第一話 噂の行きつく先
宍粟。
中播磨へ向かう荷が、山道を進んでいた。
荷に積まれているのは、鉄鉱石
まだ鉄へと加工される前の、掘り出されたままの鉱石である。
宍粟では、これを中播磨へ送り、米や銭などと交換している。
だが――。
最近、宍粟の者たちの間では、妙な話が囁かれていた。
「……また、龍野から取り立てが来るらしいぞ」
「またか」
「今度は何を出せと言われるんだ?」
男たちは声を落とす。
以前なら、ただ従うだけだった。
だが、今は少し違う。
黒田へ鉄鉱石を持っていけば、米と替えてくれる。
しかも、こちらが必要とするだけの米を融通してくれる。
だからこそ、余計に思う。
「黒田は、こちらが困っていると米を出してくれる」
「それに比べて……」
誰かが、ぽつりと言った。
「龍野の政秀様は、われらを信じておらんのではないか?」
その言葉に、誰もすぐには答えなかった。
だが――。
否定する者も、いなかった。
しばらくして、一人が口を開いた。
「だが、龍野様も領地を守るために銭や米が要るのであろう」
「それは分かっておる」
「ならば、出せるものを出せばよい」
そう言いながらも、男の顔は晴れない。
別の男が、荷の中を覗いた。
「今回の鉄鉱石は、どれほどになる?」
「いつも通りだ」
「ならば、これを中播磨へ持っていけばいい」
「黒田へか?」
「そうだ」
その言葉に、何人かが頷いた。
黒田は、こちらの鉄鉱石を受け取る。
そして、その対価として米を渡してくれる。
銭だけではない。
今、宍粟が欲しいものを渡してくれる。
「……次も、米で替えてもらえるだろうか」
「頼めば、してくれるだろう」
「ありがたい話だ」
男たちは荷を見つめる。
そして、その中の一人がぽつりと言った。
「だったら――」
「龍野様に出す分など、残しておかなくてもよいのではないか?」
「おい」
別の男が慌てて制した。
だが、誰も笑わなかった。
その言葉が、冗談ではなくなりつつあることを、皆が感じていた。
荷はそのまま、中播磨へ向かって進んでいった。
やがて、鉄鉱石を積んだ荷が黒田のもとへ届く。
取引を終えた男たちは、受け取った米を見ていた。
「……これだけ替えてもらえるのか」
「鉄鉱石だけで、これほどの米を?」
「黒田は、ずいぶんと気前がよいな」
誰かがそう漏らす。
だが、別の男が首を振った。
「気前がよいというより……」
「こちらが困っているのを分かっておるのだろう」
その言葉に、皆が黙る。
これまでなら、鉄鉱石を売れば銭を受け取る。
銭があれば、米を買える。
だが、米が足りなければ、銭があってもすぐにはどうにもならない。
だから今は、黒田との取引がありがたかった。
「次も、米で頼もう」
「そうだな」
「だが――」
一人が声を落とす。
「龍野から取り立てが来たら、どうする?」
先ほどまでの空気が、また重くなる。
「……出せばよい」
「何を?」
「米でも銭でも、あるものを」
「その『あるもの』を、黒田へ渡してしまったら?」
誰も答えなかった。
やがて、一人がぽつりと言う。
「龍野の政秀様は、われらを信じておらんのだろう」
「……」
「だから取り立てる」
「それに、こちらが隠しておると思っている」
男は受け取った米を見た。
「ならば――」
「こちらも、政秀様を信じる必要があるのか?」
誰も、それを否定しなかった。
その日の帰り道。
宍粟の男たちは、受け取った米を積んで山道を戻っていた。
「……隠しておくか」
誰かが言った。
「何を?」
「米だ」
「龍野から取り立てが来るだろう」
「ならば、見せなければよい」
男たちは顔を見合わせる。
これまでは、取り立てを求められれば、仕方なく出していた。
だが――今は違う。
黒田へ鉄鉱石を持っていけば、必要な米を手に入れられる。
ならば、わざわざ手元の米を政秀へ渡す必要があるのか。
「蔵を一つ空にしておこう」
「隠すのか?」
「全部ではない」
「少しだけ残しておけば、足りぬと言える」
誰かが笑った。
「……いつから、我らはこんなことを考えるようになった?」
誰も答えなかった。
ただ、皆が同じことを考えていた。
龍野の政秀に従うことが、以前ほど当たり前ではなくなっている。
そして――
「黒田には、また頼もう」
その言葉に、今度は誰も異を唱えなかった。
その頃、龍野。
政秀のもとへ、宍粟からの報せが届いていた。
「宍粟より、鉄鉱石がまた中播磨へ送られております」
政秀は顔をしかめる。
「……またか」
「はい」
「では、宍粟へ伝えよ」
「何を?」
「銭でもよい。米でもよい。その他、徴収できるものがあるなら出せ、と」
使者が下がる。
しばらくして、宍粟から返事が届いた。
「……ございません」
「何?」
「もう、出せるものはないとのことです」
政秀は眉をひそめた。
「では――」
鉄鉱石を中播磨へ送っていることを思い出す。
「なぜ鉄鉱石を送っておる?」
「それは、商いだと」
「商い?」
政秀は低く笑った。
「鉄鉱石を売っておいて、何もないだと?」
「はい。本当にないとのことで……」
政秀は黙り込む。
――隠している。
そうとしか思えなかった。
「そなたら……小寺に寝返ったのか?」
「いえ! そのようなことは――」
「ならば、なぜ出さぬ?」
「本当に、もうございません」
政秀は相手を睨みつける。
「……そうか」
しばらくして、吐き捨てるように言った。
「本当に出さぬのだな」
「……はい」
使者が去ったあと、政秀は一人、宍粟の方角を見る。
――あの者ども。
鉄鉱石を売っている。
ならば、何かを得ているはずだ。
銭か。
米か。
それとも――。
「隠しておる」
その疑念だけが、政秀の中に残った。




