SSH 善助と武兵衛
松姫の寝所の前。
善助は障子の前で足を止めた。
「姫様、善助にございます」
中から返事はない。
「姫様?」
もう一度声を掛ける。
やはり返事はない。
善助は少し迷った。
しかし、用件がある。
「失礼いたします」
そう言って、障子へ手を掛ける。
その瞬間――。
ひゅっ。
「――っ!」
何かが飛んできて、善助の顔の横を通り過ぎた。
善助の手が止まる。
「勝手に開けんな」
障子の向こうから、松の声がした。
「も、申し訳ございません!」
「用件は?」
「母里武兵衛様がお見えです」
「分かったわ」
「はっ」
善助はすぐに手を離した。
そして、障子にはもう触れず、その場を離れていった。
善助が廊下を離れてしばらくすると、客室へ通された武兵衛は、用意された椅子に腰を下ろして待っていた。
やがて襖が開く。
「松姫様」
松が入ってくる。
武兵衛は立ち上がり、頭を下げた。
「松姫様、今日もおうるわしい」
「お世辞が上手ね」
「事実を申しているのみです」
「そう」
松は向かいの席へ腰を下ろす。
「それで、今日は何かしら?」
武兵衛は少し笑った。
「実は、先ほど善助にことづけを頼んだのですが」
「善助に?」
「はい。庭で竹槍を振っておりましたので」
「そう」
「ところが、そのあと善助の悲鳴が聞こえました」
武兵衛は首を傾げる。
「何かございましたか?」
「ああ、それね」
松は何でもないことのように答えた。
「あいつが、許可していないのに寝所の障子を開けたのよ」
「……なるほど」
「だから物を投げてやったわ」
「そうでしたか」
「おかげで障子の張り直しよ」
武兵衛は少し考え、それから頷いた。
「姫様の寝所を勝手に開けたのであれば、物を投げられて当然です」
「でしょう?」
松は満足そうに頷いた。
「それで、今日は何?」
松が改めて尋ねる。
「いえ、特別な用向きがあるわけではございません」
武兵衛は姿勢を正した。
「この前の荷を、在田へ持って行った帰りに寄っただけです」
「在田へ?」
「はい」
武兵衛は頷く。
「父上にも報告いたしました。それから、小寺様にも報告すると伺いましたので、帰りに姫様へもお伝えしておこうかと思いまして」
「ふーん」
松は頷いた。
「在田氏は、なんと?」
「矢じりが大変助かる、と」
「そう。よかったわね」
「はい」
武兵衛が答えたところで、襖が開いた。
「失礼いたします」
通が盆を持って入ってくる。
茶と菓子が置かれた。
武兵衛は、目の前の皿を見る。
「こちらは?」
「備前焼のお皿」
「ほう」
さらに、その上に乗っているものを見る。
「では、こちらは?」
「プリンよ」
「プリン……」
武兵衛は初めて聞く名に、少し首を傾げた。
「甘いものですか?」
「ええ」
「では、いただきます」
武兵衛は匙を取り、一口食べる。
「……これは」
もう一口。
「おいしゅうございます」
「そう?」
「舌触りもよく、ほのかに甘味がございます」
武兵衛は上に乗った部分にも目を向ける。
「この上の黄金色の部分がまた香ばしく、おいしゅうございます」
松は少し感心したように武兵衛を見る。
「武兵衛、なかなかいい感想を言ってるわね」
「ありがとうございます」
「官兵衛や次郎なんか、何も言わないんだから」
「ははは……」
武兵衛は恐縮したように笑った。
「お褒めにあずかり、ありがとうございます」
「ところで、松姫様」
「なに?」
武兵衛は、食べ終えたプリンの器を眺めながら口を開いた。
「先ほどの善助のことでございますが……」
「善助?」
「はい。あれは、まだ再教育の最中なのでしょうか?」
「ええ」
松は頷いた。
「まだまだ足りないわね」
「なるほど」
武兵衛は苦笑する。
「しかし、若の側近としては、あれもなかなか面白い男でございます」
「そう?」
「はい。若のためなら、多少の無茶もいたしますから」
「無茶と無謀は違うわよ」
「それは……確かに」
武兵衛は笑った。
松は少し考える。
「……武兵衛」
「はい」
「あなた、善助の代わりに、ここにいない?」
「……」
武兵衛の表情が止まった。
「ありがたい申し出ではございますが」
「ええ」
「若のお側にあらねばなりませんので」
「そう」
松はあっさり頷いた。
「残念ね」
「申し訳ございません」
「いいわ。仕方ないもの」
松は茶を一口飲む。
武兵衛も頭を下げた。
「しかし、姫様のお側も居心地はよさそうではございますな」
「そうでしょう?」
「はい」
二人は顔を見合わせ、笑った。
武兵衛が帰ったあと。
善助は庭で竹槍を振っていた。
「……」
一振り。
二振り。
そのとき、屋敷のほうから下男の声が聞こえてきた。
「まったく……」
善助が手を止める。
「姫様の寝所の障子、張り直さなきゃならないじゃないか」
「…………」
善助はそちらを見る。
下男が破れた障子を張り直している。
「誰だよ、破いたやつは……」
「…………」
善助は何も言わない。
ただ、そっと視線を逸らした。
「余計な仕事を増やしてくれて……」
「…………」
善助は再び竹槍を構える。
そして、何事もなかったように振り始めた。
「…………」
一振り。
二振り。
いつもより少しだけ、無言で竹槍を振る善助だった。




