第四話 高友叔父様のもとへ
その日の夜。
私は寝床で、明日のことを考えていた。
高友叔父様のところへ行く。
昨日作った酒もある。
通と春も一緒に来てくれる。
あとは――どうやって叔父様に気に入ってもらうかだ。
「……ふふ」
思わず笑ってしまう。
まずは一人。
親戚のおじさまを味方につける。
そうすれば、少しずつ外堀を埋めていける。
そんなことを考えながら、私は眠りについた。
その頃。
私の部屋を出た通は、夫の井上之正のもとへ向かっていた。
「旦那様」
「どうした?」
之正が顔を上げる。
「少し、ご相談がございます」
「松姫様のことか?」
「はい」
通は、今日の出来事を話し始めた。
松姫様が高友様に会いたがっていること。
そのために、わざわざ酒を用意したこと。
そして、その酒を自分たちで濾したこと。
「酒を濾した?」
「はい」
「松姫様が?」
「はい」
之正は少し驚いた顔をした。
「……それで、高友様のところへ行きたいと?」
「はい」
「なぜ、わざわざ?」
通は少し考える。
「松姫様が、高友様にお会いしてお話ししたいと仰っております」
「話を?」
「はい」
通は、今日の松を思い出した。
酒を眺めていた顔。
濾した酒を見て嬉しそうにしていた顔。
そして、
> 「高友叔父様のところへ行きたいの」
と話したときの顔。
「……とても楽しみにしておられます」
通がそう言うと、之正は黙った。
「それに」
通は持ってきた酒を見せる。
「こちらも、松姫様が高友様へのお土産にと、ご用意されたものです」
之正は徳利を見る。
「酒か」
「はい」
「……わざわざ自分で?」
「はい」
通は頷いた。
「松姫様は、高友様に喜んでいただきたいそうです」
「…………」
之正はしばらく考えていた。
八歳の姫を城の外へ連れ出す。
簡単なことではない。
何かあれば責任問題になる。
だが――。
「高友様のところまでなら、そう遠くはないな」
「はい」
「道中も、私が付き添えばいい」
通の顔が明るくなる。
「では……!」
「ああ」
之正は頷いた。
「明日の朝、馬を用意する」
「ありがとうございます、旦那様」
通は深く頭を下げた。
「松姫様も、きっとお喜びになります」
「そうだな」
之正は少し笑った。
「ただし、松姫様には勝手に出歩いてよいという話ではないと、きちんと伝えておけ」
「はい」
通は頷いた。
そして部屋を出る。
その顔には、ほっとしたような笑みが浮かんでいた。
松姫様の願いを、叶えてあげられる。
それだけで、通には十分だった。
翌朝、
「松姫様、お支度が整いました」
通の声で目を覚ました。
「……ん?」
私は寝床から起き上がる。
まだ少し眠い。
けれど――。
「今日、高友叔父様のところに行くんだよね?」
「はい」
通が微笑む。
「旦那様が馬を用意してくださいました」
「馬!」
一気に目が覚めた。
急いで身支度を整え、外へ出る。
庭先には、一頭の馬がいた。
その手綱を握っているのは、井上之正だった。
「お待ちしておりました、松姫様」
「井上様!」
私は馬の前まで駆け寄った。
近くで見ると、やっぱり大きい。
「これに乗るの?」
「はい」
「私が?」
「松姫様のために用意した馬でございます」
「……すごい」
思わず馬の身体に手を伸ばす。
温かい。
ちゃんと生きている。
鼻息まで聞こえる。
前世では、こんなふうに動物に触れることだって、簡単ではなかった。
「では、こちらへ」
井上之正が手を差し出す。
私はその手を借りて、馬に乗った。
「……高い」
思わず呟く。
地面が遠い。
少し怖い。
けれど――。
「……楽しい」
口元が緩む。
通と春も準備を整えている。
私の荷物には、昨日作った酒も入っている。
「お土産も忘れていません」
春が徳利を見せてくれた。
「よし」
私は頷く。
これで準備は全部できた。
「では、参りましょう」
井上之正が馬を引き始める。
ゆっくりと門を抜ける。
城の外へ出た。
「…………」
私は思わず周囲を見回した。
道。
田畑。
家々。
遠くに山。
朝の風。
馬の足音。
全部が新鮮だった。
前世の私は、自由に外を歩くことさえ難しかった。
それが今は――。
馬に乗っている。
自分の足で歩くどころか、馬に乗って外を進んでいる。
「……すごい」
思わず呟いた。
通が隣から声をかける。
「松姫様、楽しいですか?」
「うん!」
私は笑った。
けれど、しばらく進んでいると、少しずつ別のものも見えてきた。
道を歩く人。
腰に差された刀。
遠くを行く武装した男たち。
田畑の向こうに広がる山々。
私は黙ってそれを見つめた。
ここは――戦国時代だ。
昨日までは、頭の中で考えていた。
歴史の中にいる。
そう理解していた。
でも。
実際に城の外へ出てみると、少し違った。
刀を持った人間が、本当にいる。
馬に乗った人間が、本当にいる。
そして、この先では何が起こるかわからない。
「…………」
私は少しだけ馬の鞍を握った。
「松姫様?」
通が心配そうに声をかける。
「……ううん」
私は首を振った。
「大丈夫」
そう答えてから、前を見る。
でも、怖いから帰るつもりはない。
今日は高友叔父様に会いに行く。
そのために、酒まで用意した。
だったら――。
「絶対に、喜んでもらわないと」
私は小さく呟いた。
そして、徳利にそっと手を添える。
まずは一人。
高友叔父様を味方にする。
親戚のおじさまに可愛がってもらう。
そして、少しずつ。
少しずつ、外堀を埋めていく。
「……待っててね、おじさま」
私は前を見据えた。
そして、心の中で密かに誓う。
**必ず――おじさまを陥落させてみせる。**
「松姫様?」
「なんでもない!」
井上之正の声に、私は慌てて笑った。
馬はゆっくりと道を進んでいく。
高友叔父様のいる砥堀へ向かって。




