表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第三章〜高3編〜【最終章】  作者: 波方 真季


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
56/60

第153話 沼堕ち、完了。


ディンバードーナツを出たあと、駅へ向かう朔也と雫の間には、重たい沈黙が落ちていた。


夕暮れの駅前には、買い物帰りの人々の声がぽつぽつと流れている。

店先の照明がひとつ、またひとつと灯り始め、ガラス越しに見えるドーナツ店の温かな光だけが、背後で少しずつ遠ざかっていく。


けれど、二人の周りだけは、まるで別の空気に包まれているみたいだった。


「…………。」


雫は俯いたまま歩いていた。

手元に視線を落とし、何度も瞬きをする。

さっきまで溢れていた涙はもう止まっている。

けれど、心の中はまだ、ぐちゃぐちゃに乱れたままだった。


隣を歩く朔也も、何も言わなかった。

ただ正面の一点だけを見据え、黙って歩き続けている。

その横顔は険しく、何かを必死に押し殺しているようにも見えた。


(雫、雫、雫、雫って……)


陽向の声が、何度も頭の奥で蘇る。


(なんで朔也はいつもそればっかなんだよっっっ!!!)


朔也は、無意識に奥歯を噛み締めた。


そんなの、当たり前だろうと思った。

付き合っているのだから。

雫は、自分の彼女なのだから。

目の前で傷付けられたら、庇うに決まっている。


あいつだって、それくらい分かっているはずだろう。

分かっているはずなのに。


なのに、どうしてあんな顔で。

どうしてあんな声で。


“なんで”なんて言うんだよ。


「…………。」


朔也の脳裏に、最後に見た陽向の顔が浮かんだ。


涙に濡れた瞳。

震える唇。

怒りきれず、憎みきれず、ただ何かに耐えきれないみたいに、自分を見上げていた顔。


陽向の泣き顔なんて、これまで数え切れないほど見てきた。

駄々をこねて泣いた顔。

悔しくて泣いた顔。

寂しくて泣いた顔。

藤崎俊輔を想って、壊れそうに泣いた顔。


それでも。

あんな顔は、見たことがなかった。


怒って泣いているわけじゃない。

悲しくて泣いているだけでもない。

あれは、もっと違う。

胸の奥をぎゅっと掴まれるような。

見ているこちらまで息が苦しくなるような。


あれは………………




切ない。




「……っ」


朔也は小さく息を詰める。


浮かんではいけない考えが、胸の奥からゆっくりと顔を出す。


もしかして。

いや、違う。

そんなはずがない。


あいつに限って、今さらそんなことはありえない。


期待するな。

勘違いするな。

今まで何度もそうだった。

少しでも期待して。

少しでも自分の方を見てくれた気がして。

そのたびに、あっけなく地面に叩き落とされてきた。


きっと今回も同じだ。

どうせ、すぐにいつも通りになる。

何事もなかったみたいに笑って。

藤崎俊輔の話をして。

自分のこの揺れだけが、また馬鹿みたいに取り残される。


もう二度と、信じたくない。


期待したくない。

望みたくない。

あんな思いしたくない。




頼むから。


もう、俺の心を揺らさないでくれ。




朔也はそう思いながら、ポケットの中で拳を握った。


隣では、雫もまた、地面を見つめたまま歩いていた。


街路樹の影が、夕暮れの歩道に長く伸びている。

その影を踏みながら、雫は先ほどの陽向の姿を何度も思い返していた。


(…そこ…………私の席なんだけど。)


あの声。

あの目。


あの瞬間、雫は気付いてしまった。


誰があの場にいても分かるくらい。

あまりにも、分かりやす過ぎた。


「…………。」


雫の喉が、きゅっと詰まる。




なんで、今更。




その言葉しか浮かばなかった。


初めて陽向に、朔也との関係を聞いた日のことを思い出す。


(…おえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ)


壁に手をつき、全身で拒否反応を示していた。


(ほんっとーに、やめてくれる?ただの幼馴染みなんだけど。)


あれは、演技なんかじゃなかった。

本気で、彼のことを恋愛対象として見ていなかった。


(応援するよっ!!!)


そう言って、両手を握り締めてくれた。

その手は温かかった。


(朔也とLINE、繋いであげよっか!?)


(こんな可愛い子とLINE出来たら、朔也絶対喜ぶって!)


きっかけをくれたのは。

他の誰でもなく、星野先輩だった。


(朔也ー!しぃちゃんがこいつらに捕まったから、あとでご飯屋さんまで一緒に連れてきてー!)


(それ結構……脈ありじゃない?)


(でもさ、しぃちゃんは余裕でオッケーラインだと思うよ?)


(自分がどんだけ最強に可愛いか、もっと自信持った方がいいよ)


(うん。だからしぃちゃん見てると、その頃の自分を見てるみたいで、つい応援したくなるんだよね。)


(…さ……誘ってみたら?)


(…………きっと。多分行けると思うよ。)


(しぃちゃん、おめでとっ!)


(……そっか。それなら私も嬉しいよ)


ずっと。

味方だった。


星野先輩は、私の背中を押してくれていた。


その言葉に。

その笑顔に。

その応援に。


どれだけ勇気をもらったか分からない。


星野先輩は、朔也くんのことなんて見向きもしていなかった。

彼がどれだけ星野先輩を見ていたか。

どれだけ苦しんでいたか。

どれだけ傷付いていたか。

そんなことには、少しも気付かないで。

彼の気持ちなんて、微塵もお構いなしで。


一切、興味なんてなかったくせに。


どうして、今更。


「…………。」


雫は、一瞬だけ朔也を横目で見た。


夕暮れの光に照らされた横顔。

少し険しい眉。

閉じられた唇。

何かを考え込むような目。


その表情を見た瞬間、胸の奥に冷たいものが落ちた。


もし。


もしも、彼が。




今でも、星野先輩を想っていたら…………?




「……っ」


ズキンッと胸が痛んだ。

雫は思わず、自分の胸元をぎゅっと押さえる。


彼は、自分を大切にしてくれている。

可愛いと言ってくれる。

優しくしてくれる。

一緒にいたいと言ってくれる。

好きだと言ってくれる。

それはきっと、嘘じゃない。


抱きしめてくれる腕も。

頭を撫でる指先も。

名前を呼ぶ声も。

全部、確かに温かい。


それでも。


それでも、彼の心の一番深い場所にいるのが、自分じゃなかったら。


(…………………………私………嫌な子だ……………。)


雫は唇を噛んだ。


雫は、自分の胸元を抑えていた手を。

力が抜けたようにゆっくり降ろした。


そして、肩を落としながら、俯いた。


(…朔也くん……………)




ねぇ。


私は本当に。





このまま、あなたの隣にいてもいいの?





二人の足音だけが、夕暮れの歩道に静かに響いていた。

駅へ続く横断歩道の先で、改札上の列車案内表示板の光がぼんやりと滲んでいる。


けれど二人は、どちらもその光を見ていなかった。

同じ道を歩きながら。

同じ沈黙の中にいながら。


朔也は陽向の涙に揺れていて。

雫は、陽向の想いに気付いてしまっていた。


繋がっているはずの距離は、ほんの数十センチ。

けれどその間には、言葉に出来ないほど深く、暗いものが横たわっていた。


二人は改札の前で足を止めた。


夕暮れの駅は、人の流れで満ちていた。

改札を抜けていく学生達。

家路を急ぐ会社員。

ホームへ向かう足音。

アナウンスの声。

たくさんの人が行き交っているはずなのに、二人の周囲だけが静まり返っているようだった。


雫は俯きがちだった顔を少しだけ上げる。


「……じゃあ……また明日……」


小さな声だった。

無理に笑おうとしているのが分かる。

けれど、その笑顔はどこか弱々しくて。

今にも消えてしまいそうだった。


その顔を見た瞬間。

朔也の胸が、ぎゅうっと締め付けられた。


次の瞬間。




ぎゅっ───!




朔也は雫の身体を包み込むように抱きしめた。


「……っ」


雫の肩が小さく揺れる。


駅前を吹き抜ける秋風が、二人の間を通り過ぎていく。

けれど、抱き締める腕だけは離れなかった。

まるで何かを確かめるように。

失くしてしまわないように。


「……まだ一緒にいたい。」


耳元へ落ちた朔也の声は、少しだけ掠れていた。

雫は目を閉じる。

抱きしめる腕の力が、いつもより強い気がした。


「今から雫んち行っていい?」


甘えるような声音。

けれどその奥にある寂しさを、雫は感じ取ってしまった。


「え……今から?」


雫は困ったように眉を下げる。


「夕方には親帰ってきちゃうから……無理だよ。」


「じゃあこのままウチ来て。帰りは車で送るから。」


朔也は抱きしめたまま言った。

腕へ、さらに力が籠る。


離したくない。


そんな気持ちが、そのまま伝わってくるみたいだった。


雫は胸の奥が少しだけ痛んだ。




離れたく………ないよ。




優しい。

温かい。

大切にされている。

それは分かる。

分かるのに。


今日だけは、どうしても。

ほんの少しだけ不安になってしまう。





私の存在は、邪魔じゃないの?





あなたの本心は。

あなたの本当の幸せは。





こんなに側にいたいのに。

こんなに離れたくないのに。

こんなに彼のことが、好きなのに。





私はこれから先、どうしたらいいの?





それでも雫は、その不安を飲み込むように小さく微笑む。


「……わかった。」


そっと朔也の背中へ手を回した。


「一緒に行く。」


朔也は何も言わなかった。

ただ、ほんの少しだけ安心したように目を閉じる。

やがて二人は身体を離した。


改札の向こうでは、電車の到着を知らせるベルが鳴っている。


夕暮れの光は少しずつ薄れ、街には夜の気配が降り始めていた。

二人は並んで歩き出す。

そして、そのまま朔也の利用する路線の改札を通った。


繋いだ手は離れていない。


けれど二人の胸の中には、それぞれ誰にも言えない想いが静かに沈んでいた。





───────。






すっかり日は落ちて、窓の外には完全な夜が訪れていた。


住宅街の灯りがぽつぽつと滲んで見える。

部屋の中には、エアコンの微かな作動音だけが静かに響いていた。

あれから二人は、特別な話をすることもなく、いつも通りに寄り添いながら、二人きりの甘い時間を過ごしていた。


「そろそろ帰らなきゃ…」


雫は小さく呟き、ベッドから身体を起こした。

時計を見る。

思っていたよりもずっと遅い時間だった。

沈黙を破るように、雫はベッドの端からゆっくりと腰を浮かせて、スカートの裾を整えながら立ち上がろうとする。


しかし、その瞬間。


「…!」


背後から伸びてきた朔也の長い腕が、逃げる隙を一切与えないほどの強さで、雫の腰回りにぎゅっと回った。


「……まだ帰らないで。」


背中に、朔也の体温がダイレクトに伝わってくる。

いつもより少しだけ速い、彼の心臓の鼓動。

しがみつくように抱きつく朔也の腕は、微かに震えているようでもあった。


「でも…もう遅いから……」


雫は困ったように眉を下げ、身体ごと振り返る。

そう返しても、腕は離れなかった。

むしろ少しだけ力が強くなる。


「泊まってってよ。明日学校休みだから良くね?」


朔也は、雫の胸元へ顎をを押し当てながら、子供みたいに雫を見上げていた。

何かに怯えているような、置いていかれることを恐れているような、そんな痛々しいほどの寂しさが、その声音には滲んでいた。


「雫と離れたくない。」


直球すぎるその言葉が、雫の胸の奥を鋭く抉る。


離れたくない──それはきっと、嘘じゃない。


今、この瞬間、朔也が雫を必死に求めているのは紛れもない事実だった。


雫は、自分にしがみつく朔也の姿をじっと見下ろしながら、切なさに胸を締め付けられつつも、そっと手を伸ばした。


そして、彼の柔らかい髪を、壊れやすいガラス細工に触れるように優しく撫でる。

さらりと指先を抜けていく髪の感触が、たまらなく愛おしくて、同時に酷く寂しい。




私を見上げる、その瞳。




真っ直ぐで。

逃げ場なんてどこにもなくて。

その瞳の奥には、私を離したくないという強い想いが宿っている。


優しくて。

不器用で。

少しだけ危ういほどに深い愛情。


まるで境界線の内側へ閉じ込めるように、自分だけを見つめてくるその眼差しに、雫は思わず息を呑んだ。




暗い瞳の奥へ、ゆっくりと引き込まれていく。




「……朔也くん……」




小さく名前を呼ぶ。

その声は、自分でも驚くほど弱かった。

雫は諦めたように、ふっと息を吐く。




愛しい。




ただ、それだけだった。


傷付いている時も。

拗ねている時も。

不安そうにしている時も。


どんな朔也も愛しかった。


だからこそ。


こんな瞳を向けられてしまったら、振り切れるはずがない。


離れたくないと言葉にされるよりも。

好きだと伝えられるよりも。


この真っ直ぐな視線の方が、ずっと胸に響いて捉えられてしまう。




雫は視線を逸らせなかった。


まるで吸い寄せられるように。




ゆっくりと。


ほんの少しずつ。




自らの顔を朔也へ近付けていく。




朔也もまた、雫の動きに応えるように静かに顎を上げた。




互いの呼吸が触れ合う。


距離が消えていく。




そして───






二人の唇が、そっと重なった。






雫は静かに目を閉じる。



腕の中から伝わる温もりを感じながら。

ただ、この瞬間だけは何も考えないように。


胸の奥に沈んだ不安も。

言葉にならない痛みも。


全部そっと閉じ込めるように。


雫はそのまま静かに、その温もりへ身を委ねた。


朔也は、自分の全てを雫で満たすように。

何もかもを雫で埋めつくすように。


只々。

浸すらに。


雫を求めた。


胸の奥で渦巻く不安も。

消そうとしても消えない迷いも。

言葉に出来ない痛みも。


何も考えたくなかった。


朔也は、雫の温もりへ縋るように目を閉じる。

今はただ、この温もりだけを感じていたかった。


雫がいる。

自分を見てくれている。

自分の名前を呼んでくれる。


その事実だけを確かめるように、朔也は雫の名前を呼んだ。


「……雫…… 好きだ……」


掠れた声が零れる。

自然に言葉が溢れた。


「雫……」


もう一度名前を呼ぶ。

まるで呼ばずにはいられないみたいに。


「可愛い……」


その声には、愛しさが滲んでいた。


雫は堪らない幸せに胸がいっぱいになり、きゅっと目を閉じる。


抱き締める腕の強さ。

何度も呼ばれる名前。

真っ直ぐに向けられる想い。


その全てが胸へ染み込んでくる。


「……朔也くん……大好き………」


雫もまた、そっと彼の名前を呼んだ。

静かな声だった。

けれど、その言葉には嘘も迷いもなかった。


言葉を交わして。

何度も名前を呼んで。

温もりを分け合って。


まるで離れてしまいそうな何かを繋ぎ止めるように。

雫は、朔也の火照った頬を両手で包み込んだ。


逃がさないように、その瞳を真っ直ぐに見つめる。


自分を夢中で求めてくる、この盲目的な光。

傷ついた迷子のような、あまりにも脆く悲しげな色。

そして────自分を境界線の内側へと幽閉しようとする、狂おしいほどの深い愛。





最高に、堪らない。





雫の胸の奥から、せり上がるような熱い歓喜が込み上げてくる。


「私は……」


堰を切ったように、心の声が唇から溢れ落ちた。


「あなたと……ずっと一緒にいてもいいの…?」


朔也は、迷うことさえしなかった。


「ずっと俺の側にいて……どこにも行かないで……」


懇願するように、朔也が雫の首元へと顔を埋める。

雫の甘い香りが朔也の胸いっぱいに広がった。


「もしも…私が、あなたから身を引いてしまったら?」


「…嫌だ……離れて行かないで…雫…」


縋りつくようなその力は、折れそうなほどに強く、激しい。


「雫がいないと、俺……生きていけない」


雫は満足感に目を細め、朔也の柔らかな髪を優しく、慈しむように撫でた。


「……この先も、ずっと……?」


囁きながら、雫は自分の首筋に深く沈んでいた朔也の顔を、拒む隙を与えずにそっと持ち上げる。


息が触れ合うほどの至近距離。


この大好きで堪らない、朔也の目。




全身が、熱くなる。






「誰よりも一番……私のことが好き?」





底のない朔也の深い瞳を、雫は真っ直ぐに射抜いた。





「この世で一番、雫を愛してる。」





その言葉が鼓膜を震わせた瞬間。


雫の背筋をゾクゾクとした甘美な電流が駆け抜けた。


歓喜のあまり、自然と口角が吊り上がっていく。






「……あは♡」






(星野先輩……)


あなたが今更どんなに足掻いたって、もがいたって、苦しんだって。

朔也くんの心が、あなたの元へ帰ることなんて二度とない。


例え私が身を引いて突き放したところで。


私に夢中で。

私に溺れて。

私に縋って。


この人はもう、この底なしの沼からは抜け出せない。


朔也くんは、もう完全に。





私という底へ、堕ちてくれたのだから。







夜は静かに更けていく。


けれど、狭い世界に閉じこもった二人だけは、時間の流れさえ忘れたかのように、互いの存在へ、深く深く沈み続けていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ