SSH 善助、再教育
高岡での仕事を終えた官兵衛が、荷場の帳面を確認していると、一人の家臣が文を持ってきた。
「若、砥堀から文が届いております」
「砥堀から?」
官兵衛は文を受け取る。
差出人の名を見て、少し眉を動かした。
「……姉上か」
嫌な予感がする。
封を切り、中の文を読む。
短い文だった。
> **善助の教育が足りないようでしたね。**
>
> **再教育してあげますから、こちらによこしなさい。**
官兵衛の目が止まる。
さらに下を読む。
> **なお、善助を匿ったり、逃がしたりした場合は、あなたも再教育します。**
「…………」
官兵衛は、ゆっくりと文を畳んだ。
その様子を見ていた井上が尋ねる。
「何かありましたか?」
「……善助を呼んでくれ」
「善助を?」
「ええ」
官兵衛は手元の文を見る。
「少し、姉上のところへ行ってもらうことになった」
しばらくして、善助が官兵衛の前へやってきた。
「若、お呼びでしょうか」
「ああ」
官兵衛は先ほどの文を善助へ差し出した。
「これを読め」
「はい」
善助は受け取り、文を開く。
そして――。
「…………」
顔が固まった。
「若……」
「なんだ」
「これは……」
「姉上からだ」
「…………」
善助はもう一度、文を読む。
**善助の教育が足りないようでしたね。**
その一文だけで、嫌な汗が出てくる。
「若」
「なんだ」
「匿ってください」
「無理だ」
「まだ何も言っておりませんが!」
「言わなくても分かる」
官兵衛は淡々と答えた。
「姉上に呼ばれたのだろう?」
「はい……」
「なら、行ってこい」
「若!」
善助が縋るように官兵衛を見る。
「私にも事情というものが……」
「最後まで読め」
「え?」
善助は文へ目を落とした。
最後の一文。
そこには、こう書かれていた。
**善助を匿ったり、逃がしたりした場合は、あなたも再教育します。**
「…………」
善助はゆっくりと顔を上げた。
官兵衛と目が合う。
「……若」
「諦めろ」
「…………はい」
その横で、井上が小さく息を吐いた。
「善助……」
「何でしょうか」
「どうやら、あれが知れたようだな」
「……あれ?」
「姫様を何と呼んだか、よく考えてみろ」
「…………」
善助は黙り込んだ。
そして、ようやく思い出す。
あの日。
官兵衛と姉が話しているところへ、自分が割って入ったこと。
そして――。
**「冷めた狂犬」**
そう口にしたことを。
「…………」
「思い出したか」
「はい……」
善助の顔から、さらに血の気が引いた。
「……若」
「なんだ」
「本当に、私を行かせるおつもりですか?」
「当たり前だ」
「もう少し、お考えいただいても……」
「考えた」
官兵衛は即答した。
「行ってこい」
「…………」
善助は項垂れた。
どう考えても、逃げ道はない。
そもそも文には、官兵衛まで再教育すると書いてある。
自分のせいで若まで巻き込むわけにはいかない。
「……分かりました」
善助は立ち上がった。
「では、行って参ります」
「ああ」
その背中へ、井上が声を掛ける。
「善助」
「はい?」
「くれぐれも、余計なことをするなよ」
「……分かっています」
「それと――」
井上が少し考える。
「姫様の前では、思ったことをそのまま口にするな」
「それは……」
善助は苦笑する。
「もう十分、身に染みております」
そう言って、高岡を出た。
砥堀へ向かう道中、善助の頭の中には、嫌な想像ばかりが浮かんでいた。
再教育。
何をされるのだろう。
叱られるだけなら、まだいい。
だが、相手はあの松姫だ。
「……帰りたい」
思わず呟く。
しかし、帰る場所は高岡。
そこへ戻るには、まず砥堀へ行かなければならない。
善助は重い足取りで歩き続けた。
やがて、砥堀の屋敷が見えてくる。
「……着いてしまった」
門の前で立ち止まる。
しばらく眺めていたが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
「……失礼いたします」
善助は意を決して、
屋敷へ入った善助は、すぐに女中へ声を掛けられた。
「善助様ですね」
「はい」
「こちらへどうぞ」
善助は案内されるまま、廊下を進んだ。
「姫様がお待ちですか?」
「……」
女中は答えない。
「……?」
しばらく歩いたところで、善助は庭へ出された。
「こちらでお待ちください」
「え?」
目の前に敷かれているのは――ござだった。
「ここで、ですか?」
「はい」
「屋敷の中ではなく?」
「はい」
女中はそれだけ言うと、戻っていった。
「…………」
善助は庭を見回した。
静かだった。
屋敷の中からは人の気配がする。
だが、自分だけが庭にいる。
「……なぜ」
仕方なく、ござの上に腰を下ろす。
正座。
しばらく待つ。
五分。
十分。
それでも誰も来ない。
「…………」
善助は姿勢を崩したくなった。
だが、勝手に横になるわけにもいかない。
少し足を動かす。
「……痛い」
さらに時間が経つ。
「…………」
足が痺れてきた。
善助は庭の向こうを見る。
「姫様……まだでしょうか」
返事はない。
またしばらく待つ。
足の感覚がなくなってきた。
「……これも再教育なのか?」
善助がそう呟いたとき――。
廊下から、足音が聞こえてきた。
善助は慌てて姿勢を正した。
やがて、松が庭へ姿を現した。
「待たせたわね」
「姫様……」
善助はすぐに頭を下げる。
松はそんな善助を見下ろした。
「聞いたわよ」
「…………」
「私のことを、冷めた狂犬って言ったの」
「…………」
善助の額に、冷たい汗が流れた
「…………」
善助は額を地面につけた。
「申し訳ございません!」
そのまま深々と頭を下げる。
松はしばらく何も言わなかった。
やがて、松は善助の頭へ足を置うとして。
「……」
善助は微動だにしない。
「きたない 犬猫並みの汚さよ」
「私は犬猫ではございません!」
松は女中の通を呼んだ。
「通」
「はい」
「この人、洗ってきて」
「承知しました」
「え?」
善助が顔を上げる。
「わしは――」
「連れていって」
「はい!」
通に引かれ、善助は庭の向こうへ消えていった。
しばらくして。
「ざばーっ!」
「冷たっ!」
善助の声が庭まで響いた。
そして――。
しっかりと洗われた善助は、再び庭へ戻された。
「…………」
また、ござの上。
また、正座。
そして、また土下座。
松は善助の頭に足をおく。
「なので、再教育してあげるわ」
「……はい」
「高岡に帰れると思わないことね」
「え!?」
善助が思わず顔を上げる。
「顔上げんじゃないわよ!」
「は、はい!」
慌てて頭を下げる。
松の足は、そのまま善助の頭の上に置かれている。
「……」
善助が、ほんの少しだけ頭を上げた。
「――」
次の瞬間。
**ドンッ!**
「ぐわっ!」
善助の身体が横へ吹き飛んだ。
松は何事もなかったように足を戻す。
「まったく……」
善助は地面に転がったまま、動かなかった。
「さて」
松が静かに言う。
「再教育を始めましょうか」
「……はい」
善助は、もう逆らわなかった。




