第十話 高岡合戦 黒田・小寺SIDE 帰路を開く一戦
夜が明けた。
昨夜の雨は、夜通し降り続いていた。
木々の下で夜を越した兵たちは、衣服も武具も濡れたままだった。
疲労は隠しようもない。
政職は、そんな兵たちの様子を眺めていた。
「……夜中の雨は、すごかったな」
誰に言うでもなく、政職が呟く。
周囲には、まだ小雨が残っている。
兵たちは重い身体を起こし、朝の支度を始めていた。
政職は、ふと昨日渡ってきた夢前川へ目を向けた。
川音が、昨日とは明らかに違っていた。
夢前川の流れは、昨日とはまるで違っていた。
夜の雨で水かさが増し、濁った水が勢いよく流れている。
「……これは」
政職が眉をひそめる。
近くにいた職隆も川を見つめた。
「かなり増水しておりますな」
「すぐには渡れぬか」
「この流れでは、難しいかと」
政職は黙って川を見た。
昨日は、ここを渡って赤松を追った。
だが今は、その川が帰る道を塞いでいる。
「兵はどうだ」
「雨に打たれ続けておりますからな。かなり疲れております」
政職は周囲の兵たちを見る。
濡れた衣服。
重そうな足取り。
昨夜、まともに眠れた者も少ない。
「……そうか」
政職は小さく息を吐いた。
できることなら、このまま川を渡って帰りたい。
だが、川はそれを許してくれそうになかった。
青山の方角から、物見が戻ってきた。
「申し上げます」
政職が顔を上げる。
「何だ」
「赤松政秀の軍勢、青山にて隊列を整えております」
政職の顔が曇る。
「……まだ、いるのか」
「はい」
政職は、再び夢前川へ目を向けた。
川は増水している。
兵は疲れている。
そして、帰るにはあの川を渡らなければならない。
「赤松も疲れているのだろう?」
「おそらくは」
職隆が答えた。
政職はしばらく黙っていた。
本音を言えば、このまま戦わずに帰りたい。
兵を休ませ、川の水が引くのを待ちたい。
だが、そのためには赤松が青山にいることが問題だった。
時間を置けば、先鋒を失って乱れていた赤松も、隊列を整えてしまう。
そして、その赤松がこちらへ向かってきたなら。
政職は増水した川を見た。
「……どうする?」
職隆へ尋ねた。
職隆は、しばらく川を眺めていた。
「殿」
「うむ」
「今のうちに、一度赤松へ当てるべきかと」
政職が振り返る。
「……この兵でか?」
「我らも疲れております」
職隆は青山の方角を見る。
「ですが、赤松も同じでしょう」
「先鋒はすでに大きく削れております」
政職は黙って聞いていた。
「ここで時間を与えれば、政秀は先鋒を失った混乱から立て直します」
職隆は、増水した夢前川へ目を向けた。
「そうなれば、赤松がこちらへ攻めてくるやもしれません」
「その時、我らは……」
「この川を背にすることになります」
政職の顔が険しくなる。
増水した川を背にして戦えば、退くことも難しい。
「ならば、今のうちに一度当てます」
職隆は静かに言った。
「赤松を青山から退かせ、その隙に川を渡りましょう」
政職はしばらく黙っていた。
戦いたいわけではない。
むしろ、一刻も早くこの川を渡って帰りたい。
だが、職隆の言うことにも理がある。
「……分かった」
政職が重い口を開く。
「赤松を退かせるのだな」
「はい」
「ならば、無理に深追いはするな」
「承知しました」
政職は青山へ目を向けた。
「一度当てて、帰るぞ」
政職は、青山の方角を見つめた。
その先には、隊列を整えつつある赤松の軍がいる。
こちらも疲れている。
向こうも疲れている。
それでも、ここで待つわけにはいかなかった。
「いくぞ」
政職の声が響く。
兵たちが、重い身体を起こしていく。
職隆も馬を進める。
「赤松を退かせる」
「そして、川を渡る」
小寺の旗が動き始める。
黒田の兵も、それに続いた。
青山の赤松軍からも、こちらの動きを知らせる声が上がる。
「小寺が動きました!」
嵐の名残を残す空の下。
疲弊した二つの軍勢が、再び動き始めた。
夢前川を背にした戦を避けるために。
小寺・黒田の軍は、青山へ向かって進んでいった。




