第4話 砥堀の宴
浦上の嫁をめぐる話し合いから、五日。
小寺政職をはじめ、櫛橋左京亮伊定、江田、小河の小寺家臣。
そして黒田職隆と、松の養父である休夢。
六人は、砥堀の黒田屋敷へとやって来ていた。
松が自ら接待すると言い出した、その約束の日である。
屋敷の前まで来ると、松が出迎えた。
「ようこそお越しくださいました」
深く頭を下げる。
政職が頷く。
「うむ。本日は世話になる」
「こちらへどうぞ」
松に案内され、一行は屋敷の中へ――と思ったところで、松は庭のほうへ足を向けた。
「まずは庭をご覧ください」
「庭?」
政職が少し意外そうな顔をする。
「はい。せっかく砥堀までお越しいただきましたので」
六人は松について庭へ出た。
そして――。
政職が足を止めた。
「……これは」
そこには、大きな池があった。
池といっても、魚が泳いでいるわけではない。
水が絶えずどこかから流れ込み、その水を受けるように小さな水車が置かれている。
くるくる。
くるくる。
水を受けて、水車が回っている。
その周囲には木々や草花が植えられ、池のそばには丸い卓と椅子が置かれている。
その上には、和傘を大きく開いたような日除けまである。
「……妙な庭だな」
江田が思わず呟いた。
小河も周囲を見回す。
「池があるのに、魚はいないのですな」
「はい」
松は平然と答える。
「魚を飼うための池ではございませんので」
「では、何のために?」
松は池へ目を向ける。
「水を溜めておくためです」
政職が水車を見る。
「では、あの水車は?」
「水の流れを利用して回しているだけです」
「だけ?」
「はい」
あまりにもあっさり言うので、政職は少し拍子抜けした。
そのとき、伊定が池のほうへ近づいた。
水の流れを目で追う。
「松姫」
「はい」
「この水は、どこから引いている?」
松が池の奥を指した。
「こちらの下にございます小川からです」
「小川?」
「はい」
休夢が横から口を挟む。
「市川へ流れ込む小川の一つじゃ」
伊定が頷いた。
「ああ……なるほど」
伊定は改めて水の流れを見る。
「では、この水車も、その小川の水を利用しているのか」
「そうでございます」
「なるほどな」
政職は、しばらく水車を眺めていた。
その横では、風が吹くたびに小さな風車が回っている。
「……あれは何だ?」
「風車でございます」
「それは見れば分かる」
政職が苦笑する。
「何に使う?」
「特には」
「特には?」
「回ると面白いので」
「……」
一同が沈黙する。
休夢が小さく笑った。
「松らしいの」
政職は呆れたように庭を見渡した。
水車が回る。
風車が回る。
水が流れる。
木々が風に揺れる。
椅子まで置かれている。
「……まあ、悪くはない」
そう言ったところで、松が振り返った。
「では、こちらで少しお遊びになりませんか?」
「遊ぶ?」
松が女中から何かを受け取る。
竹ひごを骨組みにし、薄い紙を張ったものだった。
「これは?」
「紙飛行機でございます」
「飛行機?」
松は笑う。
「こうして飛ばします」
松が軽く腕を振る。
紙の翼が風を受け――。
すっと空へ舞い上がった。
「……おお」
小河が声を漏らす。
紙は少しずつ高度を落としながら、庭の向こうへ滑っていく。
政職はそれを目で追った。
「……飛ぶには飛ぶな」
江田も腕を組む。
「鷹のように飛ぶわけではありませんな」
「はい」
松は頷いた。
「ただの玩具でございますので」
六人の視線が松に集まった。
松は微笑んでいる。
やがて政職が、
「……まあ」
と呟いた。
「まずは飯を楽しみにするとしよう」
「はい」
松は一礼した。
「では、皆様。ごゆっくりお過ごしくださいませ」
そう言って、松は屋敷の中へ戻っていった。
庭に残された六人は、しばらく黙っていた。
やがて江田が口を開く。
「……接待とは、庭を見せるところから始まるのですな」
政職は水車を眺めながら答えた。
「そうらしい」
くるくる。
水車だけが、何事もなかったように回り続けていた。
松が屋敷の中へ戻ってからも、六人はしばらく庭に残っていた。
くるくると回る水車。
風が吹けば回る風車。
水の流れる音。
庭の隅に植えられた木々。
政職は丸卓の椅子へ腰を下ろした。
「……なんとも妙な庭だな」
「ええ」
江田も腰を下ろす。
「池まで作ってあるのに、魚を飼っているわけでもない」
小河は水車を眺めている。
「水車も、何かを挽いているわけではないようですな」
「ただ回しているだけか」
政職が言う。
休夢が苦笑する。
「松は、ああいうものが好きなのです」
「好きだから作ったのか?」
「おそらく」
「……変わった娘だ」
政職はそう言ったものの、口元には少し笑みが浮かんでいた。
その横で、伊定は庭を眺め続けていた。
「しかし、あの水は面白い」
「水ですか?」
江田が尋ねる。
「うむ。池を作ること自体は、それほど珍しくない」
伊定は水路のほうを見る。
「だが、あの小川から水を引いて、池へ流し、水車まで回している」
「確かに」
「ただの飾りに見えて、実際には水を使っている」
伊定は少し考える。
「砥堀では、こういうことをあちこちでやっているのか?」
職隆が答えた。
「松が関わったところでは、増えておりますな」
「ほう」
伊定が職隆を見る。
「姫一人が?」
「姫一人ではございません」
職隆は庭を見ながら答えた。
「職人を使い、人を使い、できることから手を入れているだけです」
政職がその言葉を聞いた。
「それで、この庭か」
「はい」
政職は改めて庭を見る。
庭だけではない。
屋敷そのものも、どこか普通とは違う。
だが――。
「しかし、接待というからには、もっと何かあると思っていたがな」
江田が笑った。
「まだ始まったばかりですぞ、殿」
「そうだったな」
政職も笑う。
「結局、接待の良し悪しは飯と酒で決まる」
「それは確かに」
小河が頷いた。
「松姫がどのような料理を出してくるのか、楽しみではありますな」
政職は庭の向こうを見る。
「うむ」
だが、しばらく待っても松は戻ってこない。
「……まだか?」
「料理の準備に時間がかかっているのでしょう」
休夢が答える。
「これだけの人数ですからな」
「六人だけだぞ」
「六人だからこそ、では?」
休夢が笑う。
そのとき、屋敷の中から女中が一人出てきた。
「皆様」
一同が振り返る。
「お待たせいたしております。もう少々、お時間をいただきます」
「そうか」
政職が頷く。
女中は一礼して戻っていった。
江田が苦笑する。
「ずいぶん丁寧ですな」
「まあ、今日は松姫が自ら接待すると言っておるのだ」
政職は椅子へ深く腰を下ろす。
「待つとしよう」
しばらくして、風が吹いた。
庭の風車が回る。
水車も回る。
政職はそれを眺めながら、ふと思った。
「……しかし」
「はい?」
職隆が振り返る。
「ここは静かだな」
「そうですな」
「御着とは違う」
政職は小さく息を吐いた。
戦のことも。
赤松のことも。
浦上との同盟のことも。
今だけは、頭から離れていた。
伊定も庭を見ながら、
「こういう場所であれば、客を迎えるのも悪くありませんな」
と言う。
休夢が笑う。
「松は、そういうところまで考えておるのでしょう」
「なるほど」
政職は頷いた。
しかし、まだ彼らは知らない。
この庭も。
この水車も。
この風車も。
そして、これから出される料理も。
すべてが、松にとっては一つの「接待」ではなく――
**砥堀という土地を見せるための一部だった。**
やがて屋敷の奥から、かすかに炭の爆ぜる音が聞こえてきた。
政職が顔を上げる。
「……始まったようだな」
江田が笑った。
「いよいよですな」
六人は、屋敷の中へ呼ばれるのを待った。
やがて、屋敷の奥から女中が姿を見せた。
「皆様、お待たせいたしました」
「おお、ようやくか」
政職が立ち上がる。
「お食事の準備が整いました。こちらへどうぞ」
六人は女中に案内され、屋敷の中へ入った。
通されたのは、広い客間だった。
中央には、大きな一枚板の卓が置かれている。
脚も高く、立派な造りだ。
政職が思わず卓へ手を置く。
「……これは、なかなかの板だな」
江田も横から見る。
「一枚板ですな」
「この大きさのものを、よく見つけたものだ」
職隆は苦笑した。
「松が気に入った板が入ったので、職人に作らせたものです」
「ほう」
政職は卓を撫でる。
「砥堀には、こういうものまであるのか」
「板そのものは、どこにでもあるでしょう」
職隆が答える。
「ただ、松が見つけて、職人に作らせただけです」
「なるほど」
六人が卓の前へ座る。
松はその向かいに立った。
その後ろには料理人と女中たちが控えている。
松が一礼した。
「本日は、遠いところをお越しいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、世話になる」
政職が答える。
「それでは――」
松が後ろを振り返る。
料理人へ小さく頷く。
「お願いします」
「承知しました」
料理人が動き始めた。
松もその隣へ移動する。
「では、前菜から」
女中たちが一斉に料理を運んできた。
一人ずつの前に、小さな器が置かれる。
わかめ。
茹でた蛸。
酢で和えたもの。
そして、冷やした澄酒。
政職が盃を手に取る。
「ほう」
一口飲む。
「……冷えているな」
「はい」
松が答える。
「少し冷やしてございます」
政職はもう一口飲んだ。
「うむ。暑さが残る時期にはよい」
伊定も料理へ箸を伸ばす。
蛸を一口。
「これは……」
松が振り返る。
「お口に合いましたでしょうか?」
「うむ」
伊定は頷いた。
「酢加減がよい」
「ありがとうございます」
松はそれだけ言うと、すぐ料理人のところへ戻る。
「次のものは?」
「もう少しでございます」
「では、こちらを先に」
「承知しました」
松は料理人と短く言葉を交わす。
それから女中へ、
「こちらをお願いします」
と指示を出す。
女中が頷く。
政職はその様子を眺めていた。
「……」
松は自分で料理を作っているわけではない。
だが、料理人に任せきりでもない。
火加減を見て。
料理の出来を確認して。
盛り付けを見て。
配膳の順番まで決めている。
そして何より――。
客の様子を見ている。
誰が酒を飲んだか。
誰が料理を食べ終えたか。
誰が次の料理を待っているか。
それを見ながら、松が動いている。
櫛橋伊定は、その様子を黙って見ていた。
やがて松が戻ってくる。
「伊定殿」
「ん?」
「お酒は、もう少しいかがですか?」
「……よく見ておりますな」
「皆様のお顔を見ておりますので」
伊定は少し笑った。
「なるほど」
そのとき、料理人が声を上げた。
「松様、鮎が焼きあがります」
「では、お願いいたします」
松が振り返る。
炭火の上では、竹串に刺された鮎が焼かれていた。
ぱちぱちと炭が爆ぜる。
鮎から脂が落ち、香ばしい匂いが立ち上る。
政職が顔を上げた。
「……鮎か」
「はい」
松が頷く。
「焼き物にございます」
料理人が鮎を火から上げる。
松が焼き具合を確認する。
「ちょうどよいですね」
そして女中へ、
「こちらをお願いいたします」
女中が皿を受け取る。
政職の前へ運ばれる。
鮎の香りが漂う。
伊定が鮎を見ながら尋ねた。
「これは、どこの鮎だ?」
松が答える。
「市川の鮎でございます」
「市川?」
「はい」
松は少しだけ説明を加える。
「正確には、市川へ流れ込む小川の上流で取れたものです」
伊定が頷いた。
「ああ……あの辺りか」
「はい」
「なるほど」
伊定は鮎へ箸を伸ばした。
一口食べる。
「……うむ」
今度は、先ほどよりも表情が変わった。
「これはよい」
政職も鮎を口へ運ぶ。
「……確かに」
松はその様子を見て、少し笑う。
「よろしゅうございました」
そして、また料理人のところへ戻っていった。
宴は、まだ始まったばかりだった。
鮎を食べ終える頃には、最初の緊張も少しずつ解けていた。
松は客の様子を見ながら、料理人へ目を向ける。
「次をお願いします」
「承知しました」
料理人が動く。
その横で、別の料理人が何かを切り分け始めた。
政職がそれを見た。
「次は何だ?」
「刺身にございます」
松が答える。
卓へ運ばれてきたのは、鯛の身だった。
そのほかにも烏賊、鮑が並べられる。
「海のものか」
伊定が尋ねる。
「はい」
「この辺りで取れたものではないだろう?」
「飾磨から運ばせました」
「飾磨か」
伊定が頷く。
松は続けた。
「朝、港へ入ったものを選んでおります」
政職が刺身を口へ運ぶ。
「……うむ」
鯛の身は新鮮だった。
酒を一口飲む。
「これは酒に合うな」
「ありがとうございます」
松は一礼する。
だが、そのまま客の前に立っているわけではない。
「次は汁をお願いします」
「はい」
料理人が答える。
松はすぐに女中へ視線を移した。
「こちらが終わりましたら、器を下げてください」
「承知しました」
それからまた料理人のところへ戻る。
伊定はその動きを目で追っていた。
「松姫」
「はい?」
「おぬしは、ずいぶんと世話しなく動くな」
松は少し笑った。
「皆様に気持ちよく召し上がっていただきたいので」
「料理人に任せておけばよいのではないか?」
「料理そのものは任せております」
松は料理人を見る。
「ですが、料理を出す順番や、皆様の食べる速さは料理人には分かりませんので」
「なるほど」
伊定は頷いた。
松は料理を作る者ではない。
**料理を宴にする者なのだ。**
そんなことを考えているうちに、汁物が運ばれてきた。
「こちら、鯛のあら汁でございます」
女中が一人ずつ配膳する。
政職が椀を覗く。
「鯛のあらか」
「はい」
「身だけを使わぬのだな」
松は頷く。
「食べられるところは、できるだけ使います」
政職が汁を飲む。
「……これもよい」
小河が箸で身を探る。
「結構、身が残っておりますな」
「はい」
「ならば、あらでも十分に料理になる」
「その通りでございます」
松は微笑んだ。
その後ろでは、料理人が次の準備を始めている。
今度は魚の身を細かく切っている。
「次は何だ?」
江田が尋ねる。
「こちらは、握りにいたします」
「握り?」
松が頷く。
「はい」
料理人が魚を切り分ける。
松は手を洗い、料理人の隣へ立った。
「こちらを」
「はい」
松が一人分を手に取り、形を整える。
「どうぞ」
政職の前へ置かれる。
「……これも魚か」
「はい」
政職が口へ運ぶ。
「ほう」
先ほどとは違った食べ方に、少し驚いた顔をする。
続いて別の料理が運ばれる。
「茶碗蒸しでございます」
小さな器の蓋が開けられる。
湯気が立ち上る。
「これも……変わったものだな」
江田が匙を入れる。
「卵を蒸しているのか?」
「はい」
松が答える。
「具も入っております」
「なるほど」
一同はそれぞれ口にする。
政職は満腹感を覚えながらも、次々と料理が出てくることに少し驚いていた。
「松」
「はい」
「まだあるのか?」
松は少し笑った。
「まだございます」
「……そうか」
政職は腹をさする。
その様子を見た松が、女中へ小声で指示する。
「次は少し間を置きましょう」
「承知しました」
松は客の食べる速さまで見ている。
そのとき、料理人が別の料理の準備を始めた。
炭火の上へ、鉄板が置かれる。
政職がそれを見る。
「……あれは何だ?」
松が振り返る。
「次の料理にございます」
「肉か?」
「はい」
松は少しだけ笑った。
「猪でございます」
「猪……」
政職の目が少し輝いた。
先ほどまで満腹だと言っていたはずの男たちが、鉄板へ視線を向ける。
松が料理人へ頷く。
肉が鉄板へ置かれた。
じゅううう――。
味噌の香りが一気に広がる。
「……これは」
江田が思わず身を乗り出した。
松は焼け具合を見ながら、
「味噌に漬けております」
と答える。
肉から脂が落ちる。
熱された鉄板の上を油が這う
香ばしい匂いが客間へ広がっていった。
政職は先ほどまでの満腹感を忘れたように、鉄板を見つめていた。
そして松は、また料理人へ声をかける。
「もう少し焼いてください」
「はい」
「焦げすぎないように」
「承知しました」
松は客の前へ戻る。
「もう少々、お待ちくださいませ」
政職は笑った。
「……これは、待てと言われても待てるな」
松も微笑む。
そして、鉄板の上で猪の肉が音を立てて焼けていく。
砥堀の宴は、まだ終わらなかった。
猪の肉が焼き上がる。
松が頃合いを見て、料理人へ声をかけた。
「こちらを」
「はい」
料理人が肉を取り上げる。
松は一切れずつ切り分け、皿へ盛り付けていく。
「どうぞ」
政職の前へ置かれた。
味噌の香ばしい匂いが立ち上る。
政職は箸を伸ばし、一口食べた。
「……うむ」
噛むほどに猪の脂と味噌の味が広がる。
「これは酒が進むな」
「ありがとうございます」
松はすぐに女中へ目を向けた。
「お酒を」
「はい」
盃が満たされる。
江田も猪を口へ運ぶ。
「これはよいですな」
小河も黙々と食べ始めた。
櫛橋は肉を味わいながら、ふと松を見る。
「松姫」
「はい」
「これほどのものを揃えるとなると、食材を集めるだけでも大変ではないか?」
松は少し考えた。
「そうでもございません」
「そうでもない?」
「猪はこちらで手に入りますし、魚は市川や飾磨から運ばせます」
「炭も福崎からだったな」
「はい」
「それを砥堀まで?」
「はい」
松は何でもないことのように答える。
「必要なものを必要なところから運んでおります」
伊定が料理を見渡す。
鮎。
鯛。
烏賊。
鮑。
猪。
そして様々な料理。
「……なるほど」
伊定が呟いた。
「一つ一つは、それほど珍しいものではない」
松が伊定を見る。
「はい」
「だが、こうして一つの卓に並べると、随分なものになる」
「そうですね」
松は微笑んだ。
「播磨には、いろいろなものがございますから」
その言葉に、伊定は少し考え込んだ。
松はまた料理人のところへ戻る。
「次の甘味の準備をお願いします」
「承知しました」
政職がその背中を見ながら言った。
「……あの娘、よく動くな」
職隆が答える。
「いつものことです」
「いつも?」
「自分で何でもやるのではありません」
職隆は松を見る。
「人に任せ、必要なところだけ自分で動くのでしょう」
政職が頷く。
「なるほどな」
そのとき、女中が新しい器を運んできた。
「最後に、甘味でございます」
「まだあるのか……」
小河が腹をさする。
器の中には、柔らかな菓子。
その上に白いクリーム。
さらに赤い木苺が乗っている。
「これは何だ?」
「プリンでございます」
「ぷりん?」
「はい」
政職が匙を入れる。
柔らかな感触。
一口食べる。
「……甘いな」
その上に乗った木苺を食べる。
「む?」
少し酒の香りがした。
「この木苺は?」
「焼酎に漬けております」
「なるほど」
政職はもう一口食べた。
甘さのあとに、木苺の酸味と酒の香りが残る。
「……これもよい」
江田も食べる。
「菓子まで酒に合うようにしてあるのですな」
「はい」
松は頷いた。
「皆様、お酒を召し上がっておりますので」
伊定がふと笑った。
「そこまで見ているのか」
「せっかくの宴ですから」
松はそう答える。
やがて、六人の前の器が空になった。
政職は背もたれへ身体を預ける。
「……腹がきつい」
江田も腹をさする。
「米をそれほど食べていないはずなのですがな」
小河が笑った。
「魚も肉も食べましたからな」
政職は卓を見渡した。
ふと、最初に庭で見た水車を思い出す。
そして今、目の前に並んだ料理。
鮎は市川。
海のものは飾磨。
炭は福崎。
猪はこの辺り。
それぞれ別の場所から運ばれ、ここで料理になった。
「……松姫」
「はい」
「今日の料理、どれも播磨のものなのか?」
「はい」
松は答えた。
「手に入るものを使っております」
「そうか……」
政職はしばらく黙った。
唐物でもない。
珍しい異国の食材でもない。
それなのに――。
「……なんだろうな」
政職は腹をさすりながら呟いた。
「まるで、この世の贅を食い尽くしたような気分だ」
伊定も静かに頷いた。
「私も同じことを思っておりました」
松は少し笑った。
「それなら、よかったです」
そして松は料理人へ目を向ける。
「では、少し休憩にいたしましょう」
六人は一斉に安堵した。
しかし――。
まだ、酒が残っている。
そして、この宴の本当の山場は、これからだった。
食事が終わると、女中たちが一斉に器を下げ始めた。
政職は座ったまま、大きく息を吐く。
「……食った」
江田も腹をさする。
「これは、さすがに食べすぎましたな」
「米をそれほど食べた覚えはないのだがな」
小河が笑う。
「魚に肉に、最後は甘味までございましたから」
「うむ……」
政職は満足そうに腹を撫でた。
その様子を眺めていた伊定が、ふと休夢へ顔を向けた。
「休夢殿」
「はい?」
「少し気になったことがある」
「なんでしょう?」
伊定は先ほどまでの料理を思い返す。
「この屋敷では、普段からあのような料理を?」
「まさか」
休夢は即答した。
「今日のは、松が張り切っておるだけです」
「そうなのか」
「普段は、もっと質素ですぞ」
政職が横から口を挟む。
「では、今日だけでこれほどのものを揃えたのか?」
「はい」
休夢は頷いた。
「しかし……」
伊定が庭のほうを見る。
水車。
池。
風車。
立派な屋敷。
そして、今日の宴。
「砥堀とは、これほど豊かなところだったか?」
休夢が少し笑う。
「昔からこうだったわけではありませんよ」
「では?」
「松がいろいろ手を入れましてな」
「松が?」
「はい」
伊定は職隆を見る。
「職隆殿」
「はい」
「砥堀は、どの程度の所領だった?」
職隆は少し考える。
「もともとであれば、百五十石ほどと聞いております」
「百五十石……」
伊定が改めて屋敷を見渡す。
「それで、この屋敷か?」
職隆は首を横に振る。
「今は違います」
「ほう?」
「砥堀だけでも、今では千三百石ほどまで開発が進んでおります」
「……千三百」
江田が思わず聞き返した。
「百五十ではなく?」
「はい」
「それほどまでに?」
「はい」
職隆は淡々と答えた。
「桑を植え、畑を開き、水を引き、土地を整えました」
「それだけで?」
「それだけではありません」
職隆は続ける。
「作ったものを売る」
「売る?」
「はい」
「つまり、米だけではないのか」
「ええ」
桑。
繭。
布。
椎茸。
薪。
炭。
加工品。
そして、商人との取引。
今日の食卓に並んだものも、すべてが単純に砥堀で取れたものではない。
市川の鮎。
飾磨から運ばれた海産物。
福崎の炭。
そして、それらを砥堀へ運ぶ人々。
伊定は黙って聞いていた。
「……なるほど」
小河が呟く。
「石高だけを見ていては、分からぬということですな」
伊定は頷いた。
「そういうことだ」
伊定は今日一日のことを思い返した。
庭。
水路。
水車。
料理。
食材。
炭。
職人。
女中。
そして松。
一つ一つだけを見れば、大したことではない。
だが、それらが組み合わさると――。
「一つの屋敷というより……」
伊定が言葉を止める。
政職が見る。
「なんだ?」
「一つの仕組みですな」
その言葉に、職隆がわずかに目を細めた。
伊定は続ける。
「水を引く者がいる」
「木を育てる者がいる」
「炭を作る者がいる」
「食材を運ぶ者がいる」
「料理をする者がいる」
「それを客へ出す者がいる」
そして、その全体を見ている者がいる。
伊定の視線が、屋敷の奥へ向いた。
「……松姫が」
職隆は答えなかった。
ただ、静かに頷いた。
政職はしばらく黙っていた。
やがて、
「面白いな」
と呟いた。
「はい?」
江田が顔を向ける。
政職は庭を見る。
「百五十石の土地を、千三百石までにしたのだろう?」
「砥堀だけで、という話なら」
「ならば――」
政職は少し笑った。
「黒田の領地全体で、同じことができるのではないか?」
職隆が顔を上げた。
その言葉に、伊定も反応する。
政職は続けた。
「姫路にも、このやり方を持っていけるのではないか?」
職隆は、庭を見る。
今日見たものを思い出す。
水。
木。
桑。
職人。
料理人。
商人。
そして、それらを繋げていく松。
「……確かに」
職隆は呟いた。
「砥堀でできるのであれば、姫路でできぬ理由はありません」
伊定が頷く。
「これは、黒田家にとって大きな力になりますな」
政職は満足そうに笑った。
「なるほどな」
そして、松が先ほど言った言葉を思い出す。
> 「播磨には、いろいろなものがございますから」
政職は庭を眺めながら、
「……なるほど」
もう一度、そう呟いた。
松が見せたのは、豪華な料理だけではなかった。
**この土地には、まだ使えるものがいくらでもある。**
それをどう組み合わせるか。
それをどう人に使わせるか。
その結果、土地そのものを豊かにできる。
政職は、少しだけ考え込んだ。
「……松姫という娘」
「はい」
「嫁に出すには、惜しいな」
その言葉に、職隆は何も答えなかった。
すると、襖の向こうから女中が現れた。
「皆様、お食事の後に、少しお休みになられますか?」
政職は腹をさすった。
「うむ。少し休ませてもらおう」
「では、こちらへ」
六人は別の座敷へ案内された。
それぞれが座布団へ腰を下ろす。
「いやあ……」
江田が背を伸ばす。
「これは食べましたな」
「うむ」
小河も腹を撫でる。
「これほど米を食わずに腹が膨れるとは」
「魚に肉に甘味まであったからな」
政職も笑う。
すると、襖が開いた。
女中が盆を持って入ってくる。
その上には、徳利が一本。
「酒か?」
政職が尋ねる。
「はい」
女中は一礼した。
「姫様より、こちらをお出しするよう申しつかっております」
休夢が徳利を見た瞬間、目を見開いた。
「……これは」
「どうした休夢?」
政職が聞く。
休夢は徳利から目を離さない。
「松秘蔵の焼酎ではないか」
「そうなのか?」
「はい」
休夢は苦笑した。
「これは、わしにも滅多に出してくれぬものですぞ」
「ほう」
政職の目が輝く。
女中が盃へ酒を注ぐ。
透明な酒だった。
そして――。
別の女中が小さな器を持ってきた。
政職の盃へ、白く透き通ったものを入れる。
「……これは?」
「氷でございます」
「氷?」
政職が目を見開く。
「この時期に?」
「はい」
政職は休夢を見る。
「まだ氷室に残っておったのか?」
「そうなのでしょうな」
休夢はため息をつく。
「しかし、松がこれを出せと言ったのか?」
「はい」
「……今日は本当に張り切っておりますな」
政職は氷の浮いた酒を眺めた。
一口。
「……」
喉を焼くような強さ。
だが、その後に残る香りは心地よい。
「これは……」
政職はもう一口飲んだ。
「うまい」
江田も飲む。
「確かに強い」
小河も盃を置く。
「これは効きますな……」
櫛橋は笑った。
「殿、ほどほどになされませ」
「分かっておる」
そう言いながら、政職はまた飲んだ。
休夢が苦笑する。
「それほど飲まれますと、後が大変ですぞ」
「これほどの酒だ。飲まずに帰るほうが惜しい」
その言葉に、職隆も思わず笑った。
やがて酒が回り始める。
先ほどまでの評定の緊張は、すっかり消えていた。
そのとき。
どこからともなく、楽の音が聞こえてきた。
政職が顔を上げる。
「……なんだ?」
襖の向こうに、明かりが灯る。
そして、ゆっくりと襖が開いた。
その先に、小さな舞台が用意されている。
そこへ――。
松が現れた。
「……松か?」
政職が呟く。
松は六人へ向かって一礼した。
「本日は遠いところまでお越しいただきましたので」
「最後に、もう一つお楽しみいただければと思います」
楽の音が続く。
松が舞い始める。
先ほどまで料理人の横で火加減を見ていた娘。
女中へ指示を出していた娘。
鮎を盛り付けていた娘。
それと同じ人物とは思えない。
政職は盃を持ったまま、黙って舞を見ていた。
「……見事だな」
伊定も静かに頷く。
「ええ」
酒が、また進む。
一杯。
もう一杯。
舞を見ながら、また一杯。
政職の頬が赤くなる。
江田もすっかり酔いが回っている。
小河はすでに目が半分閉じている。
休夢が職隆を見る。
「兄者」
「なんだ」
「これは、完全に松の思惑通りではないか?」
職隆は舞台を見る。
「……何のことだ?」
「我ら、松の価値を見に来たはずですぞ」
「そうだったな」
「今では誰もそんなことを考えておらぬ」
職隆は盃を見る。
「……確かに」
その間にも、松は舞い続ける。
やがて舞が終わる。
松が深く頭を下げる。
政職も満足そうに手を叩いた。
「見事だった」
「ありがとうございます」
松は一礼し、舞台の奥へ下がっていく。
しかし、宴はそこで終わらなかった。
酒が残っている。
政職が盃を差し出す。
「もう一杯」
女中が注ぐ。
江田も、
「私にも」
小河も、
「こちらにも……」
と続く。
休夢が呆れたように眺めている。
「皆様、明日の朝は知りませんぞ」
「よい」
政職が笑う。
「今日くらいは」
やがて――。
一人。
また一人。
身体が横へ傾いていく。
「……眠い」
小河が呟く。
江田も、
「私も……」
政職はまだ起きていた。
だが、目はすでに重い。
「……松め」
「はい?」
いつの間にか松がそばに来ている。
「なかなか……やるではないか」
松は微笑む。
「ありがとうございます」
政職はそれだけ言って、目を閉じた。
ほどなくして、六人のいる座敷には寝息が響き始めた。
**接待に来たはずの六人は、酒と舞にすっかり飲み込まれていた。**
翌朝。
障子の隙間から差し込む朝の光に、政職はゆっくりと目を開けた。
「……」
頭が重い。
喉も渇いている。
昨夜、どれほど飲んだのか。
政職は額へ手を当てた。
「……飲みすぎた」
隣の部屋からも、呻き声が聞こえる。
「うう……」
「頭が……」
「水を……」
江田と小河も起きているらしい。
やがて女中が入ってきた。
「お目覚めになりましたか?」
「……水をくれ」
「はい」
水を飲み干す。
少しだけ頭が軽くなった。
そこへ松がやってきた。
「皆様、お目覚めになられましたか?」
政職は松を見る。
「……松姫」
「はい」
「昨夜は……」
「はい?」
「いや、何でもない」
政職は頭を振った。
「それより、まだ頭が重い」
「それでしたら」
松が微笑む。
「朝風呂はいかがでしょう?」
「朝風呂?」
「はい」
政職は少し考える。
「……入れるのか?」
「もちろんでございます」
こうして六人は、松に案内されて庭へ出た。
そして――。
政職が足を止める。
昨日まで、ただ大きいだけだと思っていた池。
そこから、白い湯気が立ち上っている。
「……これは?」
「お湯でございます」
「池が?」
「池ではございません」
松は平然としている。
「湯を張っております」
政職は思わず近づいた。
「本当に?」
「はい」
手を入れてみる。
温かい。
「……これはよい」
六人は次々と湯へ入った。
「はあ……」
政職の口から、思わず声が漏れる。
「これは……」
昨日の酒が身体から抜けていくようだった。
「気持ちよいな」
櫛橋も湯へ浸かる。
「これは朝から贅沢ですな」
休夢が苦笑する。
「昨日からずっと贅沢続きですがな」
「それを言うな」
政職が笑う。
しばらく湯に浸かっていると、今度は女中がやってきた。
「お上がりになりましたら、こちらへどうぞ」
湯から上がる。
その先には台が用意されていた。
「こちらでお身体をお休めください」
政職が横になる。
女中が油を手に取り、
「お身体をお揉みいたします」
「……そこまで?」
「姫様のご指示でございます」
「そうか……」
肩を揉まれる。
背中を揉まれる。
昨夜の疲れと酒が抜けていく。
そこへ大きな扇が持ち込まれた。
ぱた、ぱた、と風が送られる。
湯で温まった身体に、朝の風が心地よい。
「……」
政職は目を閉じた。
「ここは……」
休夢が横で呟く。
「極楽浄土じゃの」
「……同感だ」
政職はまた湯へ入った。
しばらくして暑くなる。
上がって風に当たる。
また湯へ入る。
それを何度か繰り返した。
やがて――。
政職が湯船の縁へ腕を置いた。
「……さすがに、もう湯にも飽きたな」
六人は屋敷へ戻った。
客間へ通される。
全員、座敷に横になった。
起き上がるのも面倒だった。
「……帰るのが面倒だ」
江田が呟く。
「私もです」
小河も答える。
政職は天井を見る。
昨日の宴。
料理。
酒。
舞。
そして今朝の風呂。
頭の中に、松の屋敷で過ごした時間が浮かぶ。
しばらく沈黙したあと――。
政職が職隆へ顔を向けた。
「職隆」
「はい」
「松は、行かさんでよい」
職隆は少し驚いた。
「……よろしいので?」
「うむ」
政職は横になったまま答える。
「ほかの者を用意できるのだろう?」
「探せば、おります」
「ならば、それでよい」
職隆は頭を下げた。
「承知いたしました」
政職は少し考える。
そして、
「……あと二日、ここにいたい」
職隆が顔を上げる。
休夢が思わず政職を見る。
「殿?」
「なんだ」
「二日ですか?」
「うむ」
政職は当然のように答えた。
「松に頼めるか?」
休夢は天井を見上げた。
そして、小さく息を吐く。
「……これは、もう接待ではありませんな」
誰も否定しなかった。
砥堀の屋敷には、まだ朝の風が吹いていた。




