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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第三章〜高3編〜【最終章】  作者: 波方 真季


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第163話 夢から醒めた夢の中


時刻は、午後一時を回った頃だった。


カーテンの隙間から差し込む午後の陽射しが、部屋の床へ柔らかな四角い光を落としている。

熱にうなされていた昨日とはまるで違う、穏やかな時間だった。


その静寂を破るように──




ぐぅぅぅぅぅぅ〜〜……




盛大な腹の虫が部屋中へ響き渡る。


「…お腹すいた………」


陽向は思わず呟いた。


時間を忘れるほど夢中で読んでいた本から顔を上げ、ベッドの上へ無造作に置かれたスマートフォンへ視線を向ける。


そういえば、と。

朝、ぼんやりと目を覚ました時に見た母からのメッセージを思い出した。


”うどん作ってあるから起きたら食べてねー”


短い一文。

けれど、その何気ない言葉からは、母らしい優しさが滲んでいた。


陽向はパタン、と栞を挟んで本を閉じる。


ベッドへ腰掛けたまま、ぐっと両腕を頭上へ伸ばした。


「…………うーーーんっ……」


背筋が心地よく伸びる。


昨日まで身体中へまとわりついていた鉛のような重さはもうほとんど感じない。


試しに首を回してみる。

肩を動かしてみる。

額へ手を当ててみても、あの焼け付くような熱はもうなかった。


身体が、軽い。


昨日あれほど苦しめられていた頭痛も、関節の痛みも、嘘みたいに消えていた。

病み上がり特有の気怠さはまだ少しだけ残っているものの、余裕で普通に歩けそう。


陽向は満足そうに、小さく笑う。


「ロキソニン、優勝っ♪」


思わずそんな感想が口をついて出る。


もちろん薬だけのおかげではない。

ちゃんと眠れて、たくさん汗をかいて、身体が休めたからだ。

それでも、昨日あの辛さを味わった身としては、その効果に拍手を送りたくなるくらいだった。


勢いよく布団を捲る。

ひんやりとした床へ足を下ろし、そのまま立ち上がる。

ふらつきは、もうない。


陽向は小さく深呼吸をひとつすると、昼食の待つリビングへ向かうため、部屋のドアへ手を伸ばした。


階段を下り、リビングへ足を踏み入れた、その瞬間だった。


「キャンッ!キャンッ!」


待ってましたと言わんばかりの元気な鳴き声が部屋いっぱいへ響き渡る。


視線を向けると、ケージの中では小さな茶色い身体がぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

嬉しさを隠しきれないように前足でケージへ飛びついている。


「レオぉぉぉ〜!」


陽向の顔が一瞬でほころぶ。


「昨日会えなくてごめんねぇ〜!」


駆け寄りながらしゃがみ込み、急いでケージの扉を開ける。

次の瞬間、小さな身体が勢いよく胸元へ飛び込んできた。


「わっ、レオしゃ〜ん!」


顔をぺろぺろ舐められ、思わず笑い声がこぼれる。


「寂しかったね〜」


レオは返事をするように、今度は陽向の足元をくるくる回り始める。

尻尾は千切れそうなほど激しく揺れ、全身から「嬉しい!」という気持ちが溢れ出していた。

陽向は高いトーンの声を出しながら、両手でレオの身体をわしゃわしゃと撫で回す。

昨日は高熱で相手をしてあげられなかったぶん、その時間を取り戻すように、陽向とレオはしばらく夢中になってじゃれ合っていた。


────その時だった。



ガチャン。



玄関の扉が開く音が、静かな家の中へ響いた。


「……え?」


陽向の手が止まる。

レオもピンッと耳を立て、玄関の方へ顔を向けた。


(ママ?)


時計を見る。

まだ仕事中の時間のはずだ。


(早退してきたのかな…)


陽向は不思議そうに首を傾げながらリビングの入口へ視線を向けた。


トトトッ──。


小さな足音を響かせながら、レオが勢いよく玄関へ駆けていく。

尻尾をぶんぶんと振り回しながら、玄関の前で嬉しそうにくるくると回り始めた。


その直後。

聞き慣れた声が響く。


「レオ〜。よしよーし」


優しく笑うようなその声に、陽向の目が大きく見開かれた。


「え!?朔也!?」


驚きのあまり、声が裏返った。

レオを撫でながら靴を脱いだ朔也は、そのまま何事もないような顔でリビングへ入ってくる。


「お、起きてた。熱大丈夫?」


当たり前のような顔で、問いかけてくる。


「あ……な、なんで……朔也が……」


昨日。

学校で倒れた自分を病院に連れてってくれて、送り届けてもらって。

その後、雫とデートへ行ったはず。

夢の中では、自分の部屋へと朔也が帰ってきたけれど。


なんせ昨日までの二ヶ月間。

自分が朔也へ取ってきた態度は酷いものだった。

昨日は緊急事態だったから、朔也も恐らくやむを得ずだったものの。


それでまさか、本当にまた来るなんて思ってもいなかった。


(夢から醒めた夢の中…とかじゃないよね?)


驚きで固まる陽向をよそに、朔也は慣れた足取りでキッチンへ向かう。


「さなちゃんが、俺に昨日のチキンとかピザとか食っくれって…」 


振り返りもせず、肩をすくめる。


「誰かさんのせいで、せっかくのクリスマスのご馳走が泣いてんだよ〜。」 


茶化すように笑う声。

その軽口に、陽向は申し訳なさそうに眉を下げる。


「……ママに…悪かったな…」


「冗談だっつの。」


ガスコンロの上へ置かれた鍋へ手を伸ばし、蓋を開ける。

ふわりと、出汁の優しい香りが立ち上った。

朔也は鍋の中を覗き込み、ふと眉をひそめた。


「……って。」


鍋の中には、手付かずのうどん。


「うどん食ってねーじゃん。」


カタン、と静かに蓋を閉める。

そのまま真っ直ぐ陽向の方へ歩いてくる。


スタスタ…


突然朔也が近づいてきて、陽向の鼓動は速くなっていく。


(な、なに…)


昨日までなら、こんなことで緊張なんてしなかった。

なのに今は、近付いてくるだけで心臓がうるさい。


朔也は陽向の前で立ち止まると、何の迷いもなく。

そっと手を伸ばした。



──ピタ。



大きな掌が、陽向の額へ優しく触れる。


「……っっっ!?!?」


全身がビクリと跳ねた。

額へ伝わる掌の温もり。

昨日までは当たり前だったその行為が、今は信じられないほど近く感じる。


「だいぶ熱下がってんじゃん。」


安心したように微笑みながら。


「なんか食えそう?」


その何気ない一言さえ、陽向の耳には妙に優しく響いた。






(ギャーーーーーーーー!!!!!)






ビーッ!ビーッ!ビーッ!


頭の中で警戒アラートが鳴り響いた。



《緊急事態!緊急事態!》


《恋愛感情発覚後、初接触!!》


《距離が近すぎます!!》


《心拍数、急上昇!!》



(……出た………!)


陽向の全身に、一気に汗が吹き出した。







(脳内警戒アラート……!!)







ズザァァァーーーーーーッ!!





陽向は反射的に床を滑るように大きく後退した。


「な、なんだよ…」


朔也が目を丸くする。


「大丈夫?」


心配そうに、もう一歩近付こうとする。


(や、やばい……小人軍隊が…………)


このまま距離を詰められたら。

絶対、世紀末のような大戦争が勃発してしまう。

また以前みたいに頭が真っ白になって、勢い余って殴ってしまうかもしれない。


それだけは避けたい。

陽向は両手を勢いよく前へ突き出した。


「ストーーーーップ!!!!」


ビシィッと両手の掌を朔也へ向け、全力で制止する。


「…!?」


思わず一歩踏み込もうとしていた朔也の足が止まった。

陽向は肩で息をしながら、その場で固まる。


(…な…っ…これは……!)


この感覚。

この心臓。

この全力で距離を取ってしまう反応。


確実に、経験したことがある。


そして、数秒後。

脳内の記憶が、一気に繋がった。





俊ちゃんの時と全く同じ行動やんけーーーーー!!!





頭の中で、盛大にツッコミが炸裂する。



そうだ。

あの、懐かしき高一の春。


人生で初めて本気で恋をした、あの頃。


彼が近付くだけで心臓が爆発しそうになって、触れそうになるたびに挙動不審になって。


平静を装おうとしては失敗し、一人で勝手に大騒ぎしていた。


まさに、あの頃の自分。




これは、本当に現実なのか。




自分でも信じられなかった。


この十八年間、平気で隣にいて。

平気で言い合いをして。

平気で捌き倒し合って。


昨日は平気で着替えまで手伝われていた相手なのに。


今は、額に手を当てられただけで心臓が限界を迎えている。

あまりの変化に、自分自身が一番ついていけなかった。


そんな陽向を見て、朔也は怪訝そうに眉をひそめる。


「人をゾンビを見るみたいな目で見るなよ」


「へっ!?」


思わず素っ頓狂な声が漏れる。


ゾンビを見る目……?


そんなつもりは全くなかった。

でも、警戒心丸出しの態度になってしまっていた自覚だけは、ちゃんとあった。


「…コホン。」


陽向は小さく咳払いをひとつ。


暴れ回る鼓動を必死になだめるように、ゆっくり息を吐く。


落ち着け。

冷静に。

何も変わってない。

今まで通り。


そう何度も自分へ言い聞かせながら、ぎこちなく笑みを作る。


「ご、ごめん。」


ようやく改めて朔也の姿を見た、その時だった。


前髪が少しだけ濡れている。

首元にも、まだ湯上がり特有の熱が残っているようで。

改めて冷静になると、シャンプーの爽やかな香りがふわりと漂ってきた。


「お風呂上がり?」


咄嗟に聞いた。


「うん。昨日寝落ちして。」


朔也は何でもないように頷いた。

その一言を聞いた瞬間。


(……ハッッッッ!!!!!!!)


ある重大な事実が、陽向の脳内へ稲妻のように突き刺さった。




…私………風呂キャンしてんじゃん………………。




「最悪っ!!!」


悲鳴にも近い叫びがリビングへ響き渡る。


「なにがだよ」


突然の絶叫に、朔也は目をぱちくりさせる。


「いや…わ、私………」


言葉にならないまま真っ赤になった陽向は、勢いよく踵を返した。


「シャワー浴びてくる!!」


「おい待て病人っ!!」


陽向が脱兎のごとく逃げ出そうとした瞬間、ガシッと首根っこをあっさり掴まれる。


「熱出してて!今だけ解熱剤効いてるからって調子に乗ってシャワーとか言ってんじゃねぇぞ」


呆れたような声が真後ろから降ってくる。


「いやー!!だって昨日風呂キャンしてるー!!」


「……は?」


半泣きで訴える陽向に、朔也の目が点になる。

数秒の沈黙。

そして、心底不思議そうに首を傾げる。




「今さら…?」




ドーーーーン!!


その一言は、巨大な爆弾となって陽向の脳内へ直撃した。


「……へ?」


「昨日あんだけ高熱だったんだから、風呂入れなかったのなんて当たり前だし…」


朔也は肩をすくめる。


「つーか、そもそも….」


さらに、容赦ない追い討ち。


「お前が人に会わない時に風呂入らないのなんて、いつものことだろ」


ゴンッ!


今度は巨大な岩が頭頂部へ直撃した気分だった。


そして、最後にトドメ。


「今さら案件過ぎねーか?」


ピシッ…


「…………………。」


陽向は石像のように固まる。


(女子としてオワコン過ぎるだろーーーーーー)


恋を自覚した翌日に、自分は風呂キャン常習犯として認識されている事実を改めて突き付けられるとは。


自分の今までの行動を全力で後悔する。


そりゃ、そうだ。

思い返せば。


「だるい。」


「風呂ってなんで存在するの?」


「ボタンピッて押したら寝たまま一瞬で全身綺麗になる装置を開発してくれた人に一生土下座するわ」


「風呂なんてこの世から消えてなくなればいいと思う。」


休日にそんな無茶苦茶なことを言っては、朔也に散々蹴り飛ばされながら無理矢理風呂に入れられたことが何度あっただろう。


今までは何とも思わなかった。

でも。

好きになった途端、そのすべてが黒歴史へと変わる。

朔也の中で自分という存在がいかに女子として終わり過ぎているかを痛感する。

心の中で盛大に頭を抱えるも、それでも陽向は諦めなかった。


「で、でもっ!!いっぱい汗かいたから…気持ち悪いんだよっ!!」


必死でシャワーを浴びようと食い下がる。


「…しょーがねぇなぁ……」


朔也は、はぁ…と深いため息をついた。

その顔は呆れ半分、心配半分。


「だったら風呂沸かしてやっから…シャワーじゃなくてせめて湯船にあったまれ」


そう言うと、掴んでいた首根っこをぽんっと軽く離した。


「大人しく待ってろ。」


振り返ることもなく、そのまま浴室へ向かって歩いていく。

陽向はその背中を見つめたまま、ホッ…と胸を撫で下ろした。


そして。


「お湯溜まるまでに飯くっちゃえよ」


浴室から戻った戻った朔也は、ガスコンロに火を入れた。


カチッ。

青い炎が静かに立ち上がり、鍋の底を優しく包み込む。


その様子を見ていた陽向が、パッと顔を上げる。


「私もチキンとピザとケーキ食べたい」


「はっ!?病人のくせに食えんの?」


朔也は思わず振り返った。


「だって昨日殆どなにも食べてないからお腹すいた」


「まじかよ…うどんどーすんの?」

 

「それも食べる」


「はぁ〜?」


呆れたように言いながらも、その食欲が戻ったことに朔也は内心ほっとしていた。

昨日は、水を飲むことさえ辛そうだった。

そんな陽向が「お腹すいた」と言えるまで回復した。

それだけで十分嬉しかった。


「あっ!そー言えば!」


陽向は何かを思い出したように目を輝かせると、ぱたぱたと冷蔵庫へ駆け寄り、勢いよく扉を開けた。


「これだ!ママが前の日の夜に仕込んでたローストビーフ♡」


冷蔵庫の奥から取り出した大皿を、宝物でも見つけたようにキッチンカウンターへぽんっと置く。


ラップ越しにも伝わる鮮やかな赤身。


薄く切り分けられたローストビーフは艶やかに並べられ、彩り豊かな野菜が周りを飾っていた。


「お、うまそー!」


朔也は目を輝かせる。


「あとは〜…なんか昨日の朝、サラダらしきものも作ってたんだよなぁ〜」


そして開いた野菜室を覗き込む。


「あったー♡生ハムとチーズのリースサラダ!!」


嬉しそうに持ち上げた大皿には、生ハムの淡いピンクとチーズの白、ミニトマトの赤、ブロッコリーの緑がリースのように美しく並べられていた。


「お前…さなちゃんにこんだけのご馳走用意させといてパーティおじゃんにするとか死刑案件だ……」


「今から食べるんだからいいでしょっ!」


「今から全部食うの!?」


「2日分の栄養取り戻さないと!」


「……………。」


朔也は言葉を失った。

そして、呆れたように肩を落とし、小さく吹き出した。


「じゃあ、全部温めて皿とか用意しといてやるから、先に風呂入ってこい。」


「やったー♡」


陽向は嬉しそうに笑う。

その笑顔を見て、朔也は鍋の火加減を弱めながら、胸の奥でそっと安堵していた。


(……ま、元気になってよかった。)


昨日は、あれほど苦しそうだったのに。

こうしていつもの陽向らしく騒いでいる姿が、今日は何より嬉しかった。




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