第141話 いざ、開幕!!
文化祭終了を告げるチャイムが、校内へ静かに響き渡った。
教室。
廊下。
中庭。
体育館。
学校中のあちこちで、生徒達の笑い声が弾けていた。
二日間に渡る文化祭は、これにて終了。
一般来場者は帰路につき。
模擬店の呼び込みも止まり。
校内を埋め尽くしていた人波も、少しずつ落ち着き始めている。
数ヶ月かけて準備した文化祭。
クラスメイトとぶつかりながら作った出し物。
夜遅くまで残って描いたポスター。
放課後に繰り返した話し合い。
その全てが、ひとまず終わった。
達成感。
解放感
そして、少しの寂しさ。
様々な感情が入り混じった空気が、校内を優しく包んでいる。
夕暮れだった。
西日が校舎を橙色に染めている。
窓ガラスへ反射する光。
長く伸びた影。
風に揺れる文化祭の横断幕。
それは、祭りの終わりを告げる景色だった。
本来ならここで解散だった。
後は片付けをして。
友達と写真を撮って。
「また来年だな」と笑い合って。
そうして文化祭は終わる。
毎年そうだった。
けれど。
今年だけは違う。
生徒達の表情に浮かんでいるのは、終わりを惜しむ寂しさではない。
むしろ、これから始まる時間を待ちきれないという高揚感だった。
校庭の向こう。
特設ステージには、すでに照明機材が並び始めている。
祭りはまだ、終わらない。
創立五十周年記念企画───後夜祭。
その祭典の開幕が、刻一刻と迫っていた。
校庭中央に設置された特設ステージでは、先生達や生徒会役員達が最後の準備に追われていた。
照明の点灯確認。
音響機材のチェック。
立入禁止区域を示すコーンの設置。
警備担当の先生との最終打ち合わせ。
夕暮れの校庭には、文化祭とはまた違う緊張感が漂っている。
創立五十周年記念事業として企画された、一夜限りの後夜祭。
生徒達の期待は大きい。
だからこそ、失敗は許されない。
終了時刻は厳守。
近隣への騒音対策もあり、午後七時には全プログラムを終了。
午後七時三十分には全校生徒完全下校。
与えられた時間は、わずか一時間。
その一時間の中へ、全てを詰め込まなければならない。
6:00 開会挨拶
6:05 生徒会オープニングセレモニー
6:10 機材搬入
6:20 軽音部パフォーマンス
6:35 機材撤収
6:45 ダンス部パフォーマンス
6:55 閉会挨拶
7:00 終了
教員、軽音部、ダンス部と、生徒会で何度も打ち合わせを重ね。
何度も修正を繰り返し。
ようやく辿り着いた綿密なタイムスケジュールだった。
長かった文化祭も。
慌ただしかった準備期間も。
今日という特別な一日も。
この一時間の先で幕を閉じる。
けれど───。
きっと、この夜は忘れられない。
高校生活でたった一度しか訪れない。
生徒達の手によって作り上げた。
生徒達による、生徒達のための後夜祭。
校庭には全校生徒が集結し、期待と熱気が渦巻いていた。
ステージ上では照明が灯り始める。
ざわめいていた生徒達の視線が、一斉に中央へ向いた。
生徒会長、星野陽向。
マイクを受け取った陽向は、校庭を埋め尽くす生徒達の顔を見渡した。
高まる緊張感の中で陽向がステージに立つと、“いよいよ始まる”という期待で、生徒達の胸が一気に高まった。
そしていよいよ、開幕挨拶。
《みなさん、こんばんはー!!》
校庭中へ声が響く。
わああぁぁぁぁっ!!
大きな歓声が返ってきた。
その瞬間。
張り詰めていた緊張が、少しだけ解けた。
陽向は思わず笑う。
《えー……まず最初に言わせて下さい。》
一拍置く。
《今日まで文化祭、みなさん本当にお疲れ様でしたー!!》
歓声と拍手が沸き起こる。
その後は生徒会長らしく、軽めに後夜祭における注意事項やルール、マナーについてを気持ち程度に挟み込む。
本当に、一応だけ。
みんなが聞きたいのは、そんな話ではない。
待っているのは、その先だ。
陽向は小さく笑う。
《それでは!!》
校庭の空気が、一瞬で張り詰める。
期待と高揚感が膨れ上がる。
全校生徒の視線が、ステージへ集中した。
陽向は大きく息を吸い込んだ。
《創立五十周年記念企画───後夜祭!!》
ぎゅっとマイクを握りしめ、勢いよく右手を突き上げた。
《開幕だぁぁぁーーーーーーっ!!!!》
わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!
バンッと、ステージ照明が一斉に点灯し、眩しい光が夜の始まりを照らし出す。
大歓声。
拍手。
口笛。
生徒達の歓声が校庭を揺らした。
校庭全体が熱気に包まれる。
高校生活で、たった一度だけの特別な夜が。
今、幕を開けた。
演目のトップバッターを飾るのは、生徒会役員達によるオープニングセレモニー。
創立五十周年を祝うため、生徒会が夏休みから準備を重ねてきた特別なパフォーマンス。
その全貌が、今夜初めて披露される。
《〜〜〜♪♪♪────!!!!》
“開幕だー!”という陽向の叫びを合図に、大音量の音楽がステージへ流れ出す。
陽向がマイクの前から一歩下がり、動き出す。
それと同時に生徒会役員達が一斉に全員ステージ中央へと駆け寄りながら集まる。
陽向を先頭に、生徒会役員の総勢九名が縦一列となって並んだ。
わああああぁぁぁぁぁぁっっっ!!
ドッッッッと爆発するように、会場が弾けた。
今回、後夜祭開催の決定後、生徒会は全校生徒を対象にアンケートを実施していた。
後夜祭で何をしたいか。
どんな企画があれば楽しいと思うか。
寄せられた意見は様々だった。
ミスター・ミスコンテスト。
キャンプファイヤー。
公開告白。
フォークダンス。
どれも後夜祭らしい魅力的な案だった。
けれど。
その中で圧倒的に多かった意見がある。
───みんなで歌って踊って盛り上がりたい。
全校生徒が一つになって。
学年もクラスも関係なく。
最後はみんなで笑いたい。
そんな声だった。
だから生徒会は考えた。
今の高校生達が、一番自然に盛り上がれるものは何か。
何度も話し合いを重ね。
何度も企画を練り直し。
そして辿り着いた答えがあった。
現役高校生なら誰もが知っている。
SNSで爆発的にバズりにバズった楽曲。
誰もが一度はスマホ越しに真似したことのある振り付け。
その中でも特に有名な、厳選された九曲を。
一人三十秒ずつ。
生徒会役員九名によるリレー形式で繋いでいく。
生徒会オープニングセレモニー。
その名も。
『30秒ショート動画楽曲メドレーリレー』
《♪♪♪────》
ステージ中央。
先頭に立つ陽向が音楽に合わせて大流行の振り付けを踊る。
陽向と同じ振り付けを、生徒達が一斉に踊る。
まるで校庭全体が一つの巨大なライブ会場になったみたいだった。
歓声。
笑い声。
歌声。
夜空へ向かって弾けていく。
そして約三十秒。
最高潮まで熱が高まった、その瞬間。
《♪♪♪────》
楽曲が切り替わる。
陽向は素早く列から抜けると、代わりに前へ飛び出したのは。
横溝琉嘉だった。
わああああぁぁぁぁぁぁっっっ!!
再び校庭が揺れる。
あまりにもバズったその二曲目が始まった瞬間。
歓声はさらに大きくなった。
本来であれば、ここで陽向は列の最後尾へ回る流れだった。
しかし陽向は、ステージ中央のマイクスタンドに手を掛ける。
カチャッ。
勢いよくマイクを外した。
《♪♪♪────》
曲に合わせて横溝流華が振り付けを披露する中。
《そこーーー!!!!スカしてんじゃねぇーーー!!!》
ビシッと勢いよく指差した先。
「はっ!?俺!?」
朔也の身体がビクゥッ!!と跳ね上がる。
一瞬にして、全校生徒の視線が朔也へ集中した。
それまで気怠そうにステージを眺めていただけだったのに、突然の公開処刑である。
「ぎゃはははははっ!!」
「陽向死ぬっっ!!」
隣では蒼太と咲がパンパン手を叩いて大爆笑している。
「くそ…っあいつまじ死ね…!」
顔を真っ赤にしながら、朔也はステージの上の陽向を睨みつけた。
しかし陽向はどこ吹く風だった。
《男子もっと盛り上がれーーーっ!!!!》
右へ。
左へ。
ステージ上を動き回りながら、全校生徒を煽り散らかす。
「陽キャの生徒会長まじ神!」
「それな!生徒会長がギャルでガチ最高ー!」
歓声が上がる。
笑い声が弾ける。
《♪♪♪────》
楽曲が切り替わる。
最前列の役員も次々と入れ替わる。
《そこっ!!もっと腰振れっ!!!》
陽向にステージ上から指摘されたくない生徒達は、羞恥心をかなぐり捨てて必死に踊る。
校庭で全体が一つになっていた。
《♪♪♪────》
再び楽曲が切り替わる。
次の役員が最前列へ飛び出した。
その瞬間。
うおおおおおぉぉぉぉぉぉっっっっ!!!!!!
その日一番の大歓声が校庭を大爆発させた。
「雫たーーーーーーんっ!!!!」
「天使ぃぃぃぃぃ!!!!」
「うおおおお最強ーーーーーっ!!!!」
「世界一可愛いーーーっ!!!!!」
「雫たーーーーーーんっ!!!!」
野太い歓声が四方八方から飛び交う。
雫のイメージに合わせて選ばれた楽曲は、可愛らしさ全開の王道ガールズソング。
女子達が最上級の加工で顔を盛り、キメ顔で踊った動画をこぞってSNSへ投稿していることで有名な、全国の女子高生の今を代表するバズ楽曲。
ステージ中央。
雫は照れながらも、一生懸命振り付けを踊っている。
陽向がすかさず。
《雫たんッ!雫たんッ!みんなでー!》
全校生徒を煽り。
《おーれーのっ!》
マイクを校庭へ突き出した。
「「「「雫たーーーーーーーんっっっっ!!!!!!」」」」
校庭中から完璧に揃った声が返ってくる。
「お前らのじゃねーわっ!!!!」
朔也がブチギレながら全力でツッコミを入れる。
その様子を見た咲と蒼太は再び大爆笑した。
そして。
大盛況のうちに、生徒会オープニングセレモニーは幕を閉じた。
《それじゃ引き続き!後夜祭、みんなで盛り上がっていこーーーっ!!!!》
わあああぁぁぁぁぁっ!!!
校庭を揺らすような歓声が響く。
陽向がマイクをスタンドへ戻し、生徒会役員達がステージ袖へ下がると、入れ替わるように軽音部の機材搬入が始まった。
アンプが運ばれ。
マイクスタンドが設置され。
ドラムセットが次々と組み上げられていく。
その様子を横目に見ながらステージを降りた瞬間だった。
「調子乗り過ぎだお前っ!」
横溝琉嘉の怒号が飛ぶ。
その横で、阿久津孝明が肩を竦める。
「いきなり練習にもないアドリブ始めないで下さいよ」
「陽向ちゃん、大暴れだったね」
相田桜子がくすくす笑う。
「まーめちゃくちゃ盛り上がったから全然オッケーっしょ!」
陽向は満足そうに胸を張った。
その盛り上がりは凄まじかった。
校庭全体が一つになり。
誰もが笑っていて。
誰もが楽しそうだった。
生徒会オープニングセレモニーは大成功に終わった。
軽音部の演奏開始までは、まだ少し時間があるため、機材搬入の10分間、生徒達はそれぞれ自由に過ごしていた。
友達と写真を撮る者。
飲み物を買いに行く者。
校庭のアーバンへ座り込んで談笑する者。
そんな中。
「お疲れー!」
「いやー、やっぱ星野やるわー!」
「陽向バリ最強!」
聞き慣れた声と共に、三年四組のクラスメイト達が駆け寄ってきた。
「みんな!お疲れ!」
陽向は得意げに笑う。
そんな中、一人の男子が綾真の肩を抱きながら、茶化した口調で言う。
「星野が雫たんのターンで“おーれーのっ!”ってマイク向けてきた時に綾真だけ、“陽向ーっ!!!”って叫んでたよ」
その話に、陽向はパンッと手を叩いて笑った。
「そりゃ叫ぶだろそんなの」
当然だろ、と言わんばかりに綾真が答える。
「雫たんコールの中で綾真だけ、陽向っ!陽向っ!ってずっと言ってたのくそ笑ったわー」
「裏切らんわー。」
「綾真ブレなさ過ぎて好き。」
クラスメイト達が次々に頷く。
すると今度は別の女子が尋ねた。
「陽向、この後どうすんの?」
「ん?」
陽向はステージへ視線を向ける。
機材搬入はほぼ終わりかけていた。
「ここからは軽音部とダンス部のステージだし、トラブルとか無ければ普通に見守りかなっ」
肩を竦めながら、ニコッと笑う。
「じゃみんなで一緒に見よー!」
「うん。あ、その前に喉乾いたから一瞬自販機行ってくるわ」
陽向がそれを言うと、その言葉を待っていたかのように。
「俺コーラ」
「私レモンティー」
「俺スポドリ」
「俺お茶なんか適当に」
「私もお茶でいいや」
「生徒会長をコキ使うなぁーーーー!!!!」
夜の校庭で陽向が盛大に叫んだ。
クラス中が爆笑する。
「ちょっと!誰か一緒に来てよ!」
その瞬間。
「ほら彼氏候補(仮)。」
「友達以上恋人未満いってら」
「あぁ、うん」
綾真は普通に立ち上がる。
その自然さは、もはやクラス内でのあだ名のようになっていた。
「キスすんなよー!」
「いや、してこいよー!」
「むしろ童貞卒業してこいよー!」
「童貞じゃねぇよっ!!!」
綾真の怒鳴り声と、三年四組の笑い声が重なった。
陽向は苦笑しながら歩き出した。
そんな賑やかな声を背中に受けながら。
陽向と綾真は並んで、自販機のある体育館脇へと向かっていった。
校庭の端へ差しかかった、その時だった。
「ん。」
歩きながら、綾真が当たり前みたいに手を差し出す。
開かれた掌。
言葉なんていらない。
“手、繋ぎたい”
ただそれだけの、いつもの合図だった。
「………………。」
陽向は一瞬だけ、その手を見る。
それから綾真の顔を見て、すぐに視線を落とした。
伸ばしかけた指先は、そのまま宙に迷う。
夕暮れの風が吹き抜ける。
ステージからは、軽音部のパフォーマンスが始まった。
後夜祭の喧騒は少し遠くなっていて、校庭の隅だけが切り取られたみたいに静かだった。
「あのさ?綾真。」
歩きながら、陽向が小さく口を開く。
綾真の手が僅かに止まった。
そして。
陽向は立ち止まる。
綾真が振り返ったその視界には、笑顔があった。
けれど。
それは綾真が一番見慣れている笑顔なのに、どこか痛そうだった。
陽向の胸の奥が痛む。
それでも言わなきゃいけないと思った。
「…………普通に友達に戻んね?」
そう言って、陽向は笑った。
まるで冗談みたいに。
相手を傷付けないように。
出来るだけ軽く聞こえるように。
出来るだけ自分も傷付かないように。
笑った。
綾真の瞳が揺れる。
「………!」
胸の奥を、何かが強く掴んだみたいだった。
陽向は知っていた。
綾真がどれだけ自分を好きでいてくれたか。
どれだけ大切にしてくれたか。
どれだけ幸せそうに笑っていたか。
全部ちゃんと知っている。
だからこそ。
これ以上は駄目だと思った。
文化祭を一緒に回る約束は、以前から早い段階でずっと約束していた。
だからそれまでは。
せめて文化祭までは。
綾真の隣にいようと思った。
でも文化祭が終わったら。
“友達以上恋人未満”
その曖昧な関係には、ちゃんと終わりを告げる。
そう決めていた。
だからもう。
これ以上、綾真の手を取ってはいけない。
文化祭は終わってしまった。
綾真とは、もう一緒に手を繋げない。
二人は立ち止まったまま動かない。
軽音部の演奏と、生徒達の歓声だけが遠く聞こえている。
沈黙が落ちる。
綾真が小さく俯く。
差し伸べていた手を、ゆっくり下ろした。
そして。
「…………ごめん。」
ぽつりと落ちた声は、驚くほど静かだった。
「…?」
陽向は目を瞬く。
断られると思っていた。
引き留められると思っていた。
覚悟していたのは、そんな反応だった。
けれど。
綾真の口から出てきたのは、予想外の言葉だった。
「……俺…重かった?」
綾真は苦く笑う。
「陽向の気持ちもわかんねぇで……今自分で思い返しても俺、普通にウザかったよね。」
自嘲するみたいに、乾いたように笑う。
「ワンチャンこのままいけんじゃねぇかなって…調子こいて、俺めっちゃ痛かったね……まじ陽向に申し訳───」
「違うっっっ!!!!」
綾真の言葉を、陽向の声が遮った。
綾真が目を見開く。
陽向の瞳には、もう涙が滲んでいた。
「そんなこと…ない……っ」
声が震える。
綾真は、重くなんてなかった。
いつも冗談で、笑わせてくれて。
重たく沈んでいた気持ちを、軽くしてくれて。
「綾真といたら、楽しくて。」
何度も救われた。
いつも元気をくれた。
「綾真がめっちゃオモロイから。綾真といる時は、いつも心の底から笑えるから。」
昼休み。
放課後。
週末。
何気ないLINE。
文化祭で一緒に笑ったこと。
「綾真がいい奴過ぎて。だから…もうこれ以上………」
そんな綾真が、私を。
好きになってくれて嬉しかった。
「私が綾真の気持ちを縛り続けるのが、しんどい。」
ぽろり。
陽向の瞳から、涙が零れた。
胸が、痛かった。
「……私……っ…。」
喉が詰まる。
それでも。
言わなきゃいけない。
胸が苦しい。
苦しくて。
息がうまく吸えない。
涙が次々と溢れる。
それでも陽向は、逃げずに言った。
「…藤崎先輩のこと…っ…忘れんの無理……っ」
校庭から、歓声が遠く聞こえた。
楽しそうな声。
笑い声。
けれど二人だけが、別の時間の中にいた。
「……………。」
綾真の眉間に、ぐっと力がこもる。
陽向は、深く息をついてから。
涙を拭った。
「綾真がこの先……いくら私を想い続けてくれても。」
胸を押さえる。
そこには今も、あの日の恋が残っている。
消えてくれない。
終わってくれない。
「あの恋だけは、多分ずっと忘れらんないって……わかっちゃったんだ。」
陽向は涙の滲む瞳で、真っ直ぐ綾真を見た。
逃げずに。
誤魔化さずに。
自分の中に残り続ける想いを、そのまま差し出すように。
綾真もまた、その視線から目を逸らさなかった。
遠くでは軽音部の演奏が続いている。
歓声も聞こえる。
やがて綾真は、静かに口を開く。
「……………俺、忘れて欲しいなんて言ってないよ。」
「…!」
陽向の瞳が揺れた。
その瞬間、脳裏に蘇る。
(………………もう忘れろよ。藤崎俊輔なんて。)
図書室で聞いた、朔也の言葉。
胸の奥が痛んだ。
忘れろと言われた、大切な恋。
綾真は、そんな陽向の表情を見ながら続けた。
「俺の事がウザイとか、キショイとか。他に好きな奴が出来たとか、新しく彼氏が出来たとか。」
綾真は一歩、歩み寄る。
「そんな理由じゃないなら…」
はっきりと、陽向の目の前で告げる。
「俺は引けない。」
陽向の呼吸が止まる。
だけど、その目だけは真っ直ぐだった。
「陽向の忘れられない恋が」
そっと視線を落として。
陽向の手を優しく包む。
そして、本当に優しく。
綾真は笑った。
「いつか思い出に変わる時まで、待ってちゃだめかな?」
その瞬間。
「………っ」
ぽろぽろ….っ
陽向の瞳から。
再び涙が、一気にこぼれた。
こんなにも温かくて。
こんなにも優しくて。
こんなにも想ってくれる、その気持ちが。
“終わらせなきゃ”
“前に進まなきゃ”
陽向がずっと胸の奥で抱えていた苦しさを、そっと抱き締めてくれるみたいだった。
「…うっ……ふぇ………グス……ぅ……ふ………」
涙が溢れて、止まらない。
胸がぎゅっと締め付けられるように、呼吸が苦しかった。
綾真は困ったように笑う。
「そんなに泣いたら、可愛い顔が台無しだっつの」
綾真は指先でそっと、優しく陽向の涙を拭う。
そして。
むぎゅっ
陽向の両頬を、綾真の両手が挟んだ。
「可愛いっ!全然台無しじゃねーわ!」
「ぶふっ!」
陽向は思わずそのまま吹き出した。
涙と笑いがごちゃ混ぜになる。
「このままチューしていい?」
ビシッ!!
陽向の手刀が綺麗な軌道で綾真の脳天へ炸裂した。
「いってー!!」
「するかバカっ!!」
校庭の隅に二人の声が響く。
遠くでは軽音部の演奏。
歓声。
拍手。
高校生活最後の文化祭。
最後の夜。
泣いて。
笑って。
少しだけ前を向いて。
二人はまだ、同じ空の下にいた。




