第十三話 黒田の捜索
松が出奔してから、しばらくの時が過ぎた。
黒田では、いまだ松の行方を追っていた。
馬は飾磨で売られていた。
そして松が乗った船も、すでに播磨を離れていたことまでは分かっている。
だが、その先が分からない。
瀬戸内を巡る船だった。
播磨を出たあと、どこへ向かったのか。
どこで松が降りたのか。
それだけが、長いこと掴めなかった。
やがて、その船が播磨へ戻ってきた。
黒田の者は、船頭を呼び止めた。
「少し聞きたいことがある」
「なんでしょう?」
「以前、この津からこの船に女人を乗せなかったか」
「女……?」
「背の高い女人だ。身なりも普通ではない」
船頭はしばらく考えた。
「……ああ」
「覚えているか?」
「ええ。覚えております」
「どこで降りた?」
船頭は、あっさりと答えた。
「堺ですわ」
「……堺?」
「はい」
「間違いないか」
「間違いありません」
船頭は笑った。
「金払いのええお方でしたからな。よう覚えております」
黒田の者の顔が変わった。
ようやく、松が向かった先が分かった。
堺、
その報せは、すぐに姫路へ届けられた。
姫路、船頭からの報せを受けた職隆と官兵衛は、評定の間にいた。
「……堺か」
職隆が呟く。
官兵衛は黙って地図を見る。
松が出奔したとき、持って出たものは多くない。
馬を売ったことも分かっている。
その銭を持って船に乗ったのなら、いずれは尽きる。
「姉上は、堺に着いたのでしょう」
「おそらくな」
職隆が答える。
だが、問題はその先だった。
松は堺に知り合いがいる。
以前から商いをしていた商人たち。
布団の仕入れを頼んだ者もいる。
そのほかにも、松の品を扱った者はいる。
官兵衛はそれを思い出す。
「姉上が堺で身を寄せるなら、そうした者を頼る可能性が高いでしょう」
「探せるか?」
「はい」
官兵衛は顔を上げる。
「堺にいる、姉上と繋がりのある商人を調べさせます」
職隆は頷いた。
だが、その表情はまだ晴れない。
「……見つけたら、どうする」
官兵衛は少し黙った。
そして、
「連れ戻します」
はっきりと答えた。
職隆も、それ以上は問わなかった。
松がなぜ逃げたのか。
その理由は、すでに官兵衛から聞いている。
だからこそ、
「ならば、急げ」
「はい」
官兵衛は立ち上がった。
松が堺にいる。
それだけが、今は唯一の確かな手掛かりだった。
堺、黒田の者たちは、松と以前から繋がりのあった商人を一人ずつ訪ねていた。
松が堺へ来たのなら、まず頼るのは商売で繋がった者たちだろう。
だが、
「松様ですか?」
「ええ、以前はお付き合いがございましたが……」
「最近、お見かけしませんな」
どこへ行ったのか。
誰のところにいるのか。
それを知る者は、なかなか見つからない。
そんな中、別の報せが入った。
「堺に、妙な品が流れているようです」
官兵衛は顔を上げた。
「妙な品?」
「ガラスの品です」
与助が持ってきたものを、官兵衛が見る。
透明な器だった。
与助は、それを手に取るなり眉を寄せた。
「……これ」
「知っているのか?」
与助は器を眺める。
「松様が砥堀におられた頃、試作品として作らせていたものに似ています」
官兵衛の目が細くなる。
「姉上が?」
「はい」
さらに別の品を見せられる。
灯に使うためのガラスの器。
「これもです」
「……」
官兵衛は黙って、それらを並べて見る。
器だけではない。
灯の器。
松が砥堀で考えていたものと同じような品が、堺に少しずつ現れている。
「どこから来た?」
官兵衛が尋ねる。
だが、答えは曖昧だった。
「それが、分からんのです」
「仕入れた商人は?」
「それも……」
「分からぬのか」
与助が答える。
「商人たちは、仕入れ先を言わんのでしょう」
官兵衛は、ガラスの器を見つめた。
松本人の姿は見えない。
だが、松が考えたであろう品だけが、堺へ流れ込んでいる。
官兵衛は、並べられたガラスの品を眺めていた。
灯の器。
砥堀にいた頃の松が考えていたものと似ている。
だが、松本人を見たという話は出てこない。
官兵衛は与助に尋ねた。
「姉上の風貌なら、町を歩けば噂になるはずだ」
「はい」
「女にしては背が高い。顔立ちも目立つ。それに服装も普通ではない」
「そうですな」
「堺のような町なら、一度見れば覚える者もいるだろう」
「ですが……そういう話はありません」
官兵衛は黙った。
松が普通に町を歩いているなら、見つからないはずがない。
では、
「姉上は、表に出ていないのか」
与助も考える。
「そうかもしれません」
「だが、食うには銭がいる」
「はい」
「馬を売った銭だけで、いつまでも暮らせるわけではない」
「何かを売っているのでしょうな」
官兵衛はガラスの器を見る。
「……この品か」
与助が頷く。
「私は、その可能性が高いと思います」
官兵衛はしばらく考えた。
もし松が自分で店に立っていれば、必ず姿が知られる。
だが、松が考えたものを誰かに作らせ、商人に売らせているのなら。
本人が姿を見せる必要はない。
「姉上自身が売っているのではない」
「誰かに売らせている……」
そう考えれば、すべてが繋がる。
だが、次の問題がある。
「その誰かは、誰だ?」
与助は首を横に振った。
「分かりません」
「姉上と繋がりのある商人は?」
「何人もおります」
「その中の誰かが、姉上を匿っている可能性は?」
「高いと思います」
官兵衛は頷く。
しかし、誰なのかまでは分からない。
そして、商人たちは仕入れ先を決して口にしない。
「無理に聞き出すわけにもいかぬな」
確かな証がない。
ただ、
松が堺へ行った。
松が考えていたような品が堺に流れている。
松と繋がりのある商人が、それを扱っている可能性がある。
そこまでだ。
官兵衛は、静かに息を吐いた。
官兵衛は、しばらく黙ってガラスの器を見つめていた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「……商人たちは、仕入れ先を言わぬのだな」
「はい」
「儲かるからか」
与助が頷く。
「飯の種ですからな。わざわざ他人に教える理由はありません」
官兵衛は苦笑した。
「なるほど。姉上らしいと言えば、姉上らしい」
だが、笑ってばかりもいられない。
松は出奔した。
持って出た銭も多くない。
それでも堺で生きている。
ならば、何かを売って銭を得ているはずだ。
そして、実際に松が考えていたような品が堺に流れている。
「……だが」
官兵衛は顔を上げる。
「確信もないのに、堺の商人を責めることはできぬ」
職隆も頷く。
「下手をすれば、黒田が堺の商人を脅したという話になる」
「はい」
それは避けなければならない。
松を探すために堺との関係を壊せば、かえって松を遠ざけることになる。
官兵衛は地図へ目を落とした。
「姉上と繋がりのある商人は、何人もいる」
「その誰かを頼っている可能性は高い」
「だが、誰なのかまでは分からぬ」
しばらく沈黙が続く。
やがて官兵衛が、小さく笑った。
「……まあ、いい」
与助が顔を上げる。
「いい、とは?」
官兵衛はガラスの器を指先で軽く叩いた。
「あの姉上のことだ」
「自分で始めたことを、他人にでかくされてしまう性だ」
与助が思わず苦笑する。
「……確かに」
「砥堀でもそうだった」
「小さなことを始めれば、職人が工夫する。商人が売る。別の者が真似をする」
「気がつけば、姉上が始めたときより大きくなっている」
官兵衛はガラスの器を見る。
「堺でも同じだろう」
そして静かに言う。
「いずれ、ぼろを出してくれるはずだ」
与助が尋ねる。
「ぼろを?」
「ああ」
官兵衛は笑った。
「工房を大きくするなり、品を増やすなり、人を増やすなり……」
「姉上は、隠れているつもりでも、何かを始める」
「そして、それが大きくなればなるほど、隠しておけなくなる」
官兵衛は地図へ視線を戻した。
「だから焦るな」
「商人に無理を言うな」
「ただ、探し続けろ」
そして最後に、
「いずれ、姉上のほうから姿が見えてくるはず」
「それまで辛抱して、探せ」
与助は深く頭を下げた。
「承知しました」
その頃、堺では、松はまだ、自分が黒田からこれほど近くまで追われていることを知らなかった。
堺、商人の別邸。
松は、息子を膝に抱いていた。
外からは、町のざわめきが聞こえてくる。
商人が部屋へ戻ってきた。
「松様」
「はい?」
「また、与助はんが来てはりましたわ」
松の手が、わずかに止まる。
「……また?」
「ええ」
「何か分かったら、頼むと言われました」
「……そう」
松は小さく息を吐いた。
与助が、まだ探している。
黒田も、まだ諦めていない。
それが分かる。
けれど、松は、膝の上の息子を見る。
小さな手が、松の着物を握っている。
「……帰れないのよ」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
「ごめんなさいね」
息子の頭をそっと撫でる。
外では堺の町が、いつもと変わらず動いている。
その町のどこかで、黒田の者が松を探している。
そして松は、その堺の中にいる。
しかも、黒田が探している「松の痕跡」は、今日も少しずつ増えていた。




