第二話 官兵衛の相談
ある日のことだった。
「姉上、少しご相談があるのですが」
「官兵衛?」
珍しく、官兵衛が私のところへやってきた。
元服してからは御着にいることが多く、こうして顔を合わせるのも久しぶりだった
昔は「姉上はずるい!」などと言って飛びかかってきた弟も、今ではすっかり武士の顔をしている。
「何かあったの?」
「実は、在田殿から相談を受けまして」
「在田殿から?」
「はい」
官兵衛は頷いた。
「小寺の殿より、矢を増産するよう命じられたそうなのです」
「矢を?」
「はい。ところが、増産するには職人が足りぬそうで」
「なら、職人を増やせばいいじゃない」
「……それが、人も足りぬそうです」
「なら、人を増やせばいいじゃない」
「ですが、人を増やせば飯が必要になります」
「飯が足りないの?」
「そのようです」
「なら、田を作ればいいじゃない」
「…………」
官兵衛が黙った。
私は首を傾げる。
「何?」
「いえ……」
官兵衛は少し考えてから、また口を開いた。
「田を増やすにも、おそらく水が足りぬかと」
「水?」
「はい」
「なら、水を確保すればいいじゃない」
「どうやって?」
「ため池でも作れば?」
「…………」
また官兵衛が黙った。
私は少し考えた。
職人が足りないなら増やす。
人が足りないなら集める。
飯が足りないなら田を増やす。
水が足りないなら、水を溜める。
そんなに難しい話なのだろうか。
「……で?」
「はい?」
「それで、何が問題なの?」
官兵衛は困ったような顔をした。
「そのような普請を、在田殿だけで行うのは難しいかと」
「そうなの?」
「はい。矢を増産せよ、との命を受けておりますので」
「だったら――」
私は首を傾げた。
「御着の殿に、銭を出してもらえばいいじゃない」
「…………」
今度は、官兵衛が完全に黙り込んだ。
私は弟の顔を見た。
「小寺の殿から命令されたのでしょう?」
「はい」
「なら、その命令を達成するために必要な銭を出してもらえばいい」
「……なるほど」
「でしょう?」
私は頷いた。
「命令だけ出されても、人も材料もなければ作れないもの。必要なものを揃えるための銭がいるなら、それも一緒に頼めばいいじゃない」
官兵衛は、しばらく私を見ていた。
そして――。
「……姉上に相談してよかったです」
「そう?」
「はい」
私は少しだけ胸を張った。
これくらいなら、私でも考えられる。
しかし――。
私はふと、官兵衛の顔を見た。
何か引っかかる。
「…………」
少し考える。
そして、ある疑念が浮かんだ。
――待て。
そもそも。
なぜ官兵衛は、この話を**私に持ってきたのだろう?**
「…………」
私は官兵衛をじっと見た。
「官兵衛」
「はい?」
「あなた、御着の殿にそれを言えばいいんじゃないの?」
「…………」
官兵衛の顔が、ほんの少し固まった。
私は目を細める。
「小寺の殿から命じられたのでしょう?」
「はい」
「なら、増産に必要なものを説明して、銭を出してもらえばいいじゃない」
「それは……」
「言いにくいの?」
「…………」
官兵衛が黙る。
私は腕を組んだ。
そして、ふと嫌な考えが頭をよぎった。
「……まさか」
「はい?」
「あなた、私に銭を出させようとしてない?」
「え?」
官兵衛が目を丸くする。
「だって、おかしいじゃない」
「何がです?」
「小寺の殿から命じられた仕事なのに、どうして私のところへ相談に来るの?」
「それは姉上なら――」
「私なら?」
「こういうことに詳しいかと思いまして」
「…………」
なるほど。
確かに私は商売をしている。
人を雇ったこともある。
職人も集めた。
田や水のことだって、家を大きくする過程で考えた。
だから相談する相手としては間違っていない。
……ないのだけれど。
「それ、私に銭を出させようとしてるんじゃないでしょうね?」
「そんなつもりはありません!」
官兵衛が慌てて否定した。
「本当に?」
「本当です!」
「…………」
私は疑いの目を向けた。
昔からそうだ。
こいつは、もしかして、私が「じゃあ私が出そう」と言うのを待っているのでは?
「…………」
私は少し考えた。
もし本当に私の銭を当てにしているのなら、簡単に出すわけにはいかない。
「分かった」
「はい」
「まず、必要なものを全部出して」
「必要なもの?」
「ええ」
私は指を折る。
「矢を何本増やすの?」
「それは――」
「そのために職人が何人必要?」
「…………」
「職人を増やすなら、その人たちを食わせる飯がいるでしょう?」
「はい」
「田を増やすなら、どれだけ必要?」
「…………」
「水が足りないなら、ため池を作るとして、どれくらいの普請になる?」
官兵衛が黙って私を見る。
「そして、それに銭がいくら必要なのか」
私は官兵衛を見据えた。
「全部、分かるようにしてから来て」
「…………承知しました」
「私の銭を使う話なら、なおさらよ」
「はい」
官兵衛は神妙な顔で頭を下げた。
私はその姿を見ながら、もう一度考える。
……本当に相談だけなのだろうか。
それとも――。
「…………」
私は弟を疑わしげに見る。
後世では、この男は黒田官兵衛。
知略に優れた軍師として知られる人物だ。
なのに今の私は、
「こいつ……本当にあの官兵衛なの?」
という気持ちになっていた。
そして、もう一つ。
もし本当に私から銭を出させようとしているのなら――。
「……なかなか食えない弟になったものね」
私は小さく呟いた。
「姉上、何か?」
「なんでもない」
私は笑った。
とりあえず。
**銭を出すかどうかは、話を聞いてから決めよう。**




