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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第三章〜高3編〜【最終章】  作者: 波方 真季


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第146話 最悪ジェラシー三角形


一日が終わったと思ったら、また次の日が始まる。

そんな毎日の繰り返しだった。


体育祭準備は待ってくれない。


応援団との調整。

放送委員との連携。

競技ごとの進行確認。

救護導線の最終チェック。

教員との打ち合わせ。


生徒会長である陽向の机には、毎日のように新しい書類が積み上がっていった。


朝は誰よりも早く登校する。


放送設備の確認をして。

先生に呼び止められて。

委員会へ顔を出して。

クラスの連絡事項を回収して。


昼休みが終われば次の仕事。

授業を受けているはずなのに、気付けば頭の中ではタイムスケジュールを組み直していた。


放課後になれば生徒会室へ直行。


「星野先輩これ確認お願いします!」


「生徒会長、先生が呼んでます!」


「競技順の変更連絡きました!」


次から次へ飛んでくる声。

その全てに対応しながら、陽向は自分を削り続けていた。



そして瞬きする間もなく、体育祭当日は訪れた。



まだ空気の冷たい早朝。

校門を抜けると、グラウンドには既にテントが並び始めていた。

秋空はどこまでも高く澄み渡っている。

生徒達が登校してくる前の静かな校庭。


けれど陽向は、開始前から既に走り回っている。


グラウンドを横切り。

本部席へ向かい。

職員テントへ顔を出し。

また生徒会本部へ戻る。


気付けば朝から何度も校庭を往復していた。


開会式が始まる。

体育祭は順調に進行していた。


けれど陽向には、それを楽しむ余裕はほとんど無かった。


競技が終われば次の競技準備。

トラブルが起きれば対応。

時間が押せば調整。

気付けば時計の針だけが、容赦なく進んでいく。


生徒達の笑顔が溢れる校庭を走り回りながら。

陽向は、生徒会長として体育祭を支え続けていた。


胸の奥に残る様々な痛みも。

受験への不安も。

言葉にならない感情も。


今だけは全て脇へ押し込めて。


ただ前だけを見て。

高校生活最後の体育祭という一日を、走り抜けるために。


そんな中。


午前の種目も終盤に入る。

太陽は高く、その日の気温もピークに差し掛かっていた。


生徒会本部席。


常時詰めているのは生徒会長と副会長。

その他の役員達は、それぞれの担当業務に追われながら、必要な時だけ本部席へ戻ってくる。


次々と人が入れ替わり、報告と確認が飛び交う。


「生徒会長!」


体育祭実行委員の二年生が駆け寄ってくる。


「次の綱引き、来てない生徒がいるみたいで、まだ揃ってません!」


陽向は進行表へ目を落とした。


「何組?」


「一年一組です!」


「じゃあ放送入れて。三回呼んで来なかったら担任の先生に回して。」


「了解です!」


実行委員の二年生はすぐに本部席を飛び出していった。

その直後。


「生徒会長!」


今度は放送委員の一年生だった。


「障害物競走の結果用紙まだ来てません!」


「あー、体育委員長が持ってるはず!」


陽向は校庭中央へ視線を向ける。


「赤ハチマキの人!あそこ!」


「あざっす!」


また走っていく。

しかし休む間もなく。


「星野先輩!」


「今度はなにー!?」


陽向が思わず叫ぶ。

今度は救護テントを担当していた加賀優音だった。


「救護テントから連絡です!熱中症疑いで一年生一人休ませてるそうです!」


「もしかして綱引き来てない子?」


「一年一組だから、多分そうです」


「保護者連絡は!?」


「担任の先生が今やってます!」


「オッケー!じゃあ救護優先で!競技復帰は絶対させないで!」


「了解です!」


加賀優音が去っていく。

陽向はようやく一息ついた。


「……体育祭って毎年こんな忙しかったっけ……」


思わず机へ突っ伏す。

その隣で横溝琉嘉が冷たく言った。


「生徒会長なんてそんなもんだろ」


「去年の俊ちゃん…なんであんなに涼しい顔してたの……?」


「自分と藤崎会長のスキルを同じ土俵に上げるなよ」


鼻で笑う横溝琉嘉の言葉に、陽向は遠い目をした。


そして、午前の全競技が終了し、グラウンドへ昼休憩開始のアナウンスが流れた。


生徒達は一斉に校舎へ向かう。

賑やかな声が校庭から少しずつ遠ざかっていく。


その一方で。

体育祭本部テントだけは、まだ昼休憩どころではなかった。


「午前中の得点集計、今どこまで終わってる!?」


陽向が資料を抱えたまま叫ぶ。


「三年と二年は終わりました!一年があと少し!」


阿久津孝明が得点表へ視線を落としたまま答えた。


「放送原稿も修正終わりました!」


雫が手を挙げる。


「障害物競走で競技時間押した分、午後のスケジュール5分ずつ調整してます!」


相田桜子も資料を抱えて走ってくる。


本部テントの中は慌ただしかった。

机の上には得点表。

競技進行表。

放送原稿。

連絡用のクリップボード。

役員達がそれぞれの仕事を抱えながら動き回っている。


「……あー……」


ふいに陽向は首の後ろを押さえた。


肩が重い。


朝から何度も校庭を走り回ったせいか、全身に疲労が溜まっているのが分かった。

それでも止まれない。

まだ午前が終わっただけだ。

午後には応援合戦もある。

クラス対抗リレーもある。

閉会式も残っている。


「星野先輩。」


阿久津がペットボトルを差し出した。


「水くらい飲んで下さい。」


「あ…」


陽向は一瞬だけ目を丸くする。

そういえば朝からほとんど口にしていなかった。


「ありがとう。」


キャップを開けて一口飲む。

冷たい水が喉を通った瞬間、ようやく自分がどれだけ疲れていたのか気付いた。


すると横から横溝琉嘉が言う。


「昼休憩入れ。」


「え?」


「午後まで倒れられたら迷惑だから。あとはこっちでやっとく」


相変わらず口は悪い。

けれど、その声には少しだけ心配が混じっていた。

陽向は苦笑する。


「はいはい。」


先ほど受け取った修正資料を広げ、陽向は視線を落とした。


競技進行表。

修正箇所。

確認事項。

文字を追うはずだった。


その時。


「雫。さっき渡した俺の冷却タオルは?」


背後から、不意に聞き慣れた声が飛び込んできた。

陽向の指先がぴたりと止まる。


「あ、さっき競技の前にクラス席に置いてきちゃった。」


反射的に顔を上げる。

本部テントの入り口。

そこには朔也と蒼太、そして咲の姿があった。


「陽向、お疲れ♡」


真っ先に気付いた咲が、にこっと笑いながら手を振る。

陽向も慌てて小さく手を振り返した。


「ちゃんと巻いとかなきゃ駄目だろー」


朔也が呆れたように眉を寄せる。


「顔赤くなってんぞ。」


そう言いながら、雫の頬を両手で包み込んだ。

まるで熱を確かめるみたいに。

当たり前のように。

自然な仕草で。 


「ごめん……取ってくる。」


「いいよ。とりあえず先に飯食お。」


そう言うと、雫の髪を優しく撫でる。

さらり、と。

指先が髪を梳いていく。


優しい眼差し。

柔らかな声色。

恋人に向ける、ごく自然な仕草。


その光景を見た瞬間。


胸の奥がざわり、と波立った。


痛みとも違う。

嫉妬とも認めたくない。

説明のつかない感情が、胸の奥底で静かに蠢く。


陽向は咄嗟に視線を落とした。

思考を資料へ戻す。


けれど、さっきまで読めていたはずの文字が、少しも頭に入ってこなかった。


耳だけが勝手に、後ろの会話を拾ってしまう。

聞きたくないのに。

見たくないのに。

胸の奥だけが、じくじくと疼いていた。


見なくていい。

気にしなくていい。


そう自分へ言い聞かせるように、修正資料へ神経を集中させた。


その時だった。


「あれ……?」


陽向の眉が僅かに寄る。

手元のタイムテーブルを見返す。

そして顔を上げた。


「ねー、この資料、時間ずれてない?」


その声に、近くにいた役員達もそれぞれ自分の資料へ目を落とした。


「え?別にずれてないっすけど。」


阿久津孝明がページをめくる。


「午後の競技予定。これ、12時45分開始のままになってるじゃん。」


陽向が資料を指差した。

阿久津は一瞬だけ目を細める。


「あー。それ、修正前のやつじゃないすか?」


そして肩を竦めた。


「え?そーなの?」


陽向は手元の資料と阿久津孝明が手にしている資料を見比べる。


「ちゃんと修正版ちょうだいよ。」


思わずため息が漏れた。

そのやり取りを聞いていた雫が、すぐに立ち上がる。


「あっ、すみません。」


慌てて自分のファイルを開いた。


「修正前の資料が混ざっちゃったみたいで……これ、新しいやつです。」


そう言って差し出された資料。

本来なら。

それで終わるはずだった。

たったそれだけの話だった。


けれどその瞬間。


胸の奥底に溜まり続けていた何かが、ぐわっとせり上がる。


終わらない仕事。

思い通りにならない毎日。

見たくなかったものを見てしまった、あの日から続く胸の痛み。

そして。

今しがた朔也がテントへやって来てからの一連の光景。

全部がごちゃ混ぜになった感情が、一気に喉元まで込み上げてきた。


気付いた時には、もう口が動いていた。





「こういうの、ちゃんとしてくれる?こっちも忙しいからさ。」





「…………っ!!」


空気が止まる。

雫の肩がびくりと震え、大きな瞳が揺れた。


静まり返る。

一瞬だった。

それなのに、その場にいた全員が凍り付いたように動きを止めた。


「も、申し訳ありません……!」


雫は反射的に頭を下げる。

その声は、明らかに怯えていた。


その瞬間、陽向の胸が嫌な音を立てる。 


(やば…!またやっちゃった…!)


違う。

こんな顔をさせたかったわけじゃない。

そう思った時には、もう遅かった。


「星野、お前───」


横溝琉嘉が勢いよく立ち上がる。

椅子がガタンッと音を立てたその直後。


「おい!!」


鋭い声が飛ぶ。

全員の視線が一斉に向く。

朔也だった。

いつの間にか陽向達のすぐ近くまで来ている。

その目はあからさまに怒っていた。

雫の前へ立つように歩み寄る。


「お前、なんだよその言い草。」


低い声だった。

けれど、その場の誰よりも怒りを含んでいた。


まるで庇うように。

傷付いた雫を、自分の後ろへ隠すように。

守るように自分の目の前に来たその存在に、陽向の胸が、ぎゅうっと強く握り潰されたような感覚に襲われた。


苦しい。

息が詰まる。


けれど、その感情が何なのか、自分でも分からない。

分からないまま、口だけが先に動いた。


「こっちは朝からろくに水も飲む暇ないほど走り回ってんの。何も知らない部外者が口出ししないでくれる?」


声が鋭くなる。

こんなの、良くないってわかってる。

止めようと思っても止まらなかった。


「知らねーよそんなお前のテンパりなんて。忙しいのを雫に当たんじゃねぇよ」


その言葉が胸へ突き刺さる。

図星だった。

痛いほど分かっている。

分かっているのに。

認めた瞬間、自分が壊れてしまいそうだった。


「別に…ミスを注意しただけで、何でそこまで言われなきゃなんいの!?」


「お前が人にミスを注意出来る立場かよ!」


朔也は一歩も引かなかった。

むしろ、その目つきはさらに険しくなる。


「閉会の原稿無くして?テンパって救急車で運ばれて。」


朔也の声は冷たい。

さらに追い打ちをかける。


「散々周りに迷惑かけといて、お前が偉そうに言えることかよ!」


グサリ、と刺さる。


全部事実だった。

全部分かっている。

分かっているからこそ苦しかった。

だからこそ許せなかった。


「私だって好きでこんなんなってるわけじゃないっっっ!!」


「開き直ってんじゃねぇよっ!!」


怒声がぶつかり合う。

空気が張り詰める。

まるで火花を散らすみたいに、二人の大声が真正面からぶつかっていた。


「やめなよ、朔也……!」 


「星野!!お前いい加減にしろよ!」


慌てて咲が朔也の腕を掴む。

その反対側では、横溝琉嘉が陽向の肩を掴んだ。


今にも取っ組み合いになりそうな二人を、それぞれ咲と横溝琉嘉が必死に引き離す。


体育祭本番の、生徒会本部席。

本来なら誰よりも冷静でいなければならない生徒会長と。

本来なら関係のないはずの朔也。

二人の衝突によって、その場は一瞬で修羅場へと変わっていた。


強制終了となった口論。

戸惑いながら涙する雫の肩を、朔也がそっと引き寄せた。

まるで傷付いた彼女を守るように包み込む。


「大丈夫だから。」


抱きしめながら、何度も優しく頭を撫でる。


「気にすんな。」


その言葉に、雫は小さく目を伏せた。

朔也の手は変わらず優しかった。


陽向はその光景を見つめ続けることもできず、ただ俯いていた。


胸が苦しい。

自分でも悪かったことは分かっている。

雫は何も悪くない。


まるで自分が雫を虐めたみたいな空気が、その場を支配していた。


そんなつもりはなかった。

疲れていたから。

余裕がなかったから。

そんな言い訳を並べたところで、傷付けた事実は消えない。


ぎゅっと胸の奥が痛んだ。


誰よりも自分自身が、自分に失望していた。


朔也はそのまま雫を抱き寄せるように肩を包み込みながら、生徒会本部テントを後にした。


グラウンドには秋風が吹いていた。

昼下がりの空は高く、どこまでも澄んでいる。


さっきまで張り詰めていた本部テントにも、一瞬だけ静寂が訪れていた。


けれど、その静けさも長くは続かない。


昼休憩は、時期に終わる。


応援合戦。

午後の競技。

クラス対抗リレー。

そして閉会式。


体育祭後半戦が始まれば、再び全員が走り出さなければならない。

生徒会長である陽向にも、立ち止まっている時間は長く残されていなかった。


それでも胸の奥には、拭いきれない痛みだけが重く沈んでいた。


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