第十一話 宗易の茶室と交渉派
堺で交渉に動くことになった松は、まず「交渉したい」と考えている者を探してもらうことにした。
ところが,案内された先は、思っていた場所とは少し違った。
「……ここですか?」
松が足を止める。
そこは、静かな茶席だった。
「はい。こちらでございます」
「交渉の話をするんですよね?」
「ええ。まあ、その予定ではあります」
松は少し首を傾げながら中へ入る。
中には、すでに三人の男がいた。
今井宗久。
津田宗及。
そして、千宗易
松は軽く頭を下げる。
「お初にお目にかかります」
「こちらこそ」
宗易が穏やかに頭を下げる。
松は席につく。
そして、何気なく茶室の中を見回した。
派手なものはない。
むしろ質素だ。
だが、松の目が、壁へ向いた。
「……」
少しだけ眉を動かす。
それから、床の間。
畳。
花入れ。
茶碗。
一つずつ、ゆっくりと視線を動かしていく。
宗易が気づいた。
「……何か、気になりますか?」
松は少し考えてから答える。
「いえ……」
もう一度、部屋を見回す。
そして、ぽつりと。
「なんか……あなたの意志を感じます」
宗易の表情が、わずかに変わった。
松はしばらく、茶室の中を眺めていた。
壁。
床の間。
畳。
花入れ。
茶碗。
どれも派手ではない。
けれど、よく見れば、それぞれに妙なところがある。
「……この壁土」
松が壁へ目を向ける。
「竹の葉を入れていますね」
「ほう」
宗易が少し身を乗り出す。
「ようお気づきになりましたな」
「普通なら、藁などを混ぜるのでしょう?」
「そういうものもございますな」
「では、わざわざ竹の葉を?」
「ええ」
松は壁を見ながら考える。
「これでなければ壁が作れない、というわけではないですよね」
「もちろん」
「なら……作り手のこだわりですね」
宗易が黙って松を見る。
松はそのまま視線を動かす。
「それに、ここも」
「どこです?」
床の間の畳だった。
「畳の縁」
松が指を示す。
「この帯のところだけ、刺繍が入っています」
宗及が笑う。
「ほんまによく見てはりますな」
「全部に入れないんですね」
松は不思議そうに尋ねる。
宗易が答える。
「全部に入れれば、かえって目立ちすぎますからな」
「……なるほど」
松は少し考える。
「全部を飾るんじゃなくて、飾る場所を決めている」
「ええ」
「ここだけ見てほしい、と」
宗易は嬉しそうに目を細めた。
松はさらに床の間へ視線を移す。
そこに置かれた竹の花入れを見る。
「これも……」
「はい?」
「かなり手が掛かっていますね」
松は花入れを眺める。
竹の表面。
その処理。
油の具合。
「これ、炙って処理しているんでしょうか」
「ほう」
「一本ずつ炙っているように見えます」
宗易が頷く。
「その通りです」
「量を作るなら、湯で処理したほうが早いでしょうに」
「そうでしょうな」
「でも、あえてこちらを選んでいる」
松は花入れから手を離す。
「……やっぱり、こだわりですね」
宗易は、もう完全に松の言葉を楽しんでいた。
松は、最後に茶碗へ目を向けた。
手に取って、しばらく眺める。
派手な装飾はない。
素朴な土の色。
けれど、雑に作られたものではない。
「……この茶碗も」
宗易が顔を上げる。
「はい?」
「質素ですけど、決して手を抜いているわけではないですね」
松は茶碗の肌を眺める。
「この土ですべて同じものを作るのは、難しいでしょう?」
「ええ。なかなか」
「だから、一つ一つ違う」
「そうですな」
「でも、それを無理に同じにしようとしていない」
松は茶碗をそっと置く。
「一個に、懸命に向き合っている茶碗なんでしょうね」
宗易は黙って茶碗を見る。
そして、松を見る。
「……面白いことを仰いますな」
「そうですか?」
「ええ。茶碗の良し悪しではなく、作った者のことを見ておられる」
松は少し困ったように笑う。
「私は工房をやっていますから。どうしても、そういうところが気になるんです」
「なるほど」
宗易が茶碗を手に取る。
「松殿の工房では、どのようなものを?」
「ガラスの器を作っています」
「ガラス……」
宗易の目が明らかに変わった。
「器も?」
「ええ。器や杯などを」
「ほう……」
宗易は茶碗を置く。
「一つ、見てみとうございますな」
「そのうち、お見せしますよ」
「できれば――」
宗易が少し身を乗り出す。
「作っているところも、見せていただけませんか?」
松は一瞬、目を丸くした。
「作っているところですか?」
「ええ」
「完成したものではなく?」
「はい」
宗易は楽しそうに笑った。
「どのように作られているのか、そちらのほうが気になります」
松は宗易を見て、ふっと笑う。
「……なるほど」
この人も、自分と同じなのだ。
出来上がったものだけではなく、
それを作った人間と、その仕事そのものを見る。
そう思った。
しばらく、器と工房の話が続いた。
政治の話をするために集まったはずなのに、気づけば茶室の話ばかりになっている。
宗久が苦笑する。
「宗易はん」
「なんです?」
「今日は政治の話をするんやなかったんですか?」
「ああ……そうでしたな」
宗及も笑う。
松も思わず笑った。
「私も、すっかり忘れていました」
宗易が茶碗を置く。
「では、その前に一つ」
「はい?」
宗易が、少し楽しそうに笑った。
「今度は松殿に、お茶でも催してもらいましょうかね」
「……私ですか?」
「ええ」
松は自分の周りを見回した。
「うちで?」
「はい」
「でも、借り屋敷なんですが……」
「大丈夫ですよ」
「何が大丈夫なんです?」
宗易はさらりと答える。
「松殿がお過ごしのお部屋で」
「…………」
松は黙った。
宗久が肩を震わせる。
「宗易はん、えらいこと言い出しましたなぁ」
松は宗易を見る。
「……仕返ししてません?」
「なんのことでしょう?」
「絶対そうですよね?」
「さあ?」
宗易は涼しい顔で茶を啜った。
松は小さくため息をつく。
「……わかりました。では、今度は私のお茶をお見せします」
「楽しみにしております」
宗易は、満足そうに笑った。
しばらくして、茶の席も終わりに近づいた。
宗久が湯呑を置く。
「さて……そろそろ本題に戻りましょうか」
松も姿勢を正す。
「はい」
ここからは、先ほどまでとは違って話は短かった。
堺と織田が戦になることは避けたい。
そのために交渉をする。
強硬に反対している者たちには、こちらから話をする。
そして、信長との交渉には、
「松はんにも来てもらいたいんです」
「私も、ですか?」
「ええ」
松は少し考えた。
そして頷く。
「……わかりました」
宗久が笑う。
「では、決まりですな」
宗易も静かに頷いた。
「次は、松殿のお茶を楽しみにしております」
「……そちらが本題だったりしません?」
「さて、どうでしょうな」
松は苦笑する。
こうして、その日の茶席はお開きとなった。




