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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第三章〜高3編〜【最終章】  作者: 波方 真季


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第132話 尊い時間が、帰ってきた


時刻は、午後五時十五分。


陽向は自室で、机に向かっていた。


開きっぱなしの進路資料。

赤ペンで書き込まれたメモ。

横には、書き上げたばかりの小論文。

陽向はそれを両手で持ち上げ、満足げに頷いた。


「おしっ! この小論文、結構完璧じゃね?」


受験生らしく。

一応、それなりに。

着々と準備を進めていた。

その時だった。


ピンポーン。


一階から、インターホンの音が響く。

陽向は、特に気にすることなく再び小論文へ視線を落とした。

そして数十秒後。


「ひなー! 鷹井くんって子ー!」


母親の声が、階下から響いてきた。


「はっ!? 綾真!?」


思わず椅子ごと跳ねる。


(ななな、なんで!?)


「はーい!」


反射で返事をして、勢いよく立ち上がる。

その瞬間だった。

陽向の動きが、ぴたりと止まる。


待って。


スッピン。

髪ボサボサ。

しかも昨日、風呂キャンしてる。


つーか。


ノーブラじゃね?


「…………。」


血の気が引いた。


朔也なら、まだしも。

綾真は、結構ガチで無理。


(え、待って無理。)


陽向は、両手で頭を抱えた。




(どーしよーーーー!!!!)




そして、数分後。




ガチャ。


玄関の扉が、ゆっくりと開かれた。


「…………銀行強盗?」


思わず、口から零れた。

そこに立っていた人物を見た瞬間、綾真は固まった。


玄関先に現れた陽向は、マスク。

サングラス。

そしてパーカーのフードを、目深に被っていた。


完全防備。

もはや誰かわからない。


「ちょ、スッピンなんですけど……どうしたんでしょーか……」


「お前、スマホ見ろよ!」


綾真は開口一番、そう叫んだ。


「え? ごめん、全っ然見てないわ」


「花火どーしたんだよ!黒川朔也と行くって言ってただろ!」


「あー……」


陽向の声が、ほんの少しだけ間延びする。


「なに?」


綾真の眉が寄る。

陽向は、何でもないことみたいに肩を竦めた。


「朔也、今いい感じの子がいてさ。そっちと行ったから」


「…………は?」


綾真の思考が、一瞬止まった。


いい感じの子?

小野雫と?


(いや……だって…………)


黒川朔也は、星野陽向の鉄壁だ。

どんな男も寄せ付けない、最強最悪の門番。

その星野への執着ときたら、尋常じゃない。

いくら小野雫が、校内一の美少女アイドルだとしても。

そんな簡単に。

そんなあっさり。


そっち行くか?


(……そんなはず、絶対ない。)


何があったかは知らない。

けれど、これだけはわかる。

今日は。


黒川朔也の包囲網が、機能していない。


つまり、千載一遇の大チャンスだ。

綾真は、ぐっと拳を握った。


「行かないの? 花火」


「まさか……それでここまでわざわざ来たの?」


「そうだよ!星野が連絡つかねーから!」


「え、まじ!?めっちゃごめん」


陽向は、サングラス越しにもわかるくらい焦った声を出す。

けれど綾真は、もう引く気なんてなかった。


「行くぞ。花火」


「えー……今から? 無理。だるい」


「そこで無理って言われちゃうと……俺がここまで来た時間と労力と電車賃が全部無駄になるんですけど……」


「う……っ」


陽向は、言葉に詰まった。


えー……。

爆速で準備して、何分かかるかな……


シャワー五分間チャレンジ。

髪の毛を乾かして巻く時間はないから、まとめ髪にするとして。

前髪作るのに五分。

メイクはまぁ、最低限で。

普段のスクールメイクを十五分…いや、十分チャレンジ。

服は上下のコーデを考える暇がないから、適当にワンピースでいいや。


陽向は、脳内で超高速計算を始めた。

そして。


「三十分。ちょっとリビングで待っててくんない?」


そう言うと、陽向は玄関を大きく開けた。


綾真は一瞬だけ目を丸くして。

それから、胸の奥で小さくガッツポーズをした。


黒川朔也のいない花火大会。

そして。

星野陽向と行く、夏の夜。


一度は即死したはずの花火大会争奪戦は。


ここへ来て、まさかの延長戦へ突入した。





久しぶりに星野家のリビングへ足を踏み入れた綾真は、どこか緊張した様子。


「ママー!やっぱり花火行くからここで綾真のこと待たせていい?」


「えっ!綾真くん!?」


陽向の声に、キッチンから顔を出した母、早苗がパッと表情を明るくした。


「前に、何回かうちにスイーツ買ってきてくれた子だよね?」


「あ!はい。」


綾真が頷くと、早苗は嬉しそうに笑った。


「ありがとうー!綾真くんが買ってきてくれたドーナツもシュークリームも、すんごくおいしかった!」


「え!すいません!今日手ぶらなんですけど…」


「なに言ってんの!そんなのいいから、適当にその辺に座ってゆっくり寛いでて!」


その気さくな言葉に、綾真もようやく少し肩の力を抜く。


その時だった。


トトトトッ


小さな足音が近づいてくる。

綾真は反射的に視線を落とした。


黒い瞳。

ふわふわの毛並み。

ぶんぶん振られる尻尾。

次の瞬間。


綾真の顔が、ぱあぁぁぁっと輝いた。


「レオおぉぉぉぉーーーー!!!!」


思わず勢いよく抱き上げて、その柔らかな毛に頬を擦り寄せる。


「大きくなったなあぁぁ〜〜あんな小っちゃかったのになあぁぁ〜〜会いたかったあぁ〜〜〜俺のこと覚えてるかあぁ〜〜〜レオおぉぉぉ!!」


感動の再会に、もはや泣きそうな勢いだった。

陽向はいつの間にか、既にリビングから消えていた。


そして、その後しばらく。


綾真は全力でレオと遊び続けた。


ふと。

綾真へ、早苗が何気ない口調で声を掛ける。


「綾真くんってさ。」


「はい!」


レオとボール遊びをしていた顔を上げ、元気よく返事をする。


「犬好きなんだね。」


「めちゃくちゃ好きっす!!」


「そうなんだ。じゃあ子供とかも好き?」


「子供も好きっすねー」


「へぇ。」


それを受けた早苗は、眉毛を上げた。

そして。

そのまま直球に。


「因みに綾真くんは、ひなの事好きなの?」


「ぶっ!!!」


唐突な質問に、思わず吹き出してしまった。


変化球ゼロ。

ど真ん中ストレート。


けれど。

綾真は数秒黙り込んだあと。


姿勢を正した。


そして。


「……はい!」


真っ直ぐに答えた。

誤魔化さない。

逃げない。

そんな返事だった。


「あっそう…」


早苗は驚くほど平然としていた。

そして。


「理系?文系?」


「文系っす」


「文系かぁー。大学どこ行くの?」


「体育大です。」


「へぇ。運動得意なんだ?将来なにやんの?」


「体育教師か…スポーツジムのトレーナーか…その辺りで考えてます。」


「ふーん。怪我とかで身体動かせなくなったら、他の仕事保険で考えてる?」


「…………。」


二階では今頃、陽向が花火へ行く支度をしている。


一方その頃リビングでは。


面接官のような陽向の母、早苗による。

非公式かつ圧迫気味の尋問を、静かに受けている綾真であった。




時刻は丁度、午後六時。


リビングの時計が静かに時を刻む中、綾真はレオを抱いてソファへ腰掛けたまま、じわじわと焦りを募らせていた。

その時。


バンッッ


勢いよくリビングの扉は開かれた。


「お待たせっ!!」


予定していた準備時間を十分ほどオーバーして。

ようやく陽向が姿を現した。


「……っ!」


視線を向けた綾真は思わず息を呑む。


(髪上げてる….!?)


一瞬。


言葉が出なかった。


いつも学校で見る陽向は、肩につくくらいのボブヘアを下ろしている。


風が吹けばふわりと揺れる柔らかな髪。

体育館でも。

教室でも。

廊下でも。


綾真の中の陽向は、ずっとその姿だった。


だから。

不意に現れたその姿が、別人みたいに見えた。


ふわりとまとめられた髪。

後頭部の低い位置でゆるく纏められた毛先からは、細い後れ毛が首筋へ落ちている。

髪を纏めている、ゴールドのヘアクリップが、照明を受けて小さく煌めく。

いつも隠れていた耳が見える。

華奢なうなじが見える。

たったそれだけなのに。

どうしてこんなにも大人っぽく見えるんだろう。


綾真の心臓が、不意に大きく跳ねた。

さらに視線は、その服装へ落ちる。


淡い生成り色を基調にしたワンピース。

白に近い柔らかな生地へ散りばめられたのは、くすんだ赤の小花模様。

派手じゃない。

けれど、目を奪われる。

胸元は緩やかなカシュクールデザインになっていて、上品な女性らしさを感じさせた。

ふんわりと膨らんだ袖口。

ウエストで優しく締められたシルエット。

そして膝上で軽やかに揺れるスカート。

歩くたびに柄の花びらが舞うみたいに裾が揺れていた。


まるで。

初夏の風をそのまま纏ったみたいだった。


その姿は、普段の元気で騒がしい星野陽向ではなく。

どこか柔らかくて。

女の子らしくて。


思わず見惚れてしまうほどだった。


その直後。


「ママー!私のモバ充見なかったー!?」


リビングへ、陽向の慌ただしい声が響く。


「ソファのとこに刺さってなかったー?」


キッチンから母、早苗の声が返ってきた。


陽向は反射的に振り返ると、そのまま綾真の座るソファへ一直線に駆け寄ってくる。


「あった!」


綾真の目の前まで来た陽向は、コンセントに刺さったモバイルバッテリーを見つけるなり、ぱっと顔を明るくした。


けれど次の瞬間。


「あれ?ライトニングじゃん。ママー!Cタイプの線はー!?」


「知らないわよ!」


「えーーーっ!!」


陽向は大袈裟に叫んだ。

そして綾真の方を向く。


「ちょっと綾真そこどいて!」


「え……あぁ。」


慌てて腰を浮かせる。

その隙に陽向はソファへ膝を乗り上げるようにしてクッションをひっくり返し始めた。


「ないないないない……」


クッションの下。

隙間。

背もたれの裏。

必死で探す。


「……あれー?ないじゃん!だるっ!!」


結局見つからなかったらしい。

そしてそのまま、またバタバタとリビングを飛び出していく。

静かになったリビング。


「…………。」


綾真は、ぽかんとその背中を見送った。

数秒後。

再び足音。


ドタドタドタッ───


「財布財布財布……」


今度は何かを探しながら戻ってくる。

ダイニングテーブルの周りをぐるぐる回り始めた。

そして数秒後。


「あっ。」


何かを思い出したように顔を上げる。


「ママー! 昨日テーブルにコンビニ袋置いてなかったー!?」


「カウンターの上ー!」


「えー?どこどこ……」


カウンターへ向かう。

ゴソゴソ。

ガサガサ。

そして。


「あった!!」


そのまま財布を掴むと、再びリビングの外へ消えていった。


バタン。

静寂。

レオが尻尾を振る。


時計の秒針だけが、静かに時を刻む。


「…………。」


綾真は、しばらく扉を見つめたまま固まっていた。

そして、思う。


(…これ…いつ出れんだ……?)


女の子が花火大会へ行く前なんて。


もっとこう。

鏡の前で髪型を気にしたり。

メイクを確認したり。

服に悩んだり。

そういうものだと思っていた。


なのに実際の星野陽向は。

モバ充を探し。

充電コードを探し。

財布を探し。

コンビニ袋を探し。

さっきから家中を全力疾走している。


花火大会へ向かう女の子というより。

出発直前に荷物を失くした修学旅行生だった。


「…………。」


綾真は思わず額へ手を当てる。


うなじが見えて。

髪をまとめていて。

思わず見惚れるくらい可愛くても。


(……やっぱり星野だな。)


陽向は、星野陽向だった。




数分後。




「……はぁ……はぁ……ごめん。行くか。」


小さな鞄を肩へ掛けて、ようやくリビングへ戻ってきた陽向は何故か肩で息をしている。

どうやら最後の最後まで何かを探し回っていたらしい。


「おう。」


綾真はソファから立ち上がった。

そして、その直後。


「レオおぉぉぉ〜〜〜またなぁ〜〜〜〜! また一緒に遊ぼうなぁぁぁ〜〜〜〜!」


名残惜しそうに、抱いていたレオへ頬を擦り寄せる。

レオも嬉しそうに尻尾をぶんぶん振りながら、綾真の顔をぺろぺろ舐めていた。

その様子を見た陽向が、クスッと笑う。


「レオ良かったねぇ〜。久しぶりに綾真にあちょんで貰ったのぉ?」


そう言いながら、陽向は二人の側へ歩み寄った。

そして綾真の腕の中にいるレオへ、自分もそっと頬を寄せる。


「行ってくるねぇ〜おるしゅばんちててねぇ〜」


柔らかな声。

そのままレオの頭へ、ちゅっと小さくキスを落とした。


ふわり。

鼻先を掠めるのは、洗いたてのシャンプーの香り。

低い位置で纏められた髪から零れた後れ毛が、白い首筋の上で揺れる細いうなじ。

そして、身を屈めた拍子に、カシュクールの隙間から覗く柔らかな胸元のライン。


至近距離。

あまりにも近い。


綾真の心臓が、大きく跳ねた。


あぁ。

これだ。


星野家のリビング。

無邪気に尻尾を振るレオ。

そして、目の前で無防備に笑う星野陽向。


高一の頃。

あの懐かしい日々。

レオと遊んで。

恋人のように過ごしたお家デート。


高ニになって。

クラスが離れて。

藤崎俊輔と付き合って。

諦めるしかないと心に決めて。


もう二度とは戻って来ないと思っていた尊い時間。


(……神様…………ありがとう………)


あまりもに幸せだ。

胸の奥が、じんわり熱い。

どうしようもないくらい。


時刻は午後六時十五分。


出発予定時刻を大幅にオーバーして。

二人はようやく、花火大会へ向けて出発した。



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