134話 告白の花火。告発の火花。
ド――――――ンッッッ!!!!!!!
夜空が、震えた。
時刻は、八時二十分。
花火大会も、いよいよ終盤へ差しかかっていた。
「八時半までだから……これ、そろそろフィナーレじゃない?」
陽向が空を見上げたまま呟く。
その声を合図にしたみたいに。
ドンッ!!
パンッ、パァァァァァンッッッ!!
ヒュ〜〜〜〜〜〜〜……
ドォォォォォン───。
パラパラパラパラ───。
夜空へ、次々と光の花が咲き乱れていく。
赤。
金。
青。
白。
大輪の花火が夜を押し広げるたび、静かな公園の木々も、古びたベンチも、隣に座る陽向の横顔も、一瞬だけ眩しく照らされた。
「わーーー!!やっば!!ちょーエモーーーい!!!」
陽向は、子供みたいに目を輝かせていた。
さっきまで受験の話をしていたことも。
進路の不安も。
全部、夜空へ溶けていくみたいに。
ただ真っ直ぐに、花火を見上げて笑っている。
綾真は、その横顔を見ていた。
花火よりも。
夜空よりも。
隣で笑っている彼女から、目が離せなかった。
その時。
陽向が、ふと綾真を見る。
「……綾真が、来てくれて良かった。」
「え?」
思わずドキッと心臓が跳ね上がり、間の抜けた声が漏れた。
陽向は少しだけ笑って、また夜空へ視線を戻す。
「私、最近なんかずっとモヤモヤしててさ。」
花火の光が、陽向の瞳の中で小さく弾ける。
「一学期、政経で赤評取っちゃって。実はそれで結構落ち込んでたんだよね」
明るく言おうとしているのに。
その声の端には、隠しきれない弱さが滲んでいた。
「受験もそうだけど……なんでかわかんないけど、他のことも。幸せで楽しかった頃のこと思い出したりして……それで、急にネガティブになっちゃったりしてて」
「え、星野が?」
「そーだよ! 私だって落ち込むことくらいあるよ!」
いつもの調子で返す。
けれど、そのあと陽向は少しだけ視線を落とした。
足元の砂利。
ベンチの影。
遠くの提灯の灯り。
その全部を眺めるみたいにしてから、ぽつりと続ける。
「でも……」
夜風が、二人の間を通り抜けた。
「こうやって、綾真と花火が見れて、本当良かったな」
胸の奥が、トクンと鳴った。
陽向の言葉に。
綾真の心拍数が。
少しずつ。
上がっていく。
そして陽向は、綾真へ向き直る。
花火の光を背に。
あまりにも、眩しい顔で笑った。
「綾真がいてくれて、良かった!」
ド――――――ンッッッ!!!!!!!
その瞬間。
夜空へ、今日一番大きな花火が咲いた。
眩しい光が、陽向の笑顔を白く照らす。
「…………っ」
綾真の胸の奥で、何かが弾けた。
ずっと堪えていたもの。
高一の春から、胸の中に積もり続けてきたもの。
何度も言えなくて。
何度も飲み込んで。
それでも消えなかった想い。
全部が、一気に喉元まで込み上げてきた。
気づいた時には。
「…………!」
ぎゅっ…────。
陽向を、抱きしめていた。
花火の音が、遠くなる。
人々の歓声も。
祭囃子も。
夏の夜のざわめきも。
全部、遠くへ消えていく。
綾真の腕の中には、ただ陽向だけがいた。
柔らかい髪。
細い肩。
近くで感じる体温。
ずっと、触れたかった。
ずっと、隣にいたかった。
ずっと、本当は。
こうして、ちゃんと抱きしめたかった。
「…………ずっと好きだった。」
陽向の耳元へ、掠れた声が落ちる。
「入学して、いちばん最初に。隣の席にいた、あの時から」
抱きしめる腕に、少しだけ力がこもる。
高一の教室。
窓から差し込んだ春の光。
隣の席で、当たり前みたいに笑っていた彼女。
あの瞬間から。
始まっていた。
「今でも、ずっと。」
時間が止まったみたいだった。
「…………………綾……真……?」
陽向の声は、震えていた。
理解が追いつかないみたいに。
けれど綾真は、もう止まれなかった。
ここで言わなければ。
また、何も出来なかった自分に戻ってしまう。
藤崎俊輔に届かなかった時間。
黒川朔也の隣にいる彼女を見ているだけだった日々。
冗談にされるのが怖くて、本気を隠したあの日。
全部、もう終わりにしたかった。
「高一の時にLINEで告ったこと。あれ、ネタじゃないよ」
陽向の肩が、ぴくりと揺れる。
「いつだって、全部本気だったから」
花火が、また夜空を破る。
ドォォォォン───。
光が二人を照らし、影に戻し、また照らす。
夏の夜空に、最後のフィナーレの花火が次々と打ち上がっている。
大輪の光が、音を立てて咲き続ける。
まるで。
ずっと胸の奥に閉じ込めていた恋が。
今、やっと夜空へ解き放たれたみたいに。
綾真は、腕の中の陽向を強く抱きしめたまま、真っ直ぐに言った。
「陽向の全部が、本気で大好き。」
声にした瞬間。
胸の奥が、焼けるみたいに熱くなった。
やっと言えた。
ずっと言えなかった言葉。
何度も飲み込んできた想い。
友達のふりをして、笑いに変えて、誤魔化してきた全部。
ようやく、陽向へ届いた。
「…………っ」
その瞬間。
『陽向、大好き。』
胸の奥へ。
あの懐かしい声が、不意に落ちてくる。
じわっ…と、涙が滲んだ。
優しくて。
柔らかくて。
少し甘えたような笑い方をする、あの大好きな声。
綾真の腕の中は温かかった。
抱きしめられる温もり。
男子特有の、硬い胸板。
耳元で落ちる、“大好き”の言葉。
肩を包む力も。
耳元で囁く声も。
胸越しに伝わる鼓動も。
全部、綾真のものなのに。
わかってるのに。
どうしてだろう。
胸の奥では、もう会えないはずの誰かの面影ばかりが浮かんでくる。
「…………ふ…っ……」
堪えきれず、涙が零れた。
ポロポロと、頬を伝う。
綾真の腕が優しいから。
温かいから。
真っ直ぐだから。
あの日の夏が。
あの夜空が。
あの約束が。
胸の奥から次々と蘇ってしまう。
もっと一緒にいたかった。
もっと話したかった。
もっと笑いたかった。
もっとこうして、抱きしめられたかった。
その想いが、胸を締め付ける。
陽向は、震える手を伸ばした。
ぎゅ………っ
その温もりに、縋るように。
涙ながらに、綾真の背中へ腕を回した。
同時に、そのまま綾真の胸元に顔を埋める。
すり…
「………!」
綾真が息を呑む。
抱き締め返された。
それだけで胸がいっぱいになる。
けれど。
胸元に響く陽向の切ないすすり泣きに、綾真の身体が微かに強張る。
戸惑うように、そっと。
腕の力を緩め、綾真は陽向の顔を覗き込んだ。
「……陽向…………?」
戸惑いの滲む声。
それでも綾真は優しい仕草で、陽向の頬を伝う涙を指先で拭った。
(陽向。)
その声が。
その指先の優しい仕草が。
その熱い眼差しが。
陽向の意識を、一番幸せだったあの頃へとタイムスリップさせていく。
いま目の前にいるのが誰なのか、その境界線すら、涙の向こう側で曖昧になっていく。
花火が終わった静寂の中。
涙で潤んだ陽向の瞳が、綾真の視線を真っ直ぐ捉えて離さない。
彼女が、愛しくて。
愛しくて。
胸が、狂おしいほどに締め付けられる。
どうしようもないほどに膨れ上がった熱い情動が、堰を切ったように競り上がってくる。
「………陽向………………。」
優しい眼差しで見つめられ、名前を呼ばれ、そっと髪を撫でられる。
(陽向。)
脳内で重なるその言葉が、陽向の思考力をじわじわと溶かし、奪っていく。
綾真は、その陽向の瞳の奥にある熱量に、どんどん吸い込まれていくように。
二人の距離が、鼓動が高まるにつれ、縮まっていく。
陽向へ向けて。
ゆっくりと。
確かな熱を持った唇が近づいていく。
陽向の脳裏に、あの声が聞こえる。
(………陽向…………キスが…………したい…………)
あなたと。
もっとキスがしたかった。
二人の唇が────────。
息が触れ合い。
今にも重なりあう。
その瞬間。
「おい。何してんだよ」
鋭く突き刺さるような声が、静寂を乱暴に切り裂いた。
「──っ!?」
陽向と綾真は、二人同時に振り向いた。
その視線の先。
目に入った人物に、綾真の腹の底から黒いものがグワッと競り上がる。
(…黒川…っ……朔也っっっ!!)
朔也は後ろにいる雫の存在すら忘れたような表情をしながら、焦燥に駆られたように強い足取りで歩み寄ってくる。
陽向の涙に、朔也は気がついた。
「………っ!!」
朔也の視線は鋭く。
まるで今にも人を殺しそうなほど険しかった。
(…危ねぇ…!間一髪…っ!)
グイッ───────
何の躊躇もなく、陽向の腕を掴み上げだ。
「……っ!」
強引に自分の方へ引き寄せる。
「陽向をそんな乱暴に扱うなよ!」
「乱暴してんのはお前だろ」
綾真が声を荒げると、朔也は即座に言い返した。
低い声。
怒りを押し殺したような声音。
朔也は綾真を鋭い眼光で睨み据える。
「あのな!こいつはそっち系の免疫ゼロなの!身体接触異世界ホラー!わかる?固まってただろーが!」
朔也は止まらない。
さらに綾真へと詰め寄る。
「こいつの気ぃ引きたきゃ、優しさ!誠実!藤崎先輩バリのキラキラオーラ!それに尽きんだよアホ!」
吐き捨てるように言った。
「は…?…随分偉そうだな…!」
綾真の目が鋭く細められた。
一歩、踏み出す。
「幼馴染みだからって何でも知ってるみたいな口ぶりすんな!」
空気が張り詰める。
公園は、静寂に包まれる。
朔也は睨んだまま言った。
「こいつはまだ………藤崎先輩が好きなんだよ!」
「……!」
その言葉に。
陽向の肩が小さく震えた。
「だからひなは諦めろよ。」
その言葉に。
綾真は、鋭い視線で睨み返す。
そして低く言い放つ。
「いいのかよ、今いい感じの連れの前だぞ」
綾真の視線が、朔也の後ろにいる雫へ向く。
雫は突然の展開についていけず、ただ立ち尽くしていた。
「他の女、気にかけてる場合じゃねぇだろ」
今度は綾真が、朔也へと詰め寄った。
「俺はお前と違ってな、そんな理由でヒヨって好きな女に気持ち伝えられもしねーで、他の女に逃げてるようなヘタレじゃねぇんだよ」
空気が凍る。
朔也の瞳が細くなる。
「あ?何の話ししてんだよてめぇ」
綾真は挑発するように言った。
「もっとハッキリ言った方がいいか?そこの彼女に聞かせてやろうか」
次の瞬間。
ガシッ──!
朔也の両手が綾真の胸ぐらを掴んだ。
「それ以上喋ったら…ただじゃおかねぇぞ…!」
「取り乱すなよ、図星つかれたからって」
怒りで震えたような朔也に、綾真は微塵も怯まない。
むしろ鼻で笑った。
次の瞬間。
バゴーーーーーンッッッ!!
鈍い音と共に、朔也の身体が吹っ飛んだ。
陽向の渾身の前蹴りが、綺麗に脇腹へ決まっていた。
「暴力反対ーーーっっっ!!!」
夜の公園へ響き渡る叫び。
腹を押さえながら地面に転がった朔也が叫び返す。
「……いってーな!!暴力反対って言いながら暴力ふるうやつがどこにいんだ!!」
「余計な事すんな!!これは私の恋愛!!お前が口出ししてくんな!!」
陽向は怒鳴った。
肩で息をしながら、真っ直ぐ朔也を睨む。
そして。
「綾真、行こ。」
そのまま綾真の手を掴む。
二人は、足早に公園を後にした。
残されたのは。
地面に転がったりんご飴のビニール袋と。
呆然と立ち尽くす朔也と雫だけだった。
綾真の手を引きながら。
陽向は、人通りの少ない裏道を無心で歩いていた。
街灯の灯りがアスファルトへ淡く滲む。
遠くでは、花火大会の余韻みたいなざわめきがまだ聞こえていた。
けれど陽向の耳には、何も入ってこない。
ただ、自分の鼓動だけが妙にうるさかった。
私はさっき…………
何をしようとした…………?
もし。
朔也が来なかったら。
あのまま、朔也が止めてくれなかったら。
私は────。
陽向は唇を強く噛んだ。
脳裏へ蘇るのは、自分が叫んだ言葉。
(余計な事すんな!!これは私の恋愛!!お前が口出ししてくんな!!)
最低だ。
ズキンッと、胸が痛んだ。
過ちを犯しそうになっていた自分を止めてくれたのに。
あんな言い方をするなんて。
完全に、混同していた。
ロスのあまりに、自分を見失ってしまった。
(……ん?ロス?)
そこで、不意に思考が止まる。
そう言えば。
ずっと朔也に対して抱いていたあの違和感。
俊ちゃんロスで誤作動していたはずの。
警戒アラートと、脳内小人軍団は……………?
胸の奥が、ざわりと波立つ。
なんで誤作動しなかった?
だって、さっきのは完全に相手を混同していた。
完璧にロスに飲まれていた。
これまで小人軍団達が、勘違いを起こした事によって出陣していたのなら。
綾真に抱きしめられた時。
キスを迫られた時。
あれこそ間違いなく非常事態だ。
戦争どころじゃ済まない。
総力戦だ。
なのに。
何も起きなかった。
朔也への発動が、相手を勘違いして起きる誤作動だったのであれば。
今回の綾真で間違いなく戦争を起こす場面だった。
(…どういう事………?)
まさか。
いや、そんな筈はない。
でも。
もしかしたら。
胸の底から、ざわざわと何かが音を立てる、
俊ちゃんとは別人として………
ロスとは関係なく…………
トクン
トクン
トクン
鼓動が、徐々に高鳴ってくる。
朔也“本体”に………作動していた……………?
その時。
「…なあ…っ…陽向…!」
綾真の声が飛んできた。
ハッと我に返る。
「あ、ごめん!」
慌てて振り返る。
綾真は少し息を切らしながら苦笑していた。
「これ、今どこ向かってんの?」
「え……?」
「それとさ、もうちょいゆっくり歩かない?」
陽向はそこでようやく気付いた。
自分がずっと綾真の手を引いたまま、ほとんど無意識で歩き続けていたことに。
考え事に夢中で。
行き先も決めないまま。
ただ前へ前へと進んでいた。
「……ごめん………。」
小さく呟く。
そして。
パッ……
陽向は、繋いでいた手を離した。
しかし次の瞬間。
ぎゅっ──
温かな感触が戻ってくる。
綾真が、今度は自分から握り返していた。
陽向が目を瞬く。
綾真は少し照れ臭そうに視線を逸らしたまま言った。
「別に手はこのままでいい。」
その声は、どこかぶっきらぼうで。
けれど優しかった。
夜風が吹く。
二人の間を、静かに通り過ぎていく。
陽向は繋がれた手を見下ろした。
ほんの少し笑って、小さく息を吐く。
再び歩き出した二人の足音だけが。
静かな住宅街へ、ゆっくりと溶けていった。




