第119話 その恋、応援出来ません
陽向と雫と咲の三人が歩き出そうとした、その時だった。
「えー!雫たんもう行っちゃうのー!」
三年生との撮影を終えたばかりの剣道部員男子たちが、わらわらと駆け寄ってくる。
「雫たんと写真撮りたいなー!」
「祝勝プレゼントに!雫たん、ツーショお願いしますっ!」
「お前ら試合出てないだろっ!」
すかさず陽向の声が飛んだ。
「お前たち気持ち悪いなー、はい、散った散った!」
「えー!」
「いいじゃないですかー!」
「せっかく校内アイドルが応援に来てくれたんっすよ!」
「一緒に写真くらい撮らせて下さいよー!」
一斉に上がるブーイング。
その必死さに、雫は思わずクスッと笑った。
「私はいいですよ。先輩達、もしあれだったら先に行って下さい!」
その快い承諾に、男子達の野太い歓声が上がる。
「えー?大丈夫?」
陽向は少し心配そうに雫を見た。
雫を一人で置いて行くのは、正直かなり危険だ。
この子は、目を離した瞬間に迷子になる。
しかも、可愛すぎるせいで変な男にも絡まれやすい。
とはいえ、早く店へ向かわなければ、夕飯時のピークに差しかかってしまう。
その時、陽向の顔がぱっと明るくなった。
「あ!いいこと思いついたっ♪」
そして、人だかりの向こうへ向かって大きく声を張る。
「朔也ー!」
「あー?」
「しぃちゃんがこいつらに捕まったから、あとでご飯屋さんまで一緒に連れてきてー!」
「えぇっ!?!?」
雫の心臓が、一気に跳ね上がった。
朔也は面倒くさそうに剣道部の後輩男子たちへ視線を配り、頭を掻く。
「あー?ったく、しょーがねぇなあいつら……あいよー!」
そう陽向に返事をした───その直後。
朔也は後輩部員へビシッと指を突きつけた。
「お前ら!雫に変なことすんなよ!」
「○×△☆♯□……っ!?!?!?」
(うぎゃーーーーーッッッ!!!!)
朔也のひと言は、雫の脳内に大パニックを巻き起こした。
「彼氏ムーブっすかー?」
後輩男子がニヤニヤしながら茶化す。
「ちげーよっ!!」
「黒川先輩、照れちゃってー」
顔を赤くして慌てる雫の隣で、剣道部員たちはますます騒ぎ始める。
陽向と咲は、その様子を見ながら歩き出す。
「君達っ!」
陽向が振り返り、ビシッと剣道部員たちを指差す。
「三年の撮影会終わるまで、しぃちゃんのボディガードな!ナンパ野郎からしっかり守っとけ!」
「「「承知しました!生徒会長!」」」
なぜか見事に揃う返事。
雫は顔を真っ赤にしたまま、まだ固まっている。
そんな彼女を残し、陽向と咲は夕焼け色の玄関を後にした。
────────。
「おし、お待たせ。移動するか」
撮影会から解放された朔也が、人だかりを抜けて雫の元へ歩いてくる。
「あ、はいっ…!」
雫は慌てて返事をした。
けれど心臓は、まだ全然落ち着いてくれない。
さっきの出来事が、頭の中で何度も繰り返されている。
(お前ら!雫に変なことすんなよ!)
思い出すだけで顔が熱くなる。
そんな二人の元へ、最後まで撮影会に引き止められたいた蒼太が、ようやく解放されてやって来た。
「咲からLINE入ってんな。駅前のファミレス入ったって。」
後輩達は「お疲れ様でした!」と口々に頭を下げる。
それに軽く手を上げて応えた蒼太が、今度は三年生達へ向き直った。
「3年ー!移動するぞー!」
その声を合図に、後輩部員達が頭を下げる中、剣道部三年生陣がぞろぞろと駅へ向かって歩き始めた。
先頭を歩くのは蒼太と朔也。
その一歩後ろを雫が歩き、更に後ろから他の部員達が続く。
六月の夕暮れ。
大会を終えた解放感と疲労が入り混じった空気の中、駅前へ続く歩道には長い影が伸びていた。
前を歩く二人が、少しだけ声を潜める。
「お前、もうちょい素直になれねーの?」
「なにがだよ」
「せっかくハグのチャンスだったのに、なんで喧嘩に発展すんだよ」
「知らねーよ….なんか勝手にそうなっちゃうんだよ」
声を潜めた二人の会話。
先を歩いて前を向いている為、ハッキリとよくは聞こえない。
しかし雫の耳は、なぜか気になり自然とその声を追ってしまう。
「そんなんで告るとか言ってたのかよ」
「結果出来ねーんだから、もういいんだよ。負けたんだから。」
胸が、どくりと鳴る。
(…….え……なに?…….告る…?)
前後の会話はわからない。
しかし、その単語だけが耳に入った。
意味を考えるより先に、心臓が速くなる。
前を歩く二人は気づかないまま会話を続けている。
「チームは勝てたわけだし、結果お前のお陰で勝ったようなもんなんだからそこは別によくね?」
「よくねーよ!ベスト8の副将戦で勝つのが元々の条件だ!」
朔也の声が、思わず大きくなる。
その声には、悔しさが滲んでいた。
蒼太は小さく肩を竦める。
「変なとこ意地になんだな…」
そして少しだけ笑った。
「その臍曲がりを直すとこから始めねーと、空気脱出もクソもなくねーか?」
「んな事言ったって……あいつに対してはもう条件反射みてぇなもんで、俺だって自分でどーしたらいいかわかんねーよ!」
感情的になり、朔也はつい声を荒げる。
夕暮れの風が吹き抜ける。
雫は前を歩く朔也の背中を見つめた。
広い肩。
少しだけ猫背気味な歩き方。
汗で乱れた黒髪。
その姿を見つめながら。
胸の奥が、ざわざわと落ち着かない。
(…黒川先輩…….誰の話しをしてるんだろう……………)
断片的にしか聞こえない言葉達。
けれど。
その全部が、ひどく気になった。
雫は無意識に一歩距離を詰めて、耳を二人の近くに傾けた。
その瞬間。
「ったってお前、18年も拗らせてる片想いだろ?そんな相手と変顔合戦してる場合じゃねーだろ!」
胸が、どくんと大きく脈打った。
(………………………え………………?)
雫の足が、ピタリと止まる。
蒼太の言葉が。
今度ははっきりと。
聞き間違いようもなく耳へ落ちてきてしまった。
そして。
バラバラだった記憶が、ゆっくりと繋がっていく。
….あー………そっか……………。
思い出した。
剣道部へ仮入部した、あの日のことを。
(迷子?はは、おっちょこちょいは誰かさんみてーだな)
(ただの方向音痴であんな重症者と一緒にしたらこの子が可哀想だろ)
(んな事言って。大好きなくせによ)
(うるせぇな!今関係ねぇだろ!)
あの時の会話。
当時は、それが誰だかなんて、わからなかった。
(…おっちょこちょいの………重症者。)
だって、あの頃はまだ。
出会う前だったから。
知らなかった。
そして、もう一つ。
脳裏へ浮かんだ記憶。
(毎朝一緒に登校して。帰りも一緒で。本当、いつもラブラブだなぁって思ってました。まさに理想のカップルって感じで、幸せオーラ全開って感じで…)
(………おえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ)
(生徒会長!?)
(ほんっとーに、やめてくれる?ただの幼馴染みなんだけど。)
彼女じゃなかった。
二人は、付き合ってなんかいなかった。
でも。
だけど。
黒川先輩は。
“18年も拗らせてる片想いだろ?そんな相手と変顔合戦してる場合じゃねーだろ!”
なんだ。
そっか。
そういうことだったんだ。
ずっと隣にいて。
毎日一緒にいて。
喧嘩ばかりしていて。
それでも離れなくて。
あんなに柔らかい表情をしていた。
黒川先輩が見ていたのは。
ずっと。
最初から。
雫は、ぎゅっと胸元を押さえる。
(やっぱり…………星野先輩が、好きだったんだ。)
わかってしまった瞬間。
胸の奥が、きゅうっと痛んだ。
だって、わかるから。
どんな不安も。
どんな悩みも。
どんな恐さも。
全部まるごと吹き飛ばしてくれるような。
誰よりも眩しい、太陽みたいな人。
恋する勇気をくれた人。
この手を引いてくれた人。
踏み出せない一歩を押してくれた人。
黒川先輩と同じくらい、大好きな人。
「雫たん?大丈夫?」
その声に、ハッと我に返った。
気づけば足が止まっていた。
雫の後ろを歩いていた部員が、不思議そうに首を傾げた。
その声に反応するように、前を歩いていた蒼太と朔也も振り返った。
「雫?どうした?」
足を止めた朔也が、数歩戻ってくる。
そして。
何の躊躇いもなく腰を屈めると、雫の視線の高さへ顔を合わせた。
「ごめん。歩くの早かった?疲れちゃった?」
心配そうな声。
「い…いえ!すみません!大丈夫です!」
雫は慌てて首を左右に振りながら両手を振った。
胸の内を悟られないように。必死に笑顔を作る。
けれど、うまく笑えている自信はなかった。
朔也が蒼太を振り返る。
「ひな達待ってるだろうから蒼太達先行っててくんない?俺、雫連れてゆっくり歩いていくわ。」
「え……っ!!!!」
雫の思考が固まった。
蒼太はそんな雫の様子に気づかないまま。
「あいよ、んじゃ先行ってるわ」
と軽く手を上げる。
他の三年生達もそのまま足早に歩いていった。
残されたのは。
夕暮れの歩道と。
朔也と雫、二人だけ。
六月の風が、そっと吹き抜ける。
オレンジ色に染まった街並み。
長く伸びた影。
遠くから聞こえる車の音。
その全部が、妙に静かだった。
朔也がゆっくり歩き出し、雫もその隣へ並んだ。
肩が触れそうで触れない距離。
それだけで心臓がうるさい。
「雫ごめんね?俺ら歩くの早いからさ。キツかったっしょ?」
「………っ」
柔らかな声。
優しい言葉。
それが余計に苦しかった。
「足が長くて困っちゃうよなー、なんつって」
冗談めかした言葉。
その笑い方が。
いつもの調子が。
胸を締め付ける。
「雫はちっちゃいからな。俺らの1歩が雫の3歩分くらいっしょ?」
その気遣いが。
その優しさが。
その当たり前みたいな温かさが。
どうしようもなく痛かった。
胸の奥が、ぎゅうっと縮む。
(…どうして…………)
苦しくて。
泣きそうで。
それなのに。
隣を歩くこの時間が、嬉しくて仕方ないんだろう。
夕暮れの光の中。
雫はそっと俯く。
長い睫毛の影が、頬へ落ちた。
胸の奥で、小さく呟く。
誰にも聞こえない声で。
どうしてそんなに。
素敵なんですか。
「…どうしてそんなに優しいんですか….?」
ぽつりと。
俯きながら溢れた言葉は。
泣きそうなほど、悲しい声だった。
そんな雫の想いなど知らないまま。
朔也はあまりにも、あっさりと即答した。
「可愛いから。」
「…………っ…………」
きゅううぅぅぅぅっっっ────────。
心臓が。
鷲掴みにされたみたいに痛い。
呼吸が止まる。
苦しい。
胸の奥が熱い。
泣きそうになる。
なのに。
嬉しい。
どうしてそんなこと言うの?
どうしてそんな風に笑うの?
どうしてそんなに当たり前みたいに優しく出来るの?
期待しちゃうじゃないですか。
あなたのその可愛いは。
“後輩”としての“可愛い”のくせに。
あなたの本当に可愛い人は、私じゃないくせに。
あなたにとって一番好きな人には、絶対にそんなこと言わないくせに。
大切だから?
特別だから?
失いたくないから?
私には────
そんなに簡単に、言えちゃうんだね。
胸が痛い。
どうしようもなく苦しい。
だけど。
それ以上に。
たまらなく、嬉しくて。
無理だ。
もう駄目だ。
諦められない。
こんなの、絶対に。
この想いに蓋をする事なんて、もう出来るわけないよ。
この気持ちをなかった事にするなんて無理。
例え、好きな人がいても。
黒川先輩の好きな人が、星野先輩でも。
それでも、大好き。
夕陽が滲む。
視界の奥が熱い。
泣きそうになるのを堪えながら、雫は小さく息を吸った。
「黒川先輩。」
ごめんなさい。
私。
先輩の恋を────
応援出来ません。
「歩くの疲れちゃったんで。手、引いて下さいよ。」
雫は無理やり笑顔を作って、朔也へそっと手を伸ばした。
「調子のんな。」
ピンッ。
軽い音と共に、額へデコピンが飛んできた。
「いたっ!」
思わず両手で額を押さえながら、雫は少しいじけたように言う。
「えーさっきハグしてくれたじゃないですかー。」
「ふざけただけですー」
「セクハラですー」
「無理ですー」
さっきまで泣きそうだったのに。
胸はまだ痛いのに。
それでも笑ってしまう。
夕暮れの歩道に、二人の笑い声が弾けた。
西日に照らされた長い影が並んで伸びる。
触れられない距離。
届かない距離。
それでも今は。
その隣を歩けるだけで、幸せだった。




