第11話 堺土産
堺から播磨へ戻った官兵衛たちは、姫路の城へ戻ってきた。
城内へ入ると、松が出迎える。
「おかえり、官兵衛」
「ただいま戻りました、姉上」
松は官兵衛の顔を見る。
堺へ送り出したときよりも、少しだけ表情が違うように見えた。
「堺はどうだった?」
「いろいろと見てきました」
「そう」
松は頷く。
「なら、土産話を聞かせてもらおうかしら」
「はい」
官兵衛は答えた。
そして、ふと思い出したように懐へ手を入れる。
「そうだ、姉上」
「なに?」
官兵衛は小さな包みを取り出した。
「これを」
松は包みを受け取った。
「私に?」
「はい。堺の土産です」
松は少し嬉しそうに包みを開く。
そして――。
**ころん。**
手のひらに落ちたのは、小さなビードロの玉だった。
松はそれを見つめる。
「…………」
官兵衛も黙っている。
しばらくして、松が顔を上げた。
「……これだけ?」
「はい」
「堺まで行って?」
「はい」
松はもう一度、手の中のビードロを見る。
そして官兵衛を見る。
「…………官兵衛」
「はい」
「**私が渡した小遣いは?**」
官兵衛の視線が、わずかに泳いだ。
「……使いました」
「何に?」
「人に」
「…………」
松の眉が上がる。
「人に、使った?」
「はい」
「誰に?」
官兵衛は少し言いにくそうに答えた。
「浪人です」
「……浪人?」
「二日、飯を食べていないと言っていたので」
松はしばらく官兵衛を見つめる。
そして、手のひらのビードロ玉を見る。
「……それで?」
「それで、銭を渡しました」
「私が渡した小遣いを?」
「はい」
「全部?」
「……はい」
松は目を閉じた。
「…………なんだこいつ」
官兵衛は何も言えない。
その横で、武兵衛が咳払いをした。
「それは、松様に小遣いをいただいたので……」
松が武兵衛を見る。
「あなたは?」
「もちろん、買ってまいりました」
武兵衛が持っていた包みを差し出す。
「こちらです」
「何かしら?」
松が包みを開く。
中から出てきたのは、丁寧に包まれた反物だった。
「これは……」
「姫様に似合うかと思いまして」
松が反物を広げる。
落ち着いた色合いの生地が、板間の上に広がった。
松はしばらく眺める。
「……いい色ね」
「はい。堺で見かけたとき、姫様なら似合うだろうと思いまして」
松は反物から顔を上げる。
そして官兵衛を見る。
官兵衛の手には、ビードロの玉が一つ。
武兵衛の手には、松のために選んだ反物。
松は二人を交互に見た。
「……官兵衛」
「はい」
「武兵衛を見習いなさい」
「……はい」
官兵衛は素直に頷いた。
だが、その顔にはまだどこか納得していないところがある。
松はそれを見逃さなかった。
「それで?」
「はい?」
「堺では、何を見てきたの?」
官兵衛は少し考えた。
「町を見て回りました」
「それだけ?」
「……荒木村重という浪人に会いました」
松の手が止まった。
「荒木村重?」
「はい」
官兵衛は、堺の町外れで野盗が出たこと、鐘が鳴ったこと、そして村重と出会ったことを話した。
「二日も飯を食べていないと言うので、飯を食わせました」
「そう」
「それから、少し話をしまして」
松は黙って聞いている。
官兵衛は、村重の言葉を思い出した。
――おれは必ず、一国一城の主になる。
そして、与助と武兵衛を見て、
――官兵衛殿は、いい家臣をお持ちだ。
あの言葉が、妙に心に残っている。
「……姉上」
「なに?」
「私には、いい家臣がいるのですね」
松は少し意外そうに官兵衛を見る。
「今さら気づいたの?」
「……はい」
与助が小さく笑った。
武兵衛も、
「今さらでございますな」
と頷く。
官兵衛は少し気まずそうに二人を見る。
「……うるさい」
松はそんな官兵衛を見て、ほんの少し笑った。
「なら、堺へ行った意味はあったようね」
「はい」
官兵衛は頷く。
そして松の手の中にあるビードロの玉を見る。
「それと……」
「なに?」
「その玉ですが」
「ええ」
「それは、堺で見つけたときに、姉上に似合うと思って買いました」
松は一瞬、目を丸くした。
「……そう」
官兵衛は少し照れたように視線を逸らす。
「だから、土産としては、それで十分かと」
松はビードロの玉を光にかざした。
「そうね」
そして小さく笑う。
「十分よ」
松はビードロの玉を指先で転がした。
「それで、堺では他に何かあった?」
官兵衛は少し考える。
「そうですね……」
そこで、与助へ目を向けた。
「与助。姉上から頼まれていたものは?」
「はい」
与助が一礼する。
「鉄砲でございます」
松の表情が変わる。
「集まった?」
「五十挺すべてではございません」
「そう」
「ですが、先に集められたものを五挺ほど」
与助の合図で、家臣が包みを運び込む。
松は中を確認する。
「五挺……」
「はい。残りは引き続き探しております」
「鍛冶師のほうは?」
「そちらも何人かに話を持ちかけております」
「そう。なら、まずは十分ね」
官兵衛が鉄砲を見る。
「本当に五十挺も集めるのですか?」
「ええ」
「そこまで必要ですか?」
松は官兵衛を見る。
「必要だから頼んだのよ」
それだけだった。
官兵衛は、それ以上は聞かなかった。
堺へ行く前なら、もっと疑問に思っただろう。
だが今は、松が何かを始めるときには、それなりの理由があるのだと少し分かってきた。
松は鉄砲から視線を外し、ふと思い出したように官兵衛を見る。
「そういえば」
「はい?」
「私が留守の間、高岡のことは聞いた?」
「高岡ですか?」
「ええ」
官兵衛は首を傾げる。
「何かあったのですか?」
「特に問題はないわ」
松は何でもないように答える。
「ただ、高岡で少し飲み会を開いたの」
「…………」
官兵衛の顔が止まった。
「……飲み会?」
「ええ」
「何のために?」
「砥堀の村民と、高岡の近隣の村民を集めてね」
松は、それ以上詳しく説明しない。
官兵衛はしばらく考える。
「それで……高岡の貯金を使ったわ」
「…………」
「姫路の蔵へ返すために貯めていたお金でしょう?」
「はい」
松は平然と頷く。
「だから、私が立て替えるから使っていいと言ったの」
官兵衛は絶句した。
「……姉上」
「なに?」
「それは……」
官兵衛は頭を抱える。
「**私の知らないうちに、高岡の借金が姉上への借金にすり替わったということでは?**」
松は少し考える。
「そういうことになるわね」
「…………」
官兵衛は遠い目をした。
**(高岡が貯めていた金が、村民の腹の中に酒になって入った……)**
松はそんな官兵衛を見て、首を傾げる。
「何か問題?」
「……いえ」
官兵衛は諦めたように答えた。
「姉上らしいと思っただけです」
官兵衛は、しばらく黙っていた。
松はそんな官兵衛を見ながら、手にしたビードロの玉を光にかざしている。
「……まあ、いいわ」
「姉上?」
「高岡のことは、源蔵に任せてあるもの」
「源蔵殿に?」
「ええ。何にいくら使ったかは、あの人が把握しているわ」
官兵衛は少し安心した。
「それなら、私が気にすることでもないですね」
「そういうこと」
松はビードロの玉をもう一度見る。
「それより――」
「はい?」
「この玉、本当に私への土産なの?」
「もちろんです」
「なら、ありがたくもらっておくわ」
官兵衛が少し笑う。
「はい」
その横で、武兵衛が反物を片付けている。
松はそれを見て、
「武兵衛もありがとう」
「いえ。姫様に似合うと思ったものを選んだだけです」
「そう」
松は嬉しそうに反物を眺める。
そして五挺の鉄砲へ目を向けた。
「与助」
「はい」
「残りも急がせて」
「承知しました」
「ただし、無理はしなくていいわ。良いものが集まったものから順に送ってもらいましょう」
「かしこまりました」
官兵衛はその様子を見ていた。
堺から帰ってきた。
土産を渡した。
鉄砲も届いた。
高岡では、松がまた何かをしていた。
そして自分は――。
ふと、村重の顔を思い出す。
**『おれは必ず、一国一城の主になるからな』**
官兵衛は小さく笑った。
「……姉上」
「なに?」
「堺へ行かせてくれて、ありがとうございました」
松は少しだけ目を細める。
「どういたしまして」
それだけだった。
だが官兵衛は、以前とは少し違う顔をしていた。
まだ、お辰のことを忘れたわけではない。
けれど。
**自分にも、できることがある。**
そう思えるようになっていた。
松はそんな弟を見て、手の中のビードロの玉を握る。
「さて」
「はい?」
「次は何をさせようかしらね」
「……え?」
官兵衛の顔が引きつった。
松は笑った。




