第131話 花火大会争奪戦は急展開!
そして遂に迎えた。
運命の、納涼花火大会当日。
「………う〜〜〜〜〜ん………ギャルかぁ……」
雫は朝から、深刻な顔でスマホと睨めっこをしていた。
検索ワードは。
“花火大会”
“浴衣”
“ギャル”
画面には、華やかな浴衣姿の女の子達が次々と並んでいる。
大きく盛られた髪。
くるくるに巻かれた後れ毛。
帯の周りに飾られた、きらきらした小物。
派手だけれど可愛くて、堂々としていて、どの子も自分とはまるで別世界の住人みたいだった。
(なんか……頭デカくない!?)
思わず、雫は画面へ顔を近づける。
これ、絶対美容院じゃないと無理だよね……?
この帯のところの……ジャラジャラしてるやつ、何……?
飾り紐?
帯締め?
え、浴衣ってこんなに装備あったっけ……?
しばらく真剣に調べ続けたあと。
「…………無理っ!」
雫は、ぽいっとスマホをソファへ投げた。
そして、鏡の前へ立つ。
そこに映るのは、いつもの自分。
長い黒髪。
薄いメイク。
派手さなんて、少しもない。
「……先輩の元カノ……ゆるふわボブって言ってたな……」
ぽつり、と呟く。
星野先輩も、ボブ。
黒川先輩が、ずっと見つめてきた人。
(…黒川先輩……….…短い髪が好きなのかな……)
雫は、下ろしていた長い黒髪をそっと後ろでまとめ、ふわりと内側へ折り込むようにして、擬似ボブを作ってみた。
鏡の中の自分を見つめる。
数秒。
「似合わな!!」
即座に手を離した。
パサリ、と黒髪が肩から背中へ流れ落ちる。
幼い頃から、ずっとロングヘアだった。
短くしたことなんて、一度もない。
だから鏡の中の“ボブっぽい自分”は、どうにも自分じゃないみたいで、違和感しかなかった。
「……はぁ〜〜〜〜〜〜〜」
雫は、深く重たい溜め息をついた。
部屋のハンガーには、浴衣が四着かかっている。
淡い水色。
白地に紫の花柄。
紺色に金魚柄。
そして、薄桃色の浴衣。
どれを着れば、可愛いと思ってもらえるだろう。
どれなら、黒川先輩の目に留まるだろう。
女の子だったら誰だって。
好きな人には、最高に可愛く見られたい。
ただ可愛いだけじゃなくて。
“その人にとっての可愛い”になりたい。
好きな人の“好き”を、全部知りたい。
何色を着たら、喜びますか。
どんな髪型なら、目で追ってくれますか。
どんな香りが、好きですか。
メイクは可愛いい方がいいですか。
それとも、少し大人っぽい方がいいですか。
あなたの“正解”は、どこにありますか。
「…まぁ………取り敢えず……」
雫は、もう一度鏡の中の自分を見つめる。
胸の奥が、きゅうんっと鳴った。
今日は、ただの花火大会じゃない。
好きな人と行く、初めての夏の夜。
まさか、本当に行けるだなんて思ってもみなかった。
本当に本当に、夢みたい。
だから。
少しでも。
ほんの少しでも。
可愛いって、思ってほしい。
「……美容師さんにお任せしよう……」
雫は小さく呟くと、浴衣の並ぶハンガーへそっと手を伸ばした。
待ち合わせは、午後四時。
しかし、待ち合わせ時刻より、三十分以上早い。
雫は既に現地の駅へ到着していた。
「……さすがに早すぎた…かも……」
改札前の時計を見上げながら、小さく呟く。
けれど。
(もし電車間違えたらどうしよう……)
(乗り換え失敗したらどうしよう……)
(迷ったらどうしよう……)
そんな不安を考え始めたら、どうしても早めに出るしかなかった。
浴衣の裾をそっと整える。
淡い色合いの浴衣。
美容院で綺麗に結い上げてもらった髪。
小さな巾着。
鏡を見た時は「ちょっと頑張り過ぎたかな」と思ったけれど。
今日は特別な日だから。
少しでも可愛く見られたかった。
好きな人に。
そんな事を考えていた時だった。
「待ち合わせ?」
当たり前に。
もはやお決まりで。
当然こうなる。
不意に声を掛けられた。
顔を上げると、大学生くらいの男性が二人立っていた。
「浴衣めっちゃ似合ってるね」
「君、相当可愛くない?」
「えっ……」
雫は思わず目を瞬かせた。
突然の出来事に頭が追いつかない。
「誰待ってるの?彼氏?」
「いや……先輩を……」
おどおどしながら答える。
すると二人は顔を見合わせて笑った。
「先輩かー」
「じゃあさ、その先輩と合流したら俺らと一緒に屋台回らない?」
「えっ……」
困る。
すごく困る。
断らなきゃ。
雫が固まってしまった、その瞬間だった。
「いいね。」
後ろから声が落ちてくる。
低く、どこか楽しそうな声。
「俺と一緒に屋台まわる?お兄さん。」
「……え?」
男達が振り返る。
そこには。
片手をポケットへ突っ込んだまま立っている朔也がいた。
「黒川先輩……!」
雫の顔が、一瞬で明るくなる。
朔也は軽く手を上げながら近付いてきた。
そして当然みたいに雫の隣へ立つ。
男達の表情が変わる。
「え……先輩って男?」
「そうだけど?」
朔也は平然と答えた。
「な、なんだ……」
「ごめんね、勘違いしてたわ」
「デートの邪魔しちゃってごめんね〜」
二人は苦笑しながら手を振る。
そして、そのまま人混みの中へ消えていった。
残されたのは。
浴衣姿の雫と、少し不機嫌そうな朔也。
「……先輩……す、すいません……」
雫はしゅんと肩を縮めた。
すると。
朔也の眉間に皺が寄る。
「まだ時間前だろ!」
いきなり声が大きくなる。
「なんでこんな早く来てんだよ!!」
「いや……万が一電車間違えて……遅れちゃったら迷惑かけちゃうので……」
「だからってこんな人の多いところで一人で立ってるな!!」
「……ご、ごめんなさい……」
雫の肩がさらに小さくなる。
視線も落ちる。
巾着を握る手がぎゅっと強くなった。
その様子を見て。
朔也は途中で言葉を失った。
(………うっ。)
やばい。
またやった。
別に怒りたいわけじゃなかった。
ただ、心配だった。
人混みの駅に一人で。
こんなに可愛い、浴衣姿。
朔也は視線を落とす。
清楚の象徴みたいな、白地に藤色の花柄。
陽射しを受けた浴衣は、まるで薄く色づいた紫陽花みたいに柔らかくて。
帯は淡い桜色。
ふんわりと胸元を包み込む優しい色合いが、雫の雰囲気によく似合っていた。
そして浴衣の帯元には、小さな花とパールの帯飾り。
淡い桜色の帯の上を、白い粒が波を描くように連なっている。
そして、その髪だった。
長い黒髪は、美容師の手によってゆるく編み込まれながらサイドで一つにまとめられている。
盛りすぎない。
派手すぎない。
けれど、いつもの可愛いらしい小動物のような雰囲気の雫より、ずっと大人っぽい。
首筋が少しだけ見えて。
耳元には、柔らかな後れ毛が揺れている。
藤色と淡い桃色の花飾りが、夜空へ咲く花火みたいに髪へ添えられていた。
小さな花びらの飾りが揺れる度に、かすかに光を受けて煌めく。
全体を包む白と薄紫、そして桜色。
その柔らかな色彩の重なりは、まるで。
胸の奥へ大切にしまい込んだ切ない初恋を、そのまま形にしたみたいだった。
「…………」
朔也は、一瞬だけ言葉を失う。
駅前のざわめきも。
行き交う人の声も。
全部が遠くなる。
さっきまでの苛立ちも。
説教も。
心配も。
その瞬間だけ、全部吹き飛んだ。
目の前にいるのは、いつもの後輩じゃない。
ちゃんと。
ひとりの女の子だった。
「…はぁ………お前さ。」
朔也は呆れたように、額に手を当てた。
可愛い。
普通に。
めちゃくちゃ可愛い。
こんなのが一人で立ってたら、男なら誰でも声かける。
しかも本人は、その破壊力を一ミリも理解していない。
だから余計にタチが悪い。
雫が恐る恐る顔を上げる。
「……はい?」
不安そうに見上げてくる。
大きな瞳。
薄く色づいた唇。
浴衣の袖をぎゅっと握る指先。
「そんな可愛い浴衣で………」
その仕草まで、全部可愛くて。
「こんなにめちゃくちゃ可愛い女の子が一人で立ってたら、ナンパされて当然だろーが」
「………!」
きゅううぅぅんっ─────
雫の胸が、激しく締め付けられた。
「…か……可愛い…?」
また。
そうやって。
さも、“当たり前”かのように。
真っ直ぐに。
「…あの…それって……!」
心臓が、うるさいくらいに高鳴る。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
緊張で、手に汗が馴染む。
そして。
震える声で、どうしても聞かずにはいられなかった。
「“女の子”として…ですか?」
どうしても知りたいの。
あなたのその、言葉の意味を。
あなたの瞳に映る、自分の姿を。
朔也は一瞬きょとんとして。
「…あ?今更なに言ってんの?」
次の瞬間、心底呆れたように眉を寄せた。
その無自覚さに。
朔也は、ますます頭が痛くなった。
「当たり前だろ!いつも忠告してんだろうが。いい加減気づけよ!バカ!」
「……っ」
その瞬間。
雫の世界が止まった。
街の音が遠くなる。
胸の奥だけが熱い。
ずっと欲しかった答えが。
今。
ようやく届いた気がした。
思わずしばらく固まっていた。
(うっ………)
一方で朔也は、妙な罪悪感に襲われる。
固まり過ぎだろ。
なんか泣きそうだし。
「いや…」
朔也は思わず頭を掻く。
「怒ってるわけじゃ…ねぇから。」
ぶっきらぼうな声。
朔也は少しだけ視線を逸らした。
「その……本当に心配だから………」
言葉に詰まる。
妙に照れくさい。
なんか…なんなんだ。
なんでこんなに調子が狂うんだ。
すると。
「嬉しいです……」
雫は、顔を上げた。
「すごい…めちゃくちゃ嬉しいっ!」
ぱあぁぁぁっと。
まるで花が咲くみたいな笑顔だった。
「……っっ!?」
朔也の心臓が、思いきり跳ね上がった。
眩しい。
眩しすぎる。
そのあまりにも純粋で、キラキラした嬉しそうな笑顔。
(…は………破壊力…………すご。)
「本気で先輩に、女の子として“可愛い”って思って貰いたかったんです。」
雫は照れながら笑う。
「その為には、どうしたらいいんだろうって、なにを選んだら正解なんだろうって。」
少しだけ俯いて。
それでも嬉しそうに続けた。
「朝から一日中…というか、先輩が返信くれた日から毎日ずっと、そんな事ばっかり考えちゃってました。」
そこで、恥ずかしそうに笑った。
あまりにもピュアなその言葉に。
朔也の胸は、言いようのないざわつきに包まれる。
自分が投げやりに、半ば自暴自棄のように返信した短いLINE。
その一通で。
こんなにも嬉しそうに。
こんなにも一生懸命に。
この子は、こんなにも大切に抱えていた。
傷だらけで、疲れきって、ボロボロになっていた朔也の心に。
温かいものが、じんわりと染み渡る。
(…癒されるわ〜……………)
その一言に、尽きる。
さっきまで沈みきっていた心が、嘘みたいに軽くなっていた。
夏の夕方。
花火大会が始まるまで、まだ時間がある。
二人の長い夜が、静かに始まろうとしていた。
───────。
時刻は、午後四時半。
花火大会へ向かう人波の中を、綾真は友人達と並んで歩いていた。
浴衣姿の人々。
屋台から漂う甘い香り。
遠くから聞こえる祭囃子。
夏の熱気に包まれた街は、これから始まる夜を待ちきれないみたいに浮き立っている。
その時だった。
ブブッ───
ポケットのスマホが震える。
綾真は何気なく画面を確認し、そのまま通話ボタンを押した。
「んあー?」
《綾真!今どこ!?》
聞こえてきたのは、慌てたような友人の声だった。
「え?駅から普通に会場向かってるけど」
《今さー屋台ら辺にいたんだけどさー!》
一瞬、向こうが息を飲む。
《黒川朔也を見たんだよ!》
「まじ!?星野いた!?」
綾真の目が見開かれる。
当然のようにそう聞いた。
だって今日の花火大会は。
星野と黒川朔也が、一緒に行く約束をしていたはずだから。
けれど。
《いやそれが、黒川が一緒にいたの、小野雫だったんだよ!》
綾真の思考が、一瞬止まった。
周囲の喧騒が遠のく。
「…………は?」
数秒遅れて、ようやく声が出る。
「なんで?」
《知らねーよ》
「星野は?星野のこと見てない?」
綾真の声が低くなる。
《それが今んとこ……どこにも見当たらねぇんだよな》
その言葉を聞いた瞬間。
プツッ───
綾真は通話を切った。
そして即座に陽向へ発信する。
コール音。
一回。
二回。
三回。
出ない。
「……っ」
すぐにLINEを打つ。
《花火、来てる?》
送信。
けれど既読は付かない。
もう一度発信する。
出ない。
胸の奥が、ざわついた。
(なんで……?)
星野が電話に出ない。
それだけで、妙に嫌な予感がする。
隣を歩いていた友達が、不思議そうに顔を覗き込んだ。
「星野いたって?」
綾真は眉を寄せたまま答える。
「いや……黒川朔也はいたらしい。」
「おー。」
「でも一緒にいたのは小野雫で、星野はいなかったらしい。」
「は?なんで?」
今度は友達の方が固まった。
「え、黒川と行くって話だったくね?」
「なんでかは知らんけど……星野と連絡取れん。」
綾真は舌打ちしそうになるのを堪える。
胸騒ぎが大きくなる。
何かがおかしい。
「一ノ瀬に聞いてみたら?あいつらいつメンだから、なんか知ってんじゃね?」
友人の言葉に、綾真はハッとする。
「お、それな!」
すぐに連絡先を開く。
コール。
数秒後。
《はーい》
呑気な声が聞こえてきた。
「一ノ瀬さぁ、星野知らない?」
《陽向?》
咲は何でもないように答えた。
《朔也と花火行ってるはずだよー》
「いや。黒川は今、小野雫と花火来てんだよ」
《はっ!?なんで!?》
咲の声が裏返った。
「まじか…なんも聞いてない?」
《え、待って待って待って……》
電話の向こうで明らかに混乱している。
《ガチでなんも聞いてない!》
咲が慌てて言う。
《また喧嘩でもしたんかなぁ…ちょっと朔也に電話してみるわ。》
「まじ!!わかったら連絡して!!)
綾真は即答した。
《あいよー。》
通話が切れる。
蒼太と花火大会会場へ向かっていた咲は、すぐに朔也へ電話をかけた。
数回のコールの後。
「あ、朔也ー?」
咲は単刀直入に聞く。
「今日、陽向と一緒じゃないの?」
《一緒じゃねぇよ。》
不機嫌そうな声。
「なんで?一緒に行くって話しじゃなかった?」
《知らねぇよ!あいつが断ってきたんだよ!》
ぶっきらぼうな返事。
「で、陽向なにしてんの?」
《普通に家いるんじゃね?》
咲は額を押さえた。
「また喧嘩したんでしょー!だからって置いてけぼりにすんな!」
《うっせぇな!雫と一緒だから切るわ。》
「まじでそうなの?わかったはいはい。」
咲は苦笑する。
「じゃーねー。」
通話終了。
そして。
すぐに綾真へ発信した。
数秒後。
《星野どこいるって!?》
出た瞬間、綾真が食い気味に聞いてくる。
「なんか家にいるっぽい。」
その言葉は。
真っ直ぐ綾真の胸へ突き刺さった。
家。
花火大会の日に。
家。
頭の中が、一瞬真っ白になる。
「……は?…家……?」
掠れた声が漏れた。
《うん。朔也いわくね。》
咲が答えると、綾真は息を呑む。
「た……体調悪いとか……?」
自分でもわかるくらい声が強張っていた。
けれど。
《いや?あの感じは単に朔也と喧嘩したっぽい。》
咲はあっさり返す。
「………っ!!!」
ドクン。
心臓が大きく跳ねた。
スマホの画面へ視線が落ちる。
時刻は、午後四時五十分。
花火開始まで、およそ二時間。
星野の家まで───ここからなら、多分ガンダで三十分。(ガンダッシュ)
綾真は反射的に踵を返した。
「え、綾真!?」
後ろから友人達の声が飛んでくる。
けれど。
もう止まれなかった。
人波を掻き分けるように走り出す。
夏の熱気。
祭りの喧騒。
遠くで鳴る祭囃子。
その全てを背中へ置き去りにしながら。
綾真はただ一人。
陽向の元へ向かって走り出した。




