第六話 松の活動
堺の別邸。
松が産後の身体を休めながら、縫い物をしている。
そこへ主人が、工房から上がってきた試作品を持ってくる。
「松様、また工房から品が上がってきましたで」
「また?」
「ええ。最近は次から次へと新しいものが出来ましてな」
松が受け取る。
小さなガラス器。
以前より形も整い、装飾も細かくなっている。
「……上手になったわね」
「職人たちも、もう松様に教えてもろたことを、自分らで工夫するようになりましてな」
松は少し嬉しそうに眺める。
最初は自分が付きっきりで教えなければならなかった。
けれど今では、職人たちが自分たちで新しいものを作っている。
そこへ別の品も運ばれてくる。
ガラス板を嵌めた小さな格子。
そしてグラス。
松が目を向ける。
「これも工房のもの?」
「はい」
松はグラスを手に取り、中に入った冷たい飲み物を見る。
「……ずいぶん色々作るようになったわね」
主人は笑う。工房が大きくなるにつれ、松のところへ届けられる試作品も増えていった。
以前ならば、松が職人たちの前で手を動かしながら教えていた。
だが今は違う。
職人たちは松から教わった技法をもとに、それぞれで工夫するようになっていた。
「これは、器の縁に模様を入れてみました」
「うん。悪くないわね」
「こちらは薄くしてみました」
「こっちはいいわ。けれど、薄くしすぎると割れやすくなるから気をつけて」
松は届いた試作品を一つずつ手に取り、気になったところだけを指摘していく。
工房へ出向くことは、以前よりずっと少なくなった。
それでも工房は止まらない。
むしろ、松がいなくても職人たちだけで新しい品を生み出すようになっていた。
器だけではない。
装飾を施した品。
板状にしたガラス。
そして、光を通すことを利用した加工品。
最近ではレンズにまで手を伸ばしている。
松はそれを眺めながら、
「……私が最初に教えたときは、こんなになるとは思わなかったわ」
と呟いた。
主人は笑う。
「職人というのは、面白いものでございますな」
「教えたこと以上のものを作り出しますから」
松は頷いた。
「そうね」
けれど、工房が大きくなればなるほど、別の問題も大きくなっていた。
主人が持ってきた帳面を開く。
「実は、売れ行きのほうもかなりのものでして」
「それはいいことじゃない」
「ええ。ですが……」
松も笑う。
だが主人は、少し困ったような顔をする。
「ただ……売れるからこそ、困ったことも出てきましてな」
「なに?」
主人が答える。
「ビードロ球です」
松の手が止まる。
「……足りなくなってきたの?」
「ええ」
工房が大きくなればなるほど、交易品として入ってくる材料だけでは追いつかなくなってきていた。
主人は苦笑する。
「このまま工房が大きゅうなったら、交易品だけでは足りんようになりますわ」
松はグラスを見つめる。
そして小さく、
「……どうしましょ」
と呟いた。
松が帳面を眺めていると、主人が少し考えてから口を開いた。
「……こればかりは、工房が大きゅうなった証でもありますな」
「そうね」
「最初は、交易で入ってくるものだけで十分でした」
「けれど今は、器だけやありません。装飾も、板も、レンズも作るようになりましたからな」
松は頷く。
「作れるものが増えれば、使う材料も増えるものね」
「ええ」
主人は帳面を閉じる。
「ならば、いっそ堺で用意できへんものか、と」
「ビードロ球を?」
「はい」
松は少し考える。
「ガラスを作るのと、材料を作るのは別の話よ」
「それは承知しております」
「すぐにできるとは思わないわ」
「ええ」
主人は苦笑する。
「ですが、これができれば、より利益が出るのですがな……」
「商人らしいわね」
「商人ですからな」
松は思わず笑う。
けれど、問題そのものは簡単ではない。
今までは海の向こうや他所から入ってくるものを買えばよかった。
これから工房をさらに大きくするなら、その材料まで自分たちで確保できるのか。
そこまで考えなければならなくなった。
松はガラスのグラスを眺める。
「まあ……調べてみる価値はあるかもしれないわね」
「おお」
主人の顔が明るくなる。
「ただし、できるかどうかは別よ」
「もちろんです」
そして主人は、ふと思い出したように言った。
「そういえば、もう一つ話がありましてな」
松が嫌そうな顔をする。
「まだあるの?」
「ええ。こちらは材料とは別の話でして」
「なによ」
「会合衆のことです」
「会合衆のことです」
「……会合衆?」
主人は頷く。
「私も一応、会合衆に入っておりますやろ」
「ええ」
「それで先日、役員に入らんかと声を掛けられましてな」
松は少し驚く。
「それは、すごい話じゃない」
「ありがたい話ではあります」
「じゃあ、受けたの?」
主人は首を横に振った。
「いえ。遠慮しました」
「どうして?」
主人は、当たり前のことを言うように答える。
「私はただ、松様の品を売っているだけですから」
松は少し目を丸くする。
「それだけ?」
「それだけです」
主人は笑った。
「私が作ったものでもありませんし、私が考えたものでもありません」
「松様の品を預かって、売らせてもろているだけですわ」
松は少し考える。
主人はさらりと言う。
「代わりに、松様を推されてしまいました。」
「…………私を?」
「はい」
松は思わず主人を見る。
自分は堺で静かに暮らしているだけ。
会合衆に入るつもりなど、まったくなかった。
「なんで私なのよ……」
主人は少し困ったように笑った。
「それがですな……」
そこで一度、言葉を切る。
「もう、松様のほうが私なんかより、よほど堺で知られておりますので」
松は主人の言葉を聞いて、少し首を傾げた。
「私のほうが?」
「ええ」
「なんで……」
主人は苦笑する。
「いまや、松様の品で小名大名に繋がりを持ちたい、いう商人まで出てきておりますからな」
「……そこまで?」
「はい」
松は黙ってしまう。
主人は続ける。
「工房に銭を出したい者もおります」
「松様の品を扱いたい者もおります」
「松様と懇意になっておけば、商売の幅が広がると思う者もおります」
そして少し間を置く。
「それに……」
「まだあるの?」
「松様ご自身を欲しがる者もおりますな」
「…………」
松の顔が引きつる。
「美人で、新しいものを次々と生み出す女人ですからな」
「それ、褒めてるの?」
「もちろん」
「……なんだか嫌な感じがするわ」
主人は笑う。
「みんな、松はんを狙っとるんですわ」
松は頭を抱える。
「私、ただ逃げてきただけなんだけど……」
「それが、堺に来てみればこの有様です」
「……私は静かに暮らしたいのよ」
「なかなか、そうはいかんようですな」
松はため息をついた。
松はしばらく黙っていた。
「……でも、私、別邸からほとんど出ていないわよ?」
「ええ。存じております」
「だったら、どうして私のことがそんなに知られてるの?」
主人は苦笑した。
「それが、職人の間で松はんの名前がよう出とるんですわ」
「職人の間で?」
「はい」
「この品は松様に教えてもろた」
「この作り方は松様が考えた」
「松様なら、こうするはずや――とな」
松は目を瞬く。
自分では、工房に出向くことも減っている。
試作品を見て、少し指示をするだけ。
それでも、職人たちにとっては違う。
自分たちが今まで知らなかった技術を教えてくれた女人。
新しい品を生み出す女人。
その名前が、職人たちの間で語られている。
主人は肩をすくめる。
「あきんどは、めざといんですわ」
「……でしょうね」
「職人から話を聞けば、誰がその技を教えたのかもすぐ分かる」
「そうなれば、松様がどこにおるのか探す者も出てきます」
松は少し考える。
「私、別邸に籠もっているのに?」
「籠もっておるからといって、絶対に安全というわけにはいきません」
主人の声が少し真剣になる。
「黒田の者に見つかることだけを心配しておればええ、という話でもなくなってきました」
松は黙る。
堺に来たときは、ただ身一つだった。
誰にも知られず、ひっそり暮らすつもりだった。
それなのに。
工房ができた。
商品が売れた。
商人が集まった。
職人たちが松の名を口にするようになった。
そして今では、その名を利用しようとする者までいる。
主人が静かに言う。
「そろそろ……護衛を用意せなあかんな、と思ております」
松は、思わず主人を見る。
「護衛……?」
「はい」
そして主人は、真剣な顔で頷いた。
松は主人の言葉を聞いて、少し考えた。
「……護衛ね」
「ええ。別邸に籠もっておられるとはいえ、もう絶対安全とは言えませんからな」
松は庭へ目を向ける。
堺に来たばかりの頃は、誰も自分のことなど知らなかった。
身一つで逃げてきた。
それだけだった。
それなのに今では、工房ができ、職人が集まり、商人まで自分の名前を知っている。
「……困ったわね」
そう呟いてから、松はふと思い出した。
「そういえば……」
「はい?」
「弥八郎さんにも帰ってきてもらえへんやろうか」
主人が首を傾げる。
「弥八郎?」
「ええ。国元に妻子に会いに行くって言ってたでしょう?」
「ああ……そういえば、そうでしたな」
「まだ戻ってきてないけど」
主人は少し考える。
「もう戻ってこない可能性もありますな」
「そうね……」
松も少し考える。
だが、すぐに首を振った。
「でも、あの人なら戻ってきたら役に立つと思うわ」
「確かに、旅にも慣れておりますしな」
「それに……」
松は少し笑う。
「変なところで勘がいいでしょう?」
主人も思わず笑った。
「それは間違いありませんな」
松はグラスを置く。
「じゃあ、帰ってきてもらいましょう」
「承知しました」
こうして、身一つで堺へ逃げてきた松のもとへ
今度は、護衛まで呼び戻されることになった。
主人が帰っていく。
松はその背を見送りながら、ふと自分の周りを見渡した。
別邸がある。
工房がある。
職人がいる。
商人がいる。
自分を支えてくれる主人までいる。
そして今度は、護衛まで用意しようとしている。
「……私、身一つで逃げてきたはずなのにな」
誰にも頼らず、生きていくつもりだった。
なのに、逃げてきた先で、少しずつ人が増えていった。
松は腕の中で眠る赤子を見る。
「……ほんと、不思議ね」
そのとき、格子戸のガラスを通して庭へ光が差し込んだ。
松はその光を眺める。
堺で生きていくつもりなど、出奔したときには考えてもいなかった。
それでも今は、ここで、この子と暮らしている。
そしてその暮らしさえも、いつの間にか多くの人間に支えられていた。
「……弥八郎さん、早く帰ってこないかな」
松は小さく笑った。
その頃、国元へ帰ったままの弥八郎は、まだ堺へ戻っていなかった。




