第五話 高友叔父様のもとへ
砥堀に着くと、井上之正が馬を止めた。
「松姫様、こちらでございます」
「ここが……」
私は馬の上から周囲を見回した。
ここまで来るのに、思っていたより時間がかかった。
城を出て、田畑を抜け、道を進んで。
初めて見る景色ばかりだった。
けれど、今はそんなことを気にしている場合ではない。
今日の目的は一つ。
高友叔父様を味方につけること。
「松姫様、お気をつけください」
井上之正に手を借り、馬から降りる。
春が大事そうに徳利を抱えている。
私は頷いた。
準備はできている。
あとは――。
「高友叔父様に会うだけ」
そう呟いたところで、屋敷の中から人が出てきた。
「おや?」
こちらを見て、目を丸くする。
「松か?」
「高友叔父様!」
私はぱっと顔を輝かせた。
そのまま駆け寄る。
「おじさま、お会いしたかったです!」
「おお……」
高友は少し驚いた顔をした。
「どうした、こんなところまで」
「叔父様に会いたくて」
「わざわざ砥堀まで?」
「はい!」
私は元気よく頷いた。
そして、少しだけ後ろを振り返る。
春が徳利を持っている。
「それと――」
私は徳利を指差した。
「お土産です」
「ほう?」
高友が徳利を見る。
「酒か?」
「はい」
「松が持ってきたのか?」
「私が用意しました」
「これはまた……」
高友は笑った。
そして私の頭に手を置く。
「よく来たな」
「はい!」
よし。
第一関門、突破。
少なくとも、嫌われてはいない。
むしろ――。
私は高友を見上げる。
顔が緩んでいる。
これは、いける。
そんな予感がした。
「では、おじさま」
「うん?」
「中で飲みませんか?」
「今からか?」
「はい」
私はにっこり笑った。
「私、お酌します」
「……お酌?」
「はい」
高友は一瞬きょとんとした。
それから、楽しそうに笑った。
「そうかそうか。松が酌をしてくれるのか」
「はい」
「それなら、いただこう」
私は小さく拳を握った。
よし。
ここからだ。
私は高友の隣を歩きながら、心の中でそっと呟いた。
――まずは、お酒。
そして、その次は。
**おじさま自身を、私の味方にする。**
屋敷の中へ通されると、私は高友叔父様の隣に座った。
春が、持ってきた徳利を置く。
「こちらでございます」
「おう」
高友叔父様が徳利を手に取る。
「しかし、ずいぶん澄んでいるな」
「でしょう?」
私は嬉しくなって身を乗り出した。
「昨日、濾したんです」
「濾した?」
「はい。元のお酒は、もっと濁っていたんですよ」
「ほう」
高友叔父様は興味深そうに徳利を眺める。
「それを松が?」
「通と春に手伝ってもらいました」
「なるほどな」
高友叔父様が笑う。
「では、せっかくだ。いただこう」
「はい!」
私は徳利を受け取った。
「私がお酌しますね」
「おう。頼む」
小さな手で徳利を持つ。
少しだけ緊張する。
こぼさないように、ゆっくりと傾けた。
とく、とく、と酒が杯へ注がれていく。
「どうぞ」
「うむ」
高友叔父様が杯を受け取った。
そして、酒を眺める。
「……濁りが少ないのだな」
「でしょう?」
「松がわざわざ持ってきてくれた酒だ。まずいわけがなかろう」
「……!」
私は思わず笑ってしまった。
なんだろう。
こういうことを言われると、やっぱり嬉しい。
「では、飲んでください」
「ああ」
高友叔父様が杯を口へ運ぶ。
一口。
「…………」
私はじっと顔を見る。
「どうですか?」
「……うむ」
高友叔父様はもう一口飲んだ。
「旨い」
「本当ですか?」
「ああ」
そして、笑う。
「松がわざわざ持ってきてくれたのだ。旨くないわけがない」
「もう……」
私は少し照れた。
でも、悪い気はしない。
「もう一杯いかがですか?」
「おう」
杯が差し出される。
私はまた酒を注いだ。
高友叔父様はそれを受け取り、満足そうに飲む。
「松は、酒のことを知っているのか?」
「少しだけです」
「少しだけ?」
「はい」
私は少し考えた。
「でも……」
「うん?」
「もっと美味しいお酒を作れると思うんですよね」
高友叔父様の手が止まった。
「……もっと?」
「はい」
私は徳利を見る。
「このお酒も、濾しただけなんです」
「それだけで、これほど変わるのか」
「たぶん」
私は正直に答えた。
「だから、他にも試してみたいんです」
「ほう」
「もっと美味しくできるかもしれません」
高友叔父様は、しばらく私の顔を見ていた。
やがて、面白そうに笑う。
「それで、何をするつもりだ?」
「まだわかりません」
「わからんのか」
「はい。でも、やってみたいです」
私は少しだけ身を乗り出した。
「おじさま」
「なんだ?」
「ここで作っていいですか?」
「ここで?」
「はい」
私は頷く。
「お酒を、いろいろ試してみたいんです」
「ふむ……」
高友叔父様は考える。
私はその顔を見つめる。
そして、もう一押し。
「……少しの間、ここにいさせてください」
「お前が?」
「はい」
「兄者が何と言うかな」
私は一瞬、黙った。
そこは考えていなかった。
けれど、高友叔父様はすぐに笑った。
「まあ、兄者もわしのところなら安心だろう」
「……本当ですか?」
「ああ」
「では……!」
私はぱっと顔を輝かせた。
「ここにいてもいいんですね?」
「好きにするといい」
「ありがとうございます!」
思わず立ち上がりそうになる。
危ない。
ここで転んだら格好がつかない。
私はなんとか座り直した。
「よかった……」
胸の奥から、ほっと息が漏れる。
これで、ここにいられる。
高友叔父様のところに。
しかも、父――職隆もきっと心配しない。
高友叔父様が預かってくれるなら、むしろ安心してもらえるだろう。
私は高友叔父様を見る。
今も、私が注いだ酒を飲んでいる。
「…………」
私は小さく笑った。
やった。
まずは一人。
親戚のおじさまを、味方にできた。
まだ一人だけ。
でも、それでいい。
大きなことをする必要なんてない。
一人ずつ。
少しずつ。
私を可愛がってくれる人を増やしていけばいい。
私は部屋を出ると、通と春のところへ戻った。
「松姫様、いかがでしたか?」
通が尋ねる。
私は二人を見る。
「……できた」
「何がでございますか?」
私は高友叔父様のいる部屋を振り返った。
「橋頭堡」
「……?」
通と春が顔を見合わせる。
「ここを足掛かりにするの」
私は胸を張った。
「高友叔父様のところを、私の橋頭堡にする」
二人には意味がわからないらしい。
でも、私にはわかる。
ここは黒田家の外にある。
そして、高友叔父様は黒田家の身内だ。
ここから親戚に繋がっていけばいい。
私は小さな拳を握った。
「……よし」
そして、高友叔父様のいる部屋をもう一度振り返る。
「ここから――」
私は笑った。
「親戚を丸め込んでやる」




