第六話 高岡合戦 母里SIDE 谷の伏兵
高岡へ続く谷道。
その山中に、二百ほどの兵が身を潜めていた。
先頭にいるのは母里小兵衛。
その隣には、息子の武兵衛がいる
小兵衛は木々の間から、谷道の先をじっと見つめていた。
「来たな」
武兵衛も視線を向ける。
木々の向こうから、赤松の兵が姿を現した。
列を組み、谷道を進んでくる。
「赤松の先鋒です」
「数は?」
「八百ほどかと」
小兵衛は黙って敵の動きを見ていた。
二百で八百を正面から相手にすれば、まともな戦にはならない。
ならば、ここでやることは一つ。
「……二百では、とうていまともには戦えんな」
「はい」
「だからこそ、若の読みどおりだ」
小兵衛は谷道を見据えた。
「戦う必要はない」
「妨害をする」
「先鋒の足を止めるぞ」
赤松の先鋒は、警戒しながら谷道へ入ってきた。
だが、進み始めてすぐに兵たちの足が止まる。
「木が倒れております!」
「退かせろ!」
赤松の兵たちが倒木を脇へ寄せ始める。
その様子を、小兵衛たちは山中からじっと見ていた。
やがて道が開く。
赤松の兵が再び進み始める。
だが、その先には別の道があった。
「こちらへ進め!」
兵の一隊が枝道へ入っていく。
小兵衛は黙って見送った。
しばらくして――。
「行き止まりです!」
枝道へ入った兵たちが、慌てて戻ってくる。
そのときだった。
山の中から矢が飛んだ。
「伏兵だ!」
赤松の兵たちが一斉に身構える。
だが、姿は見えない。
さらに数本の矢が飛んでくる。
それだけだった。
「追うな!」
先鋒の将が叫ぶ。
「隊列を崩すな! そのまま進め!」
小兵衛は、その声を聞いて目を細めた。
「……気づいたか」
武兵衛も頷く。
「こちらが足を止めることを狙っていると」
「ああ」
赤松の兵たちが隊列を整え始める。
先ほどまでのように、ばらばらに進むことはなくなった。
小兵衛は谷道の先を見た。
「先鋒を預かる将、なかなかやるな」
「では、どうします?」
「これ以上やれば、こちらの位置まで探られる」
小兵衛は少し考えた。
ここまでで十分に時間は使わせた。
ならば、次の手へ移る。
「妨害はここまでだ」
「引きますか?」
「いや、ひそむぞ」
「はっ」
二百ほどの兵が、音を立てずに山中へ散っていく。
赤松の先鋒は、警戒しながらも谷道を進んでいった。
やがて、その姿が木々の向こうへ消えていく。
小兵衛はしばらく待った。
「……高岡へ抜けたか」
そのとき、一人の男が身を低くして小兵衛のもとへ駆け寄ってきた。
「母里様」
「なんだ」
「先鋒から、伝令が出ております」
小兵衛は谷道の先へ目を向けた。
そして、静かに笑った。
「よし」
小兵衛は腰を上げる。
「わしが潰す」
赤松の伝令は、谷道を抜けようとしていた。
先鋒から政秀の本陣へ、戦況を知らせるための伝令である。
小兵衛は山中に身を潜め、その動きをじっと見ていた。
伝令は周囲を警戒しながら進んでいる。
だが、こちらの姿を見つけることはできない。
小兵衛が手を上げる。
「今だ」
山中から数人の兵が飛び出した。
「敵だ!」
伝令が馬を返そうとする。
だが、その前に道を塞がれた。
短い攻防の末、伝令は倒れた。
「よし」
小兵衛は再び山中へ戻る。
これで先鋒から本陣へ向かう報せは止まった。
だが、それだけでは終わらなかった。
しばらくすると、また谷道の向こうから兵が現れる。
「母里様」
先ほどの男が、再び小兵衛のもとへ寄ってきた。
「また先鋒から伝令が出ております」
「またか」
小兵衛は谷道を見た。
どうやら赤松も、最初の伝令が戻らないことに気づいたらしい。
それでも、もう一度送ってくる。
「それもだな」
小兵衛は短く答えた。
再び伏兵が動く。
伝令を通さない。
先鋒から本陣へ情報が届かなければ、赤松の本隊は高岡の状況を知ることができない。
小兵衛は、静かに息を吐いた。
「敵本陣も、異変に気づいているな」
そのとき、別の兵が駆けてきた。
「母里様!」
「なんだ」
「先鋒から、別の兵が動いております」
「どこへ?」
「山裾です」
男は谷の先を指した。
「先鋒から側面を大きく迂回しているようです。三十騎ほどおります」
小兵衛は目を細めた。
「武兵衛」
「はい」
「五十ほど引き連れていけ」
「承知しました」
武兵衛はすぐに兵を集める。
「こちらだ!」
五十ほどの兵が、武兵衛の後を追って山裾へ向かった。
小兵衛はその背中を見送る。
「頼んだぞ」
山裾では、赤松の兵たちが谷道を大きく迂回して進んでいた。
高岡の側面へ回り込むつもりなのだろう。
だが、その前に武兵衛たちが待ち構えていた。
「来たぞ!」
武兵衛が声を上げる。
「構えろ!」
五十の兵が一斉に身を低くする。
赤松の兵がこちらに気づいた。
「敵だ!」
「伏兵だ!」
武兵衛は、敵が隊列を整える前に動いた。
「かかれ!」
黒田の兵が山裾から飛び出す。
赤松兵も応戦する。
だが、三十ほどの兵では、五十の兵を相手にしながら側面の警戒まで行うことはできない。
短い戦いの中で、赤松側の兵が次々と崩れていく。
武兵衛は前へ出た。
「そこだ!」
敵の武将らしき男へ迫る。
刃が交わる。
そして――。
「武兵衛様!」
後ろから声が上がった。
「敵将、お討ち取りです!」
武兵衛は倒れた敵将を一瞥する。
「そうか」
そしてすぐに周囲を見回した。
「深追いするな」
「はっ」
「戻るぞ」
武兵衛たちは、再び山中へと引いていった。
「どうだった」
「迂回していた兵は潰しました」
「そうか」
武兵衛は頷いた。
「敵将も討ち取りました」
「さすがだ」
小兵衛は息子の働きを認めると、再び谷道へ目を向けた。
そのときだった。
「母里様!」
物見の兵が駆けてくる。
「小寺本隊が、高岡から見えました!」
「小寺が来たか」
小兵衛は高岡の方角を見た。
これで高岡の守りは固まる。
そして、しばらくして別の兵が駆け込んできた。
「先鋒が撤退を開始しました!」
「宇野が退いたか」
小兵衛は谷道を見る。
その先から、赤松の兵が戻ってくる。
だが、それだけではなかった。
「母里様!」
「なんだ」
「敵本陣から、およそ四百ほどの兵が出ております!」
小兵衛は一瞬、黙った。
四百。
先鋒の撤退を知らず、あるいは救援するために出された兵なのだろう。
「……これは」
武兵衛が父を見る。
小兵衛の目が鋭くなる。
「鉢合わせするぞ」
撤退してくる宇野隊。
その後ろから追ってくる黒田・小寺の兵。
そして、それを助けるために出てきた赤松の四百。
谷道の中で、三つの動きが重なろうとしていた。
「好機が来る」
小兵衛は兵たちへ目を向ける。
「まだ動くな」
兵たちが身を伏せる。
やがて、谷道の中で赤松の二つの隊が姿を現した。
「宇野殿!」
「後詰めか!」
互いに味方だと分かった瞬間、兵たちの間に安堵が広がる。
だが、その安堵が隊列の乱れを生んだ。
狭い谷道。
撤退してきた兵と、前へ進もうとする兵。
互いに道を譲り合いながら、混乱している。
小兵衛は、その瞬間を待っていた。
「今だ!」
山中から、母里隊が一斉に飛び出した。
「敵だ!」
「伏兵だぞ!」
赤松の兵が慌てて振り返る。
だが、すでに遅い。
武兵衛たちが側面から襲いかかる。
小兵衛も別の場所から兵を出した。
狭い谷道では、赤松は大軍を生かせない。
兵が互いにぶつかり、隊列が崩れていく。
「押せ!」
「だが、深追いするな!」
短い攻撃を加えたところで、小兵衛が叫んだ。
「十分だ!」
「引くぞ!」
母里隊は一斉に山中へ戻っていく。
赤松兵が追おうとする。
だが、木々の向こうにはもう姿がない。
小兵衛は山中から谷道を見下ろした。
「役目は果たした」
武兵衛が隣へ戻ってくる。
「父上」
「うむ」
小兵衛は高岡の方角を見る。
「小寺の殿も動いておる」
そして、谷道の向こうへ目を向ける。
「ここから先は、わが殿と小寺の殿に任せる」
武兵衛が頷く。
「われらは若のもとへ戻るぞ」
「はっ!」
母里親子は、山中の細い道を抜けていく。
後ろからは、まだ赤松の兵たちの声が聞こえていた。
だが、もう振り返らない。
「父上」
武兵衛が声をかける。
「なんだ」
「高岡へ戻ったら、若へ報告を?」
「ああ」
小兵衛は頷いた。
「伝令を止めたことも、迂回してきた兵を潰したことも、すべて話す」
「承知しました」
二人は足を速める。
谷道での役目は終わった。
あとは、高岡に残った官兵衛たちが戦を進める。
そして小寺の本隊と、わが殿――職隆や高友が追撃している。
「それにしても……」
武兵衛が振り返る。
「松姫様の目と耳は、いいな」
小兵衛は小さく笑った。
「だからこそ、わしらのところへ送ってくれたのだろう 」
「はい」
「さあ、急ぐぞ」
二人はさらに山道を進んでいく。
やがて木々の向こうに、小寺の旗が見えてきた。
「戻ったか」
若の元へ戻れば、次の役目が待っている。
母里親子は、そのまま若のもとへ向かった。




