、どうなるのかしら」
「それは若様にお聞きください」
「そうよね……」
松は額を押さえた。
昨夜の記憶は曖昧だ。
けれど、部屋の有様だけは、嫌というほど現実だった。
松は、乱れた部屋をもう一度見回した。
昨夜のことを思い出そうとする。
酒を飲んだ。
官兵衛に絡んだ。
武兵衛がいなくなって寂しいと泣いた。
自分が綺麗だとか、お世辞を言ってくれないとか、そんなことまで言った気がする。
「…………」
そこから先が、ひどく曖昧だった。
松は顔を覆う。
「……私、酔いすぎたわね」
「はい」
通の返事が早い。
「そんなに?」
「はい」
「……そう」
松はため息をついた。
そして、もう一度官兵衛を見る。
「官兵衛は……覚えてるのかしら」
「まだお休みですので、分かりません」
「そう……」
松は少し黙る。
自分一人なら、まだいい。
昨夜の自分が何をしたのか分からないことが、ひどく不安だった。
けれど、隣に官兵衛がいる。
しかも、この部屋の有様。
「……誤解では、済まないわね」
「はい」
通が即答する。
「ですよね……」
松は深く息を吐いた。
「通」
「はい」
「……私、そんなに酷かった?」
通は少し考える。
「松様」
「なに?」
「私が申し上げられるのは、一つだけです」
「……何?」
通は淡々と答えた。
「昨夜のことは、若様とお二人でお話しになった方がよろしいかと」
「…………」
松は布団の中へ顔を埋めた。
「……嫌だ」
「そうおっしゃらずに」
「恥ずかしい……」
その時。
床の上から、かすかな声がした。
「……姉上……」
松と通が同時に振り向く。
官兵衛が、ゆっくりと身じろぎした。
床から聞こえた声に、松は固まった。
「…………」
官兵衛がゆっくりと目を開ける。
「……ここは……」
寝ぼけたまま辺りを見回す。
そして、松と目が合った。
「…………」
「…………」
二人とも何も言わない。
官兵衛の視線が、乱れた部屋を巡る。
散らばった衣。
空になった酒瓶。
乱れた寝具。
そして、自分が床に寝ていること。
「…………」
官兵衛の顔が、少しずつ赤くなる。
松も同じだった。
「……姉上」
「……なに」
「昨夜はことは……」
「……覚えてる?」
「…………少し」
「そう……」
二人の間に、気まずい沈黙が落ちる。
通は何も言わず、淡々と片付けを続けていた。
やがて官兵衛が、小さく息を吐く。
「……頭が痛い」
「私も」
「酒のせいでしょうか」
「……たぶん」
松はそう答えた。
けれど。
通だけは知っている。
これは、酒だけのせいではない
通は何も言わず、乱れた衣を畳んだ。
そして最後に、二人へ向かって静かに頭を下げる。
「では、お二人とも。身支度が整いましたら、朝餉にいたしましょう」
「……はい」
「……はい」
松と官兵衛は、揃って小さく返事をした。
昨夜のことを、二人がどこまで語るのか。
それは、まだ誰にも分からなかった。
一か月後 松は姿を消した




