第二話 詰みあがる龍野
姫路。
評定の間に、職隆、休夢、官兵衛、松らが集まっていた。
地図を広げた職隆の前で、松が口を開く。
「……宍粟の様子ですが」
皆の視線が松へ向く。
「相当、宍粟郡の国衆の不満が溜まっているようです」
職隆が眉を上げる。
「そこまでか」
「ええ」
松は頷いた。
「それに、政秀はまた徴収しようとしたそうです」
官兵衛が顔を上げる。
「また?」
「はい。今回は、もう出すものはないと拒否したとか、隠したとかで出さなかったようですが――」
松は少し間を置く。
「そのあと、出せと脅されているそうです」
評定の間に、短い沈黙が落ちた。
「宍粟の国衆は……」
松は地図の宍粟を見た。
「これに反抗するつもりのようです」
職隆は、しばらく黙って地図を見ていた。
「……そうか」
松は続ける。
「まだ、表立って兵を挙げるほどではありません」
「ですが、政秀への不満はかなり強くなっているようで」
官兵衛が地図へ目を落とした。
「それなら、こちらとしても都合がいい」
「宍粟がこちらへ傾けば、政秀の背後に一つ気をつけねばならぬ場所ができる」
職隆が頷く。
「だが、まずはこちらの戦だ」
官兵衛は山間へ目を向ける。
「山間の敵方の砦は、もうほとんど機能を喪失しつつあります」
休夢が地図を覗き込んだ。
「そこまでか」
「はい」
「兵が籠もっているだけで、外へ出てこなくなっております」
官兵衛は淡々と続ける。
「補給も思うようには通せません。こちらが無理に攻めずとも、時間が経てば経つほど弱っていくでしょう」
職隆は地図を見つめた。
「……うん」
そして、ふと顔を上げた。
「なるほど」
「となると――」
職隆の表情が少し険しくなる。
「政秀は、強硬策に出るかもしれんな」
「強硬策、ですか」
松が聞き返す。
職隆は頷いた。
「宍粟へ兵を向けるかもしれん」
「あるいは――」
官兵衛が地図の上で指を動かした。
「こちらへ来るかもしれません」
松の視線が、地図の上を追う。
「私たちか、宍粟か」
休夢が腕を組む。
「政秀からすれば、どちらも放ってはおけぬだろうな」
官兵衛は地図を見ながら答えた。
「ですが、どちらへ来たとしても、順次に対応させればいいだけの話でしょう」
官兵衛は淡々としている。
「政秀が宍粟へ向かったのなら、宍粟の国衆からこちらへ声が掛かるでしょう」
「助けてくれ、と?」
「おそらくは」
松が少し考える。
「その場合、こちらはどうするの?」
官兵衛は姫路から龍野へ伸びる道を指した。
「我らが東から龍野へ出てやる」
「政秀の背後を脅かすために?」
官兵衛は頷いた。
「実際にどこまで動くかは分かりません」
「ですが――」
指先が龍野を叩く。
「声は掛けておくべきでしょう」
職隆が小さく笑った。
「そうだな」
そして、今度は高岡の方へ目を向ける。
「では、政秀がこちらへ来た場合は?」
官兵衛は少しだけ間を置いた。
「その時も、同じです」
「宍粟へ声を掛ける」
「はい」
「……来るかどうかは分からぬが?」
「ええ」
官兵衛は平然と答えた。
「だからこそ、声を掛けておくのです」
「では」
松が地図を見ながら口を開く。
「政秀がこちらへ来た場合、宍粟には何を頼むの?」
「兵を出してもらう」
官兵衛は即答した。
「龍野へ向かってもらいます」
「……宍粟の者たちが、そこまでしてくれるかしら?」
「分かりません」
またも、官兵衛は迷いなく答えた。
「ですが、政秀に不満を持っているのであれば、こちらへ声を掛ける意味はあります」
職隆も頷く。
「宍粟が動けば、政秀はそちらも気にせねばならん」
「はい」
官兵衛は地図を見つめる。
「そして、もし政秀がこちらへ兵を向けたなら――」
指が龍野を示す。
「宍粟から龍野へ出てもらう」
「逆に、政秀が宍粟へ向かったなら?」
「こちらから龍野へ出る」
松が言う。
「つまり、どちらへ政秀が動いても、もう片方から龍野を脅かせるようにしておく、と」
「そういうことです」
「ずいぶん嫌なことを考えるわね、官兵衛」
「戦ですから」
さらりと言って、官兵衛は地図から顔を上げた。
「それに――」
「小寺様にも声を掛けていただきたい」
職隆が眉を上げる。
「政職様にか?」
「はい」
官兵衛は頷いた。
「小寺様が出てくだされば、話は早い」
「政秀の軍を?」
「確実に崩せます」
松は官兵衛を見た。
「……そこまで言い切るの?」
「小寺様が動いてくださるなら、です」
官兵衛はそう言って、再び地図へ視線を落とした。
「ですが、まずは政秀がどちらへ動くか」
「それを見てからでも遅くはありません」
職隆はしばらく黙っていたが、やがて頷いた。
「よし、まずは、声を掛けておこう、宍粟にも、小寺様にもな」
評定の間に、静かな緊張が走った。
まだ、誰も兵を動かしてはいない。
だが――
政秀が動けば、動かざるを得なくなる者がいる。
そして、その動き方次第では。
龍野そのものが、戦場になる。
「では、決まりだな」
職隆が言った。
「ただし――」
松が口を挟んだ。
「こちらから、宍粟に動けとは言わないのでしょう?」
「そうです」
官兵衛は答えた。
「頼るのではなく、選ばせる」
「政秀に従うのか」
「それとも、こちらへ寄るのか」
松は小さく息を吐いた。
「……なるほど」
今までなら、政秀が動けばこちらも動く。
だが今は違う。
政秀が動けば動くほど――
周りの国衆まで動く可能性がある。
職隆が地図を畳む。
「では、こちらはどうする?」
官兵衛は静かに答えた。
「いつも通りです」
「山を押さえ、兵を整え、飯を蓄える」
そして、ほんの少しだけ笑った。
「政秀が来るなら 迎えてやればいい」
松はその言葉を聞き、地図へ目を落とした。
宍粟。
龍野。
姫路。
その三つを繋ぐように、これから人が動き始める。
まだ戦は始まっていない。
だが――
もう、政秀一人の意思だけで戦場を決められる状況ではなくなっていた。




