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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第三章〜高3編〜【最終章】  作者: 波方 真季


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第116話 剣士の風上


「礼ッ!」


張り詰めた試合場へ、審判の声が鋭く落ちる。

有元大毅と朔也は、互いに深く礼を交わした。

汗が、ぽたりと床へ落ちる。

体育館の熱気は、まだ肌へまとわりつくように重い。


観客席のざわめき。

遠くで続いている別試合の気合い声。

竹刀がぶつかる乾いた音。


その全ての中で──副将戦を終えたこの試合場だけが、異様な熱を残していた。


先鋒 × 0-2

次鋒 ◯ 1-0

中堅 △ 0-0

副将 × 1-2


ここに来て、両校の取得本数差は二本。

つまり。

次の大将戦で、聖陵国際が勝ち抜く条件はただ一つ。


───津堅蒼太が、“二本勝ち”すること。


一本勝ちでは届かない。

二本勝ちで引き分けられる。

二本奪わなければ即敗退。

一見すれば、圧倒的に優勢なのは皇辰学園だった。


だが─────

焦っていたのは、皇辰学園の方だった。

これは、オーダー変更をしてまで避けたかった想定外の事態。



大将戦まで、勝敗を持ち込む事。



「無理に一本取ろうとしなくていい。とにかく防御に徹しろ。死んでも二本取られるな。」


有元は、待機スペースへ戻るなり、大将の部員へ低く言い渡した。

面を外した顔には、まだ激闘の熱が残っている。

呼吸は荒い。

だが、その目だけは鋭く冷えていた。


「……うす。」


皇辰の大将が、小さく頷く。

有元は、汗で濡れた前髪をかき上げながら、静かに続けた。


「一本負けまでで耐え切れば、それで勝ちだ。」


低い声。

だが、その奥には確かな警戒が滲んでいた。


“死んでも二本取られるな”。


その意味を、皇辰学園の部員達は痛いほど理解していた。


もし二本取られれば。

取得本数は並ぶ。

そして試合は引き分けとなり、代表戦へもつれ込む。


一騎打ち。


先に一本奪った学校が勝者となる、完全決着。

そしてその場合、延長戦で有元が再び向き合わなければならない相手は──────


津堅蒼太。


高校入学後、公式戦無敗。

聖陵国際高校剣道部、絶対的主将。


皇辰学園は、その展開だけは避けたかった。

だからこそ。

朔也が死にもの狂いで有元からもぎ取った“あの一本”は、聖陵国際の首の皮一枚。

大将戦へと勝敗を繋いだギリギリの勝機となってしまい。


それがあまりにも重かった。


「……………。」


力なく、朔也は待機スペースへ戻る。


汗で濡れた道着。

乱れた呼吸。

まだ痺れる右腕。


負けた。

あと一歩、届かなかった。

その現実だけが、じわじわと胸の奥へ沈んでいく。


蒼太は、朔也を見なかった。

ただ真っ直ぐ。

試合場だけを見据えたまま、低く口を開く。


「お前が撃ち取った一本は大きい。」


静かな声だった。

けれど、その言葉には確かな熱があった。


「俺が二本勝ちして……必ず。」


そして。

蒼太は、皇辰の待機スペースに立つ有元大毅を真っ直ぐ見据える。


鋭く。

獰猛に。


「有元大毅を引きずり出して、ぶちのめす。」


「……………。」


朔也は、何も言わなかった。

ただ黙ったまま、面を外そうと手をかける。


指先に力が入らない。

悔しさが、喉の奥を焼いていた。


その時だった。


「大将ッ!!」


審判の鋭い声が、張り詰めた試合場へ落ちる。


その瞬間。


体育館の空気が、変わった。

ざわついていた観客席が、すう……っと静まり返っていく。

遠くで聞こえていた別試合の気合い声すら、どこか遠のいた気がした。


津堅蒼太。


その名前だけで、空気が研ぎ澄まされる。

蒼太は、静かに立ち上がった。


面を持つ手。

竹刀を握る指。

歩幅。

呼吸。

その全部に、無駄がない。

ゆっくり。

けれど、一歩ごとに。

まるで“絶対”が試合場へ歩いていくみたいだった。


観客席。


「…蒼太…お願い……っ」


咲が、ぎゅっと両手を握りしめて息を呑む。


さっきまでの朔也の試合とは、また違う。

熱じゃない。

気迫でもない。

もっと静かで。

もっと深くて。


──底知れない。


そんな怖さがあった。


試合場中央。

皇辰学園の大将も、静かに竹刀を構える。

額には汗が滲んでいた。


(……死んでも……二本取られるな……)


有元の言葉が、頭の中で反響する。

一本負けまでならいい。

とにかく耐えろ。

凌げ。

時間を使え。

そうすれば…………勝てる。


それなのに。

向かい合った瞬間から、本能が警鐘を鳴らしていた。


(……やばい……)


目の前の男は、危険だ。

静かなのに。

微動だにしていないのに。

竹刀の切っ先が、まるで喉元へ突きつけられているみたいな圧迫感を放っている。


「……礼ッ!!」


両者が、深く礼を交わす。

構える。

静寂。

誰も、息をしていなかった。


全員の視線が、大将戦へ注がれている。


そして───


「始めッッ!!!!」


審判の声が、炸裂した瞬間。


──ダァンッ!!!!


床が爆ぜた。


「っ!?」


皇辰大将の瞳が、見開かれる。

速い。

そう認識した時には、もう遅かった。

蒼太の踏み込みは、一歩目から間合いを破壊していた。


──パンッ!!!!


小手。

皇辰大将の竹刀が、僅かに浮く。


「っ……!!」


崩された。

そう理解した瞬間には、もう遅かった。

止まらない。

流れるように。

呼吸をするみたいに。


蒼太の身体が、音もなく深く踏み込む。


──ズバァァァンッ!!!!


「ドォォォォォッ!!!!」


完全だった。

あまりにも、一瞬だった。


小手を打たれた認識すら終わらないうちに、もう胴を斬り裂かれていた。


白旗。

白旗。

白旗。


一斉に、天へ突き上がった。


「胴ありィィィィッ!!!!」


ドッッッッッ───!!!!


歓声が、爆発した。


「うおおおおおおおっ!!!!」


「小手胴ーーーーー!!!!!」


「はっや!!!!」


「なんだ今の!!!」


「小手から胴まで一瞬だったぞ!?」


「津堅えぐすぎ!!」


観客席が揺れる。

他校の剣道部員達すら、立ち上がっていた。


皇辰学園側は、言葉を失っている。


「……は……?」


誰かが、呆然と呟いた。

ありえないほど、速すぎた。


構え合った。

開始した。


──その直後には、もう一本入っていた。


それくらい圧倒的だった。


試合場中央。

蒼太だけが、静かだった。


残心。


微動だにせず。

ただ真っ直ぐ前を見据えている。


まるで、“当然だ”と言わんばかりに。


(──まずい……っ!!)


皇辰学園の空気が、目に見えて変わった。

ざわ……っ、と。

張り詰めていた応援席へ、焦りが波紋みたいに広がっていく。


“あと一本取られたら、代表戦”


その現実が、じわじわと全員の喉元を締め上げていた。

試合時間は、まだ残っている。

残り三分。


たった三分。

けれど───


(こんなやつに……三分も耐えろって言うのかよ……っ!)


皇辰の大将は、息を呑んだ。

目の前に立つ津堅蒼太は、あまりにも怪物だった。

静かなのに、怖い。

叫びもしない。

感情を剥き出しにしているわけでもない。

なのに。

竹刀を向けられているだけで、首元へ刃を突きつけられているみたいな圧迫感がある。

一歩、踏み込まれるだけで。

次の瞬間には、斬られている気がした。


(……っ……)


喉が、ひりつく。

本来、この大将戦は“捨て駒”のはずだった。

副将戦で決着をつける。

だからこそ。

この試合へ回ってくる頃には、勝敗はもう決まっている予定だった。


なのに。

聖陵国際の副将──黒川朔也が、有元から一本をもぎ取った。


そのたった一本が。

皇辰学園を、崖っぷちへ立たせている。


“死んでも二本取られるな”


有元の低い声が、脳裏で反響する。


(……死んでも……耐え切るしかねぇ……っ!)


ぎり、と奥歯を噛み締めた。

竹刀を構える。

深く、息を吐く。

焦るな。

前へ出るな。

一本を狙う必要なんてない。

守れ。

耐えろ。

凌ぎ切れ。


それだけでいい。

そう、自分へ言い聞かせる。

汗が、顎先からぽたりと床へ落ちた。


体育館の熱気が、じっとりと肌へまとわりつく。

観客席のざわめき。

遠くで鳴る別試合の打突音。

全部が、やけに遠い。

視界の中心には、ただ一人。


津堅蒼太だけが立っていた。


「始めッ!!」


審判の声が、鋭く落ちる。


その瞬間。


──ダァンッ!!!!


再び。

蒼太が、床を爆ぜさせた。

空気が裂ける。

踏み込みと同時に、一気に間合いを潰す。

迷いは、一切なかった。


(一瞬で終わらせてやる……!)


蒼太の瞳が、鋭く細まる。


──パァンッ!!


「メェェェェンッ!!」


真正面から振り下ろされる鋭い面。


だが。


「っ……!!」


皇辰の大将は、咄嗟に竹刀を合わせた。


──ギリギリ…ッ!!


火花が散りそうな衝撃。

そこから、更に。


──パァンッ!!


「ドォォォォォッ!!」


間髪入れず飛んでくる胴。

低い踏み込み。

重い圧力。

しかし皇辰は、半歩。

身体を逃がすように下がった。


紙一重で防ぐ。


「っ……はぁ……っ……!」


呼吸が乱れる。

汗が、面の内側を伝った。

強い。

あまりにも。

けれど。

それでも、皇辰の大将は崩れなかった。


“捨て駒”。

そう割り切られて送り出された立場だとしても、ここまで勝ち残ってきた強豪校のレギュラー。


打突の見切り。

反応速度。

防御技術。

どれも、一流だった。


下がる。

逃げる。

真正面から打ち合わない。

試合場を、円を描くみたいに動き続けながら、徹底して時間を削っていく。


まるで。

泥臭く、生き延びるためだけに。


──ダンッ!!


蒼太が踏み込む。

皇辰大将は、また逃がす。


──パァンッ!!


防ぐ。

下がる。

距離を切る。

観客席から、ざわめきが漏れた。


「皇辰、完全に逃げ回ってる……」


「いや、でも今はそれが正解だろ……!」


「一本負けまで耐えれば勝ちなんだから……」


体育館全体が、異様な空気へ包まれていく。

蒼太は、奥歯を噛み締めた。


(……く……っ)


このまま追い続けても、相手は徹底して逃げる。

それなら。


蒼太の目が、静かに細まった。


(……返しで終わらせる。)


次の瞬間。

ふっと。

蒼太が、攻めを止めた。


「……っ?」


皇辰大将の瞳が揺れる。

今まで絶え間なく襲いかかってきた圧力が、わずかに緩んだ。

蒼太は、構えたまま微動だにしない。

剣先だけが、静かに相手を射抜いている。


“打ってこい”


そう言っているみたいだった。


一本を狙って前へ出てきた瞬間。

その起こりを、返し技で刈り取る。

蒼太は、待っていた。

だが───


(……?)


皇辰大将は、動かなかった。

距離を取ったまま。

竹刀を構えたまま。

じり……っと慎重に間合いを測り続けている。


攻めてこない。

一本を取りに来ない。

ただ、ひたすら。

“時間だけ”を使っていた。


その瞬間。

蒼太は、全てを悟った。


(……どこまで……姑息だよ……っ)


静かに。

胸の奥で、怒りが燃え上がる。




剣と剣を交えれば。

そこは、敵から一本を奪うための場所だ。

気迫をぶつけ。

技を競い。

魂ごと叩き込む。


それが、剣道だ。


一本への執念。

勝負への覚悟。

そのために、皆ここまで血が滲むほど竹刀を振ってきた。

なのに。

目の前の相手は、それを捨てた。

一本を取りに来ない。

勝負をしない。


ただ、“試合に勝ち進む”ためだけに。


真剣勝負から逃げて。

プライドを捨てて。

誇りも、剣士としての矜持も投げ捨てて。

泥みたいに、時間だけを稼いでいる。


蒼太の瞳が、すう……っと冷えた。


怒鳴りもしない。

感情を荒げもしない。

けれど。

その静かな怒りだけが。

試合場の空気を、じわりと焼き始めていた。


(そんなに防御がしたいなら───)


ただ時間だけを削り取り、“負けない事”だけへ全てを注いでいる剣。


そんなの。


 




──剣士の風上にも置けねぇ。



 



──ダァァンッ!!!!


床が、爆ぜた。


「っ!!」


蒼太が、一気に間合いを潰す。

皇辰の大将の身体が、反射で強張る。


(来る…っ!)


また、あの圧倒的な踏み込み。

一瞬で喉元を断ち切るような打突。


そう本能が警鐘を鳴らした瞬間───


蒼太の竹刀が、大きく振りかぶられた。


「…………っ!!」


左肩。

異様な軌道。

真正面へ振りかぶるはずの剣先が、一瞬視界から消える。

皇辰大将は反射で、竹刀を中央へ引き寄せていた。

面、小手。

そこを塞ぐために。

防御へ意識を集中させる。


次の瞬間。


「──だめだっっ!!!!!」


有元大毅の叫びが雷みたいに炸裂したと、同時に。


(……え?)


担いだ竹刀が、外側から一気に振り抜かれた。





──ズバァァァァァァァンッ!!!!


「メェェェェェェンッッッ!!!!」


 



右側面。

防御の外側。


完全に空いたその一点を、蒼太の竹刀が真正面から撃ち抜いた。


防御のため上がった竹刀。

開いた面。

崩れた重心。


全部。

最初から、蒼太は見えていた。


皇辰大将の身体が、大きく流れる。

遅れて。


白旗。

白旗。

白旗。


三本。

一斉に、天へ突き上がった。


「面ありィィィィィッ!!!!」


そして。


「勝負ありィィィィィィッ!!!!」


ドッッッッッッッ───!!!!!


体育館が、崩壊したみたいな歓声へ包まれる。


「うおおおおおおおおおっっっ!!!!」


「津堅ァァァァァ!!!!」


「担ぎ面だァァァァァ!!!!」


「やっっっっべぇぇぇぇぇ!!!!」


「フェイントで防御釣りやがった!!!!」


「皇辰から二本取ったァァァァ!!!!!」



地鳴りみたいな歓声。

割れんばかりの拍手。

観客席が総立ちになる。

他校の剣道部員達すら、息を呑んでいた。


その中で。


皇辰の大将は、面の奥で肩を震わせている。

呼吸は乱れ、汗が顎先からぽたりと床へ落ちた。

完全に、圧倒されていた。


その時。

蒼太が、ゆっくりと竹刀を下ろす。


そして。


「……敵はお前じゃねぇ。」


鋭く。

静かに。

獣みたいな目で。


 



「本物の大将、出してこい。」





ドンッと落ちたその一言だけで。

皇辰学園側の空気が、ピリ……っと張り詰める。


自分が倒すべき相手は、最初からただ一人。


有元大毅。


その宣戦布告だった。


「……嘘……だろ……」


皇辰学園側は、完全に凍りついていた。


耐えればよかった。

守り切ればよかった。

そのはずだった。


なのに。

“防御だけ”へ意識を寄せた、その一瞬を。


津堅蒼太は、真正面から狩り取った。


試合場中央。

蒼太だけが、静かだった。


微動だにしない。

荒くもない呼吸。

揺るがない剣先。


その姿は、まるで。


 


「…………怪物かよ……」


 


誰かが、呆然と呟く。


二本勝ち。


それも、強豪・皇辰学園相手に。

絶対的エース・有元大毅が繋いだ勝負を。


真正面から、たった一人でひっくり返した。


観客席。


「……っ……!!」


咲の胸が、大きく脈打つ。


「蒼太……っ……!」


咲は、涙ぐみながら口元を押さえている。


熱い。

苦しい。

息が、出来ない。


さっきまで朔也の試合でいっぱいだった心が。

今度は別の熱で、ぐらぐら揺れていた。


「蒼太ーーーっ!!!かっこいーーーー!!!!」


陽向は興奮して、雫に抱きつきながら跳ねている。


そして。

待機スペース。


「っしゃああああああああっっ!!!!」


聖陵国際剣道部が、一斉に爆発した。


「代表戦だァァァァァ!!!!」


「部長ーー!!!えぐすぎる!!!!」


「担ぎ面で狩りやがった!!!!」


「マジで無敗の怪物!!!!」


歓声。

絶叫。

熱狂。


その中心で。

朔也だけは、静かに試合場を見つめていた。



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