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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第三章〜高3編〜【最終章】  作者: 波方 真季


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第155話 消えないままで、好きのまま


十一月中旬。


秋晴れの空は高く、窓の外では校庭の銀杏が少しずつ黄色く色付き始めていた。



この日は、総合型選抜試験の合格発表日。




発表時刻は午前十時。


けれど、その時間。

陽向は三年四組の教室で、二時間目の現代文を受けていた。


黒板へチョークが走る音。

教科書を捲る音。

教師の説明。

全部、耳には入っている。

入っているはずなのに。


頭の中では、時計の秒針だけが異様に大きく鳴っていた。


(あと十分……)


視線だけが、何度も教室後ろの時計へ向く。


九時五十五分。

九時五十七分。

九時五十九分。


心臓がうるさい。


そして。


カチッ──


長針の針が十二を指した。


十時。


(……発表。)


胸がドクンと大きく鳴る。

今この瞬間には、もう結果が出ている。


合格か。

不合格か。


もう決まってしまった。


それなのに、自分だけが知らない。

当然、授業中に確認なんて出来ない。


(落ち着け……)


必死にノートへ視線を戻す。


先生は何か説明している。

クラスメイトは普通に授業を受けている。


世界は何一つ変わらない。

変わっていないのに。

陽向の世界だけが、止まっていた。




──キーンコーンカーンコーン。




チャイムが鳴った。


「じゃあ今日はここまで。」


教師が教科書を閉じる。


「ありがとうございましたー。」


号令と同時に、教室中が一気にざわめき始める。


椅子を引く音。

友達同士の話し声。

廊下へ飛び出す生徒。


その全部が、どこか遠く聞こえた。


「陽向!」


綾真が、陽向の席に駆け寄る。


「見た?」


「ううん、今から」


陽向は震える手でスマホを取り出した。


画面を開く。

通知がいくつも並んでいる。

けれど、目に入らない。

大学の受験サイトへアクセスする。


ID。

受験番号。

パスワード。

何度も確認しながら入力する。


指先が震えていた。


「大丈夫?」


綾真が、陽向の背中をさすった。


「ちょ……怖いから綾真見て。」


入力し終えたスマホを綾真へ差し出す。


「なんで俺!」


隣の席のクラスメイトが、不思議そうに声を掛ける。


「なに見るの?」


「……総合型の発表。」


その一言だけで。

近くにいたクラスメイト達が一斉に振り向いた。


「今日だったの!?」


「やばっ!」


「見るの!?」


「ちょ、結果見るの!?」


あっという間だった。

近くにいた女子が集まり。

男子も寄って来る。

教室の一角へ、小さな人だかりが出来る。


陽向はごくり、と唾を飲み込んだ。


ログイン。


画面が切り替わる。


一瞬だけ真っ白になって。


バッと画面を伏せた。


「多分出た。綾真、見て。」


そして画面を伏せたまま、綾真へスマホを差し出した。

綾真はすぐにスマホを受け取り、画面を確認する。


次の瞬間。





『合格』





その二文字が、画面いっぱいへ表示されていた。


「……っ!!」


綾真は咄嗟に。



ぎゅうぅぅ〜〜〜〜〜っっっ



陽向を抱きしめて。





「合格!!陽向おめでとう!!!!!!!」




スマホ画面を陽向の目の前に晒した。



「…………。」



陽向は動かなかった。


目の前には『合格』の文字。


え。

え……?

本当に……?


受かった……?


その次の瞬間だった。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


教室が爆発した。


「受かってる!!」


「陽向ぁぁぁぁぁ!!」


「やったじゃん!!」


「うおおおおおお!!!!」


男子も女子も一斉に立ち上がる。


誰かが拍手する。

その拍手は一瞬で教室中へ広がった。


パンパンパンパン!!


歓声。

拍手。

笑い声。


「すげぇぇぇ!!」


「おめでとーーーー!!」


誰かが陽向の肩を掴んで揺らす。


女子達が抱き付く。

男子が頭をぐしゃぐしゃ撫でる。


教室中が、お祭り騒ぎになった。

その喧騒の真ん中で。


陽向だけは、スマホを握り締めたまま呆然としていた。


「……受かった……」


ぽつり、と呟く。


その瞬間。

ぼろっ、と涙が零れ落ちた。


「うわっ、泣いた!」


「当たり前だろ!」


「頑張ってたからな!」


「ほんっと良かったぁぁ!!」


大粒の涙が止まらない。


文化祭。

体育祭。

救急搬送。

書けなくなった小論文。

図書室。

俊輔との思い出。


全部が、一気に胸へ押し寄せてきた。


震える唇で。


陽向は、もう一度だけ画面を見つめる。


『合格』


その二文字は、何度見ても消えなかった。


「……っしゃーーーーー!!!」


陽向は立ち上がり、天井へ向けて両手を広げた。






「受験終わったあぁぁぁぁーーーー!!!!!」






涙でぐしゃぐしゃになりながら笑う陽向を囲んで。


三年四組の教室には、この日一番大きな歓声が響き渡っていた。




───────。




季節は十二月。


十二月最初の日曜日。


総合型選抜で第一志望の大学へ合格し、ようやく受験を終えた陽向は、久しぶりに肩の力を抜いて街へ出ていた。


大学が決まったことで、これまで”受験が終わるまではダメ!!”と厳しく言っていた母親からも、ようやく遊びとアルバイトが解禁になった。


受験のためにずっと我慢していたことがある。


友達と遊ぶこと。

アルバイト。

そして──ショッピング。


すぐに報酬が受け取れるスキマバイトをとにかく沢山詰め込んで。

そのお給料を握りしめて、今日は溜まりに溜まったフラストレーションを全部解放する日だった。


冬物の洋服。

新しいコスメ。

雑誌で見つけて気になっていたアクセサリー。


”受験が終わったら絶対買う!”


そう決めて我慢してきたものばかりだった。


街はすっかりクリスマス一色。


駅前には大きなツリーが飾られ、赤や金のオーナメントが冬の日差しを受けてキラキラと輝いている。

ショーウィンドウにはサンタクロースやリースが並び、街を歩くだけで自然と心が浮き立った。


久しぶりに味わう、何にも追われない休日。


そんな特別な一日を一緒に過ごしている相手は──。




「ひなちゃんそれガチヤバ!バリ似合う!」




もしろん、陽向の師匠。

ファッションの神様。


最強ギャルの朱里だった。


一通り買い物を終えた頃には、すっかり夕方が近付いていた。

二人は駅前のカフェへ入り、窓際の席へ腰を下ろした。


店内にはクリスマスソングが流れ、コーヒーの香りが漂っている。


「へぇー!服飾専門だと一般入試でも学力テストないんだ!?」


陽向が驚いたように目を丸くすると、朱里は肩をすくめて笑う。


「まー学校によるてきな?私は評定もゴミ、出欠も遅刻もオワコンだったから、推薦なんてちょー無縁って感じだったし。」


ケラケラと笑いながら続ける。


「もちろん学力もゴミだから。だったら最初から学力試験ない学校選ぼーって。」


出会った頃から変わらない、何でも笑い飛ばしてしまう朱里らしい言い方だった。


いつ見ても、流行を取り入れた洗練されたファッション。

丁寧に仕上げられたメイク。


けれど、その姿は最後に会った一年前とはまるで違って見える。


チャームポイントでもあるラズベリーブラウンの髪には自然なエクステが馴染み、胸元まで届くゆるく巻かれたロングヘアが歩くたびにふわりと揺れて、妙に大人っぽく映った。


その姿は、街を歩いているだけで思わず振り返ってしまうほど華やかだった。


もうすぐ服飾専門学校へ進むからなのか。

それとも元々持っていたセンスが、さらに磨かれてきたからなのか。


まだ高校三年生なのに、街の景色へ自然と溶け込むその姿は、どこかモデルのような華やかさがあった。


「さすが!」


陽向は両手を合わせる。


「朱里師匠はファッションデザインの神ですな! 一般入試の実技試験で一発合格!」


「だろだろー?」


朱里は得意げに胸を張る。


「もっと褒めて〜ん♡」


「ファッションデザイナーになったら死ぬほど朱里ブランドに課金させて下さい!!」


「ひなちゃんには世界で一つしかない、ひなちゃんオリジナルデザインの洋服プレゼントする♡」


その言葉が胸へ飛び込んできた瞬間。


「ギャーーーーーー!死ぬーーーー!!」


陽向は両手で頭を抱える。


「そんなの家宝じゃん!!一生着れない!!」


「いや着ろよ!」


二人の笑い声が、クリスマスソングの流れる店内へ弾けていった。


そして、ふと話題はこの人の話へ。


「ねー、朔也は?受験どんな感じ?」


朱里が思い出したように口を開いた。

その名前が出た瞬間。


陽向の手の中にあったマグカップが、ぴたりと止まる。

一瞬だけ視線が揺れた。


「あー……来月、共通テストだから……めちゃくちゃ詰め込んでるっぽいよ。多分……」


少しだけ間を置いて返す。


「へぇ。どこの大学受けんの?」


「なんか……情報系が強い大学、とか言ってた。」


「ふーん。行けそうなん?」


朱里はストローをくるくる回しながら聞く。


「……知らんけど。」


陽向の返事は、短かった。

それ以上、言葉が続かない。


隣の席からは楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

けれど二人のテーブルだけ、ほんの少しだけ静かになった。


「…………。」


朱里は、じっと陽向の顔を見つめる。

さっきまであれだけ楽しそうに笑っていたのに。

朔也の話になった途端、声のトーンが少しずつ落ちていった。


返事も短い。


どこか、話題そのものから距離を取ろうとしているようだった。


「……どした?朔也と最近あんま絡んでない感じ?」


朱里が首を傾げる。


その問いに、陽向は一瞬だけ目を伏せた。

そして困ったように、小さく笑う。


「……うん。ぶっちゃけ最近……あんまり絡みなくて……」


その笑顔は、どこかぎこちなかった。


「はっ!? ガチ!?どしたん!?」


朱里は思わず声を上げる。

心底驚いていた。


あの朔也が。

星野陽向依存症末期患者とも言える、あの幼馴染が。

この子と距離を置くなんて。


一体何があったのだろう。


「うーん……。」


陽向はマグカップの中へ視線を落としたまま、小さく肩を竦める。


「まぁ……朔也、今……彼女いるし……。」


「はあぁぁ〜〜〜〜っ!!??」


朱里の素っ頓狂な声が、店内へ響き渡った。


「彼女!? 今、彼女って言った!?」


朱里は思わず身を乗り出した。

陽向は苦笑しながら、小さく頷く。


「うん。朱里ちゃんに振られた失恋から、ようやく立ち直ったっぽいよ。」


「いや……つーか……」


朱里はそこで言葉を止めた。

頭の中が、妙に引っ掛かる。


(そもそも……。)


朔也と別れた理由は、この目の前にいる子だった。

朔也が陽向を好きだと気付いてしまったから。

だから振った。


決して、他所の女へ明け渡すために別れたわけじゃない。


(……いや。そもそも私は、朔也とひなちゃんがくっつくことだって望んでなかったか。)


そう考えると、自分でもよく分からなくなる。


朔也が、この子を好きだと知ったから。

大好きだったのに諦めた。


その想いのせいで、自分の恋が犠牲になった。


それなのに。

朔也が陽向を好きじゃないなんて、なんだか納得いかない。


朱里の胸の奥には、どうにも矛盾している説明のつかない引っ掛かりだけが残っていた。


「……でもさ。」


朱里は姿勢を正し、改めて陽向を見つめる。


「朔也に彼女がいようと、私とは普通に仲良くしてたじゃん?」


陽向は黙って耳を傾ける。


「あの頃だって、ひなちゃん普通に朔也と絡んでたわけじゃん?」


一歩。

また一歩。

朱里は、その違和感の正体へ近付いていく。


「なのにさ。」


じっと陽向の目を見つめた。


「なんで今回は、彼女が出来たからって、ひなちゃんと朔也の絡みまでなくなっちゃうわけ?」


「…………。」


陽向は答えられなかった。

視線だけが、静かにマグカップへ落ちる。

その沈黙が、何より雄弁だった。


朱里は眉をひそめる。


「朔也の彼女……メンヘラ系?」


「いやっ!!全然!!むしろめちゃくちゃ良い子だよ!!」


その声には迷いがなかった。


優しくて。

素直で。

人のことばかり考えていて。

誰からも好かれるような女の子。


雫の笑顔が脳裏に浮かぶ。


だからこそ。

自分でも、この胸の苦しさが理解できなかった。


朱里は、じっと陽向を見つめる。


「じゃあなんで距離できたん?」


真っ直ぐだった。

心の奥にそっと触れるような、優しい問い。


「…………。」


陽向は答えられなかった。

マグカップの中で揺れるカフェラテへ視線を落とす。


白い泡を見つめながら、唇を噛んだ。


そもそも。

自分でも分かっていない。


沈黙だけが流れる。


店内にはクリスマスソングが静かに流れ、周囲のテーブルからは楽しそうな笑い声が聞こえてくる。


やがて陽向は、小さく息を吐く。


「…………実は…」


ぽつり、と声が零れた。


「……自分でも、よく分からないんだよね……。」


その一言をきっかけに。


陽向は初めて、自分の胸の中にある違和感を誰かへ話し始めた。


これまで朔也との間で起きた様々な出来事。


雫の隣に座る朔也を見た瞬間、胸を締め付けられたこと。

理由も分からないまま、雫へ冷たい言葉をぶつけてしまったこと。


自分でも止められない感情。

朔也と目が合うだけで苦しくなること。

近付かれるだけで心臓が暴れてしまうこと。


雫からも。

朔也からも。

そして、自分自身からも、怖くて逃げ続けている事。


話し終えた頃には、陽向は力なく笑っていた。


「……ほんと意味分かんないよね。」


乾いた笑みだった。


「もう、自分でも自分が怖いんだよね……」


言葉が途切れる。

朱里は一度も口を挟まなかった。

ただ黙って、最後まで陽向の話を聞いていた。


「…………。」


朱里は、ぽかんと口を開けたまま陽向を見つめる。

数秒。

そのまま固まったあと、信じられないものを見るように目を細めた。


「……それって………」


朱里は、あまりにも呆れた口調で言った。





「好き避けじゃない?」





ズバリ。

あまりにも直球過ぎるストレートだった。






沈黙。


・・・・・・・・・・・。


陽向、フリーズ。


そして。






「なわけ。」





「いや気づかんのかい!!」


ガチャンッ!


朱里が思わずテーブルを叩いた。


(え、それ以外ある!?)


朱里は頭を抱える。


ありえない。

ここまで全部説明して。


「朔也を見ると苦しい」

「近付かれると心臓が暴れる」

「雫を見ると胸が痛い」

「自分でも止められない」

「それが怖くて逃げてしまう」


そこまで言語化しておいて。

結論だけ、どうしてそこへ辿り着かない。


(いやいやいやいや……。)


朱里は呆れを通り越して感心し始めていた。


(逆にそれしかないじゃん………)


ここまで分かりやすい恋心も逆に珍しい。

それなのに。


本人だけが、頑なにその答えへ辿り着かない。


このフェーズまで来ていてそれでも無自覚とは、この子の思考回路は一体どうなっている?




恐るべし…………


最強過ぎる幼馴染みフィルター。




十八年間積み重ねてきた”幼馴染み”という認識が、恋愛感情という答えだけを完全に弾き返している。

そんなふうにしか思えなかった。


すると陽向は、ゆっくりと視線を落とした。

カフェラテの白い泡を見つめながら、小さく呟く。


「だって……私はまだこんなに俊ちゃんの事が好きなのに………」


胸の奥を押さえるように、自分の指先をぎゅっと握る。


「それで朔也を好きになるとかなくない?」


その一言を聞いた瞬間。


(なるほど…………そこか……………。)


朱里の頭の中で、何かがカチリと音を立てて噛み合った。


今まで陽向が恋心を否定し続けていた理由。


それは鈍感だからでもある。

恋愛経験が少ないからでもある。

幼馴染フィルターのせいでもある。

雫という彼女がいるせいでもある。


しかし、それらを遥かに超越する絶大な要因。

それこそが。





藤崎俊輔への想いが、あまりにも大きすぎるからだ。





俊輔を好きでいる限り、自分は他の誰かを好きになるはずがない。

陽向の中では、それが絶対的な前提になっている。

だから、その前提から外れる感情は全部「意味が分からないもの」として処理されてしまう。


それらの様々な要因が、何重にも層になって分厚い壁となり、陽向の恋心を覆い隠してしまっている。


朱里は小さく息を吐いた。

それから首を傾げる。


「なんで?」


陽向がゆっくり顔を上げる。

朱里は肩の力を抜いたまま、あっさりと言った。


「好きな人がらいるからって、別の人を同時に好きになることなんて全然あるっしょ」


「は!?ないよっ!!」


陽向は思わず身を乗り出した。

即否定。

その反応があまりにも素直で、朱里は苦笑する。


「ひなちゃんにとって、俊ちゃんは永遠の推しであり、絶対的な神様なんでしょ?」


「はい。」


即答。

食い気味。


「世の中の女子は、どんなにラブラブな彼氏がいたって、推しのアイドルや芸能人の1人や2人くらい当たり前にいるくない?」


「…確かに。」


「今彼のこと大好きでラブラブだけど、別に元彼も普通に好きって事ぶっちゃけ余裕であるくない?」


「まぁ…世の中には…?」


朱里は優しく笑いながら、ストローをくるりと回す。


「“好き”には色んな“好き”があって、そのどれもが全部“好き”なんだよ。」


その言葉に。

陽向の瞳が、小さく揺れた。


「だからひなちゃんも、俊ちゃんを好きなままだからって、別の誰かに恋をしないなんてこと、ないんじゃないかな」


俊輔を好きなまま、別の人に恋してもいい。


過去の恋を消さなくても。

思い出を捨てなくても。

大切だった時間を否定しなくても。


新しい恋は始まる。




その事実が、陽向の胸にストンと落ちた。



まるで、ずっと絡まっていた糸のどこかが、ほんの少しだけ緩んだみたいだった。


「…………。」


陽向は、マグカップの中で揺れるカフェラテの泡を見つめた。

白い泡の表面が、店内の灯りを受けて淡く光っている。

胸の奥は、まだ苦しい。

けれどその苦しさの形が、ほんの少しだけ変わった気がした。


俊ちゃんを忘れられない自分。

俊ちゃんを今でも好きな自分。

それなのに、朔也を見ると胸が苦しくなる自分。


その全部が、矛盾ではないのだとしたら。

自分は、誰かを裏切っているわけではないのだとしたら。


(…いや……でも………)


ふと。

頭に浮かびかけた答えから逃げるように、陽向は心の中で否定した。

その直後には、瞼の裏に雫の顔が浮かんでしまった。


そして、思考を振り払うかのように、顔を上げた。


「そー言えば朱里ちゃん、大学生の彼氏とはどう?まだラブラブ?」


あまりにも突然の話題転換。

朱里は一瞬キョトンとする。

けれどすぐに、いつもの調子でパッと笑った。


「めちゃくちゃ絶賛ラブラブ中!」


「え〜凄いなぁー!それでも今でも好きな元彼っている?」


ギクッと。

ほんの一瞬、朱里の肩が強張った。


「あー…まぁ、そりゃいるっしょ。そんなん誰でも!」


わざと軽く。

いつもの調子で。


けれど胸の奥では、一人の顔がはっきりと浮かんでいた。


ガキっぽく笑う横顔。

素直じゃない言葉。

けれど、不器用に優しかった手。


自分の恋が終わった理由まで、思い出しそうになって。


朱里は慌てて、その記憶へ蓋をした。


「へぇ〜!」


陽向は、何の疑いもなく頷いた。

そして、少しだけ頬を緩める。


「朱里ちゃんがそんなに好きになった人なんて…きっとめちゃくちゃ素敵な人なんだろうなぁ〜」


その言葉に。

朱里の笑顔が、わずかに引き攣った。


素敵な人。

間違ってはいないけれど。


その“素敵な人”が、今まさに目の前のこの子のせいで、自分の手から零れていった相手だなんて。

言えるはずもなかった。


「は、はははぁ〜…」


朱里は、笑うしかなかった。


それでも、やっぱり癪に障るから。


(…朔也がひなちゃんを好きだったこと……絶対教えてやんねー!)


窓の外では、クリスマスツリーの灯りがきらきらと瞬いている。

陽向はまだ、何も知らない顔でカフェラテを見つめていた。

その横顔を見ながら。

朱里は心の中で、そっと呟く。


ひなちゃん。

あんた……ほんとに罪な女だよ。


けれどその言葉は、口には出さなかった。

代わりに朱里は、少しぬるくなったドリンクをストローで吸い込んだ。





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