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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第三章〜高3編〜【最終章】  作者: 波方 真季


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第158話 勝者の敗北、敗者の勝利


陽向、雫、綾真の三人だけが残った保健室。


さっきまで慌ただしく響いていた足音も消え、室内には暖房の送風音だけが静かに流れていた。


熱でぼんやりした陽向は、椅子へ腰掛けたまま小さく肩を震わせている。

雫はそんな様子を見るなり、すぐ陽向の前へしゃがみ込む。


「星野先輩、ベッドに移動しましょう」


優しく手を差し出す。

陽向は力なく頷き、その手を握り返した。


「……っ!」


触れた瞬間、雫の表情が変わる。


「わ…っ!先輩、手ぇ冷たいですよ!」


思わずその手を両手で包み込む。

冷え切った指先は氷のようで、その冷たさとは対照的に、陽向の頬は熱を帯びて赤く染まっていた。


その違和感に胸がざわつく。


「…!」


小刻みに震える肩。

振動しながらかすかに噛み合わない歯。

そして青白くなった唇。


「震えてますよ…!寒いですか?」


雫は慌てて陽向の肩を摩る。

その時。


ふわり──。


背中へ一枚のコートが掛けられる。

雫が振り返ると、綾真が自分のコートをそっと陽向へ羽織らせていた。


「とにかく横になろう。コート2枚着たまま、急いで布団に入ろう」


二人は左右から陽向を支え、ゆっくりとベッドまで歩き始めた。

熱で身体に力が入らず、陽向は二人へ体重を預けるように歩いていた。

一歩進むたび、小さく身体が揺れる。

綾真はそっと陽向の額へ手を当てる。


「アツっ!めちゃくちゃ熱あがってねぇ?」


さっき廊下で触れた時よりも明らかに熱い。

火照った額から伝わる熱に、思わず眉をひそめた。

ベッドへ辿り着き、二人でそっと身体を横たえた。

布団を整えながら雫も心配そうに陽向を見つめる。


「スカート、寒くないですか?ジャージズボンとかありますか?」


雫は布団を丁寧に掛けながら、制服へ視線を落とした。


「……教室……に………」


陽向はぼんやりと天井を見つめたまま、小さく答えた。


「俺取りに行くよ。あと…水分取った方がらいいから飲み物買ってくる。」


綾真はすぐ立ち上がる。

雫も保健室を見回しながら言葉を続けた。


「あと….冷却シートとかあった方が良いかもです。確か氷枕は保健室にあると思うので。」


「わかった。スポドリと冷却シート買って、教室にジャージズボン取りに行って戻ってくるわ」


「お願いします」


綾真は力強く頷く。

雫が深く頭を下げる。


綾真はもう一度だけ陽向を見つめた。

布団へ包まれ、小さく身体を震わせている姿。

つい今朝までは、放課後のクリスマスデートを楽しみに、教室で話しながら一緒にはしゃいでいたのに。


「すぐ戻るから。」


それだけ言い残すと、綾真は保健室の扉を勢いよく開け、廊下へ駆け出していった。


陽向と雫。

二人きりになった保健室。


暖房の風が静かにカーテンを揺らし、どこか遠くで運動部の掛け声が微かに聞こえていた。


雫は、保健室の冷凍庫に入っていた氷枕にタオルを巻いて、陽向の頭の下にそっと置いた。

熱でぼんやり霞む視界の中、陽向は布団を胸元まで引き寄せ、小さく息を吐く。


そして、震える唇をゆっくりと開いた。


「……どうして……優しくしてくれるの…………」


かすれた声だった。

雫はその言葉にハッと顔を上げて、陽向の顔を見つめる。


その視線を受け止めきれず、陽向は目を伏せた。


「……私……あんなに酷いこと言ったのに………」


喉の奥が熱い。

思い出したくもない事ばかりが浮かぶ。


「ずっと…しぃちゃんに…冷たくして………生徒会長のくせに………役員会議の日も…ずっと……酷いシカトしてた…」


息が詰まる。

一つ口にするたび、胸の奥が締め付けられる。


「…それなのに……っ…なんで………」


掠れた問いが、静かな保健室へ溶けていく。


少しだけ沈黙が流れた。


雫はゆっくりと息を吸い、小さく口を開く。


「…………先輩に嫌われちゃったのには………私に原因があると思ってますから。」


それは。

朔也くんの恋人であるという罪。


星野先輩が、彼をどれだけ欲しがっていても。

あなたのその望みは叶えてあげられない。


陽向はゆっくり首を横へ振った。


「……嫌って………ない………」


陽向は苦しそうに、弱々しい本音を吐き出した。


「こんな……ずっと…虐めみたいなことして……全然説得力ないかもしれないけど……」


震える声が、途中で何度も途切れる。


「…私…しぃちゃんのこと………嫌いになったわけじゃない………」


その言葉を絞り出すように言うと、陽向は震えながはら布団へ手をつき、ゆっくり身体を起こそうとした。


「先輩…横になってて下さい…!」


雫は慌てて立ち上がる。

熱で力の入らない陽向の身体がぐらりと傾くと、雫は咄嗟に腕を回し、その身体を支えた。


けれど陽向は、その腕へ身を預けたまま、小さく頭を下げる。


「…今までずっと……ごめんなさい………」


「…!」


その言葉に、雫の瞳が揺れた。


「…私が…嫌いなのは……私自身…っ…」


堪えていた涙が、陽向の瞳からポロポロこぼれ落ちる。


「しぃちゃんは…凄く優しくて…本当に良い子だから…」  


息が乱れる。


「…自分の事が……どんどん嫌になって……しんどくて……」


胸の奥に溜まり続けていた感情が、熱と一緒に決壊していく。


「しぃちゃんは…何も悪くないのに……辛く当たって……本当ごめん……っ…」


それ以上は言葉にならなかった。


「……………。」


雫は何も言わず、そっと陽向を抱き寄せる。




ぎゅ…っ




熱で火照った身体が、小さく震えていた。


「…星野先輩……辛かったですよね……」


雫は、陽向の耳元で、優しく囁いた。




可哀想な、星野先輩。


辛いよね。

苦しいよね。

胸が痛いよね。


自分で彼の手を放して。


自分で私の背中を押して。


自分で私と朔也くんを近づけた。


どれだけ泣いても。

どんなに悔やんでも。

もがき苦しんでも。

後悔しても。







そんなのあまりにも、遅すぎる。







雫の制服へ顔を埋め、陽向は子どものように泣きじゃくる。


「ごめん…っしいちゃん…私…ごめんなさい…」


雫はその髪を、ゆっくり、優しく、何度も撫で続けた。


「…私は大丈夫ですから…」


穏やかに笑う。


「そんなに………自分を責めないで下さい…」







私は今。


こんなにも幸せなんだから。







「…ひっく…ぐす………」


雫は指先で陽向の涙を優しく拭った。

そして両手でその頬を包み込み、そっと陽向の顔を上げさせる。


なんて惨めで。

なんて不憫で。

なんて哀れな。


「もう、泣かないで…」


涙でぐしゃぐしゃになる陽向の顔を至近距離で見下ろすその屈託のない笑みは────




「…ね?………星野先輩♡」




まるで全てを手に入れた者だけが浮かべられる、勝者の悦楽に満ちた微笑み。




「しいちゃん……」


涙で滲む陽向の瞳には。


花が咲くように微笑む、どこまでも柔らかく、どこまでも優しいその笑顔が映った。




そして、ほどなくすると───────。


「陽向……!」


勢いよく保健室の扉が開き、息を切らした綾真が飛び込んできた。

肩で大きく呼吸をしながら、手にはコンビニの袋と、教室から持ってきたジャージズボンを抱えている。


「さすが鷹井先輩……めっちゃ早いですね」


雫が少し驚いたように目を丸くすると、綾真は息を整えながら苦笑した。

そして、視線をベッドへ向ける。

氷枕を当てられ、布団へくるまっている陽向の姿を見た瞬間、張りつめていた表情が少しだけ和らいだ。


「氷枕やってくれたの?ありがとう。」


そう言いながら、綾真は雫へジャージズボンを差し出す。

雫はそれを受け取ると、小さく頷いた。


「私、お手伝いするので……一回カーテン閉めますね。」


「あぁ、わかった。」


シャッ、とカーテンが閉まり、綾真はその外で静かに待つ。

聞こえてくるのは、小さな衣擦れの音だけ。

数分後。


「オッケーです。」


雫の声とともに再びカーテンが開いた。

制服のスカートからジャージズボンへ履き替えた陽向は、再び布団へ潜り込み、どこか安心したように小さく息を吐いていた。


綾真はベッドの横へ歩み寄る。


「これ。」


コンビニ袋を持ち上げ、中身を一つずつ取り出して見せる。


「飲み物と……昼飯は多分食えなさそうだと思ったから、ゼリー飲料とかアイスとかプリンとか……何でもいいから胃に入りそうなもん適当に買ってきた。」


袋の中にはスポーツドリンク、経口補水液、ゼリー飲料、プリン、小さなカップゼリー、アイスまで入っていた。


熱を出した時に食べられそうな物ばかり。

陽向はぼんやりとそれを見つめ、小さく頷く。


「…こんなに………ありがとう……」


その返事を聞いて、綾真は安心したように笑った。

そして、ふと思い出したように袋の中を探る。


「あ、小野さん……はい。」


取り出したのは、一つのアイス。

雫は目をぱちりと瞬かせた。


「え……私ですか?」


「陽向の分だけ買ってきて…小野さんに何もないって流石に。」


思いがけない気遣いだった。

こんな状況で、今まで大して関わりもない、仲良くもない、こんな自分にまで気配りをしてくれるその優しさに心底驚いた。


「あ……ありがとうございます。」


雫は両手でアイスを受け取り、小さく頭を下げる。


「こちらこそ。色々手伝ってくれてありがとう」


綾真は雫へ、柔らかく微笑んだ。




その笑顔を見た瞬間。






(……うわ。)






雫は心の中で、小さく息を呑む。


(星野先輩を好きになる人って……)


思わず苦笑が漏れそうになる。


(どうして……こんなに素敵な人ばかりなんだろう…)


朔也も。

そして綾真も。


二人とも違う優しさを持っていて、だからこそ陽向が大切にされている理由が、雫にはよく分かった。


「陽向、一旦水分取ろう。」


綾真はペットボトルのキャップを開けると、陽向の背中へそっと腕を回して身体を起こす。


「…大丈夫?」


「……ん。」


熱で力の入らない身体を預けながら、陽向は少しずつスポーツドリンクを飲んだ。


ごく、ごく、と喉が鳴る。


飲み終えると、綾真は再びゆっくりと身体を寝かせ、布団を肩まで掛け直した。


「今なんか食えそう?」


陽向は少しだけ考えてから、小さな声で呟く。


「…パピコ食べたい……」


「パピコね」


綾真は笑いながら、袋からパピコのアイスを取り出した。

封を切り、透明キャップを外して一本だけ陽向へ差し出す。


「はい。」


陽向は受け取ると、一口だけ口に含む。

冷たさが熱を持った身体へ心地良く染み渡る。

その様子に、綾真はほっと息を吐いた。

すると陽向は、もう一本を見つめながら小さく言う。


「……そっち半分……綾真にあげる……」


「俺はいいよ。」


綾真は首を横へ振り、笑った。


「とりま保健室の冷凍庫入れとくから。持って帰ってまた凍らせて食べな。」


「……うん……ありがとう」


陽向は素直に頷き、小さく微笑んだ。

その笑顔を見つめる綾真も、どこか安心したように目元を緩める。


雫は、そんな綾真の穏やかな横顔を見つめていた。


(この人は………)


星野先輩の胸の中には今、本当は誰がいるのかもわからずに。


それでも。

真っ直ぐに。

一途に。

何ひとつ疑うことなく。


こんなにも大切そうに、星野先輩だけを見つめている。


(ふーん…………)


雫は小さく心の中で呟く。

綾真のその姿は、雫には眩しいくらいに誠実だった。


それ以上は何も考えず、静かに立ち上がる。


「鷹井先輩も戻ったので、私はそろそろ行きますね。」


「あ……しぃちゃん……ありがとう……」


熱で掠れた声。

それでも精一杯のお礼だった。

雫は優しく笑う。


「早く元気になって下さいね。」


そう言ってから、今度は綾真へ視線を向けた。


「鷹井先輩、あとよろしくお願いします。」


「うん。本当にありがとう。」


綾真も真っ直ぐ頷き返す。


「では、お大事に。」


ニコッと柔らかく微笑むと、雫は保健室の扉へ向かって歩き出した。


ドアノブへ手を掛ける、その一瞬だけ。


(…いいな……鷹井先輩。)


心の中で、小さく呟く。


何も知らないまま、人を信じて。

何も疑わず、人を好きでいられる。

その真っ直ぐさが、少しだけ羨ましかった。


朔也にも。

綾真にも。


こんなにも魅力的な人達に。


別種であれど、大切に想われている陽向が、羨ましくて。



少しだけ、悔しかった。



扉が静かに閉まる。

カタン、と小さな音だけが保健室へ響いた。


再び訪れた静寂の中。


暖房の優しい送風音だけが、陽向と綾真、二人を静かに包み込んでいた。




やがて、保健室の窓から差し込む冬の日差しが少しだけ傾き始めた頃。

陽向のスマホへ朔也から短い連絡が入る。


綾真は布団を整え、身体をそっと支えながら起き上がらせる。


「親御さん、あとの事は黒川くんと直接連絡を取り合うと言っていたそうだから、黒川くんに聞いてみてね」


「わかりました。」


養護教諭の言葉に頷くと、綾真は陽向へマフラーを掛ける。

荷物を持って、熱でふらつく陽向の身体をそっと支えながら保健室を後にした。


人気の少なくなった校舎をゆっくり歩き、昇降口を抜ける。

冷たい冬の空気へ触れた瞬間、陽向は小さく肩を震わせた。


「…寒い?」


綾真が心配そうに尋ねると、陽向は力なく頷く。


「もう少しだから…ゆっくり行こう」


その言葉に励まされるように、一歩ずつ正門へ向かう。


正門を出て、少し歩いた先には一台の車が静かに停まっていた。

運転席のドアが開き、朔也が降りてくる。

二人の姿を確認すると、何も言わず後部座席のドアを開けた。


綾真は陽向をゆっくりと車へ乗せ、頭をぶつけないようそっと手を添えながら身体を座席へ預ける。

シートへ身を沈めた陽向は、熱のせいかぼんやりと目を細め、小さく息を吐いた。


「気を付けてな。」


どこか名残惜しさを押し隠すように、小さく笑ってそう告げる。

すると朔也は、車へ乗り込む前に綾真へ視線を向け、顎を軽く後部座席へしゃくった。


「駅まで乗れば?どうせ通り道だから」


綾真は小さく首を横へ振る。


「いや…俺はいいよ。さっき測ったら39.2度まで上がってるから、陽向を急いで連れて帰って。」


そう答えると、一度だけ後部座席の陽向へ目を向ける。


「…綾真…コート………」


陽向は肩へ掛かったコートを両手で握り、小さく持ち上げる。

熱でぼんやりしているのに。

それでも返さなきゃ、と考えているらしい。


「貸しとく。そのまま着てな」


「でも…綾真が寒いよ………」


「全然寒くないよ、俺は大丈夫だから」


綾真は小さく首を振った。

申し訳なさそうに揺れる陽向の瞳。

それでも綾真は優しく笑った。


朔也はそんなやり取りを黙って見届けると、短く綾真へ言った。


「ありがとう。色々助かった。」


綾真は苦笑いを浮かべる。


「いや、俺が電車に乗せてたら途中で動けなくなってたわ。黒川が気付かなったら……詰んでた。」


その言葉には、自嘲が滲んでいた。

自分は、陽向の彼氏になろうとしているのに。

こっちの幼馴染の方が、陽向の異変に早く気付いた。

その事実が、心底悔しかった。


守ってやりたい。

そう思っているのに。


今日、自分は何一つ守れなかった。

黒川朔也がいなかったら、何も出来なかった。

綾真は、情けなさと悔しさに肩を落とす。


すると。


「……綾真…………」


小さく掠れた声が、後部座席から呼んだ。

綾真はすぐに身を屈める。


「ごめんね……今日…楽しみにしてたのに………」


熱で震える指先が、おずおずと綾真へ伸びる。

綾真は迷わずその手を包み込んだ。


冷たい。

驚くほど冷たい手だった。


それなのに身体は燃えるように熱かった。

その温度差が、今の陽向の苦しさを物語っていた。


「気にすんなよ…そんなの大丈夫だから……」


陽向の手を、ゆっくり握り返す。

陽向は潤んだ瞳で、まっすぐ綾真を見つめていた。


「…せっかくのイブなのに……私のせいで……」


悲しそうに眉を下げ、苦しそうな表情。

その顔を見た瞬間。


綾真は堪えきれなくなった。


そっと身体を引き寄せる。

壊れ物を抱えるみたいに、優しく。


ぎゅっと。






「イブとかどーでもいいよ。陽向がいてくれれば…俺は毎日が特別だから。」






抱きしめながら、耳元で小さく笑う。

その一言に。


陽向の瞳が、大きく揺れた。


胸の奥が熱くなる。


嬉しい。

申し訳ない。

苦しい。


いろんな感情が混ざり合い、また涙が溢れそうになる。


(………ちっ……)


朔也の胸の奥で、特大の舌打ちが落ちる。


表情は変わらない。

けれど、二人を見つめる視線だけが一瞬だけ鋭く細められた。


「閉めるけど、いいかな」


抱き合う二人を引き剥がすような朔也の声が、鋭く差し込まれた。


綾真はゆっくり身体を離す。


「綾真…ありがとう」


「早く元気になって。また改めて出掛けよう。」


「うん…絶対。」


綾真は笑顔で頷く。

ドアが静かに閉まり、車はゆっくりと学校を後にする。


クリスマスイブ。


本来なら笑顔で始まるはずだった一日は、誰も予想しなかった形で静かに予定を変え、それぞれの胸へ複雑な想いだけを残して、冬の街へ溶けていった。







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