第十話 倹約にも限度がある
高友叔父様の屋敷から、姫路の黒田家の屋敷へ一時戻ってきた。
やっぱり、自分の家に戻ってくると少し安心する。
私は部屋へ入り、用意された寝床を見た。
「…………」
そして、しばらく黙った。
敷かれているのは布。
掛けるものも布。
枕は――。
「……これ、枕?」
木のような硬いものに、布を巻いただけ。
私は恐る恐る頭を乗せてみる。
「…………硬い」
少し向きを変える。
やっぱり硬い。
私は天井を見上げた。
前世の記憶が蘇る。
病院のベッド。
柔らかなマットレス。
ちゃんとした枕。
掛け布団。
「……病院のベッド、恋しい」
思わず呟いた。
前の人生では、病院が嫌だった。
できることなら、あそこから出たかった。
毎日同じ天井を見て。
身体を動かすこともできなくて。
外へ出ることもできなかった。
それなのに――。
「……あれ、結構快適だったんだな」
自分で言っていて、おかしくなる。
私は小さく笑った。
けれど、問題は寝床だけではなかった。
翌朝。
食事の席についた私は、目の前に並べられたものを見る。
「…………」
食べる。
「…………」
もう一口。
「…………」
私は静かに食事を置いた。
「……病院のご飯のほうが美味しいかも」
「松姫様?」
通が驚いた顔をする。
「ううん。なんでもない」
食べられないほど不味いわけではない。
でも、前世の病院食は、味が薄くても栄養を考えて作られていた。
温かいものもあった。
柔らかいものもあった。
そして何より――。
「……甘いもの」
ふと、そんな言葉が口から漏れた。
「甘いもの、でございますか?」
春が聞き返す。
「うん」
私は頷いた。
「甘いものが食べたい」
前世なら、いくらでもあった。
菓子。
ケーキ。
プリン。
アイス。
チョコレート。
ジュース。
それが今は――。
「…………」
ない。
「甘いもの……食べたい」
健康な身体を手に入れた。
走れる。
歩ける。
外にも出られる。
なのに、食べたいものが食べられない。
私は周囲を見回した。
黒田家。
武家。
そして、倹約を重んじる家。
それは分かる。
分かるけれど。
「……いくら倹約って言っても、限度があると思うんだけど」
思わず口に出た。
「松姫様?」
「なんでもない」
私は慌てて誤魔化した。
でも、これは本気だった。
寝床も質素。
枕も硬い。
食事も質素。
甘いものもない。
「黒田家って……こんなに質素なの?」
私は小さく呟いた。
そして――。
この日、私は一つ決めた。
**甘いものを探そう。**
そう決めたところで、私にできることはまだ何もない。
そもそも、この時代にどんな甘味があるのかすら分からない。
「……誰かに聞いてみようかな」
そう思ったときだった。
「松」
廊下から声がした。
高友叔父様だった。
「はい?」
「明日、砥堀へ戻る」
「砥堀?」
「ああ。しばらくこちらにいたからな」
私は少し考える。
砥堀。
高友叔父様の屋敷。
そういえば、最初に高友叔父様のところへ行ったときから、ずっと砥堀にいた。
なら――。
「私も行きます」
「……松もか?」
「はい」
高友叔父様が少し驚いた顔をする。
「姫路に戻ってきたばかりだろう?」
「そうですけど」
「砥堀へ行って何をする?」
「…………」
私は考えた。
酒。
武士。
高友叔父様との話。
そして――。
「甘いものを探します」
「…………」
高友叔父様が黙った。
「甘いもの?」
「はい」
「それを探すために、わざわざ砥堀まで来るのか?」
「はい」
私は真剣に頷いた。
「姫路にあるかもしれないじゃないか」
「ありませんでした」
「……そうか」
「だから、砥堀にあるかもしれません」
「なぜそう思う?」
「分かりません」
「…………」
高友叔父様が頭を抱えた。
でも、私は本気だった。
せっかく健康な身体を手に入れたのだ。
食べたいものくらい、食べたい。
「それに……」
私は少し考えてから続ける。
「おじさまのところにいるほうが、自由で楽しいです」
「そうか」
高友叔父様が笑った。
「なら、好きにしろ」
「本当ですか?」
「ああ。俺と一緒に来ればいい」
「ありがとうございます!」
私は嬉しくなった。
明日は砥堀
そして――甘いもの。
私は期待に胸を膨らませた。
その夜。
私は布団の中で、前世にあった甘いものを一つずつ思い浮かべていた。
「ケーキ……」
ふわふわの生地。
「プリン……」
つるりとした甘さ。
「アイス……」
冷たくて甘い。
「チョコ……」
口の中で溶ける。
「…………」
想像しただけで、食べたくなってきた。
私は天井を見上げる。
この時代に、どこまで再現できるだろう。
もちろん、全部作れるとは思っていない。
でも――。
「何か一つくらい、あるよね」
甘いもの。
それを探す。
なければ、作る。
私はそう決めた。
翌朝。
高友叔父様が砥堀へ向かう準備を始める。
私は当然のように、その列に加わった。
「松、忘れ物はないか?」
「ありません!」
「本当に?」
「はい!」
私は胸を張った。
こうして私は、再び高友叔父様について砥堀へ向かうことになった。
今度の目的は――。
**酒ではない。**
**甘いものだ。**




