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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第三章〜高3編〜【最終章】  作者: 波方 真季


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第160話 必殺、地獄の顔面告白


何とか身体を支えながら。


朔也の手を借りて、陽向はようやくブレザーとカーディガンを脱ぎ終えた。

肩に掛かっていた二枚のコートも外され、残るのはワイシャツだけ。

熱で力の入らない身体は、朔也へ寄り掛かりながらふらついている。


朔也はフゥ、と息を吐き、陽向をの身体をポイッとベッドへ放流した。


「はい!ここから先は自分で何とかしろよ!」


朔也はベッドから立ち上がる。


「…うん………」


掠れた返事だけが返ってきた。


「向こう向いてるから!ちゃんと着替えろよ!」


念を押すようにそう言うと、朔也は踵を返す。

ぶっきらぼうに言い残し、陽向の机の椅子へ腰を下ろした。

頬杖をつき、大きく息を吐く。


暖房を入れた部屋の空気は暖かくて、その静けさの中に聞こえるのは、陽向の荒く浅い呼吸だけ。

これ以上は自分が手を出すわけにもいかない。

あとは陽向自身に頑張ってもらうしかなかった。

部屋へ、衣擦れの音が微かに響く。

朔也は少しだけ肩の力を抜いた。


……数十秒後。


「……すぅ……………ぐー…………」


静かな寝息が聞こえた。


(……は?)


嫌な予感がして、そー…っと振り返る。

そして、その光景を見た瞬間。


「……おい。」


思わず低い声が落ちた。


陽向はベッドへ横たわり、両手はワイシャツの胸元へ置いたまま眠っている。


元々陽向は、二つ目のボタンまでは常に外れている。

三つ目と四つ目のボタンだけは何とか今外したらしい。

けれど五つ目へ指を掛けたところで、力尽きたのだろう。


指先はそのまま止まり、規則正しい寝息だけが静かな部屋へ溶けていた。


「ふざっけんなよ……!」


呆れ半分、心配半分。

朔也は勢いよく立ち上がる。


椅子がガタンッと音を立てた。


「いい加減にしろ!」


もちろん返事はない。

熱に浮かされた陽向は、小さく胸を上下させながら眠り続けているだけだった。


朔也は大きく息を吐き、頭を掻いた。


(ちっくしょ〜〜〜……。)


心の中で盛大に叫ぶ。

視線の先には、途中まで開いたワイシャツ。

その胸元から覗いているのは、白いインナーだった。


下着じゃない。


それを確認すると、張り詰めていた肩から少しだけ力が抜ける。


シャツ姿なんて、今まで何度見てきた。


風呂上がりに髪も乾かさずリビングを歩き回っていたし、真夏になれば、自分の家でも陽向の家でも、いつもシャツいちでゲームをしていた。

そんな姿は、もう数え切れないほど見てきた。

今さら恥ずかしがるようなもんじゃない。


……そのはずだった。


なのに。

胸の奥だけが、妙に落ち着かなかった。


「……あーもう…!」


怒りとも溜め息ともつかない声が漏れる。


それでも。

汗を吸った制服のまま眠らせるわけにはいかない。

熱はまだ高い。

ここで躊躇している方が、よほど馬鹿だ。


こんなの全く、どうってことない。


ワイシャツさえ脱がせれば、あとはシャツの上からスウェットを着せればそれで終わり。

たったそれだけ。


そう腹を括ると、朔也は再びベッドへ腰を下ろした。


「おい、ひな。」


背中へそっと腕を回す。

熱で火照った身体は、触れた瞬間にも分かるほど熱かった。


「最後だけ、もうひと頑張りしろ!!」


苛立ちながら、自分に対してもそう言い聞かせるように声を上げる。

朔也は眠る陽向の身体をゆっくりと起こした。


陽向の背中を自分の胸にもたれ掛からせるように支えて。

朔也は後ろからそっと腕を回し、そのまま前へ手を伸ばした。


指先が触れたのは、ワイシャツの小さなボタン。


熱でぐったりと力を失った陽向は、自分の胸へ身体を預けたまま、小さく肩で息をしている。


苦しそうな吐息が、すぐ耳元へかかる。

その距離の近さに、朔也は思わず息を止めた。


(…こ、これ……)


ゴクリ、と喉が鳴る。


ゆっくり。


一つ目。


震える指先でボタンを外す。


続けて二つ目。


指先が震える。


ボタンをつまむたび、熱を帯びた陽向の身体が制服越しに伝わってきた。


「〜〜〜〜〜っっっ!!」




(絵面がヤバすぎるだろ!!)




頭の中で盛大に叫ぶ。


二人きりの部屋。

ベッドの上。

背中を支えるために密着した身体。

まるで後ろから抱き締めるような体勢のまま、自分はゆっくりと彼女のワイシャツのボタンを外している。


どう見ても、状況だけ切り取れば完全に。





アウト。





(し……死ぬ……)


頼むから誤解しないでくれ。

いや、これは違うんだ。

そんなつもりはなかった。

仕方なかったんだ。


誰に対して何の言い訳をしているのかもわからないまま。

朔也は泣きそうになりながら天井を仰ぎ、必死で目を閉じた。


もう見ない。

何も見ない。


指先の感覚だけを頼りに、最後のボタンへ触れる。


カチリ。


ようやく外れた感触が伝わると、朔也は心の底から安堵の息を漏らした。


「ひ、ひな……ちょ、もう……離れて……」


声まで情けなく震える。

心臓は壊れそうなほど暴れ続け、耳の奥では自分の鼓動だけがやたらとうるさかった。


限界だった。


朔也はそっと陽向の肩へ手を添え、ゆっくり身体を離そうとする。


その瞬間。




するり──。




ボタンの外れたワイシャツが、陽向の肩から静かに滑り落ちた。


「…………っ!?!?」


朔也の思考が、一瞬止まる。


熱に浮かされた陽向は、半分眠ったまま無意識に腕を動かし、ワイシャツをゆっくりと腕から抜いていく。


そして。


糸が切れた人形のように、再び朔也の胸元へコテンと身体を預けた。


「…………。」


目の前には、白いインナー姿の陽向。


薄いシャツ越しにも分かる華奢な肩は熱でほんのり桜色に染まり。

うっすらと浮かんだ汗が窓から差し込む陽射し受けてかすかに光っている。


ただ部屋の中をフラフラしているだけのシャツいちとは訳が違う。


ベッドで。

この胸にもたれかかって密着しながら。

熱い吐息をこぼしている。


熱を帯びた吐息が首筋へ触れるたび、朔也の理性は容赦なくボコボコににされていった。





(だーーーーーーっ!!!!)





限界だった。

もう考えるな。

見るな。


朔也は半ばパニックになりながらベッド脇のスウェットをひったくる。


ぼふっ!!


勢いよく頭から被せる。

袖だの前後だの、そんなことはもう知らない。

とにかく着せる。

それだけに必死だった。


「よしっ!!」


半ば叫ぶようにそう言うと、朔也は再び陽向の身体を再びポイッとベッドへ放流する。


ぽすん、とマットレスが小さく沈んだ。


陽向は何事もなかったように布団へ身体を預け、小さく寝息を立て始める。


一方、その隣では。


「………………。」


朔也だけが、真っ赤な顔のまま天井を見上げていた。


「…………なんの拷問だったんだ……」


誰にも聞こえないほど小さく漏らした呟きが、静かな部屋へそっと溶けていった。


心臓はまだ落ち着かない。

耳の奥では、自分の鼓動だけがやけにうるさく響いていた。


(下半身は……もう知らん。)


そこまで面倒を見るのは流石に無理だ。


学校のジャージズボンを履いている。

多少汗で犠牲になったところで、ブレザーやワイシャツほど被害はないだろう。


自分にそう言い聞かせるように頷き、ゆっくりベッドから腰を上げた。


その時だった。


「あ。」


ふと視線が机の上へ止まる。

グラスの水。

そして、その隣に置いたままの薬。


(解熱剤ーーーー!!!)


「ひな!まだ寝ちゃだめだ!薬飲まねーと!」


慌ててベッドへ戻る。


ぺし、ぺし。


軽く頬を叩くと、陽向の長い睫毛がゆっくり震えた。


「……んー…………」


熱に浮かされたような返事。

重そうに瞼を開くものの、焦点はまるで合っていない。


「ほら。」


朔也は陽向の背中へ腕を回し、そっと身体を起こした。


「飲んじゃえ」


錠剤をシートから押し出し、手のひらへ乗せて、水を差し出す。


こくり。

ゆっくりと喉が動く。

一口、また一口。


飲み終えたことを確認すると、朔也は安堵の息を漏らし、再びゆっくりと身体を横たえた。


枕へ頭が沈む。

陽向は力なく布団を肩まで引き寄せると、小さく息を吐き、そのまま目を閉じた。


ようやく肩の力が抜ける。


朔也はベッドの脇へ腰を下ろしたまま、静かに陽向を見つめる。


荒い呼吸。

赤く火照った頬。

眠っているだけなのに、苦しそうに寄せられた眉。

その姿を見ているだけで、胸の奥がじわりと痛んだ。


(…大丈夫かよ………)


言葉にならない不安が、小さく胸を締め付ける。


そっと手を伸ばす。


指先が触れた頬は、思わず息を呑むほど熱かった。

触れるたび、熱がじんわりと自分の手へ移ってくるようだった。


朔也は壁掛け時計へ目を向ける。

約束の時間へ少しずつ近付いていた。

雫との待ち合わせまで、もうあまり余裕はない。


(……さなちゃんが帰ってくるまで、あと3時間か……)


その数字が、妙に長く感じた。

薬を飲ませたとはいえ、熱は三十九度を超えている。

この状態で、一人きり。


(……置いていって……大丈夫かな………)


頬から耳へ。

耳から首筋へ。

冷却シートが貼られた額を避けるように何度も触れて、指先で何かを判断するように熱を確かめていく。


物凄く、熱い。


ただ、ざわつきだけが胸の奥で静かに広がっていく。

その時だった。


「…………………朔……也…………」


熱に溶けてしまいそうなほど、か細い声だった。

静まり返った部屋に、その一言だけがそっと零れ落ちる。


朔也は弾かれたように視線を戻した。


「ひな?」


返事はない。

熱に浮かされた陽向は、ぼんやりと目を閉じたまま、小さく肩で息をしている。


朔也はもう一度、そっと頬へ手を添えた。


陽向は、半分夢の中にいるような意識で、その温もりだけを感じていた。


優しい。


その手が頬へ触れるたび。

耳へ。

首筋へ。


熱を確かめるためだけの、ごく自然な仕草なのに。

触れられた場所だけが、熱とは違う火照りを帯びていく。


どうして。

どうして今になって。

こんなにも嬉しいんだろう。


胸の奥がきゅっと締め付けられる。


苦しい。


これは、熱のせいなのかな。


「ひな……大丈夫……?」


低く、優しい声が耳元へ落ちる。

聞き慣れているはずの声だった。

子どもの頃から何度も聞いてきた。

いつだって隣で聞いてきた声。


なのに今は、その一言だけで涙が出そうになる。





─────ずっと、側にいて。





胸の奥で、小さな願いが生まれる。


行かないで。

あの子のところへ行かないで。

もう少しだけ。

あと少しだけでいいから。


この温もりを失いたくない。


そんな想いが、熱に浮かされた頭の中をゆっくりと満たしていく。




そして陽向は─────ゆっくりと瞼を開いた。




霞む視界の向こう。

少しだけ心配そうに眉を寄せた朔也の顔が映る。


その姿を見つけた瞬間。


自然と陽向の視線は吸い寄せられ、朔也から目が離せなくなった。


「…………っ」


朔也の胸が、大きく跳ねる。


ドクンッ。


(また……この顔……)


思い出す。


ディンバードーナツで。

三年二組の教室前の廊下で。


陽向が、自分を見上げたあの日。


胸の奥に何かを隠すような。

泣きそうなのに、泣けないような。

苦しそうなのに、それでも目だけは真っ直ぐこちらを見つめていた、あの表情。


今、目の前にあるのも同じだった。


熱で潤んだ瞳。

かすかに震える唇。

苦しそうに息をしながら、それでも自分だけを映している視線。


あの日と同じ。

どうしても忘れられない、あの眼差し。


「……ひな」


名前を呼ぶ声が、思わず掠れる。

頬へ添えた手を離すこともできず、朔也はその瞳を見つめ返していた。


どうして。

どうしてそんな顔するんだよ。

俺を見て。

そんな目をすんなよ。


胸の奥へ押し込めたはずの想いが、音を立てて揺らぎ始める。


喉の奥が熱くなる。







また、俺……勘違いしちゃうじゃねぇかよ。







その時だった。


ふと、陽向の視線が、ゆっくりと壁の時計へ流れた。

その音を追うように、陽向はゆっくりと唇を開いた。


「……行って。」


熱に掠れた、小さな声。

それでも、その一言だけは不思議なくらいはっきりと聞こえた


「…急がないと………時間………」


雫との約束の時間。

もちろん、忘れてなんていない。


「…でも………ひなが…………」


脳裏には、雫の顔が浮かぶ。

しかし店の予約は7時からで、雫本人もそんなに急いで行かなくても良いと言ってくれた。

優しくて、穏やかで、思いやりに溢れる健気な彼女。

少しくらい遅れたって、きっと怒ったりはしない。


だったら。

もう少しだけ。

ほんの少しだけでも、ここにいてやりたい。



陽向の側に、いたい。



そんな気持ちが、胸の中で静かに大きくなっていく。

自分でも、自分の行動ががもう分からなかった。


その時。





「駄目だよ…」





熱で霞んだ瞳は、それでも真っ直ぐ朔也を見つめている。






「しいちゃんが待ってるから。今すぐ行って。」






迷いのないひと言が、陽向の口から告げられた。



優しさから口にした言葉だということくらい、本当は分かっている。

自分のために。

雫を悲しませないために。

そう言ってくれていることくらい。


それなのに。



すぅ…っと。



胸の奥を満たしかけていた熱い何かが、一気に引いていく。

さっきまですぐ目の前にあるように感じていた距離が、またゆっくりと離れていく。


朔也は何も言えなかった。


ただ静かに、陽向の頬を包んでいた手をゆっくりと離した。

その温もりが離れていく。

陽向の頬へ残る熱だけが、指先に微かに残っていた。



「……ちゃんと、大人しく寝てろよ」



精一杯、いつも通りを装ってそう言う。

陽向は、小さく頷いた。


「……うん….ありがとう。」


その返事を聞くと、朔也はゆっくりと立ち上がる。


ドアノブへ手を掛ける。

一度だけ振り返り、眠たげにこちらを見つめる陽向を見た。


静かにドアが閉まる。

カチリ、と小さな音だけが部屋へ残った。


その音はまるで、もう一度だけ近付いた二人の距離へ、静かに扉を閉じる音のようだった。






諦めようと決めた。

もう前を向こうと決めた。

それなのに。


熱に潤んだその瞳で見つめられるだけで、心は簡単に揺らいでしまう。


そんな顔をされたら。

そんなふうに名前を呼ばれたら。



もしかして───────。



そう思ってしまう自分がいる。


もう本当に、やめてほしい。

駄目なんだ。

期待なんてしてはいけない。


絶対無理だとわかっているのに、心だけが勝手にあの頃へと戻ろうとしてしまう。




朔也は自宅へ戻ると、制服を脱ぎ、用意してあった私服へ素早く着替える。

洗面所へ向かい、鏡の前へ立つ。

少し乱れた前髪を濡らし、ワックスを手のひらへ伸ばす。

指先で髪を整えながら鏡を見る。

首元へネックレスを掛ける。

部屋へ戻り、財布、スマートフォン、充電器を鞄へ入れる。

机の上へ大切に置いてあったクリスマスプレゼントを忘れないように手に取る。


最後に、香水を振った。


なんとなく。

先ほど陽向の汗や吐息が触れた首回りの感覚を上塗りするように────。


ほのかに甘く、それでいて爽やかな香りが静かな部屋へ広がった。


階段を降りる。


玄関でショートブーツを履き、ダウンジャケットへ腕を通す。

そして何気なく、玄関脇の鏡へ視線を向けた。

鏡の中には、急いで支度をしたとは思えないほど綺麗にまとまった自分が立っている。

校内一の美少女の隣を歩いても恥ずかしくない。

自分で思うのもなんだけど。

隣に並んで歩く彼女を喜ばせられるくらいには。



完璧な、彼氏だ。



車へ乗り込み、エンジンを掛ける。


静かな振動が身体へ伝わり、ダッシュボードのデジタル時計が現在時刻を映し出す。

約束の時間には遅刻せずに間に合いそう。

ゆっくりとアクセルを踏み、自宅の駐車場から車を出した。


その時、ほんの一瞬だけ。


視線が、無意識に隣家へ向く。

さっきまでいた、あの部屋。

カーテンの閉まった二階の窓を見た瞬間、脳裏へ浮かんだのは────


(…………朔……也…………)


掠れた声。

潤んだ瞳。

頬へ触れた時の、あの熱。


熱で頬を赤く染めながら、自分を見つめていた陽向の顔だった。


「……っ」


胸がぎゅっと苦しくなって、すぐに目を逸らした。


勝手に期待して。

勝手に傷付くのは、もう終わりにしなきゃいけない。





あんな顔をされたって。


あいつはどうせ、俺を好きにることなんて絶対にありえない。






朔也は、アクセルを少しだけ深く踏み込んだ。


フロントガラスの向こうには、クリスマスイルミネーションに彩られた冬の街が広がっている。

赤や金色の光が流れるように窓の外を過ぎ去り、街には幸せそうな恋人たちの姿が溢れていた。


これから雫と、最高の夜が始まる。

あんなにも可愛い彼女と、二人で過ごす初めてのクリスマスマスイブ。


雫の柔らかな笑顔が脳裏に浮かんだ。


その笑顔を思い浮かべるだけで、胸の奥へじんわりと温かな熱が広がっていく。


なんて、幸せなんだろう。


早く会いたい。

一分でも。

一秒でも早く。


その想いを胸に、朔也は真っ直ぐ前を見据えた。


クリスマスイブの煌めく街並みを映しながら、車は静かに雫の待つ場所へ向かって走り続けていった。




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