第173話 地獄のショーの後遺症
生徒会室を出た二人は、夕暮れ色に染まり始めた廊下を並んで歩いていた。
窓の向こうでは、茜色の空がゆっくりと群青へ溶け始めている。
人気の少なくなった校舎には、二人分の足音だけが静かに響いていた。
陽向と雫は、互いの手を繋いだまま昇降口へ向かって歩く。
言葉は、ひとつもなかった。
陽向の頬には、拭い切れなかった涙の跡がまだ薄く残っている。
泣き疲れた瞳はどこか虚ろで、何も考えられないように足を前へ運ぶだけだった。
心の中は、まだぐちゃぐちゃだった。
朔也への想い。
雫の優しさ。
自分自身への嫌悪。
胸の中で絡み合った感情は解けるどころか、ますます深く結び付いてしまっている。
繋がれた手だけが、ぼんやりと温かかった。
その隣では、雫がその手を決して離すまいとするように、優しく、それでいてしっかりと握り締めている。
陽向の体温が、指先から伝わってくる。
その温もりだけで、胸の奥が甘く満たされていく。
たったそれだけのことが、どうしようもなく嬉しい。
さっきまで腕の中で泣いていた陽向。
自分だけに弱さを見せてくれた陽向。
その余韻がまだ胸いっぱいに残っていた。
陽向の手を握るたび、雫の心臓が幸福に震える。
まるで、この人を手に入れたような錯覚さえ覚えてしまうほどに。
思わず口元が緩む。
この温もりを、ずっと離したくない。
そんな甘く危うい幸福感に浸りながら、雫は静かに歩き続けた。
その時だった。
昇降口へ視線を向けた陽向の足が、不意に止まる。
ドクンッ────
心臓が、大きく跳ねた。
「…………朔…也……………………」
震える声が、無意識にその名前を零す。
昇降口の柱へ軽く寄り掛かるように立っていた。
鞄を肩へ掛け、こちらへ気付いた朔也はゆっくりと顔を上げる。
そして。
真っ先に視線が止まったのは────二人が繋いだままの手だった。
一瞬だけ目を丸くした朔也は、小さく首を傾げる。
「……なんで手ぇ繋いでんの?」
何気ない問い。
けれど陽向の肩は、びくりと震えた。
説明しようとしても、言葉が出てこない。
さっきまで生徒会室で起きた出来事が、頭の中を一気に駆け巡る。
キス。
涙。
抱き締められた温もり。
すべてが混ざり合い、喉の奥を固く塞いでしまう。
そんな陽向とは対照的に、雫は繋いだ手を離そうともせず、にっこりと笑った。
「仲良しだからだよ♡」
あまりにも自然で、あまりにも無邪気な笑顔。
朔也はその答えに肩を竦め、呆れたように小さく笑う。
「どんだけ大好きなんだよ」
雫は嬉しそうに笑った。
その屈託のない笑顔を見ながら、陽向だけが息を詰まらせていた。
「……なんで……居残り………?」
ようやく絞り出した声は、自分でも分かるほど頼りなく震えていた。
朔也は特に気にした様子もなく答える。
「俺は過去問演習。」
そう言って肩の鞄を軽く持ち上げる。
「雫もお前と約束あるって聞いてたから、6時にここで待ち合わせたんだよ。」
朔也は何気ない口調でそう言った。
その一言が、陽向の胸へ静かに沈んでいく。
「……。」
雫はそんな陽向の横顔を、静かに見つめていた。
困惑。
動揺。
そして、まだ拭い切れていない涙の名残。
さっきまで生徒会室で、自分の腕の中で泣いていた少女が、今は何も言えずに立ち尽くしている。
その姿が、どうしようもなく愛おしかった。
胸の奥で、心臓が甘く震える。
幸福感にも似た熱が、静かに全身へ広がっていく。
(…全部……計画通り。)
昨夜、LINEを送り陽向を生徒会室へ呼び出したこと。
今日の放課後という、朔也の過去問演習と被せて選んだこと。
そして、朔也との待ち合わせを午後六時にしたこと。
何一つ偶然ではない。
全部、自分で描いた筋書きだった。
誰にも悟られないよう、雫はゆっくりと口角を上げる。
その笑みは、誰が見ても無邪気だった。
けれど胸の奥では、これから始まる時間を想像するだけで、甘い期待が膨らみ続けていた。
──パッ。
雫はそっと陽向の手を離す。
次の瞬間には、弾むような足取りで朔也のもとへ駆け寄る。
「朔也くんっ♡」
嬉しそうな声とともに、その腕へごく自然に自分の両腕を絡めた。
まるで、それが当たり前であるかのように。
恋人として過ごしてきた時間を、その仕草だけで語るように。
腕を抱き寄せる距離の近さ。
肩が触れ合う温もり。
昨日も、その前も、何度も繰り返してきた自然な距離感。
その光景が、夕暮れの昇降口で静かに形になっていく。
陽向の視界の中で。
「大好きな朔也くんと……」
雫は幸せそうに微笑む。
そして、くるりと陽向へ視線を向けた。
その笑顔は、どこまでも優しく。
どこまでも無邪気で。
「大好きな星野先輩と……」
胸の奥で、小さく笑う。
(星野先輩……)
ここからが、本当の始まり。
ここから始まるのは、誰にも気付かれない、美しくも残酷な地獄のショー。
「3人で駅まで一緒に帰りましょっ!」
明るく弾む声が、夕暮れの昇降口へ響いた。
その笑顔の裏側で、雫の心は静かに熱を帯びていく。
(昨日の話を、沢山沢山聞かせてあげる。)
一つひとつを、嬉しそうに話してあげたい。
そのたびに。
さっき生徒会室で見せてあげた、昨日の写真や動画を思い出して。
私たちの幸せそうな笑顔を眺めながら。
羨ましそうに。
苦しそうに。
胸を締め付けられるように歪む顔が見たいな。
考えただけで、心臓が甘く高鳴る。
(どんな…可愛い顔を見せてくれるかな……♡)
時計の針は、午後六時。
校舎には最終下校を告げるチャイムが流れ始める。
ここから先、生徒が学校へ残ることはできない。
このまま三人で校門を出て、駅まで歩くしかない。
もう、この時間は止められない。
もう、この舞台から降りることもできない。
逃げ道なんて、最初からどこにもなかった。
「靴、履き替えてきますね♡」
雫はそう言って軽く微笑むと、朔也の腕を名残惜しそうにそっと離し、軽やかな足取りで下駄箱の方へ歩いていった。
夕焼けに照らされたその後ろ姿は、恋人との帰り道を心待ちにする、ごく普通の少女にしか見えなかった。
それから───────。
駅で雫と別れた陽向と朔也は、夕暮れの電車へ揺られていた。
窓の外には、群青へ溶け始めた冬の空。
街の灯りが一つ、また一つと瞬き始め、流れていく景色がガラス越しにゆっくりと滲んでいく。
規則正しく響くレールの音だけが、一定のリズムで耳へ流れ込んでくる。
陽向は吊り革へ手を掛けたまま、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
つい数十分前までの出来事が、まだ夢だったように現実感を持てない。
生徒会室で流した涙。
雫の腕の温もり。
耳元へ落とされた優しい囁き。
そして─────あのキス。
唇へ残る感触を思い出しそうになる度、胸の奥がざわりと波立つ。
雫は、俊輔の事を思い出して涙してしまった自分を。
持ち前の優しさで慰めてくれようとしただけだ。
それなのに、自分は。
あの瞬間、雫の向こう側に確かに朔也の影を見ていた。
彼女の純粋な同情と優しさを都合よく利用し、免罪符にするようにして、その唇に、熱に、自ら応じてしまった。
「……っ…」
罪悪感で息が詰まりそうになり。
陽向は耐えかねて、隣に立つ朔也へチラリと視線を投げた。
何一つ知らない無垢な顔をして、電車の揺れに身を任せている。
自分が恋焦がれ、けれど絶対に手の届かない、雫の恋人。
その大切なはずの朔也の、たった一人の愛する彼女と、自分はさっきまで唇を重ね合っていた。
裏切りという言葉すら生温いその事実に、心臓を直接素手で掴まれたような、とてつもない背徳感と自己嫌悪が押し寄せる。
自分の内側が、どす黒い泥で満たされていくようだった。
まとわりつくような思考を無理やり振り払うように、陽向は小さく、吐き出すような息を漏らした。
その時だった。
「なんか……」
隣に立つ朔也が、何気ない調子でぽつりと呟いた。
「学校帰りにひなと一緒になるの、久々だな。」
「……。」
陽向はゆっくりと顔を上げる。
その横顔は、いつもと何一つ変わらない。
特別な意味なんてない。
ただ思ったことを、そのまま口にしただけ。
けれど、その何気ない一言が。
ついさっきまで、背徳感に苛まれ。
駅までの道のりでは、目の前で繰り広げられた雫と朔也の幸せそうなやり取りを見せつけられ。
胸が張り裂けそうだった陽向の心へ、じんわりと染み込んでいく。
張り詰めていた心が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……そうだね…確かに。」
小さく笑う。
朔也とこうして並んで電車へ乗ることなんて、いつ以来だろう。
雫と付き合い始めてからは、朝も昼休みも放課後も、二人で過ごす姿を見るのが当たり前になった。
二学期の途中からは、自分自身が朔也を避け続けていた。
だから、こうして他愛もない会話を交わすことさえ、いつの間にか特別な時間になっていた。
「どーせ、しょっちゅう寝落ちして駅乗り過ごしてんだろ。」
「まぁ……たまにだよ?」
「よく電車でそんな爆睡出来るよな。」
「別に爆睡してなくても、ぼーっとしてたら乗り過ごすんだよ。」
「電車乗った瞬間タイマーかけとけよ。」
「お、それいいね!」
陽向がパッと笑う。
その笑顔を見た朔也は、肩を竦めながら苦笑した。
「ひなに関しては、タイマーかけることすら忘れそうだけどな。」
「あははっ!それなー!」
思わず吹き出す。
二人の笑い声が、小さく車内へ溶けていく。
何気ない掛け合い。
何気ない空気。
昔から何一つ変わらない、この距離感。
何も飾らなくても笑い合える。
言葉を選ばなくても通じ合える。
そんな当たり前だった時間が、今はどうしようもなく愛おしかった。
さっきまで胸を締め付けていた苦しさが、ほんの少しだけ遠ざかっていく。
レールの音に身を委ねながら、陽向はそっと目を細めた。
────この時間が、もう少しだけ続けばいいのに。
そんな、小さな願いだけが。
静かに胸の奥で、揺れていた。
───────。
電車を降りた二人は、人の流れへ紛れながら改札を抜けた。
冬の夜気が、火照った頬をゆっくりと撫でていく。
駅前には仕事帰りの人々が行き交い、コンビニの灯りや車のヘッドライトがアスファルトを淡く照らしていた。
二人は並んで歩きながら、そのまま慣れた足取りで駐輪場へ向かう。
他愛もない話は、駅を出てからも自然と続いていた。
くだらないことで笑い合い。
お互いに軽口を叩き合い。
気付けば、会話が途切れる瞬間は一度もなかった。
自転車を引き出し、それぞれがサドルへ跨る。
ペダルを踏み出すタイミングまで、不思議なくらい自然に揃っていた。
住宅街へ続く夜道を、二台の自転車が並んで走る。
冬の風は冷たいはずなのに、不思議と寒さは気にならなかった。
信号待ちで横に並び。
顔を見合わせて、冗談を言っては笑い合って。
青へ変われば、また同じ速さで走り出す。
そんな何気ない時間が、妙に懐かしかった。
朔也は前を向いたまま、小さく息を吐く。
(なんか懐かしいな………)
こうしていると、あの頃へ戻ったみたいだった。
まだ、雫と付き合う前。
学校帰りも。
休日も。
気付けば、いつも陽向が隣にいた。
夢中だった。
大好きで。
藤崎俊輔や鷹井綾真と話しているだけで嫉妬して。
少しでも笑ってもらいたくて。
少しでも隣にいたくて。
独り占めしたくて。
振り向いてほしくて。
どうしようもなく、ひなに恋をしていた。
あの頃は、こんな何気ない帰り道でさえ特別だった。
ただ隣を走っているだけで嬉しくて。
今日も一緒に帰れた。
それだけで、一日が報われた気がしていた。
そんな自分を思い出し、朔也は小さく苦笑する。
(……ほんと……必死だったな。)
やがて住宅街へ入り、二人はそれぞれの家の前へ辿り着いた。
隣り合う駐輪場へ自転車を止める。
カチリ、とスタンドを立てる音がほとんど同時に重なった。
「……。」
「……。」
帰ろうと思えば、もう帰れる。
玄関までは数歩しかない。
それなのに。
どちらからともなく足が止まり、自然とお互いへ向き合っていた。
何か話したいわけでもない。
けれど、このまま「じゃあね」と別れてしまうには、少しだけ寂しい気がした。
もう少しだけ。
あと少しだけ。
そんな想いが、お互いの足をその場へ留めていた。
先に口を開いたのは、陽向だった。
「……私立一般って、いつ?」
「来週。」
朔也は気負いのない口調で答える。
「どんな感じ?」
「滑り止めだからな。まぁ、余裕。」
肩を竦めながら笑う朔也を見て、陽向も小さく笑った。
「確実なところ狙うか。」
「そりゃそうだろ。」
その何気ないやり取りだけで、胸の奥が少し温かくなる。
けれど、その温もりの裏側では。
陽向の胸が、静かに締め付けられていた。
ふいに、先日の昼休み。
蒼太に言われた言葉が胸の奥で蘇る。
(素直に言ったら?行かないでって)
喉が、きゅっと鳴る。
言いたい。
でも、そんなこと言えない。
言ってしまえば、朔也を困らせるだけ。
雫を傷付けるだけ。
そして何より。
自分の事を責めて、また苦しくなるだけ。
陽向は小さく唇を噛み締める。
「あの……さ……」
ようやく絞り出した声は、自分でも分かるほど頼りなく震えていた。
「もし……私立に行くことになったら…… 実家から通うの?」
ほんの少しだけ視線を落とす。
朔也は特に深く考えることもなく答えた。
「まぁ。家から通えるとこ条件で選んだから。」
「………………そっか……」
その一言を聞いた瞬間。
陽向の肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。
胸を締め付けていた不安が、わずかにほどけていく。
寮へ入る。
その言葉ばかりが頭の中で大きく膨らみ、まるでそれがもう決まった未来であるかのように思い込んでいた。
けれど、まだ受験は終わっていない。
朔也の第一志望は、難関の国公立大学。
倍率も高く、合格率も決して楽観視できるものではない。
朔也が確実に合格するとは限らない。
だから───
(……まだ……決まったわけじゃない…)
胸の奥へ、小さな希望が灯る。
その温かな光に、心が縋りかけた───その瞬間。
(………待って。)
陽向は、ハッと息を呑んだ。
(…………私….………)
ゆっくりと、表情から血の気が引いていく。
今、自分は何を考えた。
朔也が、不合格になるかもしれない。
その可能性に、ほんの少しだけ安心してしまった。
その事実が、胸へ鋭く突き刺さる。
(…違う……違うでしょ……)
心の中で何度も首を振る。
朔也は、ずっと努力してきた。
朝から晩まで勉強して。
遊びたい気持ちも我慢して。
夢を叶えるために、必死で走り続けてきた。
その姿を、一番近くで見てきたはずなのに。
そんな朔也の未来を。
一瞬でも。
心のどこかで願いきれなかった自分に嫌気がさした。
(……最低だ…………)
胸が苦しい。
幼馴染として。
それ以前に、一人の人間として。
失格だ。
陽向は小さく俯き、唇を噛み締める。
長い前髪が表情へ影を落とし、肩も力なく落ちていた。
「………………。」
そんな陽向を正面から見ながら、朔也は小さく息をついた。
(……なんでこんなに……わかりやすいんだこいつは………)
昔から、陽向は全部顔へ出る。
隠そうとしても隠しきれない。
つい先週。
一緒にレオの散歩へ行った、あの夜のことを思い出す。
街灯に照らされた夜道。
陽向が、不意にぽつりと呟いた。
(…………寂しい。)
そう零した直後、自分で慌てたようにレオを抱き上げて。
苦しい言い訳を並べながら、必死に笑って誤魔化そうとしていた。
けれど。
誤魔化せば誤魔化すほど、その寂しさの本心が滲み出てしまっていて。
結局、最後には。
(……朔也のことが大好き。)
ドクン。
その言葉が脳裏へ蘇った瞬間、朔也の心臓が大きく脈打った。
今でも鮮明に覚えている。
あの時の陽向の瞳。
震える声。
そして、自分を見ながら向けられた、あまりにも真っ直ぐな想い。
その記憶が、静かに熱を帯びながら蘇り始めていた。
忘れようとしたはずなのに。
胸の奥へ封じ込めたはずなのに。
思い出すほど、心臓がうるさく鳴り始める。
(やばい…これ以上は………)
このままここにいたら。
何かを、取り返しのつかないほど壊してしまいそうな気がした。
雫という恋人がいる今、これ以上この感情へ踏み込んではいけない。
そう自分へ言い聞かせるように、朔也は小さく息を吐いた。
「じゃ、俺勉強するから…」
そう言って逃げるように振り返り、玄関へ向けて一歩を踏み出す。
(やだ…)
陽向の心の叫びが胸の奥に響いた。
その瞬間。
グイッ─────
「………っ!」
上着の裾が、不意に後ろへ引かれた。
朔也は、驚いて振り返る。
そこには俯いたまま、自分の上着を小さく握り締める陽向が立っていた。
白い指先は、布をぎゅっと握り締めたまま震えている。
「な、なんだよ」
問い掛けても、陽向は俯いていて。
「…あ…えっと………あの……」
陽向自身も、自分の行動に理解が出来ていない。
ただ咄嗟に、反射のように掴んでしまった。
何か言わなきゃ。
誤魔化さなきゃ。
でも、何も思い浮かばない。
焦れば焦るほど頭は真っ白になっていく。
視線が泳ぐ。
頬へ一気に熱が集まり、耳まで真っ赤に染まっていく。
パニックになって、何も考えられなくなった陽向は、ついに。
そのまんまの心境が、見事に口から飛び出した。
「まだ……行かないで…」
「っっっ!?!?!?」
時間が止まった。
朔也は目を見開いたまま、その場で固まる。
真っ赤になった頬。
困ったように寄せられた眉。
今にも泣き出しそうな、潤んだ瞳。
切ないような、苦しいような顔で自分を見上げてくる。
(出たーーーーー!!!この顔ーーーーっ!!!!)
心臓が、限界まで跳ね上がった。
胸の奥で脈打った鼓動が、耳の奥まで響き渡るようだった。
何故。
どうして。
一体それは何なんだ。
何度「違う」と自分に言い聞かせても。
何度「考えすぎだ」と自分を納得させようとしても。
その表情を見るたびに、積み上げてきた理性が音を立てて崩れていく。
毎回、毎回。
いつまでも、心を掻き乱される。
(朔也のことが、大好き。)
その言葉が、今も心の奥底へ深く突き刺さったまま、抜けない。
………まさか………本当に………ひなは。
その先を考えようとした瞬間、胸の奥から強い恐怖が込み上げる。
期待したくない。
傷つきたくない。
考えたくもない。
また一人で勝手に勘違いして、勝手に傷付くだけで。
そんな惨めな思いは、もう二度としたくなかった。
雫のことが好きだ。
心から大切にしたいと思っている。
これから先も、ずっと一緒に笑っていてほしいと思える、かけがえのない存在。
その気持ちに、嘘はない。
けれど、それでも。
陽向への想いだけは、どれだけ時間が過ぎても心の奥底へ根を張ったまま、完全には消えてくれい。
忘れたつもりでも。
吹っ切れたつもりでも。
こうして陽向が苦しそうな顔を見せるたび、心は勝手に揺さぶられる。
どうしても目が離せない。
どうしても放っておけない。
このまま答えの出ない想いを抱え続けるのは、もう限界だった。
期待して。
否定して。
また期待して。
そんな堂々巡りを、いつまで繰り返せばいいのか分からない。
だから─────
たとえ、その答えが自分を深く傷付けるものだったとしても。
たとえ、完全に希望を打ち砕かれる結果だったとしても。
もう、いっそ。
曖昧なまま抱え続けるより、真実を知って終わらせた方がいい。
その方がきっと、前へ進める。
朔也はゆっくりと息を吸い込み、胸の奥で静かに覚悟を決める。
そして、ずっと心の中へ引っ掛かり続けていた、その問いを。
陽向へ向かって、慎重に投げ掛けた。




