第三話 政秀、決断す
龍野。
夜も更け、城内から人の気配が消えていた。
政秀は一人、部屋に残っていた。
目の前には、播磨の地図。
その上には、いくつもの駒が置かれている。
政秀は、しばらく何も言わずに地図を見つめていた。
「……宍粟か」
指先で、宍粟をなぞる。
徴収を拒まれた。
それだけならば、兵を出せば済む。
だが――
「宍粟へ兵を入れれば、黒田が出てくる」
次に、高岡へ目を移す。
「黒田を攻めれば……」
今度は宍粟が動く。
政秀は、小さく息を吐いた。
「どちらへ行っても、背後がある」
ならば、戦を止めるか。
政秀は地図から目を離した。
だが、それも長くは続かなかった。
戦を止めれば、その間に黒田は兵を増やす。
宍粟の国衆も、さらに黒田へ寄るだろう。
「……時間を与えるわけにはいかぬ」
政秀は再び地図へ目を戻した。
では、赤松義祐と講和するか。
その考えも浮かぶ。
だが――
「政晴様を、引き渡せと言われれば……」
そこで政秀の手が止まった。
「……それもできぬ」
政晴を失えば、自分たちが何を掲げて戦っているのか分からなくなる。
そして宍粟の国衆も、こちらから離れるかもしれない。
政秀は黙ったまま、地図を見つめ続けた。
しばらくして。
その目が、ゆっくりと姫路へ向いた。
「……姫路」
今ならば、まだ間に合う。
黒田は山間の砦を削り、宍粟との繋がりも強めている。
だが、まだ黒田が大勢力になったわけではない。
ならば――
「黒田を先に叩く」
政秀は呟いた。
宍粟を攻めれば、黒田が出てくる。
ならば、その黒田を先に相手にすればいい。
宍粟を攻めるよりも、まだ読める。
「黒田が出てくるのを待つ必要はない」
こちらから行けばいい。
政秀は地図の上で、高岡から姫路へ続く道を眺める。
高岡を押さえれば、黒田の動きを止められる。
そして黒田を退かせることができれば――
「宍粟も、そう簡単には動けまい」
政秀はそう考えた。
だが、そこで一つの懸念が浮かぶ。
兵糧。
今のままでは長く戦えない。
だからこそ、短く終わらせる必要がある。
「長引かせるな」
政秀は低く呟いた。
「一気に叩く」
そして、地図の上の高岡に置かれた駒を、指で押し込んだ。
「高岡を落とせば……」
その先を考える。
黒田は、高岡を前線の拠点としている。
そこを崩せば、黒田は兵を姫路まで引かざるを得ない。
そうなれば、宍粟の国衆も簡単には動けなくなる。
「まず、黒田を後ろへ退かせる」
政秀はそう決めた。
だが――
「問題は、どれだけ兵を出せるか、か」
兵糧が潤沢なわけではない。
長く攻め続ければ、こちらが先に苦しくなる。
だからこそ、長期戦にはしない。
「高岡を焼く」
政秀は考えを固めていく。
だが、まだ一つ気になることがあった。
宍粟。
黒田がこちらへ出てくるなら、その隙に宍粟が動く可能性がある。
ならば――
「宍粟にも、目を置いておく必要がある」
黒田へ兵を出しながら、宍粟を完全に放置するわけにはいかない。
しかし、兵を分けすぎれば黒田に勝てない。
政秀は眉を寄せた。
「……難しいな」
それでも、手を止めることはなかった。
攻めるなら、今しかない。
時間を与えれば黒田はさらに強くなる。
宍粟も、さらに離れていく。
だから政秀は決めた。
多少の危険を承知で、黒田へ兵を向ける。
そのために必要な兵と兵糧を、今夜のうちに整える。
政秀は地図を巻き取った。
「もう、待つわけにはいかぬ」
そして立ち上がった。
廊下に控えていた家臣が、すぐに顔を上げる。
「政秀様」
「兵を集めよ」
「……兵を?」
「ああ」
政秀は短く答えた。
「黒田へ向かう」
家臣が一瞬、言葉を失う。
「高岡、ですか」
「そうだ」
政秀は迷わなかった。
「黒田を討つ」
「しかし……宍粟の者どもが――」
「分かっておる」
政秀は遮った。
「宍粟へ兵を向ければ、黒田が出てくる」
「ならば、黒田を放っておけばよいのか?」
家臣は黙った。
政秀は続ける。
「時を与えれば、黒田は強くなる」
「宍粟も、あちらへ寄る」
「そうなってからでは遅い」
政秀は振り返った。
「今ならば、まだ黒田を叩ける」
そして、淡々と命じる。
「兵糧を集めよ」
「出せる兵を数えよ」
「高岡へ向かう支度をせよ」
家臣たちが動き始める。
政秀はその背を見ながら、最後に一言だけ告げた。
「長くは戦わぬ」
「一気に高岡を落とす」
龍野の夜が、静かに動き始めた。
その夜。
龍野城では、兵たちが慌ただしく動き始めていた。
武具を整え、兵糧を運び、馬を用意する。
誰もが、何が始まるのかを理解し始めていた。
政秀は一人、城の外を眺めていた。
「……黒田め」
怒りではない。
焦りでもない。
ただ、決めた者の顔だった。
高岡を落とす。
それが今、自分に残された道だ。
宍粟を攻めれば黒田が来る。
戦をやめれば、黒田が育つ。
赤松と手を結べば、旗の政晴様を失うかもしれぬ。
ならば――
「こちらから、黒田を動かしてやる」
政秀は踵を返した。
「明朝、出陣する」
その命が、夜の龍野城を駆け抜けていく。
そして――
龍野の兵が、高岡へ向けて動き始めた。




