第137話 幸せってなに?
始業式の翌日、昼休み。
「ええぇぇぇ〜〜〜陽向行っちゃうのぉぉぉ〜〜〜!!!」
教室の外まで聞こえるほどの絶叫が、三年四組のクラス中に響き渡った。
「ちょ、綾真…落ち着いて…!」
綾真は泣きそうな勢いで陽向の腕にしがみつく。
「やだやだやだやだぁぁ〜〜〜!!行かないでぇぇ〜〜〜!!陽向と一緒に弁当食うのが俺の夢だったんだよおぉぉぉ」
その様子に、教室中が爆笑していた。
陽向への気持ちを打ち明けた綾真は隠す必要がなくなり、新学期から陽向への愛を一切取り繕う事なく大爆発させている。
「弁当くらい一緒に食ってやれよ“友達以上恋人未満”。」
「星野冷たいぞ。彼氏候補(仮)に対して」
「好きな子との昼の弁当タイムは青春の憧れなんだよ」
「二人の距離が近づく第一歩だろ」
クラスメイトの男子が、陽向へ次々に言った。
「彼氏候補(仮)なのに!!!昼休み別行動なんて!!!!そんなの友達以上恋人未満って言えねーだろぉぉぉ〜〜〜!!!!」
「全身から全力でそのムーブ出してくんのやめろ!!」
縋りつく綾真に、ついに陽向の怒号が飛ぶ。
しかし敵は綾真一人ではなかった。
クラス中の男子達が立ち上がる。
一人。
また一人。
さらに一人。
気付けば教室中が綾真派へ回っている。
三十対一。
圧倒的不利。
その圧力を受けて、遂に陽向は。
「はぁ…わかったよ。」
折れた。
陽向は盛大に溜め息を吐く。
「じゃあちょっと2組に行って、今日こっちで食べるって伝えてくるから一瞬待ってて…」
そして。
「いえぇぇぇぇぇぇーーーーー!!!!!!」
教室が爆発した。
わっしょーい!!!
わっしょーい!!!
男子達による胴上げが始まる。
綾真は大歓声の中、天井近くまで放り上げられている。
女子達は手を叩き合って胴上げ周辺を取り囲むように跳ねている。
三年四組は昼休み開始わずか五分で、文化祭最終日みたいな盛り上がりを見せていた。
一方、陽向がクラスメイト達から必死の説得を受けていた時を同じくしてその裏側で────────。
三年二組。
昼休み開始のチャイムが鳴り終わった直後だった。
「あれ、どっか行くの?」
弁当袋を片手に席を立った朔也へ、蒼太が声を掛ける。
いつもなら、朔也は自席に座ったまま陽向と咲がクラスへ来るのを待っている。
「俺、今日からカフェテリアで食うわ」
「あ?なんで?」
蒼太が眉をひそめる。
そして朔也は、当たり前みたいな口調で答えた。
「俺、雫と付き合ったから。これから昼は雫と一緒にいるわ」
「はっ!?」
「じゃ。」
朔也はそれ以上説明する気もさそうに、そのまま歩き出そうとする。
その瞬間だった。
ガシッ。
蒼太の手が、朔也の腕を掴む。
「お前…っ正気かよ…!」
その目には苛立ちが浮かんでいた。
「ど真面目にクソ正気だけど?」
あっけらかんとした返事。
二人の空気が、わずかに張り詰めた。
その時だった。
「なにしてんの?」
聞き慣れた声が飛んでくる。
振り向くと、咲が立っていた。
「え、朔也…どっか行くの?」
不思議そうに首を傾げながら、咲は朔也の手にある弁当袋へ視線を向ける。
すると。
「雫と付き合ってるって。それでカフェテリア行くっつってる。」
朔也が答えるより先に、蒼太が言った。
「はっ!?なんで!?」
咲の全身がビクリと跳ねた。
すぐに咲は、言葉を探すように口を開く。
「だって…朔也………陽向の事は………?」
その名前が出た瞬間、朔也の眉間へ深い皺が刻まれる。
胸の奥で何かが逆撫でされたように、苛立ちが一気に込み上げた。
「うっせーな!誰と付き合おうがいいだろ別に!」
バッ───
朔也は蒼太の手を乱暴に振り払った。
その勢いのまま教室の出口へ向けて、踵を返す。
「お前、自分を変えたかったんじゃねーのかよ。」
蒼太の低い声が、朔也の背中へ投げられる。
そこで朔也の足が止まった。
蒼太は真っ直ぐ朔也を見据えていた。
「あんだけ必死で毎日竹刀振って、今までずっと逃げてた自分を終わらせたんじゃなかったのかよ」
朔也は背中を向けたまま答える。
「結局負けたし。意味なかっただろ」
「意味なくなかっただろ!!」
蒼太が即座に叫んだ。
そして蒼太は、一歩前へ出る。
「お前が本当に戦ってた相手は剣道か?お前が倒したかった相手はベスト8の副将か?」
「……っ」
朔也は、ぐっと奥歯を噛み締めた。
蒼太は止まらなかった。
「陽向への気持ちから目ぇ逸らして、ずっと女に逃げてた自分自身だろ!!」
その言葉は、真っ直ぐ朔也の胸を撃ち抜いた。
空気が凍りつく。
次の瞬間。
「だったらなんだよ。」
低い声だった。
掠れていた。
朔也は勢いよく振り返る。
その目には、怒りとも悲しみと言えない感情が渦巻いていた。
「お前らは、ひなに対して俺が脈あるように見えてんのか?」
「………….。」
蒼太は黙った。
咲も言葉を失う。
答えられなかった。
朔也のその問いに、何も言えず黙り込んでしまう。
「一途に、健気に、清く正しく、ひなだけをずっとひたすらに想い続けていれば。」
その声は静かだった。
けれど痛々しいほど苦しかった。
朔也は拳をぎゅっと握りしめる。
「あいつが俺に振り向くのかよ!」
咲と蒼太は、何も言えない。
だって。
これまでの陽向と朔也をずっと見てきた。
陽向の、あまりにもインフラすぎる朔也への態度を。
空気みたいに当たり前で。
家族みたいに近くて。
だからこそ恋愛から一番遠い場所に置かれている、その現実を。
そんな状況でも。
何度傷付いても。
何度振り回されても。
めげずにずっと頑張ってきた朔也の努力も。
痛いほどに、わかっていた。
朔也は教室の出口へ向かい、ゆっくりと歩き始める。
「指くわえて幼馴染みやりながら、爺さんになるまで一生独身でいろって?」
そして最後に振り返る。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。」
その顔には怒りも悲しみもあった。
けれど一番強かったのは。
諦めだった。
ピシャン────
扉が閉まる。
咲と蒼太に残ったのは、重たい沈黙だけだった。
そして朔也は、そのまま振り返ることなく廊下の向こうへ消えていった。
その直後。
ガラッ───。
再び教室の扉が開く。
咲と蒼太は反射的に顔を上げた。
「あれー?朔也は?」
「…………。」
呑気な声。
ついさっきまでの重苦しい空気を何も知らず。
何も変わらずひょこっと顔を覗かせた陽向に、二人は何とも言えない気持ちになった。
「トイレ?」
「……いや、陽向聞いてない?」
陽向の問いに、咲が少しだけ言葉を選って答えた。
「雫と…飯食いに行ったよ。」
続けて蒼太が淡々と告げた。
「あ、そっかー!なるほど。二人付き合ったからね!」
ポンッと拳を掌に置いて、陽向は続けた。
「いやぁ〜朔也もまんざらでは無いとは思ってたけどさ。しぃちゃんもあー見えてなかなかやるよね」
そして、何でもないことのように笑った。
咲は思わず眉を下げた。
蒼太も複雑そうに視線を逸らす。
けれど陽向は、二人のそんな反応には気付かない。
「あれ、陽向弁当は?」
咲は、陽向が手ぶらであることに気付いて首を傾げた。
「あ、ちょっと私今日クラスで食べるわ」
「えーなんでー!」
咲が大袈裟に肩を落とした。
「えー…いや……ちょっとみんなに説得されて…」
「説得?なにを?」
今度は蒼太が怪訝そうに眉をひそめた。
陽向は一瞬だけ言葉を止める。
けれど隠しても仕方がないと思ったのか、小さく息を吐いた。
「実は…綾真に告られたんだよね」
「「はっ!?」」
咲と蒼太の声が、同時に裏返った。
「え!!付き合ったの!?」
「いや、付き合ってはないよ!!」
「じゃあ振ったの!?」
「振ってはない。」
「はぁ〜?」
咲は怒涛の質問責め。
一方で蒼太も眉間へ深い皺を寄せたまま腕を組む。
「じゃあ今どういう状態なんだよ。」
その勢いに、陽向は少しだけ視線を泳がせてから、観念した。
「…と…友達以上…恋人未満……てきな?」
「なんだそれ!!」
蒼太のツッコミが教室へ響いた。
その横で、咲は両手を頬へ当てながら、ぱあぁぁぁっと瞳を輝かせる。
「わぁぁーー!綾真ついに言ったかぁ〜!やるじゃんっ!」
「陽向、お前そんな中途半端な真似すんなよ」
感極まる咲とは対照的に、蒼太は納得していなかった。
「そんな事言われたって…」
陽向の表情が少しだけ固くなる。
「それじゃお前キープくんじゃねぇかよ。その気が無いならちゃんと振れ。その気があるなら、ちゃんと付き合え。」
蒼太は真っ直ぐ言った。
言葉に迷いはなかった。
「まぁまぁ良いじゃん蒼太っ!」
重たくなりかけた空気を吹き飛ばすように、咲が勢いよく陽向の肩へ手を回した。
「これまで藤崎先輩以外は一切目もくれず、男子に一ミリも眼中に無かった陽向の、初めての次の恋への第一歩なんだから!」
咲は、バシッと陽向の肩に手を置いて、顔の横でガッツポーズを作る。
「陽向っ!その調子で、ガンガン次の恋してこっ!ほら!陽向を待ってる綾真の胸に飛び込んでおいでっ!」
「いや、飛び込まないよ?」
「いーからいーから!早く戻って!」
くるっと陽向の身体を回転させて、咲は陽向を廊下へと押し出した。
そして、陽向を追い出したあと。
三年二組の教室には、ようやく昼休みらしい空気が戻り始めていた。
廊下から聞こえる笑い声。
机を動かす音。
購買帰りの生徒達の足音。
咲と蒼太は椅子へ腰を下ろしながら、小さく息を吐く。
「ったく、どいつもこいつも……」
弁当箱を開きながら、蒼太が盛大なため息を吐いた。
「夏休み中に色々あり過ぎんだろ。受験生のくせに勉強してねーのかよ。」
「まぁまぁ。」
咲は肩を竦める。
「うちらだって、ほぼ毎日一緒にいたじゃん?」
「……っ……」
蒼太の動きが止まった。
夏休み。
ファミレス。
学校の自習室。
お互いの部屋。
一緒に帰って。
寄り道して。
二人でいるのが当たり前の日々。
夕焼けの帰り道。
コンビニでお互いに半分こしてシェアしたアイス。
誰もいない教室で、寄り添って並んで解いた問題集。
どちらかの部屋でベッタリ過ごす、二人きりの甘い時間。
思い出した途端、耳が熱くなる。
「……まぁ……確かに……」
ぼそりと呟く蒼太を見て、咲はクスッと笑った。
そして箸を持ちながら、ふと呟く。
「朔也はしぃちゃんと。陽向は綾真と。」
ニッコリ笑って続ける。
「これまでずっと拗らせてきた二人が、それぞれ新しい相手と幸せになれたら、みんなハッピーじゃない?」
その言葉には、咲らしい優しさがあった。
誰かが泣く未来より。
誰かが報われる未来を信じたい。
そんな願いみたいな響き。
けれど。
蒼太は即座に首を横へ振った。
「いやいや…朔也はあいつ拗らせ過ぎだろ….」
「朔也は最初から拗らせてるけどね」
咲は苦笑する。
そして蒼太は、ビシッと箸の先端を咲へ向けた。
「あいつらがやってる事は逃避だ。」
その声は、強かった。
「お互い別の相手を想いながら、今自分に向けられてる都合の良い好意に逃げてるだけだ。そんなの、ハッピーでもなんでもねぇ。」
咲は少しだけ黙る。
その言葉の意味がわかるから。
綾真は陽向を見ている。
雫は朔也を見ている。
けれど。
陽向はまだ俊輔を見ていて。
朔也はまだ陽向を見ている。
その歪な四角形を、咲だって理解していた。
「まぁ……陽向とは違って。朔也は、目の前に現在進行形で想い人がいるからね。」
陽向はもう会えない人を想っている。
でも朔也は違う。
毎日会う。
毎日見る。
毎日隣にいる。
忘れようとしても忘れられない。
それはきっと、陽向よりずっと酷だ。
「なかなかあの執念を完全に断ち切るのはムズイと思うよ?」
咲の言葉に、蒼太は小さく笑った。
「だよな。だから尚更納得いかねぇんだよ。」
その瞳に再び苛立ちが宿る。
「陽向はもうある程度仕方ねぇとして。朔也は…なんであんなに必死で自分を変えようとまでしたのに…」
剣道大会。
道場裏で、竹刀を振りながら交わした会話。
ボロボロになりながら続けた努力。
あの時の決意。
逃げ続けた自分と向き合おうとしていた姿を、蒼太は一番近くで見ていた。
「ここで雫に行くのは許せねぇ。」
お前そこまでやったのに、なんで最後で逃げるんだよ。
蒼太は悔しそうに顔を歪めた。
そこで、咲は箸を止める。
まだ暑さの残る九月の風が、少しだけカーテンを揺らした。
そして、咲は何でもない事みたいに言う。
「でも咲さー、朔也と陽向は離婚すると思うよ?」
「はっ!?」
蒼太の声が裏返る。
思わず箸を落としそうになる。
咲は少し笑う。
「ぶっちゃけ藤崎先輩と陽向も、この二人結婚したら絶対そのうち離婚すんだろうなーって思ってた。」
「いやなんでそうなんだよ!」
蒼太は本気で理解できないという顔をした。
咲は少しだけ真面目な表情になる。
「んー…」
窓の外へ目を向けながら、ゆっくり言葉を選んだ。
「陽向ってさ。朔也に対しては、我慢も遠慮も無さすぎるんだよね。」
陽向の話しをする時の咲の表情は、どこか優しかった。
「藤崎先輩に対しては、無理して張り詰めて、頑張り過ぎちゃう傾向あったし。」
その頃の陽向の姿を思い出す。
少しでも釣り合いたくて。
ちゃんと隣に立ちたくて。
彼に迷惑をかけたくなくて。
好きだからこそ無理をしていた。
「好きだから頑張るのは可愛いし超わかんの。でもずっとは続かないじゃん?」
咲は弁当箱を見つめながら呟く。
「結婚て、相手に対して我慢も妥協も必要だし、ある程度諦めも肝心じゃない?」
蒼太は眉をひそめる。
「諦め?」
「うん。相手を無理に変えようとしない事、てきな?」
その言葉に蒼太は少し黙る。
「それを踏まえると、咲は綾真だったら、陽向の相手としては一番妥当だと思うんよね。」
咲は、ふっと笑った。
「綾真って、まっっっじで真っ直ぐの塊みたいな奴だかんね!」
思い出しただけで笑えてくる。
陽向が好きなことを、クラスの誰にも隠せてない。
全力。
一直線。
考えるより先に行動。
「陽向に対して一生懸命で、最優先で、なりふり構わず全力投球!って感じだから。」
咲は笑いながら続けた。
「将来、仕事頑張るぞー!って張り切って、付き合いで飲みに行って、調子乗って酔っ払って朝帰り〜とかしちゃって。」
その先に見える光景を想像する。
「陽向がプンプン怒ってて、綾真は二日酔いでゲロ吐きながらも陽向の機嫌を直すため、洗濯とか掃除とかも一生懸命やっちゃって。」
「未来の解像度高すぎんだろ。」
蒼太が思わず突っ込んだ。
咲は身振りまでつけ始めた。
「陽向の好きなスイーツとかを片っ端からかき集めに街中走り回って、どーにかこーにか陽向に許して貰う為に頑張っちゃう!てきな…」
咲は満足そうに頷いた。
「そんな家庭が目に浮かぶんだよね。」
蒼太は少し考える。
そして。
「まぁ…朔也は絶対やらねーな。」
「でしょっ?藤崎先輩も家事とかやらなそうじゃない!?」
咲は机を叩いて笑った。
「でも綾真は、それを無理してやるんじゃなくて、自分そうしたいからやらせて貰いますっ!てきな。陽向の為に走るのが生き甲斐ですっ!って感じなんよ」
「まぁ……なるほどな。」
蒼太は静かに言った。
しかし、その表情が少しだけ真面目になった。
咲も気付く。
蒼太がまだ納得していない事に。
「朔也の気持ちもわかんの。でも咲は、陽向に幸せになってほしいんよ。」
その言葉は本音だった。
誰よりも近くで見てきた親友だから。
これ以上傷付いてほしくない。
泣いてほしくない。
だから幸せになってほしい。
ただそれだけ。
蒼太は少しだけ黙った。
そして。
「でも俺は。朔也に諦めないでほしいけどな。」
少し笑いながら、咲へ真っ直ぐへ目を向ける。
大会前。
剣道場で見た背中を思い出していた。
毎朝、毎日。
何度も、何度も。
竹刀を振り続けていた男。
逃げる自分を終わらせたいと言った男。
その言葉に、咲は思わず頬を膨らませた。
「えー!蒼太敵だー!」
ビシッと人差し指を向ける。
蒼太は呆れたように笑う。
「ここで対立しても仕方ねぇだろ……」
二人の笑い声が教室へ広がった。
咲は陽向の幸せを願っていて。
蒼太は朔也の想いが報われてほしいと願っている。
好きな人と結ばれることが幸せなのか。
自分を大切にしてくれる人を選ぶことが幸せなのか。
長年の想いを貫くことが幸せなのか。
傷つかない相手を選ぶことが幸せなのか。
「蒼太は家事するの?」
「するよ」
「子供は男の子と女の子、どっちが欲しいですか?」
「咲に似てくれればどっちでもいいよ」
「えっ!?…咲が産むって言ってないよ…っ」
「産んでくれないの?」
「産むに決まってんじゃん♡」
結局二人とも。
大切な友達の幸せを願っているだけだった。




