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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第三章〜高3編〜【最終章】  作者: 波方 真季


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第130話 全てを消してしまいたい


陽向は帰宅すると、そのままリビングのソファへ倒れ込んでいた。

エアコンの涼しい風が頬を撫でる。

窓の外では、夏の夜がゆっくりと深まり始めていた。


スマホを手に取り、何気なく画面を開く。

トーク一覧の一番上。

陽向は、その画面をぼんやりと見つめる。


「うーん……」


小さく唸りながら、親指で画面をなぞった。

既読は、まだ付いていない。


(朔也…既読つかないな……勉強してんのかな……)


朔也は、勉強を始めるとスマホをほとんど見ない。

模試前なんて特に音信不通になる。


そんな事を考えながら、陽向はソファへごろんと寝返りを打った、その時だった。

キッチンから母親の声が飛んでくる。


「ひなー!いつまでもダラダラしてないで、早くレオの散歩行ってきなー!」


「はーい」


「小論文終わったのー?」


「終わってませーん」


「終わってないならさっさと行ってこーい!」


「うぅーい」


陽向は気の抜けた返事をしながら、うーんっと大きく背伸びをした。

固まっていた身体がポキポキ鳴る。

そして立ち上がりながら、ふと考える。


(…ついでにピンポンするか……)


レオは既に母親から発せられた“散歩”の単語で察している。

嬉しそうに尻尾をブンブン降りながら、リビングの扉の前でクリクリした瞳が陽向を見上げている。


陽向は笑顔がほどけて、リードを手に取った。


「レオー、散歩行くよー」


尻尾を振りながら跳ねるように駆け寄ってくるレオへ笑いかける。


そして、そのまま家を出た。




一方その頃────────。



朔也は自室の机へ向かっていた。

机の上には、オープンキャンパスでもらってきた大学案内。

第一志望のパンフレット。

入試要項。


蛍光灯の白い光の下で、朔也はページをめくる。


(電車乗ってる時間が1時間ちょい……)


視線を時刻表へ落とす。


(ドアツードアで一時間半くらいか)


通えない距離ではない。

むしろ、多くの学生が普通に通っている距離だ。

けれど大学生活が始まれば。

サークル。

バイト。

友達付き合い。

課題。

そういうものが増えていく。

毎日往復三時間。

その時間が、妙に勿体なく思えた。


(…寮ねぇ……)


朔也はふと、大学寮の案内ページを持ち上げた。


綺麗な建物。

共有スペース。

食堂。

一人暮らしより安い費用。

条件だけ見れば、悪くない。


けれど。

そのページを眺めながら、朔也は何気なく考える。


(実家出たら……)


静かな部屋の中。

脳裏へ浮かんだのは、幼馴染の顔だった。


(ひなと今みたいに顔合わせる事もなくなるな……)


当たり前みたいに繰り返してきた日常。

それが、急になくなる。

そう考えた瞬間。


胸の奥へ、言葉に出来ない感覚が落ちた。


その時。


────ピンポーン。


一階からインターホンの音が響いた。


朔也は顔を上げる。

その直後。


「朔也ー! ひなー!」


一階から響く母親の声。

思わず、小さく笑った。


「……噂をすれば。」


椅子から立ち上がる。




────────。




陽向は、レオのリードを握ったまま玄関先で待つ。

すぐに階段を下りる足音が聞こえてきた。


朔也が顔を出す。


「……散歩?」


朔也は、陽向の足元で尻尾を振っているレオを見ながら呟いた。


「うん。勉強してた?」


「あー……」


朔也は一瞬だけ考える。


「ちょっと待ってて」


そう言って再び二階へ戻った。

数分後。

薄手のパーカーを羽織った姿で戻ってくる。


「ちょっと休憩するわ」


自然な口調だった。

そして当然みたいに、陽向の手からリードを奪い取る。


「レオー今日は俺と行こうな〜」


小さな頭をわしゃわしゃ撫でると、レオは嬉しそうにクルクル回った。

陽向は、その様子を見ながら小さく笑う。


「ほんと、朔也のこと好きだよね」


夜の住宅街。

街灯がぽつぽつと道路を照らしている。

昼間の熱を残したアスファルトからは、まだ僅かに夏の匂いが立ち上っていた。


レオが先頭を歩き。

その後ろを、陽向と朔也が並んで歩く。


風はぬるい。

空には、うっすらと星が見えていた。


不意に陽向が口を開いた。


「模試どんな感じ?」


「まぁ……ボチボチって感じ。」


「それ絶対ボチボチじゃないやつ。」


「いや普通にまだ全然足りねぇんだよ。」


朔也は苦笑した。


「さこちゃんと琉嘉も今日言ってたけど…理系クラス、数学何割だったとか、共テ何点取れそうとか?判定どうだったとか、今そんな感じなんでしょ?」


「そんな感じ。」


即答だった。


「みんな口開けば点数の話。」


「うわぁ……嫌だなぁ……」


陽向は顔をしかめて、本気で嫌そうな顔をした。

朔也は少し笑う。


「文系違うの?」


「全然違うよ!」


歩きながら片手を掲げて指を折る。


「志望理由書でしょー?オープンキャンパス。活動報告書、面接練習、小論文。あと自己PR動画!」


「うわ。」


今度は朔也が顔をしかめた。


「めんどくさそう。」


「めんどくさいよ!!」


陽向は叫んだ。


「推薦組はみんなそれ。」


「総合型?」


「総合型と公募。」


「なるほどな…」


朔也は少し納得した。

クラスによってここまで違うのか。


「理系は推薦組でも結局学力見るから。」


「あーね。言ってたわ」


「面接とか志望理由もやるけど。」


朔也は肩を竦める。


「それより数学終わんねぇとか物理ヤバいとか英語伸びねぇとか、そっち。」


「私その世界無理。」


「俺は逆にお前の世界無理。」


夜道に二人の笑い声が響いた。

しばらく受験の話をしていた時だった。

陽向がふと思い出したように口を開く。


「てか第一志望、もう確定したの?」


「まぁ一応。この前オーキャン行ったとこ。」


「あー、あそこか。結構遠くない?」


「遠い。まぁ通えない距離ではないけどな。」


「なんでそこにしたの?」


夜風が吹く。

朔也は少しだけ空を見上げた。


「情報系学部が強いし、あと海外インターンとか、その辺結構力入れてるみたいだから。」


「へー!インターン海外行くの!?」


「まぁ外資系の就職考えてるから……そっちの就職にもそこの大学だと強いらしいし。」


淡々とした口調。

まるで大学パンフレットを読んでいるみたいだった。


夜の住宅街。

レオの足音だけが静かに響く。


高三の夏。

進路も。

受験も。

将来も。


まだ何一つ決まっていない。

それでも二人は、少しずつ大人になるための話をしながら、いつもの散歩道を歩いていた。


その時だった。


ふと。

陽向の脳裏へ、駅で見た花火大会のポスターが蘇る。


(好きな先輩と花火大会なんて……夢みたいだなぁ〜。)


キラキラした瞳でポスターを見上げながら、そう言っていた雫の顔。

その笑顔を思い出した瞬間、陽向は小さく息を呑んだ。


(やばいやばい…)


胸の奥が、妙に落ち着かない。


(雑談してる場合じゃない…早く本題に入らないと。)


夜風が吹く。

散歩コースは、もうすぐで回り終わる。

レオが少し先を歩き、リードが小さく揺れた。


陽向は意を決するように口を開く。


「てかさ、しぃちゃんからLINE入ってない?」


朔也は首を傾げた。


「雫?…あー見てなかったわ。」


そしてポケットから何気ない仕草でスマホを取り出す。

ロックを解除して。

通知を開いて。

そこに表示されたメッセージへ視線を落とす。


その瞬間。

朔也の足が止まった。


「………………」


夜の住宅街。

街灯の光が、静かに二人を照らしている。


数秒の沈黙。

やがて。


「……………………何これ。」


低い声だった。

朔也はスマホから顔を上げる。


「どゆこと?」


その視線に、陽向は少しだけ気まずそうに笑った。


「あー……その……」


そして。

出来るだけ軽く聞こえるように。

出来るだけ明るく。

そう思いながら言った。


「一緒に行ってあげなよ。」


「……は?」


「私なんかと行くより、可愛い女の子と一緒に行ける方が良くない?」


無邪気な笑顔。

悪気なんて、ひとつもない。

だからこそ。

朔也の胸の奥へ、鈍い痛みが落ちた。


「お前……それ本気で言ってんの?」


握ったスマホへ、無意識に力が入る。


「なんでー?だって朔也、今しぃちゃんと何気いい感じじゃん。」


「は?」


その一言が、どれだけ残酷だったのか。


けれど陽向は気付かない。

歩きながら、視線は前を向いたまま。

何ともないように。


「良い子だし、可愛いし。」


陽向は笑う。

何の迷いもなく。

まるで本当に応援しているみたいに。




「私は二人、結構お似合いだと思うけどなぁ〜」







朔也の胸の奥で。


何かが壊れる音がした。








雨上がりの夕暮れ。

手を繋いで歩いた帰り道。


剣道大会。

手の皮が剥けるまで竹刀を振り続けた日々。


夜の公園。

花火大会の約束をしたあの日。


テスト前。

部屋で勉強を教えた日。


少しずつ。

少しずつ。


何かが変わり始めている気がしていた。


もしかしたら。

ほんの少しだけでも。


自分の方を見てくれる日が来るんじゃないかと。


そんな期待を。

どこかで抱いていた。


けれど。


全部。


全部。




独りよがりだった。




「…………あっそ。」


朔也は小さく呟いた。

驚くほど、感情のない声だった。


「じゃあそうするわ。」


その場でスマホを素早く操作する。

迷いなく。

無心で。

雫のトーク画面を開く。


そして。


《いいよ》


短い返信を打った。


送信。

それだけ。


夜風が吹いた。


その後、二人はほとんど喋らなかった。


さっきまで続いていた受験の話も。

大学の話も。

全部どこかへ消えてしまった。


レオだけが何も知らずに嬉しそうに歩いている。

やがてすぐに、いつもの散歩コースを回り終える。


見慣れた住宅街。

見慣れた二軒の家。


「じゃ。」


朔也が短く言う。


「うん。」


陽向も頷く。


それだけだった。

朔也は振り返らずに家へ入っていく。


陽向は、その背中をぼんやり見送った。


胸の奥に、小さな違和感だけを残したまま。




朔也は自室へ入るなり。

何かをぶつけるように、手にしていたスマホを乱暴にベッドへ放り投げた。


ボフッ。


柔らかな音を立てて沈んだスマホを見もしないまま、そのまま自分もベッドへドサッと倒れ込む。


「…はぁーーー……………」


深く、長い溜め息。

手の甲を額へ押し当てる。


胸がズキズキと音を立てる。

心臓が、痛い。

苦しい。


どうしようもなく、苦しかった。




藤崎俊輔が、卒業したら。


当たり前のように、ひなと恋人になれるだろうと、心のどこかで思ってた。


ひなは自分以外はありえない。

自分もひな以外は考えられない。


これから先の人生も、ずっと一緒に歩いていけると思ってた。




(…藤崎俊輔の残像とでも………花火見んの………?)




その存在は、あまりにも大きい。

離れているのに。

もう、二度と会えないのに。


どれだけ近くにいても。

どれだけ時間を重ねても。

どれだけ想っても。


届かない。

届く気がしない。


こんなにすぐ側にいる俺には、見向きもしないで。




(俺じゃ…だめなんだ……)




手は尽くした。

自分を変えようとした。

振り向かせる為に、何もかも注いだ。

全部、必死だった。


期待して、幻滅して。

勝手に舞い上がって、そしてまた落ちる。

そんな事を、何度繰り返してきただろう。

いつまでも、ずっと、延々と。

あいつに振り回され続けて。


こんな茶番をいつまで続けていればいい?


疲れた。


もう、疲れた。



「………………消えろよ。」



ぽつり、と呟く。


もういっそ、この気持ちが消えてくれればいい。


こんなにも苦しくて。

痛くて。

悲しくて。


好きでいるだけ、幸せなことなんて一ミリもないのに。


期待するたび傷付いて。

近付くたび遠くなる。


そんな恋を。


あと、どれだけ続ければいいんだろう。


あいつがいつか振り向いてくれる未来なんて、もう見えない。

この気持ちごと、無くなってしまえばいいのに。

ひなを見ても、何も感じなくなればいいのに。


ただの幼馴染として。

笑い合えるだけになれればいいのに。



どうか。


お願いだから。


この気持ちが、消えてくれないだろうか。



朔也は静かに目を閉じた。

暗闇が降りてくる。

胸の奥で疼く痛みだけを残して。


その想いは、ゆっくりと深い闇の底へ沈んでいった。




自室へ戻った陽向は、扉の前で立ち尽くしていた。


部屋の電気は、つけていない。

窓から差し込む月明かりだけが、薄く床を照らしている。

その青白い光の中で、陽向はただ、ぼんやりと一点を見つめていた。


何故だろう。

胸が、ちくちく痛い。


ほんの少し。

針の先で、内側から突かれているみたいに。

さっきの朔也の声が、耳の奥に残っていた。




(……あっそ。じゃあそうするわ)




低くて。

冷たくて。

何もかも諦めたみたいな声。

陽向は、小さく唇を噛む。





私は──────。

あそこで、なんて言って貰いたかったんだろう。





「……っ」


フルフルッと、なにかを振り払うかのように。

陽向は頭を振った。


それなのに。

胸の奥に残った違和感だけが、消えてくれない。


ふと。

陽向は、ゆっくり机へ向かった。


薄暗い部屋の中。

自分の中の、この違和感を消し去るように。

無意識に、何かで埋めようとするみたいに。


机の棚へそっと手をかける。

そして、静かに引き出しを開いた。


その奥に、大切にしまわれた小さな箱がある。

陽向はそれを両手で取り出し、膝の上へ乗せた。

しばらく見つめてから、パカッと蓋を開ける。


そこには────


月明かりを受けて、銀色に淡く輝いて。


真ん中には、小さく赤い石が光っていた。




あの夏。

俊輔から貰った、蠍座のネックレス。






「…………星が見たい。」






ぽつり、と小さく呟いたその直後。


ガタッ


陽向はネックレスを握り締めたまま、部屋を飛び出した。

そのまま階段を駆け降りる。




この胸の痛みは、夏のせい。


玄関を飛び出す。


この切なさは、夏のせい。


自転車に跨り、ペダルを踏み込む。


この寂しさは、夏のせい。


近所の高台にある緑道へ向かって、坂道を登っていく。






一年前のあの夏が。


まだ、私の心を締めつけている。






キッ──────


緑道に辿り着いた陽向は、強くブレーキを握った。


「……はぁ……はぁ……はぁ……」


全力で坂道を登ったせいで、胸が大きく上下している。

熱い息が、夏の夜風へ溶けていく。


陽向は自転車を止めると、ゆっくりと見晴らしの良い場所へ歩いた。

片手には、蠍座のネックレス。

それを、ぎゅっと握り締めながら。





遠くの、南の空を見上げた。





(空の反対側に居る二つの星座は、同じ夜空に存在出来ないなんて、離れ離れになっちゃう私達そのものだね!)


(それでも……同じ夜空は繋がってるよ)





南の夜空に、ぽつんと。


ひとつだけ、強い光を放つ星があった。


赤く燃える、一等星。





──────アンタレス。





(僕と陽向は……離れ離れになったって、この同じ空の下ではずっと繋がってる)


(アンタレスは……ニューヨークからも見える……?)


(よく見えるよ。緯度も、季節も。日本から見える星空は、ニューヨークからも同じように見えるから)





あの夏。

伊豆高原で一緒に見上げた夜空みたいに、ここからはたくさんの星は見えない。


それでも。

あの赤い輝きだけは、あの時と同じだった。


遠くて。

眩しくて。

少しだけ寂しくて。


けれど、確かにそこにある。





(……アンタレスを見る度に……きっと陽向が頭に浮かんでくる)





陽向は、手の中のネックレスをさらに強く握り締めた。




「……夏だね……俊ちゃん」




独り言が、夜風に溶けた。


夏の夜空に現れるアンタレス。

この季節は、あなたも。

遠く離れた場所から、あの星を見上げているのかな。


その瞬間、陽向の頭に浮かんだのは。


去年の夏休み、ビデオ通話越しに「陽向〜会いたいよ〜」と子犬みたいな顔をしていた俊輔の表情だった。




ねぇ。


俊ちゃんも寂しい?


陽向に会いたいよーって。

あの子犬みたいな顔になりながら、アンタレスを見上げてるの?





(陽向の心臓アンタレスは……今だけは僕のもの)


(優等生くんオリオンの心臓も……今だけは私のもの)





じわりと、夜空が涙に滲む。

胸が、ぎゅっと締め付けられた。





(……陽向…………キスが……したい……)





あの時の震え。

緊張。

戸惑い。

息の熱さ。


今でも、あまりにも鮮明に思い出せる。

まるで、昨日のことみたいに。


陽向は緑道の手すりにもたれかかり、夜空から視線を落とした。




「……あの時……キスしたかったな……」




小さく呟いて。

手のひらの中にあるネックレスを見つめる。


銀色の蠍座。

赤い石。

俊輔がくれた、あの夏の欠片。


陽向は、それを両手の指先で包み込むように持ち上げた。


そして。






──────そっと、キスを落とした。






ツーッ……と、涙が頬を伝う。




もっとたくさん、あなたとキスがしたかった。


何度でも抱きしめ合って。

何度でも名前を呼び合って。

離れたくないって、もっといっぱい言えばよかった。


どうして最後のあの日まで。

その勇気が出せなかったんだろう。


もしも時間が巻き戻せるなら。


もう一度、あの夏へ戻れるなら。


私はもっと。




あなたと、もっとキスがしたかった。






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