SSH伏龍か、狂犬か
松姫が砥堀へ戻っていった。
高岡には、いつもの荷場の喧騒が戻っている。
運び込まれた兵糧は蔵へ。
奪った武器は種類ごとに分けられ、使えるものと修理が必要なものに仕分けられていく。
官兵衛はその様子を眺めていた。
その隣では、武兵衛、井上、母里小兵衛らが話をしている。
少し離れたところでは、善助が自分の脛をさすっていた。
「…………」
しばらく黙っていた善助が、ぽつりと口を開く。
「……あれが姫様ですか?」
井上が善助を見る。
「そうだ」
「松姫様……ですよね?」
「そうだ」
「…………」
善助は、先ほどまで松がいた方向を見る。
今日、初めて会った。
それなのに――。
ずいぶん長い一日だった気がする。
「皆さん」
「なんだ?」
「……怖くないんですか?」
井上が眉を上げる。
「何がだ?」
「あの姫様です」
善助は真剣な顔で言った。
「敵の荷を襲うだけじゃなくて、そのあと確認に来る兵まで待っていたんですよ?」
「そうだな」
「しかも、首を取るより武器や兵糧を持って帰ったほうがいいって……」
「そうだな」
「若にも普通に意見を言ってました」
「それもいつものことだ」
「…………」
善助は少し黙る。
「それで、俺の脛まで蹴りました」
母里小兵衛が吹き出した。
「それはお前が悪い」
「……はい」
善助は脛をさすりながら、納得できない顔をする。
「でもですよ」
「なんだ?」
「あの方、怖くないんですか?」
井上と小兵衛が顔を見合わせる。
やがて井上が、静かに答えた。
「……怖い?」
「はい」
「そうは思わんな」
「え?」
井上は、松が帰っていった方角を見る。
「むしろ――」
少しだけ笑った。
「あれは、伏龍だ]
「伏龍……ですか?」
善助が首を傾げる。
「そうだ」
井上は腕を組んだ。
「あの方は、目の前のことだけを見ておられん」
「今日の戦いもそうだったな」
母里小兵衛が口を挟む。
「敵の荷駄を襲っただけではない」
「確認に来る者まで予想していた」
「はい」
善助もそこは頷く。
「それに、敵を追いませんでした」
「そうだ」
井上が続ける。
「普通なら、逃げる敵を追って首を取ろうとする」
「だが姫様は、それをしなかった」
小兵衛が言った。
「なぜだと思う?」
「……補給を断つため?」
「その通りだ」
小兵衛が頷く。
「敵兵を何人討ったかではなく、敵の砦をどれだけ弱らせられるかを考えておられる」
「そして、持ち帰ったのも首ではなく武器と兵糧だ」
井上が荷場を見る。
「それも同じことだ」
「……」
善助は黙って聞いている。
「今日の戦だけを見れば、恐ろしい姫様に見えるだろう」
井上が言った。
「だが、あの方が見ているのは今日ではない」
「その先だ」
小兵衛が続ける。
「砦の補給が切れれば、砦が落ちる」
「砦が落ちれば、赤松が動く」
「赤松が動けば、高岡が狙われる」
善助が目を見開く。
「……そこまで?」
「あの方は、そこまで考えておられる」
井上は静かに答えた。
「先ほど若と話していたのも、同じことだ」
「高岡をどう守るか、若の考えを聞いておられた」
「そして、それを高友殿に伝えると言っていた」
善助は黙り込む。
今日初めて会った姫が、戦いが終わったあとにしていたこと。
それは勝利を喜ぶことでも、武功を誇ることでもなかった。
**次に何が起こるかを考えていた。**
「……なるほど」
善助が小さく呟く。
「だから、伏龍……」
「そういうことだ」
井上が頷く。
「静かにしているように見えて、考えていることはずっと先にある」
「しかも、自分で全部やろうとはなさらない」
小兵衛が笑った。
「若に防御を考えさせ、こちらから出せる兵力を伝える」
「人を使うことまで考えておられる」
善助は、松が去っていった方向をもう一度見る。
「……」
確かに、ただ怖いだけの人ではない。
だが――。
「でも……」
善助は言った。
「やっぱり、怖いです」
井上と小兵衛が顔を見合わせる。
「なぜだ?」
「だって……」
善助は真顔で答えた。
「全部、冷静にやってるじゃないですか」
「だって……」
善助は真顔で答えた。
「全部、冷静にやってるじゃないですか」
「……ほう?」
井上が善助を見る。
「荒れ狂って敵に噛みついているわけじゃないんです」
善助は、今日の出来事を一つずつ思い返す。
「敵がどこを通るか調べて、待ち伏せして……」
「一度襲ったあとも、逃げた敵を追わない」
「確認に来るだろうと考えて、また隠れて待っていた」
「しかも、敵を倒すことより荷を取ることを優先する」
善助は少し身震いした。
「それでいて、自分の兵を無駄に危険に晒そうともしない」
「…………」
「何をするのか決めたら、迷わないんです」
善助は真剣な顔で言った。
「だから――」
一度、言葉を切る。
「**冷めた狂犬です。あれは**」
井上が黙る。
母里小兵衛も黙る。
武兵衛は、しばらく考えてから苦笑した。
「……言いたいことは分からんでもない」
「でしょう?」
「だがな」
小兵衛が善助を見る。
「その名を本人の前で口にするなよ」
「はい」
「いや、そもそも広めるな」
井上も釘を刺す。
「なぜです?」
善助が首を傾げる。
井上は、松の去っていった方向を見る。
「見た目はいいのだから」
「…………」
「妙な名が広まったら、嫁の貰い手がなくなる」
「姫様、嫁に行かれるんですか?」
「知らん」
井上は肩をすくめた。
「だが、余計なことを言って縁談を潰す必要もあるまい」
母里小兵衛も笑う。
「それに、あの方は黒田の姫だ」
「変な噂が広まれば、姫様だけの問題ではなくなる」
「……分かりました」
善助は素直に頷いた。
「では、誰にも言いません」
「それがいい」
しばらく沈黙が流れる。
すると武兵衛がぽつりと言った。
「しかし……」
「なんだ?」
「姫様が伏龍なら、俺たちは今日、その龍のすぐそばで戦っていたわけですな」
井上が笑った。
「そういうことになるな」
善助は少し考える。
「伏龍で、冷めた狂犬……」
「善助」
「はい?」
「余計なことは言うな」
「……はい」
高岡の荷場に、笑い声が小さく響いた。
その頃、松はそんな話がされているとも知らず、砥堀へ向かう道を進んでいた。




