第一話 十七歳の松
永禄五年――一五六二年。
あれから、九年の月日が流れた。
弟の万吉は元服し、今では**黒田官兵衛**と名乗っている。
初陣も飾った。
そして今は、御着にて小寺政職様の近習として仕えている。
あの屋敷の中を走り回っていた子供が、もう一人前の武士として主君に仕えているのだ。
「……時間が経つのは早いなぁ」
私はそんなことを思いながら、自分の姿を見下ろした。
私も今年で――十七歳。
この時代なら、もう結婚していてもおかしくない年齢だ。
むしろ、まだ結婚していないほうが珍しい。
だというのに。
「私は、まだ婿を取っていない」
なぜか。
理由は簡単だ。
**砥堀の黒田家が、大きくなりすぎたのである。**
八歳の頃。
私はただ、嫁に行きたくなかった。
だから、自分がここに残れるように家を大きくしようと思った。
酒を作った。
菓子を作った。
甘味を作った。
真綿の布団を作らせた。
養蚕も始めた。
そして、それらを売って得た銭を、養父様は家のために使った。
人を雇った。
土地を増やした。
馬を買った。
武具を揃えた。
そして――兵を増やした。
養父様は、その兵を率いて戦場へ出るようになった。
兄者――黒田職隆殿とともに、幾度も戦場を駆けた。
その結果。
砥堀の黒田家は、昔とは比べものにならないほど大きくなった。
今では家臣も多い。
兵もいる。
商人も職人も出入りする。
もちろん、それを支えるだけの銭もある。
「……本当に、大きくなったな」
私は屋敷を眺めながら呟いた。
ただ。
少し困ったこともある。
これだけ家が大きくなると――。
「婿が取りにくい」
普通なら、逆だろう。
十七歳の娘がいて、家を継ぐ必要がある。
ならば婿を探す。
それが普通だ。
だが、私のところには、それが簡単にできない事情がある。
砥堀の黒田家は、もはや小さな分家ではない。
もし私が他家から婿を取れば、その男の実家との関係が生まれる。
その家から見れば、私の家は魅力的だろう。
財もある。
兵もいる。
黒田家との血縁もある。
そんな家に、自分の息子を婿に入れられるのだ。
当然、欲しがる家も出てくる。
そして――。
それは黒田本家にとって、あまり面白い話ではないらしい。
むしろ。
「松に婿がいないほうが安心できる」
そんな空気になっていた。
「……変な話だよね」
私は苦笑する。
私は婿を取りたくなかった。
だから家を大きくした。
その結果――。
**「婿を取らないほうが黒田家にとって都合がいい」**
というところまで来てしまったのだから。
そして、もう一つ。
私は八歳の頃とは、身体つきも大きく変わった。
「……伸びすぎじゃない?」
背が、ずいぶん伸びた。
手足も長くなった。
養父様に武芸を仕込まれているから、身体もそれなりに鍛えられている。
剣。
槍。
弓。
馬。
どれも一通り扱えるようになった。
そのせいか、最近では養父様から、
「お前は巴御前にでもなるつもりか?」
などと言われる。
「……私は商売をしていただけなんだけどな」
私はため息をついた。
それなのに、気がつけば武芸まで仕込まれている。
しかも――。
「……この胸、邪魔すぎる」
身体が成長したのはいい。
だが、武芸をするには、どうにも邪魔になる。
馬に乗れば揺れる。
槍を振れば気になる。
前世の自分なら、こんなことを考える必要などなかった。
「女の身体って、本当に不便……」
私は小さく呟いた。
そして、さらに困ったことがある。
養父様は、武芸だけでは満足しなかったのだ。
「次は兵の動かし方を覚えろ」
「…………え?」
ある日の稽古のあと、突然そう言われた。
「兵の動かし方、ですか?」
「ああ」
「私が?」
「お前が家を継ぐのだろう?」
「…………」
そう言われると、何も言えない。
私は自分の身を守れる程度に武芸を覚えれば、それで十分だと思っていた。
ところが養父様は違った。
「戦になれば、兵を預けることもある」
「いや、私は戦場に出るつもりは――」
「戦は、出るつもりがあるかどうかで決まるものではない」
「…………」
正論だった。
それから私は、兵の編成を教えられた。
誰をどこに置くのか。
どの兵を前に出すのか。
どこを守らせるのか。
伝令はどうするのか。
退くときはどうするのか。
実際に兵を並べて、
「この場合、お前ならどうする?」
と問われる。
「……こちらを厚くします」
「なぜだ?」
「敵がここから来ると思うので」
「ならば、こちらは?」
「予備にします」
「よし」
そんなことを繰り返しているうちに、私はいつの間にか兵を動かすことまで教えられていた。
「…………」
私は並んだ兵を眺めた。
槍を持つ者。
弓を持つ者。
馬に乗る者。
それぞれをどう動かすか。
どこで戦わせるか。
どこで退かせるか。
「私、商売をしたかっただけなんだけど……」
「何か言ったか?」
「なんでもありません」
私はため息をついた。
最初は、婿を取らなくてもいいように家を大きくしたかっただけ。
金を稼いだ。
その金で養父様が兵を増やした。
兵が増えた。
すると今度は、その兵を扱える者が必要になった。
そして――。
「私が覚えることになる」
なんとも不思議な話だった。
養父様はそんな私を見て笑っている。
「お前ならできる」
「なぜです?」
「頭が回るからな」
「…………」
褒められている。
たぶん。
けれど私は、以前から言われていた言葉を思い出した。
「養父様」
「なんだ?」
「私、本当に巴御前にされるんじゃないでしょうね?」
「ははは!」
「笑い事じゃないんですけど!」
私は思わず叫んだ。
だが養父様は楽しそうに笑っている。
「お前が望まぬなら、無理に戦場へ出すつもりはない」
「本当ですか?」
「ああ」
私はほっとした。
……とはいえ。
兵を動かす方法まで教えられている時点で、説得力はあまりない。
「…………」
私はもう一度、兵たちを見る。
十七歳。
私はもう、ただの黒田家の姫ではない。
金を稼ぎ。
家を大きくし。
その家を守るための兵まで持つ。
そして今度は、その兵を動かす術まで学んでいる。
「……本当に、どうしてこうなったんだろう」
私は空を見上げた。
九年前。
私はただ、嫁に行きたくなかった。
それだけだったのに。
気がつけば――。
**私は、家を守るための力まで手に入れようとしていた。**
そして、このときの私はまだ知らなかった。
この九年間で積み上げてきたものが、これから黒田家の中で、思いもよらぬ意味を持つことになるとは。




