第十話 勝っても、負けても、
戦が終わってから、しばらく経った。
思えば、長い戦だった。
政秀が動くまでにも時間がかかった。
その間に兵を整え、米を集め、武具を揃え、山の様子を探った。
そしてようやく、青山でぶつかった。
一日で終わった戦ではある。
けれど、そこへ至るまでに積み重なったものを思えば、随分と長かったように感じる。
砥堀の屋敷
松は縁側に座り、庭を眺めていた。
静かだった。
戦の喧騒もない。
怒号も、鉄砲の音も、馬の嘶きもない。
ただ、風が木々を揺らしている。
「……終わったのね」
そう呟いても、実感はなかった。
勝った。
政秀は討たれた。
黒田は生き残った。
けれど、
武兵衛の顔が浮かぶ。
松は目を閉じた。
「……長かったわね」
その時だった。
「姉上」
聞き慣れた声。
松が振り向く。
「官兵衛」
官兵衛が廊下の向こうに立っていた。
「入っても?」
「ええ。こちらへ」
官兵衛が松の前に座る。
しばし、二人とも黙っていた。
戦が終わって初めて、こうして二人きりで向き合う。
やがて官兵衛が口を開いた。
「ご報告があります」
「……聞かせて」
松は静かに官兵衛を見る。
もう、戦場の話ではない。
戦に勝った、その後の話だった。
官兵衛は一度、息を整えた。
「まず、姫路からです」
「どうなったの?」
「小寺様より、褒めのお言葉をいただきました」
松は少しだけ眉を上げる。
「そう」
「それだけではありません。赤松の義佑様からも、お褒めと褒賞が」
「……まあ」
思わず、松の口元が緩む。
「それで?」
「いただいた褒賞は、すでに皆へ配っております」
「皆に?」
「はい。戦った者には、それぞれ相応に」
官兵衛は淡々と続ける。
「兵にも、家臣にも。戦で働いた者には、きちんと渡しております」
「そう」
松は頷いた。
戦に勝った。
そして、生き残った者には褒美が出る。
それは当然のことなのだろう。
「皆、喜んでいた?」
「ええ。かなり」
官兵衛が少し笑う。
「命を張った甲斐があった、と」
「……そう」
松は庭へ目を向けた。
武兵衛も、生きていればその中にいたのだろうか。
そう思った瞬間、胸の奥が重くなる。
松はその感情を押し込めるように、話を戻した。
「それで、他には?」
「龍野です」
「……龍野?」
「はい」
官兵衛の顔から笑みが消える。
「龍野は」
少し間を置いて、
「荒れております」
と答えた。
松はしばらく黙っていた。
「どのくらい?」
「戦で家を失った者もおります。身内を亡くした者も」
官兵衛は静かに答える。
「政秀方の兵だった者たちもおりますし、巻き込まれただけの民もおります」
「そう……」
松は庭を見る。
こちらは勝った。
小寺から褒賞が出た。
赤松からも褒賞が出た。
黒田は敵を討てた
戦った者たちは、それぞれ報われる。
けれど。
「勝ったこちらには、褒美がある」
「はい」
「負けた向こうには、傷が残る」
「……そうなります」
「戦っている時は、仕方ないのよね」
松は小さく息を吐いた。
「勝たなければ、こちらが同じ目に遭うもの」
官兵衛は何も言わない。
松はしばらく考えたあと、官兵衛を見る。
「でもね」
「はい」
「戦が終わったなら、その後のことは別でしょう?」
「……姉上?」
松は静かに言った。
「私の私財で、龍野に慰撫をしてあげてください」
官兵衛の目が僅かに見開かれる。
「姉上の、私財を?」
「それを龍野へ?」
「そう」
そして松は、はっきりと言う。
「黒田の名で」
官兵衛は黙って姉を見る。
松は穏やかな顔をしていた。
「勝ったからこそ、勝った後に何をするかが大事なのよ」
「龍野の者たちに、黒田は敵を倒しただけではないと思わせなさい」
官兵衛の表情が変わった。
ただの施しではない。
これから黒田が播磨で生きていくための一手 なのだと、理解した顔だった。
「……姉上」
「なに?」
「本当に、それでよいのですか」
「ええ」
松は迷わなかった。
「私の金ですもの。どう使おうと私の勝手でしょう?」
「そういう問題では……」
「分かっているわ」
松は少し笑った。
「龍野の者たちが、すぐに黒田を好きになるとは思っていないわ」
「……はい」
「それでいいのよ」
松は庭へ目を向ける。
「今は、黒田を恨んでいてもいい。政秀を失った悲しみも、戦で家族を失った悲しみも、すぐには消えないもの」
「だから、無理に何かを求めない」
官兵衛は黙って聞いている。
「ただ、困っている時に手を差し伸べる」
「……黒田の名で」
「そう」
松は頷いた。
「いつか龍野の者が、あの時黒田に助けられたと思ってくれれば、それで十分よ」
官兵衛が少し考える。
「姉上は……」
「ん?」
「戦に勝つことだけを考えているわけではないのですね」
松は苦笑した。
「当たり前でしょう」
そして、ぽつりと続ける。
「戦に勝ったって、人が死んだら悲しいもの」
「……」
「勝ったから悲しくない、なんてことにはならないわ」
官兵衛は、ふと姉の顔を見る。
戦の前からそうだった。
兵を集め、米を集め、銭を出し、戦を支えた。
それなのに、勝った今も浮かれてはいない。
武兵衛の死を、まだ引きずっている。
それでも、その先を見ている。
官兵衛は思わず口にした。
「……姉上は、なぜそんなに達観しておられるのか」
「……達観?」
松は眉を寄せた。
「してないわよ」
「ですが」
「してない」
松は静かに言った。
「四十年生きても……」
そこで、松の言葉が止まった。
官兵衛も止まった。
「…………」
「…………」
やがて官兵衛が、ゆっくりと口を開く。
「……姉上」
「なに?」
「今……」
官兵衛は松を見る。
「四十年と申しましたか?」
官兵衛は、松の顔をじっと見つめていた。
松は黙っている。
しまった。
そう思った。
今まで、うまく隠してきた。
自分が何を知っているのか。
なぜ人の死を恐れながらも、どこか冷静でいられるのか。
けれど、今の一言で、全部とは言わずとも、何かがおかしいと気づかれてしまった。
「姉上は……私の一つ上のはずでは」
「……」
「どういうことですか」
松は目を伏せた。
しばらく沈黙したあと、小さく息を吐く。
「……観念して言うわ」
官兵衛が息を呑む。
松はゆっくりと顔を上げた。
「実はね」
「……はい」
「一度、死んだの」
官兵衛の目が大きく開く。
松はそのまま続けた。
「そして」
ほんの少しだけ、笑った。
「この時代に生まれたの」




