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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第三章〜高3編〜【最終章】  作者: 波方 真季


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第148話 体育祭。それは、ドラマだ


午後の空気は、午前中とはまるで違っていた。


秋晴れの空は高く、クラス席からは、すでに異様な熱気が立ちのぼっていた。

声援。

拍手。

応援団の掛け声。

照り返す陽射し。

アーバンコートの灼ける匂い。

その全てが、体育祭の終盤へ向かって、少しずつ熱を帯びていく。


そして、遂にその時が訪れた。


高校三年生。

高校生活最後の体育祭。

そして、おそらく多くの生徒にとっては、人生最後になるであろう体育祭。


午後のメイン競技。




三年生、クラス対抗全員リレー。




各クラスの意地と、プライドと、三年間の集大成みたいなものが詰め込まれた、体育祭最大の見せ場だった。


陽向のクラス、三年四組のアンカーは、当然のように鷹井綾真だった。


学年最速。

体育祭の花形。

クラス全員が最後の最後に希望を託す、圧倒的な切り札。


そして、その綾真へバトンを渡す最終走者は。

これもまた、ほとんど満場一致で決まっていた。


星野陽向。


理由は単純だった。

綾真のモチベーションが、段違いに上がるから。


「星野からバトン貰ったら、綾真なら死ぬ気で走るだろ」


「愛のバトンな」


誰かがそう言った瞬間、クラス中が納得した。

むしろ、それ以外の選択肢などなかった。


そんなわけで、陽向と綾真は走順でも前後になった。


リレー練習も一緒。

体育祭リハーサルも一緒。

入場前の控え場所も一緒。

走順待ちの場所も一緒。


本番を迎えた今も、トラックに並びながら、二人はいつものように騒いでいた。


「陽向から愛のバトン貰って、1位でゴールするのが俺の青春の最終目標だからな!!」


「1位でゴールしなかったらしばく!」


「おぉ…陽向にしばかれたい…」


「変態かーっ!!」


陽向がケラケラ笑うと、綾真もつられて笑った。

その笑い声は、グラウンドの喧騒に紛れながらも、どこか明るく響いていた。


その時だった。


「ひな」


聞き慣れた声が、すぐ近くで落ちた。

陽向の肩が、ほんの少しだけ揺れる。


振り向くと、そこには朔也が立っていた。


競技前のざわめきの中でも、その姿だけはすぐに分かる。

その視線はまっすぐ陽向の首元へ向けられていた。


「それ貸して」


「……あぁ、うん」


陽向は少し遅れて頷くと、首に巻いていた冷却タオルを外した。


昼休憩のあと、朔也から渡されたものだった。

正確には、朔也が雫に持たせたもの。

そして、それを雫が陽向の首へ巻いてくれたもの。


冷たさは少し弱まっていたけれど、まだほんのり冷気を残していた。

陽向が差し出すと、朔也はそれを受け取る。


そして。


ブンブンブンッ。


朔也は冷却タオルを数回振り回した。

風を含ませるように。

冷たさを戻すように。

それから、丁寧に半分へ折る。


陽向はその手元を、なぜか目で追ってしまっていた。


何でもない動作のはずだった。

ただタオルを畳んでいるだけ。

ただ、巻き直そうとしているだけ。


それなのに。

朔也の指先が、自分の方へ近づいてくる。


その瞬間、胸の奥が小さく跳ねた。


次の瞬間。




ふわ…




朔也の指が、陽向の髪をそっとかき上げた。


首元にかかっていた髪が持ち上げられ、汗ばんだ肌へ秋の風が触れる。

その一瞬、陽向の呼吸が止まりかけた。


近い。


朔也の指先が、うなじの近くを掠める。

冷却タオルが首元へ巻かれる。





目の前にある、朔也の顔に視線が吸い込まれてしまう。





ひんやりとした感触が、熱を持った肌に染み込んでいく。


冷たいはずなのに。

なぜか、そこだけ熱かった。


「……え……ありがとう……」


自分でも驚くほど、小さな声だった。


トクン。


心臓が鳴る。


きゅっと胸の奥が締め付けられる。

首元に残った冷たさ。

髪をかき上げられた感触。

距離の近さ。

何気ない優しさ。


全部が、ほんの一瞬だけ、陽向の思考を止めた。


やばい。


まただ。


また、心臓が勝手に反応している。


こんなの、ただの幼馴染の距離感だ。

昔からずっと、こうだった。

朔也は昔から雑に世話を焼いてくる。

暑そうなら水を渡す。

危なっかしければ手を引く。

泣いていれば、勝手に隣にいる。


それだけ。

それだけのはずなのに。


胸の奥が、うるさい。


陽向は、無意識に首元のタオルへ触れた。


「…………。」


すぐ横で、その光景を睨みつける綾真の視線がその場を焼き尽くしそうな勢いで燃えている。


その時だった。


陽向の首元のタオルへ視線を落としていた朔也が、陽向の瞳を見つめた。




「……………。」




至近の距離で、目が合う。





トクンッ────





時間が、止まったようだった。





しかし、次の瞬間。

朔也が、何でもない顔で口を開く。


「お前、転べよ」


「はっ!?」


一瞬で甘い空気が粉砕された。

陽向の目が吊り上がる。


「普段のおっちょこちょいをここで発揮しなかったら、いつ人の役に立つんだよ」


「うざ!!」


陽向は反射的に叫んだ。

さっきまで胸の奥で鳴っていた変な音が、怒りで一気にかき消される。


「絶対4組には負けないから!!」


「まぁ無理だろ。」


「こっちには綾真がいるんですけど!?」


陽向が言い返すと、隣で綾真が待ってましたとばかりに胸を張った。


「黒川!陽向からバトンを貰う俺は無敵だからな!」


朔也の眉が、ぴくりと動く。


「うるせぇな。アンカーだけ速くても意味ねぇんだよ」


「意味あるわ!最後に全部ひっくり返すのがアンカーだろ!」


「その前にひなが転ぶから無理」


「転ばないっつってんでしょー!!」


三人の声が、トラック脇に響く。

周囲の生徒達が振り返り、何人かが笑い始める。


けれど陽向は、そんなこと気にする余裕もなく叫んでいた。


さっきまで胸が苦しくなっていたことなんて、なかったことにするみたいに。

首元へ巻かれた冷却タオルの冷たさも。

髪をかき上げられた感触も。

その指先の優しさも。


全部、胸の奥へ押し込める。


それでも。


陽向の心臓は、まだほんの少しだけ。


トクン、トクンと。


いつもより速く鳴っていた。




───────。




「位置について!よーい!」


パァンッ!!


乾いた号砲が秋空へ突き抜けた。


その瞬間、スタートラインに並んでいた走者達が一斉に地面を蹴る。


歓声が爆発した。


校庭を囲むクラス席。

応援団の太鼓。

名前を呼ぶ叫び声。

手拍子。


さっきまでのざわめきが嘘みたいに、グラウンド全体の熱量が一気に跳ね上がる。


青、赤、黄、緑、紫。


色とりどりのバトンがトラックを駆け抜け、次々と次の走者へ繋がれていく。

バトンを受け取るたびに歓声が上がる。


「いけーーーっ!!」


「抜けぇぇぇぇ!!」


叫び声が飛び交う。

普段は教室の後ろで居眠りしている男子も。

面倒くさそうに授業を受けている女子も。


今だけは違った。

バトンを受け取った瞬間、その表情は一変する。


歯を食いしばり。

腕を振り。

息を切らしながら。


たった数十秒のために、全力で前だけを見て走る。


誰もが必死だった。

ただ、仲間から受け取った想いを、次の仲間へ繋ぐために走っている。

その姿は、いつものクラスメイトとはまるで別人のようだった。


高校生活最後の体育祭。


その一周一周に。

その一本一本のバトンに。


三年間の思い出と、意地と、青春の全部が詰め込まれていた。


そして、いよいよ走順は後半へ差しかかる。

ここから先は、もう誤魔化しが効かない。


前を走る走者との距離。

抜かした人数。

受け取る順位。


そのすべてが、最後のアンカーへ渡るバトンの重さを決める。


熱気に包まれた校庭の空気は、先程までとは明らかに違っていた。


追い越し。

追い抜かれ。

誰かが転んで。

立ち上がって。

誰かがバトンを落として。

拾って。


順位が目まぐるしく入れ替わる。 

どのクラスも必死だった。


その先に待つアンカーへ。 

少しでも良い順位で。

少しでも差をつけて。 

クラスの想いを乗せたバトンを繋ぐために。 


誰もが全力でトラックを駆け抜けていく。


その時だった。


朔也の走順が回ってきた。

歓声が上がる。


朔也は気怠そうに立ち上がった。

まるで面倒臭そうに見えるのに。

スタート位置へ向かう背中には、不思議な存在感があった。


陽向は無意識に、その姿を目で追っていた。


スタートラインへ立つ朔也。

前走者が近付いてくる。

そして。

赤いバトンが、その手へ渡った。

次の瞬間。


地面を蹴る。

一気に加速した。

風を切るように伸びる長い脚。

コーナーへ身体を倒しながら駆け抜ける姿に、三年二組の歓声が爆発する。


どうしてだろう。

気付けば視線が吸い寄せられてしまう。


気付いてから、少しだけ戸惑う。

自分のクラスの走者でもない。

むしろ敵だ。

目で追う理由なんて、本来どこにもないのに。


朔也の前を走る走者との距離が、みるみる縮まっていく。

その光景から目を逸らせなかった。


胸の奥が熱い。

呼吸が浅くなる。

手のひらに、じわりと汗が滲む。 


校庭中に響く叫び声。


「いけぇぇぇぇぇーーーっ!!」


「朔也ぁぁぁぁ!!」


「黒川抜けぇぇぇぇぇ!!」


自分が何を願っているのか。

誰を応援しているのか。

自分でも分からないまま。

朔也は最後の直線へ飛び込む。

前の走者まで、あと少し。

あと少し。


朔也は最後の直線へ飛び込む。


(……お願い……っ) 


陽向の心の奥で。

気付けば、そんな言葉が零れていた。




そして───追い抜いた。




わあぁぁぁぁぁぁぁ──────っ!!




歓声が爆発する。

校庭が揺れる。

三年二組の列が総立ちになる。

その歓声の中心で。


朔也は次の走者へバトンを繋いだ。


トクン。


胸が鳴る。 


トクン。


もう一度。

胸の奥が熱い。 


まるで自分のことみたいに。

誇らしくて。

嬉しくて。

そして、その感情に気付いてしまうのが怖かった。


陽向は抑えきれない何かが込み上げてくるような感覚を押し込めるように、無意識に胸元を押さえる。


けれど、暴れ出した鼓動だけは止まってくれなかった。


その瞬間だった。




「朔也くんっ!」




歓声を切り裂くように、弾んだ声が響く。


役員業務として、三年生リレーのゴールテープを担当する雫が、ゴールテープを手に持ったまま、ゴールしたばかりの朔也へ声を投げた。


「雫!」


当たり前のように、雫の側へ歩み寄る。

朔也の視線の先は。


午後の日差しを浴びて揺れる髪。

興奮で紅潮した頬。

弾けるような笑顔。


「凄いっ!めっちゃ早かった!」


「俺カッコよかったっしょ?」


「ちょーカッコよかった!!もぉーヤバかった!!」


興奮を隠しきれない雫に、朔也は少しだけ得意そうに笑いながら。


くしゃりと雫の頭を撫でた。


まるで、その距離が当然であるかのように。

恋人同士であることを、何も言わずに証明するような仕草だった。


その光景を見た瞬間。


「……っ」




ズシンッ




胸の奥が、重たい何かに押し潰された。


息が止まりそうになる。


ほんの数秒前まで響いていたはずの歓声が、急に遠ざかっていく。


クラス列から飛ぶ声援も。

応援団の太鼓も。

アナウンスも。


何も聞こえない。

世界に色はあるのに、音だけが消えていた。


陽向の視界の中心には、ただ二人だけ。


笑う雫。

優しく頭を撫でる朔也。


その姿だけが異様に鮮明だった。


胸の奥が、じわりと痛む。


見たくない。

見たくないのに。


視線だけが二人から離れない。


まるで、自分で自分の傷口を抉り続けているみたいだった。


その時だった。


「陽向っ!!」


鋭い声が飛ぶ。


「何してんだよ!!お前次っ!!」


綾真だった。


「えっ!?」


陽向はハッと顔を上げる。

現実へ引き戻された。


三年四組は、学年でも圧倒的ナンバーワンの団結力。

その結果、他クラスを大きく引き離しながらバトンは繋がれていた。


そして今。

残る走者は、陽向と綾真だけ。


スタート地点へ視線を向けた瞬間、血の気が引いた。


(……やばい……!!)


心臓が大きく跳ねる。

そこには、もう前走者の姿がなかった。


陽向は慌てて駆け出す。


前走者が、既に最後のコーナーを全力で駆け抜けている姿が見える。

さっきまで胸を占めていた痛みが、一瞬で焦りへ塗り替えられた。


クラスのみんなが繋いできたバトン。

綾真へ繋ぐためのバトン。

こんなところで止めるわけにはいかない。


胸の奥で暴れる感情も。

ぐちゃぐちゃになった心も。

全部置いていけ。


今は走れ。


ただ、それだけだった。


───パシッ。


陽向の手に、バトンが渡る。

その瞬間、反射的に地面を蹴った。


歓声が響く。

応援団の太鼓が鳴る。

クラスメイト達が叫んでいる。


陽向は夢中でトラックを駆け抜ける。


とにかく今は走らなきゃ。

何も考えちゃ駄目だ。

リレーに集中しなきゃ。

このままトップで誰にも抜かれず綾真へ繋がなきゃ。


それなのに。





胸が、苦しい。





肺が苦しいんじゃない。

足が苦しいんじゃない。


もっと別の場所。

もっと深い場所が。

ギリギリと軋むように痛んでいる。


何が苦しいのか、自分でも分からない。


分かりたくない。

認めたくない。

なのに。


頭の中では必死に否定している感情が、少しずつ輪郭を持ち始めている。


冷却タオルを巻かれた直後。

至近距離で見つめ合った朔也の顔。


トクン。


心臓が鳴る。

一瞬浮かんだ映像を、必死で振り払う。


嫌だ。

嫌だ。

嫌だ。


だけど、自分が何に抵抗しているのか、考えたくもなかった。


だって、絶対に違う。

だって、私は俊ちゃんの事が好きで。

だって、朔也には彼女がいる。


雫は大切な後輩で。


可愛くて。

優しくて。

幸せになってほしいと思っている。


なのに。


どうして胸が痛いの。

どうして苦しいの。


どうして。


最後のコーナーへ飛び込む。

視界の先には綾真がいた。

アンカーゾーンで身を乗り出しながら待っている。


あと少し。

あと少しで渡せる。

このまま一位で繋げる。


そう思って、無意識に胸を撫で下ろした。


その瞬間。





「星野先輩ーーーっ!!頑張れーーーっ!!」





弾けるような声がゴール地点付近から響いて、満面の笑みで自分を応援して手を振る雫の姿が視界へ飛び込んできた。



ズキンッ───



陽向の胸の奥で何かが裂けた。

まるで無理矢理押さえ込んでいた感情が、一気に暴れ出したみたいに。


足元が揺れる。

呼吸が止まる。

視界が滲む。


次の瞬間。

足がもつれた。


「………っ!」





ズシャァァァァァァァッ!!





グラウンドから悲鳴が上がった。


最後の直線だった。

綾真まで、あと数メートル。

あと少しだったのに。


身体が地面へ叩きつけられる。

膝を擦る。

焼けるような痛みが走る。

掌にも強い衝撃が食い込む。


けれど。

その痛みよりも。

胸の方が痛かった。


「陽向っ!!!!」


綾真の叫び声が響く。

アンカーゾーンから飛び出すように駆け寄ってくる。

ルール違反ギリギリまで。


必死に。

陽向は歯を食いしばった。


急いで身体を起こす。

膝から血が流れている。

足に力が入らない。

それでも立ち上がる。

ふらつきながら、転びそうになりながら、それでも前へ進む。


「陽向!!大丈夫っ!?」


綾真はバトンより先に陽向を支えた。

その腕が、その声が。

余計に泣きそうになる。


横には次々と他クラスの走者が到着していた。

一人。

また一人。

アンカーへバトンが渡されていく。


順位が変わる。

歓声が上がる。

時間だけが残酷に進んでいく。


「大丈夫だから…っ!!行って!!」


陽向は叫ぶ。


「でも…怪我が……!」


「早くっ!!!!行って!!!!」


陽向は綾真の手を振り払い、その手を掴んで無理矢理バトンを握らせた。

自分の全部を渡すように。


「……っ!!」


綾真の表情が歪む。

けれど次の瞬間。



ダンッ──!



弾かれたように地面を蹴った。


風が走る。

綾真は全力で前へ飛び出した。

陽向はその背中を見つめる。


(…お願い………巻き返して……!)


その願いだけが。

ぐしゃぐしゃになった胸の奥で、何度も何度も叫び続けていた。


綾真が駆け出した時点で順位は三位。



学年最速の男。



その足の速さは凄まじい。

綾真が走り出した瞬間、校庭中からど大きなよめきが巻き起こった。


長い脚が地面を叩くたびに、他クラスのアンカーとの距離が目に見えて縮まっていく。


歓声が膨れ上がる。

けれど綾真の耳には、その声さえほとんど届いていなかった。


0.1秒でも早く一周を回り終えて、怪我をした陽向の元へ戻りたい。


───早くっ!!行って!!


その叫びが耳に残っている。

焦燥に駆られるように、その想いが必死に足を前へ前へと突き動かしていた。


三年四組の絶叫がグラウンドを揺らす。

クラスメイトは全員が立ち上がっていた。


三年間。

全部ひっくるめた高校生活最後の体育祭。

誰もが、この一本へ想いを託していた。


最後のアンカーにバトンが渡ると、雫が素早くゴールテープを張りに行く。


トップを競り合う二人のアンカー。


その背中を追いかけて、最後の直線で目の前まで迫っていく。


「抜けー!!鷹井ー!!」


「行けーー!!!」


「ぶっち切れぇーー!!綾真ーーー!!」


三年四組から怒号のような声が喚き散らかされる。


陽向は地面へ座り込んだまま、トラックの内側からその光景を見つめていた。


痛む膝も。

滲む視界も。

今だけはどうでもよかった。


両手をぎゅっと握り締める。 


お願い。

お願いだから。


勝って。


胸の奥で、何度も何度も祈る。


ゴールテープはもう目前。






「綾真ーーーーーーっっっ!!!!!!!」






陽向の叫びが響いた、その瞬間。




バッ──────。




綾真の身体が、風を切るように前へ出た。

ほんの僅か。

紙一重。

けれど確かに。


トップの走者を追い抜いて、綾真は飛ぶように。






──────ゴールテープに一位で飛び込んだ。






パァンッ!!!




乾いた音と共に、ゴールテープは弾け飛んだ。





わああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!





爆発だった。


三年四組が総立ちになる。

飛び跳ねる。

抱き合う。

叫ぶ。

泣く。


歓声が秋空を揺らす。


あと一歩、綾真に抜かれたアンカーがバトンを投げた。

誰かが涙を流していた。


綾真は肩で荒く息をしながら振り返る。

そして真っ先に見た。


優勝旗でもない。

得点板でもない。


ただ一人。


膝には擦り傷。

さっき転んだ衝撃の名残が、そのまま残っていて。

地面へ座り込んだまま、自分を見つめている陽向の姿を。


「綾真…っ」


涙で滲んだ瞳。

震える唇。

その顔を見た瞬間。


綾真はようやく、小さく笑った。


「陽向!大丈夫?」


息を切らしながら駆け寄る。

その瞬間。




ぎゅっ…──




陽向の腕が勢いよく綾真の首へ伸びる。

まるで溺れた人が何かへしがみつくみたいに。

その身体を強く抱き締めた。


「…っ!?」


綾真が目を見開く。


けれど陽向は離さない。

震える肩。

掠れた呼吸。

押し殺そうとしていた感情が、堰を切ったように溢れ出していた。


「…ありがと…っ綾真…ありがとおぉぉ〜〜〜〜」


大号泣だった。


嗚咽が止まらない。

肩が震える。

涙が次から次へと涙が溢れてくる。 


転んだ瞬間の絶望も。

順位が落ちていく恐怖も。

みんなに迷惑をかけた罪悪感も。

綾真へ渡したあの震えるバトンも。

全部が一気に押し寄せてくる。


「…あの……」


綾真の心拍数は、壊れそうなほど暴れていた。


ドクン。


ドクン。


ドクン。


首回りにぎゅっとしがみついてくる陽向の鼓動が。

頬が。

呼吸が。


全てが近い。






「お、おっぱい当たってるんですけど…」





バシッ!!




陽向は、綾真の頭頂部を思い切り叩いた。


「変態っ!!」


真っ赤になって叫んだ陽向の声に、周囲で見守っていたクラスメイトがどっと笑った。


「お前そーゆうのはバカ正直に言うもんじゃねーんだよ!」


「黙って感触味わっとけよ!!」


「これだから童貞は!!」


「童貞じゃねぇ!!」


綾真は即答でお決まり文句を言い返す。

そして陽向の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


「救護テント行くか。おんぶしようか?」


「ううん。歩けるから支えてくれる?」


柔らかく笑う綾真の笑顔に、陽向の胸がじんわりと解けていく。


「おぶれよ。背中おっぱいのチャンス」


「むしろ狙って言ったんだろ?」


「殺すぞお前ら!!」


周囲では三年四組の笑い声は続いている。

けれど陽向の世界には今、綾真の声しか聞こえていなかった。


転んでしまった自分を責め続けていた心が。


自分でも理由がわからず、ぐしゃぐしゃになっていた心が。


ようやく少しだけ救われた気がした。







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