SS 高岡の貯金
高岡へ戻ってきた官兵衛は、源蔵と話をしていた。
「源蔵」
「はい」
官兵衛は、ふと思い出したように尋ねる。
「姉上が、高岡の貯金を使ったと言っていたが……」
「はい」
「……あれは、本当に酒になったのか?」
源蔵は、少しだけ困ったような顔をした。
「飲み会は、しましたな」
「やはりか……」
官兵衛はため息をつく。
だが、源蔵は首を横に振った。
「ですが、それだけではございません」
「……え?」
官兵衛が源蔵を見る。
「では、何に使ったのだ?」
源蔵は少し考えてから答えた。
「農具を買いました」
「……農具?」
「はい。村の者たちに貸し与えるために」
官兵衛は目を瞬かせる。
「姉上が?」
「左様です」
「それだけではない?」
「ええ」
源蔵は続ける。
「利水のための普請にも使います」
「利水まで……」
官兵衛は高岡の周囲へ目を向けた。
「だが、なぜ高岡でそんなことを?」
源蔵は答える。
「砥堀の村で行われている、松姫様の農業改革を高岡にも入れてくれ、と」
「……」
「そのために必要な金だったのでございます」
官兵衛は黙って高岡を見た。
「……なんだ」
「はい?」
「開発か……」
源蔵は頷いた。
「左様でございます」
官兵衛は、改めて高岡を見渡した。
「しかし、わたしは、高岡の金を姫路へ返すために貯めていたはずだが?」
「左様です」
「ならば、なぜ使えた?」
源蔵は頷いた。
「姫様が立て替えてくださったからです」
「……ああ」
官兵衛は思い出した。
松が言っていた。
高岡の金を使うことにしたから、姫路の蔵へ返す分は自分が立て替えた。
「それで?」
「返済の猶予も、緩くしてくださいましたゆえ」
「……なるほど」
官兵衛は黙る。
返すはずだった金を、松が引き受けた。
そのおかげで、高岡はすぐに金を返す必要がなくなった。
そして、その金を村のために使った。
「つまり……」
官兵衛は高岡を見る。
「高岡の貯金を使ったのではなく、高岡を作るために使ったということか」
「左様でございます」
源蔵は頷いた。
「飲み会も、その一つではありますが」
「……そこは本当にやったのだな」
「はい」
官兵衛は少しだけ呆れた顔をした。
「姉上らしい……」
「それだけではございません」
「まだあるのか?」
源蔵は少し間を置いてから言った。
「姫様は、夢前川に橋を架けたほうがよいとも申されておりました」
「……橋?」
「はい」
源蔵は頷いた。
「夢前川に橋を架けたほうがよい、と」
官兵衛は黙って考える。
ふと、父・職隆が小寺の評定で口にしていたことを思い出した。
青山、広畑。
その地の在地衆をまとめる。
「父上が言っていた……」
「何をでございます?」
「青山と広畑の在地の者たちをまとめる話だ」
官兵衛は夢前川の流れを思い浮かべる。
「そのための橋か……」
「おそらく」
「ゆくゆくは橋をと」
源蔵が答える。
「人が行き来できねば、まとめるにも不便ですからな」
官兵衛は黙った。
高岡の農具。利水の普請。新田の開発。
そして橋。
一つ一つは別の話に見える。
だが、繋げてみれば,
「……姉上は、高岡の開発を急がせているのか」
「左様です」
官兵衛は、しばらく高岡を眺めていた。
「なにゆえ……」
そして、ふと口にする。
「……私のためか」
源蔵は答えない。
官兵衛は苦笑した。
「私が、弱いから……」
自分だけでは足りない。
ならば、その後ろを強くする。
高岡を豊かにし、人を集め、道を繋ぐ。
それが、いずれ自分の力になる。
「……姉上らしいな」
源蔵が静かに続けた。
「それと、もう一つ」
「まだあるのか?」
「姫様は、高岡に市を置いたほうがよいとも申されておりました」
「……市まで?」
官兵衛は、高岡を見渡した。
そして、呆れたように笑った。
「……本当に、どこまで先を見ているのだ。あの人は」
官兵衛は苦笑した。
源蔵は何も言わず、高岡を眺めている。
しばらくして、官兵衛が口を開いた。
「私はてっきり、高岡の貯金が酒になって、農民の腹の中へ消えたのだと思っていた」
「飲み会は、確かにございましたがな」
「そこは認めるのか……」
官兵衛は呆れたように笑う。
だが、もう分かっている。
農具も。
利水の普請も。
橋も。
市も。
すべて高岡を強くするためのものだ。
そして、その金を使えるようにしたのは――松だった。
「……姉上は、高岡を強くしてくる」
「はい」
「私が、ここを使うことになるからか」
源蔵は、静かに頭を下げた。
官兵衛は高岡を見た。
「ならば……」
小さく息を吐く。
「私も、強くならねばならんな」
源蔵は微笑んだ。
「それを聞けば、姫様もお喜びになるでしょう」
「……そうか?」
「はい」
官兵衛は少しだけ笑った。
「なら、姉上には言うな」
「なぜです?」
「言えば、また何か始めるだろう」
源蔵も笑った。
高岡には、まだ橋もない。
市もない。
開発も始まったばかりだ。
それでも
ここには、松が官兵衛のために積み上げ始めたものがある。
官兵衛は振り返る。
「さて、姉上に借金を返すためにも、働くとするか」
「左様ですな」
二人は高岡の道を歩き始めた。




