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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第三章〜高3編〜【最終章】  作者: 波方 真季


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第150話 エモに震える魂が、私の全てだ


それから陽向は、試験当日までの三日間。


まるで何かに取り憑かれたように、毎日図書室へ通った。


朝は誰よりも早く登校する。

朝の光が差し込む図書室の窓際で、本を開く。

昼休みになれば弁当を急いで食べ、再び図書室へ向かった。

放課後も同じだった。

生徒会室へ顔を出すこともない。

真っ直ぐ図書室へ向かい、最終下校ぎりぎりまで本を読み続けた。


時間の許す限り。

ただ、ひたすらに。

物語の中へ潜った。


クラスメイトにも、綾真にも。

咲にも、蒼太にも、朔也にも。

生徒会役員達にも。


総合型選抜が終わるまで、自分のことはそっとしておいてほしいと伝えた。


心配そうな顔はされた。

それでも皆、陽向なりの戦い方なのだと察してくれた。


スマホは一切触らなかった。

通知が溜まっていくのは分かっていた。

けれど開かなかった。


誰とも連絡を取らない。

今だけは現実から少し距離を置きたかった。


受験のことも。

生徒会のことも。

文化祭も。

体育祭も。

胸の奥に刺さったまま抜けない感情も。


全部、一度脇へ置いておきたかった。


登下校の電車の中でもページを捲り。

帰宅後も夕食を終えると自室へ戻り、本を開く。

気付けば時計の針は深夜へ近付いていた。


それでも読み続けた。


授業と授業の合間の短い休み時間でさえ、本を読んだ。

図書室へ行けば、気になった本を片っ端から手に取った。

物語の世界に浸れば浸るほど、自分中の、沢山の感情が蘇る感覚があった。


読み終わったあとに誰かの感情が胸へ残る作品が好きだった。


登場人物の選択に悩んで。

幸せを願って。

時には泣いてしまうような作品が好きだった。

だから自分は、感想を語り始めると止まらなかった。


「あの場面のあの台詞が好きで」


「主人公は本当はこう思ってた気がする」


「最後の選択、私は正しかったと思う」


そんなふうに熱中して話す自分を。

彼はいつも楽しそうに聞いていた。


物語の好みは、文体にも表れていた。

自分は読みやすい文章が好きだった。

難しい言葉を並べるよりも、情景が自然に浮かんで。

感情が素直に伝わって。

気付けばページを捲ってしまうような文章。

静かなのに心へ残る文体が好きだった。


逆に彼は。

少し癖のある文章や、構成が巧妙な作品も好んで読んでいた。


「この作家、文章のリズムが独特なんだよ」


そう言って勧められた本を読んで。

最初は戸惑いながらも、読み終わる頃には夢中になっていた。


自分は、救いのある結末が好きだった。

苦しい物語でもいい。

悲しい物語でもいい。

だけど最後には、登場人物が何かを得ていてほしかった。

前を向いていてほしかった。

希望が残っていてほしかった。


彼は、必ずしもそうではなかった。

切ない終わり方も。

報われない結末も。

それが物語として美しいなら好きだと言った。


お互いの好きな本を、お互いに薦め合って。

感想を伝え合って。


俊ちゃんが素敵だと感じた物語。

俊ちゃんが好きだと言った本。


彼のその想いごと、私はその物語を好きになった。


笑って。

泣いて。

怒って。

悩んで。

登場人物達は、何度も迷いながら前へ進んでいく。


その姿を追いかけながら、陽向は少しずつ思い出していた。


自分がどうして本を好きになったのか。

どうして物語に救われてきたのか。

どうして文学部へ行きたいと思ったのか。


そして。

どうして言葉を好きになったのか。


焦りは消えていない。

不安も消えていない。

試験への恐怖も。

胸の奥に残る痛みも。


何一つ解決していなかった。


それでも。


ページを捲るたびに、乾き切っていた心へ少しずつ水が染み込んでいくような感覚があった。


失くしてしまったと思っていたものが、ほんの少しずつ戻ってくる。


忘れていた自分自身を、少しずつ拾い集めていくような時間だった。



そして─────



気付けば、三日間はあっという間に過ぎ去っていた。


秋の朝。

澄み切った空の下。





ついに、陽向は総合型選抜試験当日を迎えた。





試験会場の入り口。


陽向は、秋晴れの空を見上げた。



(陽向、頑張れ)



彼の優しい声が、聞こえた気がした。


この三日間。

本を読んでいた時間。

図書室で過ごした時間。

思い出さない日は、一日もなかった。


私の心には、ずっと俊ちゃんがいた。


彼の言葉。

彼の存在。

彼の温もり。


いつもすぐ側に、俊ちゃんを感じていた。





彼と過ごした時間は。


忘れられない苦しい記憶なんかじゃない。


今でも私の心を温め続ける幸せな思い出。


俊ちゃんの事を忘れない。


これから先も、大切な思い出としてずっと胸の奥で抱きしめる。






陽向は、総合型選抜試験へと、強い一歩を踏み出した。





試験会場の教室は、静かだった。


机が規則正しく並び。

受験生達はそれぞれ席へ着き、参考書を開いたり、目を閉じたりしながら試験開始を待っていた。


陽向も指定された席へ腰を下ろす。

胸の奥は不思議なくらい静かだった。


もちろん緊張はしている。

怖くないわけじゃない。

総合型選抜は、陽向にとって大きな挑戦だった。


けれど。

三日前まで自分を押し潰していた焦りは、もうなかった。


机の上へ受験票を置く。

陽向は小さく目を閉じる。


(俊ちゃん………)


大丈夫。

私はちゃんとここまで来た。

彼と、一緒に。


そう思えた。


やがて試験官が入室する。

問題用紙が配られていく。

教室の空気が張り詰める。


紙の擦れる音。

椅子の軋む音。

誰かの小さな咳払い。


そして。


「それでは始めてください」


試験開始の合図が響いた。


バサッ────


室内でに一斉に広がった紙の捲る音と同時に、陽向は問題用紙を裏返す。


視線を落とす。

そこに書かれていた文字を見た瞬間。


「………っ」




陽向の呼吸が止まった。




『ある文学研究者は、文学作品や物語について次のように述べている。


人は人生の中で、自分だけでは抱えきれない苦しみや不安に直面することがある。そのような時、文学や物語は問題そのものを解決するわけではない。しかし、他者の経験や感情に触れることで、自分自身を見つめ直したり、新たな視点を得たりする機会を与えてくれる。文学が果たす役割は、現実から逃避させることではなく、現実と向き合う力を人に与えることにある。


この文章を踏まえ、


「文学や物語は人を救うことができるか」


について、あなた自身の考えを具体例を挙げながら800字以内で論じなさい。』




陽向の胸の奥で、何かが大きく揺れた。




ぽたり。




問題用紙の上へ、小さな雫が落ちた。


陽向はこぼれ出そうな呼吸を抑えるように、慌てて口元を押さえる。


泣くつもりなんてなかった。

なのに。




涙が止まらなかった。




だって。

ずっと探していた答えが。

三日間ずっと、自分が向き合ってきた答えが。


だって私は、何度も救われてきた。


物語に。

言葉に。

本に。


そして。

その世界を愛した人達に。


これまでどれだけ、救われてきたかわからない。


真っ暗な世界の中で。

一人ぼっちで。

孤独で。

寂しくて。

息の仕方さえ分からなくなるほど苦しかったあの頃も。


物語のページを開けば、そこには別の世界があったから。


泣いている誰かがいて。

迷っている誰かがいて。

傷付きながら、それでも前を向こうとする誰かがいた。


その人達の人生を追いかけているうちに。

いつの間にか、自分も少しだけ呼吸が出来るようになっていた。


物語は、現実を消してくれたわけじゃない。

苦しみをなくしてくれたわけでもない。


だけど。

生きることを諦めない理由を、何度も私にくれた。


図書室で出会った沢山の物語。

ページを捲るたびに生まれた感情。


勇気。

憧れ。

希望。


そして────




図書室から繋がった、一つの運命。




本がなければ出会えなかった。

物語がなければ知ることのなかった感情があった。

言葉がなければ辿り着けなかった景色があった。


沢山の本が。

沢山の言葉が。

沢山の物語が。

少しずつ少しずつ。

私の世界を広げてくれた。


そして気付けば。




私の世界そのものを、丸ごと塗り替えたんだ。




ぽろり、と涙が落ちる。

問題用紙の文字が滲む。


陽向は慌てて目元を拭った。

けれど涙は止まらなかった。


嬉しかった。

ようやく見つけたから。

書けなくなっていた言葉を。

忘れかけていた自分を。

大好きだった物語の世界を。


陽向は震える指でシャープペンを握る。

白紙だった解答用紙を見る。


三日前まで、何も書けなかった。

言葉が出てこなかった。

けれど今は違う。


胸の奥から、次々と言葉が溢れてくる。


書きたい。

伝えたい。

この答えを。

この想いを。



(陽向の書く文章や演説は、すごくエモいから…)



私の書く文章や、言葉を。

あなたは、いつも好きだと言ってくれたね。



”エモ”に歓喜し。

”エモ”に涙し。

”エモ”に胸を焦がす。





“エモ”に震える魂こそが、私の書く文章の全てだ。





陽向は小さく息を吸った。

そして、陽向は泣きながら。


迷いなく、最初の一文字を書き始めた。






そして───────。






小論文の試験終了を告げる合図が響いた。


陽向は静かにシャープペンを置く。


書き切った。

最後の一文字まで。

自分の言葉で。


答案用紙を提出すると、不思議なくらい心は穏やかだった。


それでも休む暇はない。

続いて行われるのは面接試験だった。


受験番号を呼ばれ、案内された教室へ入る。

緊張感の漂う室内。

面接官達の前へ座り、深く一礼する。


「それでは始めましょう」


穏やかな声だった。

最初は志望理由についての質問だった。


「なぜ本学を志望したのですか?」


「本学のどの授業に興味がありますか?」


「卒業論文ではどのような研究をしてみたいですか?」


続いて文学部ならではの問いが投げかけられる。


「なぜ文学部なのですか?」


「国文学と英文学、比較文学の違いを説明できますか?」


「文学を学ぶことは、将来どのように役立つと思いますか?」


さらに読書体験について。


「最近読んだ本は何ですか?」


「その作品のどこが印象に残りましたか?」


「好きな作品を一つ挙げるとしたら?」


そして思考力を問う質問へ移る。


「小説と漫画の違いは何だと思いますか?」


「SNS時代に読書は必要だと思いますか?」


「本を読まなくても生きていける、という意見についてどう考えますか?」


志望理由書の内容も深く掘り下げられた。


「具体的にはどんな作品ですか?」


「なぜ他の娯楽ではなく、物語だったのでしょう?」


「その経験は、今のあなたへどのような影響を与えていますか?」


さらに話題は生徒会活動へ移る。


「生徒会長として苦労したことは?」


「意見が対立した時は、どのように解決しましたか?」


「その失敗から何を学びましたか?」


次々と飛んでくる質問。

けれど陽向は、一度も言葉に詰まらなかった。

まるで胸の奥で堰き止められていた何かが決壊したみたいに。


言葉が溢れてくる。


物語について。

本について、言葉について、人の心について。


生徒会で学んだこと。

失敗したこと、悩んだこと、救われたこと。


どの質問にも、陽向は自分の言葉で答えた。


取り繕うこともなく。

格好をつけることもなく。

ただ、ありのままに。

感情を乗せて、熱を乗せて。

自分が本当に感じてきたことを。


自分でも驚くほどだった。

三日前まで、一文字も書けなかった。

言葉が見つからなかった。

それなのに今は違う。


質問を受けるたびに、胸の奥から泉のように言葉が湧き上がってくる。


物語に救われてきた時間も。

本を愛してきた日々も。

図書室で過ごした思い出も。

全部が自分の中で繋がっていた。


気付けば陽向は、面接で評価されるためではなく、自分の好きなものについて夢中で語っていた。


面接官達の姿が見えなくなるほどに。

身振り手振りは忙しなく。

ただ一心に。


大好きな物語について。

大好きな言葉について。

そして、自分が文学を学びたい理由について。

───語り続けていた。


質問が一通り終わった頃には、陽向自身も何をどこまで話したのか分からなくなっていた。

ただ一つだけ分かるのは。

自分は最後まで、自分の言葉で話したということだった。


静かな空気が室内を包む。


面接官達は手元の資料へ視線を落とし、それぞれ何かを書き込んでいる。


陽向は背筋を伸ばしたまま、静かに次の言葉を待った。


やがて。

中央に座っていた面接官がペンを置く。


そして、小さく笑った。


「……星野さんは……」


陽向が顔を上げる。

面接官は少しだけ隣の教員達と顔を見合わせた。

それから、どこか感心したように言った。


「本当に文学が好きなんですね。」


その言葉に。

陽向の目が、僅かに見開かれた。


評価されたからではない。

褒められたからでもない。


ただ、その一言が。

今の自分へ向けられた言葉として、あまりにも真っ直ぐ胸へ届いた。


文学が好き。

物語が好き。

本が好き。

言葉が好き。

それはずっと昔から変わらなかった。

苦しくても、迷っても、書けなくなっても、失恋しても、傷付いても。


その好きだけは、どこにも消えていなかった。


陽向は小さく微笑む。


「……はい。」


その返事は、とても自然だった。


「大好きですっ!」


迷いのない声だった。

ニッコリと嬉しそうに笑う陽向の満開の笑顔に、面接官達も柔らかく笑う。


それ以上の質問はなかった。


「ありがとうございました。」


試験終了の言葉が告げられる。

陽向は立ち上がった。

深く頭を下げる。


そして静かに教室を後にした。

廊下へ出る。

扉が閉まる音が背後で響いた。


その瞬間。


ふぅ、と長く息を吐く。

張り詰めていた身体から力が抜けていく。


終わった。

この数ヶ月、自分を押し潰し続けていたもの達が、少しずつ遠ざかっていく。


試験会場を出ると、外には秋の空が広がっていた。


高く。

青く。

どこまでも澄んでいる。


陽向は立ち止まり、その空を見上げる。


胸の奥にある痛みは、まだ消えていない。

不安もある。

結果だって分からない。

それでも今は。

自分を誇ってもいい気がした。


(これ、ワンチャン行ったくね?)


確かな手応えと共に、秋風の吹くキャンパスを、一歩ずつ歩き出した。


書けなかった言葉を取り戻した。

忘れかけていた自分を取り戻した。

物語を好きだった自分を、取り戻した。


それは、確かに胸の中で支えてくれた彼の存在が。

彼と過ごした日々の沢山の思い出が。


自分を取り戻させてくれたから。


陽向は小さく笑う。


(俊ちゃん、ありがとう)


大学の門を出ると、陽向は空へ向かって叫んだ。





「藤崎俊輔、ブラボーーーー!!!」





遠い海の向こうへ、届けるように。


未来へ向かうように。


新しい物語の始まりへ向かうように。





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