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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第三章〜高3編〜【最終章】  作者: 波方 真季


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3/5

100話 海賊みたいなもんですよ


それは、まだ俊輔が卒業する直前。


3月初めの、とある日────────。





卒業式を間近に控えた校舎には、どこか落ち着かない空気が漂っていた。


放課後。


いつもなら役員たちの声で騒がしい生徒会室も、その日は珍しく静かだった。


陽向たちは、卒業式準備の備品確認で体育館へ向かっている。

そのため室内には、餅田先生と俊輔だけが残っていた。

餅田先生は、手元の資料から視線を上げると、向かい側で作業している俊輔へ声を投げた。


「そういえば藤崎……星野が来年度は生徒会を継続しないって言ってたぞ?」


俊輔の手が、ほんのわずかに止まった。

けれど、それも一瞬だけだった。


「あぁ、そうみたいですね。」


返ってきた声は穏やかだった。

驚きも、動揺も、表には滲ませない。

けれど、その静かな声音の奥に、ほんの少しだけ寂しさが沈んでいることを、餅田先生は感じ取っていた。


「お前は、それについて何も言わなかったのか?」


俊輔は一度だけ視線を落とした。

机の上には、卒業式関連の資料。

その文字を見つめながら、小さく息を吐く。


「まぁ……決めるのは本人ですし。陽向は最初から言ってましたから。僕らが卒業する時に、自分も降りるって。」


その言葉と同時に、脳裏へ浮かぶ。

あの頃は、まだずっと先の話みたいだった。

それなのに、もう。


その“時”が来てしまっている。


餅田先生は、じっと俊輔を見つめる。


「星野に続けて欲しいとは……思わなかったか?」


その問いに、俊輔はすぐには答えなかった。

ブラインド越しの夕陽が、静かに横顔を照らしている。


やがて——


「………正直、継続してくれたら嬉しいな、とは思います」


ぽつり、と。

本音が落ちた。


「でも…」


俊輔は小さく笑う。


「陽向は自分の特性の事もあるし、来年受験生というのもわかってて………本人が荷が重いと感じているなら、僕はその気持ちに寄り添ってあげたいんです。」


その声は、どこまでも優しかった。

引き止めたい気持ちがないわけじゃない。

でも。

陽向が苦しみながら抱え込んでいる不安も、全部知っているから。

無理をさせたくなかった。


それに。

自分はもう。



陽向を苦しみから守ってあげる事は………出来ない。



餅田先生は、そんな俊輔を見ながら、小さく息を吐く。


「………そうか。藤崎らしいな。」


俊輔は、少しだけ困ったように笑った。

そのあと、生徒会室には短い沈黙が落ちる。

遠くから、陽向たちの笑い声が微かに聞こえた気がした。


その時だった。


「……………餅田先生。」


俊輔が、静かに口を開いた。

餅田先生が視線を向ける。

俊輔は、窓の外へ目を向けたまま、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


「僕が一年生で、生徒会に入った時……」


春の光が、静かに睫毛へ落ちる。


「聖陵国際の生徒会は、“完璧な城”みたいに見えていました。」


「城?」


「はい。」


俊輔は、小さく頷いた。


「あの頃の生徒会は、圧倒的な生徒会長がいて、その下には完璧な副会長がいて、そして優秀な役員達がいる。」


その瞳の奥に、ニ年前の景色が浮かんでいる。

張り詰めた空気。

無駄のない動き。

完成された組織。


常に緊張感を纏っているような、役員同士の会話。


「まるで強固なピラミッドみたいに、決して崩れる事のない、完璧な城でした。」


だからこそ。


「僕は、そんな先輩達の足を引っ張らないように、より先輩達の役に立てるように、とにかく精度の高い仕事をする事に必死でした。」


餅田先生は、その頃の俊輔を思い出す。


誰よりも優秀で。

誰よりも落ち着いていて。

けれど同時に、どこか息苦しいほど張り詰めていた一年生。


「………藤崎は、一年の頃から仕事に妥協を一切しなかったな」


「……はい。」


小さく返したあと。

俊輔は、ふっと笑った。


「でも……陽向が生徒会に来てからは、それが少しずつ変わっていきました。」


その瞬間。

生徒会室の空気が、ほんの少し柔らかくなる。


「それまで完璧な城だった聖稜国際の生徒会は………みんなで動かす“船”になったんです。」


「……船?」


餅田先生が聞き返す。

俊輔は、どこか懐かしそうに目を細めた。


「大海原って、晴れた日ばかりで穏やかな波の日だけじゃないじゃないですか。」


その声に、陽向たちの騒がしい日々が重なっていく。


突然起こるトラブル。

想定外のハプニング。

ぐちゃぐちゃになるスケジュール。

泣きそうになりながら走り回る陽向。


「嵐の日もあるし、荒れ狂う波の日もある。」


でも——


「嵐が起きたら、みんなそれぞれの役割で、自分に出来る事を探して、その場で柔軟に対応していくようになりました。」


そして、その中心で。

不器用に転びながら、それでも誰よりも必死に前へ進もうとしていた陽向。


「船というのは城とは違い、揺れるし、嵐に遭うし、誰か一人では動かせない。」


俊輔は、静かに笑った。


「みんながお互いを助け合って、仲間の役に立つ為に自発的に考えて臨機応変に動ける“クルー”になりました。」


その笑顔は、どこか誇らしげだった。

餅田先生は、そんな俊輔を見つめながら、深く頷く。


「そうだな……確かに先生もこれまで長く生徒会を見てきたが、こんなにも賑やかで、騒がしくて、絆の深い生徒会は、俺が受け持った中では一度も無かったな。」


その言葉に、俊輔は吹き出すように笑った。


「あはは、そうですよね。」


静かな生徒会室に、柔らかな笑い声が落ちる。

それは、“完璧な城”だった頃には、きっと存在しなかった音だった。


俊輔は、静かな声で続けた。


「決められた事や、与えられた事を、ミスなく遂行していく事って……きっと、社会人として生きていく上では“当たり前”なんだと思います。」


落ち着いた声。

けれど、その言葉はどこか実感を伴っていた。


一年生の頃の自分。

完璧である事を求め続けていた頃の自分。

張り詰めた糸みたいに、ずっと気を張っていた。


「同時に、人間である以上、どうしようもない事象でミスやトラブルが起きる事も、これから先の社会では、誰しもが当たり前に経験するんだと思うんです。」


俊輔は、小さく目を伏せる。

けれど、その瞳の奥には、この一年間で積み重ねてきた時間が静かに宿っている。


派手に転んで。

盛大にミスして。

周囲を巻き込んで。


でも、その度に。

誰よりも必死に立ち上がっていた。


「大人になる上できっと一番大切なのは——」


俊輔は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「ピンチや困難に見舞われた時でも、その時々で柔軟に対応して、どんな状況でも乗り越えていく“折れない力”なんだと思います。」


その言葉は、生徒会役員たち全員へ向けた信頼だった。


その場で考えて。

悩んで。

助け合って。

前へ進もうとする事。


その力こそが、人を強くする。


「今の聖陵国際の生徒会役員達は、そんな“主体性”を培った……これまでの先輩達より、遥かに優秀な役員達だと思っています。」


小さく笑う俊輔の、その声には誇りが滲んでいた。

そこには、自分達で考えて進める人間達がいる。


餅田先生は、そんな俊輔を見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。


「………お前達3年生も………本当に全員、立派な役員になったよな。」


ぽつりと落ちたその言葉には、教師としての実感が滲んでいた。


嵐が来ても。

誰かが転んでも。

全員で支え合いながら前へ進める、“生きた組織”が。

確かにチームになっていった。


「陽向のお陰です。」


即答だった。

迷いが、一切ない。


餅田先生が目を細める。

俊輔は、どこか遠くを見るみたいに笑った。


「陽向がいなかったら、今の聖陵国際の生徒会には、なってませんでした。」


会議中に突拍子もない発言をして場をひっくり返した事。

空気を読まずに暴走した事。

泣きながら、それでも投げ出さなかった事。


陽向が来てから、生徒会は予定調和では回らなくなった。


でも、その代わり。

誰かが困っていたら自然と助けに動くようになった。

失敗を責めるだけじゃなく、“どう立て直すか”を考えるようになった。

完璧じゃないからこそ、支え合うようになった。

それは、完璧な城ではなくなった代わりに。


確かに、“仲間”になったという事だった。


餅田先生は、腕を組んだまま、小さく笑う。


「この船の“キャプテン”は……星野なんだよな。」


俊輔は、吹き出すみたいに少し笑った。


「……と、僕は個人的に思っていますよ。」


その声音は、どこまでも柔らかい。


「まぁ、陽向の気持ちを優先してあげたいので……あくまで僕の中では、個人的にそう思ってるってだけですけど。」


本当は、続けてほしい。

でも。

その願いを押し付けたくはなかった。

陽向は、ずっと限界まで頑張ってきたから。


餅田先生は、静かに頷いた。


「そうか……お前の気持ちは、よくわかった。」


窓の外で、風に揺れる蕾が柔らかく膨らんでいる。

俊輔は、その景色を眺めながら、ふっと笑う。


「そんなに心配しなくて大丈夫ですよ。今のクルーは、本当に優秀ですからね。」


穏やかな声。

でもその奥には、確かな信頼があった。


「歴代の先輩達とは、潜り抜けてきた修羅場の経験値が違いますから。」


その言葉に、餅田先生は思わず笑った。


「あはは……まるで海賊船みたいだな。」


すると俊輔も、小さく肩を揺らして笑う。


「型破りで、破天荒な船長なんで。」


一瞬、脳裏に浮かぶ。


勢いだけで突っ走る陽向の姿。

泣きながら暴走する姿。

でも、その背中を追いかけて、いつの間にか全員が動いている光景。


俊輔は、どこか誇らしげに目を細めた。





「海賊みたいなもんですよ。」





────────。





「………みんなで動かす……船…?」


ぽつり、と。

涙で滲んだ声が、生徒会室の静かな空気へ落ちた。

陽向の頬には、一筋の涙が伝っている。


餅田先生の口から語られた俊輔の言葉は、陽向の胸の奥へ、静かに、深く沈んでいく。


俊輔が、陽向にくれた言葉達は。


苦しくて。

嬉しくて。


でも、同時に怖かった。


「藤崎の、星野を思いやる意思を尊重したいし、星野へ対して無理に生徒会を続けて欲しいとは言わない。」


餅田先生の低い声が、静かな部屋に落ちる。


「明日の新入生オリエンテーションでは横溝が代表として立つし、お前がやらないなら、横溝がそのまま今期の生徒会長を務めてくれると思う。」


「……………。」


陽向は何も答えられなかった。


机の上で、指先が小さく震えている。

視線を落としたまま、ぎゅっと制服のスカートを握りしめた。


「………来週、4月13日の放課後…正式に役職決めをする、今期最初の役員会議がある。」


その言葉に、心臓がドクン、と大きく脈打つ。


役員会議。


その響きだけで、胸の奥に、鮮明すぎる景色が蘇る。


生徒会室の空気を吸うだけで、胸が痛かった。


彼の温度が。

彼の声が。

彼の笑顔が。


部屋中のあちこちに、残りすぎている。


「もう一度よく考えて、続ける意思があるなら来て欲しい。」


餅田先生は、真っ直ぐ陽向を見つめたまま続ける。


「このまま降りるのであれば、会議には来なくて良い。その場合も、返事はいらない。」


静かな声だった。


責めるでもなく。

引き止めるでもなく。

その優しさが、余計に苦しい。


陽向は小さく息を吸った。


けれど、肺の奥までうまく空気が入っていかない。

生徒会室の扉に立つだけで、全身が重たくて。

この部屋の空気に触れるだけで、涙が出そうで。

先輩たちの面影が、あまりにも鮮明で。

俊輔の姿が、今にも視界の端へ現れそうで。


私はまだ、一歩も前に進めないのに。


こんな状態で。

先輩たちもいなくて。

俊ちゃんもいなくて。

一人ぼっちで。


 


こんな私に……何が出来るっていうの………。




胸の奥で、弱い声が震える。




「……………少し…考えます。」




ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど小さかった。

餅田先生は、そんな陽向を見つめたあと、小さく頷く。


「おう。以上だ。」


その声に、小さく会釈をして。

陽向は静かに立ち上がる。


パイプ椅子が、ギ…ッと小さく軋んだ。

その音だけが、妙に大きく聞こえる。


陽向は、生徒会室の扉へ手をかけた。

冷たい金属の感触。


この扉を開ければ、また日常へ戻る。

新しいクラス。

新しい季節。

先輩たちのいない学校。


でも。

まだ心だけが、あの日のまま置き去りになっている。


扉を開こうとした、その瞬間。


「星野。」


背中から、餅田先生の声が落ちた。


陽向の肩が、ぴくりと揺れる。

ゆっくりと振り返ると。


春の西日を背負った餅田先生が、いつものぶっきらぼうな顔でこちらを見ていた。


「来週、待ってるからな。」


低く落ちたその声は、強制でも命令でもなかった。

陽向は、小さく唇を噛んだ。




苦しい。




言葉を返せなかった。

何ひとつ、自信がなかった。

それでも。

陽向は再び、小さく会釈をした。

その動きは、ほんの少しだけ震えていた。


そして——


ガラッ。


静かな音を立てて、生徒会室の扉を開ける。

春の空気が、廊下からふわりと流れ込んできた。

窓の外では、満開の桜が風に揺れている。


ひらり、と。


一枚の花びらが、視界の端を横切った。


陽向は、そのまま静かに生徒会室を後にする。


扉が閉まる直前。


背後に残る部屋の空気が、どこかまだ温かく感じた。






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